第13話 『クローク邸』
「時間とくれば、次は場所だな。ここどこ?」
知らない世界に来たらまず知っておきたいことランキング〜。ぱらぱらちゃっちゃっ!
頭の中で妙な効果音とともにテロップが流れる。もちろんリラやルイの仕業ではない。タツキが勝手にやっただけだ。
脳内で瞬時に組み立てたランキングは全て鉄板ものである。その中でも《場所》は上位三位内に軽く収まる。今自分がどこにいて、どんな状況に陥り、どんな危機に晒されているのか。
どれもが生きていく上で大切な情報なのだが、記憶喪失に捉えられるほど奇怪な質問でもあった。案の定、ルイに至っては露骨に嫌悪感を出しており、愚問だとばかりに顔をしかめている。
「ふむ、実に曖昧な問い方だ。――興味深くもあるけれど。それで、どの範囲での答えをお望みなんだい?」
「もちのろんで全範囲―――な〜んて冗談で場を和ませようと思ったイケ男の俺だが、さすがにそこまでマヌケじゃないぜ。あ、別に頭が追いつかないとかじゃないからな!? とりあえず、この屋敷についての説明頼むよ。攻めるなら身近なところからってな」
そのおふざけを含んだ質問に、クロークは仮面を揺らして満足気に頷く。まるで全てわかっているかのようだった。……タツキの立たされている状況さえも。
「リラ、頼む」
「承りました。――ファディリング」
タツキと接する態度とは天と地の差の丁寧な受け答え。いつもなら言葉に出してそう茶化すところだが、今は聞き慣れない単語に興味がうつっていた。――そして、息を呑む。
「……ッ!」
ゴポゴポッ!
リラの口から紡がれた七文字の言葉。その言葉に応え、彼女の手の平から透き通った水が溢れだした。手が蛇口と化し、溢れる水は止まらない。その水の勢いに、高い絨毯が濡れてしまってはいけないと手で受け止めようとしたぐらいだ。意味がないと分かっていても。
だが、こぼれる水を受け止める必要はなかった。永遠と湧き上がる純粋な水は、手の上で形を成していく。タツキは徐々に出来上がる幻想的な光景に目を奪われていた。
――まるで水の造形だ。形のないはずの水が、くねくね曲がりながら《何か》を造っていく。その美しい光景が目を伏せる美少女と絶妙にマッチしており、神秘的なイメージを醸し出している。普段……と言っても少し言葉を交わしただけだが、そんなタツキの印象と全く違う空気を纏った彼女は、アニメの一面をくり抜いたみたいに綺麗だった。
常識を逸した光景。幻想的な雰囲気は異質だが美しく、見る者の心を掻き立てる。あれほど騒いでいたタツキも、その面妖さに引き込まれては黙るしかない。現実離れしているのに、すんなりとその光景を受け入れることができた。常識が抵抗する前に、情景の綺麗さに心が奪われる。初見の魔法がこのレベルだと、次に見る魔法に対する期待度が高まってしまう。
「なんですかそのアホ面は。まさか魔法を見るのが初めて、な〜んて人外発言するわけじゃないですよね」
「ぇ」
しまった、顔に出過ぎたか。大抵のことなら適当に濁して済ませられるのに。
虚をつかれたタツキの喉の奥で変な音が鳴った。図星を認めた証拠でもある。できる限り知ったかぶりを通したまま情報を得たかったが、ここらで潮時かもしれない。そう覚悟を決め、生唾を飲み込むと、正直に完全な無知を打ち明けるべく口を開いた。
「実は――――」
「ハハ、まさか。流石に冗談がすぎるよ。タツキ君への侮辱だと思われても仕方がない」
「ひょっ!?」
肯定しようとしたタツキの横から来た、完璧な否定。
クロークの雰囲気がガラリと変わった気がする。そう、親しみやすさが抜けたのだ。
「魔法を見たことがないだと? ……そんな不可思議な人物はこの世界に存在しないさ。ーー――魔に干渉しない人間。そんな愚物はこの世で生を受けるに値しないのだから」
「―――っ」
本人の悪気なく、駄目人間のレッテルが貼られた。
《魔に干渉しない人間》とはタツキのことだ。元の世界に魔法なんてあるはずがないのだから。つまりはこの世にいらない存在。
そこまで責めなくてもいいだろうと半泣きになりながら、自分は《魔に干渉していなかった人間》なのではないかと思い直す。直接魔法を見た今、魔に全く干渉していないわけではない。これならギリギリセーフ……かもしれない。ただの言葉遊びと一笑されても仕方ないが。
「申し訳ありません……。クローク様の仰っしゃる通りです。口が過ぎました」
「―――」
「そんな目で見ないでくださいよぅ。今回ばかりは悪いのはアタシです。ちゃんと分かってますから〜」
主の怒りを恐れてか、リラが慌てて謝罪する。困ったように笑うその仕草も態度も声も、今のタツキには入ってこない。
過去最高量の冷汗がどっと頬や首筋を伝った。一度暴露しかけた言葉を深く飲み込み、感情を表に出さないよう努力する。
魔法を知らない環境にいたことがバレれば、確実に殺される。かろうじてその事実だけはタツキにも理解できた。
――確信の理由。それは、単純にクロークの言葉に殺意がこもっていたからである。寛容な主もそこには厳しいらしい。魔法に長けた人物なのだろう。
正直今までの奔放さから、今回も「分かりません」で済ませられると高をくくっていた。現にどうにかなってきたし、死を覚悟させるものはなかった。……だが。
―――《魔法》。この世界の基盤となる言葉。ファンタジーめいたその響きがタツキの首を締め続ける。知識の少なさを嘲笑っているようでもある。
「……べつに構わねぇよ。クロさんの言うとおりだしな。俺は魔法を知らないほど大馬鹿者じゃないぜ。ただ俺の生い立ちにかなーり複雑な事情があって、ちょーとだけ魔法についての知識が少ないだけだ」
違和感を感じさせない態度を装う。
昔から偽るのは得意だった。笑顔とテンポを崩さずに喋れば済むからだ。声にも乱れはなかった。不自然な動作もしていない。うん、大丈夫。大丈夫だ。クロークの疑惑に満ちた瞳も、きっと気のせいだ。
それに、魔法を見たことは嘘ではない。この世界で目覚めた後、フレシアが魔法を使って狼を撃退したのだから。……はっきりと、魔法を使っているところを見たわけではないけれど。
「当然ですよぅ。ほんとにゴメンナサイ〜」
「そんなかしこまらなくていいんだぜ……って、そんなことねーな!? 見せかけだけか! 感情こもってねぇ!」
薄っぺらい笑顔を貼り付けたリラに、いつも以上に噛み付いて答える。わざと意図が分かってない風を演じているのだ。
極度の緊張で背中に嫌な汗が出る。一歩間違えば死。改めてクソルールを認識させられた気分だ。
「リラ、無駄な詮索はよせ。――それよりタツキ君。この屋敷についての感想を聞いていなかったね」
低い声で従者を抑制したクロークは、間を経て態度を崩した。
厳しい顔をしながらの腹の探り合いはひとまず中断ということだろう。
劣勢のタツキがわざわざ意向に逆らう理由はなかったので、停戦を受け入れリラの手元に視線をずらした。
「おお? よく見たら何だこれ……すげぇ!」
ワンパターンすぎる反応。それは、捻り出したというより感想が思わず出てしまっていたことにより生じた。
――それほどリラの造り出した水の作品は並以上の出来栄えだったのだ。微細な所もきちんと表現されており、水で造ったとは到底思えない。圧巻の一言に尽きる。
ミニチュアサイズだった屋敷模型は、タツキの感嘆の声に応じてみるみる膨張していく。ついには両手で支える大きさにまで達した。ドールハウス並みのクオリティだ。
リラの器用さに素直に拍手。このレベルの魔法が高レベルなのか普通なのか分からないが、とりあえず凄いことにしておく。
それは屋敷自体にも言えることだった。外観を見ただけで、主がどれだけの権力者か分かるほどの絢爛さ。屋敷の前に備えてある門のきめ細かい装飾。そこには大小の違う円球が六つ浮いており、水晶みたいに綺麗だった。円中に何かあるようだったが、魔法による再現にも限度がある。そこまで細かいところはぼんやりとしかうつっていなかった。どれだけ目を凝らしてもちらりとも見えず、その謎は保留にしておく。
――タツキが見たことないほどの豪邸である。それも大がつくほどの。模型の色別はできないのに見ているだけで心が踊った。
屋敷は一つの建物と二つの塔から構成されていた。おそらく双塔に挟まれた一際大きい建物が本棟なのだろう。楕円の形に近い。中央の建物の一階と最上階からは通路が伸びており、それぞれの塔に繋がっている。三つの建物を行き来するための通路だろう。昔公園で見た遊具によく似ていた。
正確な敷地面積は分からないが、相当広いはずだ。洒落た庭園もあり、隅にはビニールハウスらしきものが置かれている。
木の下のベンチ。そこに座り、フレシアと二人で笑い合う光景を想像して微笑んだ。
「最ッ高じゃねぇか………!」
「お気に召してくれたみたいでなによりだよ。いやぁ、皆聞き飽きた美句しか述べないからがっかりしていたところでね。素直な賛辞は久しぶりで……たとえ下心があるとしても、とても嬉しいことだよ」
「しししシタゴコロナンテナイヨ!? つか、こんな豪邸気にいらねぇ奴の神経疑うよ。心配なのは寝ぼけて屋上から落っこちないかぐらいだな」
幸せな妄想に涙を流しながらガッツポーズをするタツキに、クロークは何もかも見抜いているように顎を引いた。
タツキが懸念したのは、中央の建物の奇妙な形だ。簡単に言えば平らになっている。雨や雪が降れば即座に積もってたまるだろう。それとも天候の変化はないのだろうか。
屋上は全てオープンスペースになっており、理屈は分からないが沢山の草花が生えている。ご丁寧に隣塔からは専用の通路が伸びていて、いたれりつくせりだ。屋敷の人にとっては大事な場所なのかもしれない。だが、一般的な感覚でいえば狂気の沙汰に近い。理由は簡単。落下防止の柵が何もないのだ。足を一歩踏み出せば落ちてしまう造りである。自殺志願者に最適な場ともいえる。ーーー寝ぼけて死ぬのも笑い事ではなく、現実問題としてありえる。死因としてはかなり恥ずかしい。
「驚きです。タツキ様ほど世間に乏しい人物を、ルイは初めて見ました」
「安心して、ルイ。その意見にはアタシも激しく同意するから」
「二人して悲しい判定やめよ? スポンジ並の俺の吸収力を舐めんな! ――ということで、クロぽん様説明おねがいしゃーす!」
坐作して近くにいるクロークに縋った。タツキの急接近に二人のメイドの肩がぴくりと反応したが、それ以上の動きは見せなかった。どれだけ警戒されているのだろう。
「さも自信ありといった様子で我に振るとは……。了承替わりに、その虫唾が走る呼び名は再却下で頼む」
好きに呼んでくれと言った割にはリクエストがあるのか。いや、選んだ呼び名が悪かったのか。
二度目のニックネームを捨て、クロさんと呼びかける。普通に戻っただけが、あだ名改正完了の合図だった。
「我の力で屋敷全体に結界を張っているんだ。かなり強力なやつを。だから我がいる限り、屋上から落下する心配はしなくていい」
心の中でふーんと呟く。普通の神経の人間からしたら聞くに耐えない中二病発言でも、この世界なら当たり前の話だ。それを分かっているタツキは合点がいって頷いた。
――《結界》。主に防御を目的として使われるものだ。
術式との違いやレベル。まだ細かいことは分からないが、この世に存在する事実が嬉しかった。いつか自分もかっこ良く結界を張ってみたい。才能があれば結界術師の道もありか。
「それに魔獣が入って来る心配もない。正真正銘の安全区域なんだよ、ここは」
「テンション上がる言葉だなぁ。あ、この勢いで魔獣について聞いてオケ? ………って、え?」
拳に力を込めてテンションマックス!……というところで、いきなり空気が冷えた。おそらくクロークが原因なのだろう。彼を中心に冷気が広がっている気がする。理由は分からない。
何か気分を害する言葉があったのか、明らかにおちゃらけムードから一変していた。無理にテンションを上げることが馬鹿らしく、自然と自身も真顔になる。
「ーーー。まず、自然界で能力格差が生じていることを知っているかな」
「そりゃ、弱肉強食は当たり前だろ」
「なら、その中で《魔獣》がずば抜けて強い上位能力を所持していることは?」
「………知らね。確かに強そうなイメージはあるけどさ」
つまり、この世界に存在する外敵は魔獣だけではないということだ。タツキの世界での百獣の王であるライオンに位置するのが魔獣であり、自然界でのヒエラルキーの頂点にいるのだろう。
「魔獣は駆除するには厄介な特性を持っているんだ。その他は、魔物や怪奇等の下位生物。能力の持たない生物が最下位クラスに分類される」
この世界での上下関係ピラミッドが明確になってきた。タツキの世界に存在する獰猛な動物たちは、ここでは最も下位の部類に属するのだろう。動物園で見た、檻に押し込められ、牙を剥いたライオンを思い出して身震いする。普通なら、何もない場所で猛獣と出会ったら命はない。――だが、ここの基準は違う。そんな危険動物を脅威とみなしていない。人智を超えた力、《魔法》があるからだ。
「それで、あの狼の群れはどれくらい強いんだ?」
「狼……あぁ、君を襲ったウォーグウルフのことか」
「イエス、シヌホドコワカッタ」
「へぇ、あれにそれほど力は無いはずなんだけど な……。多少の魔力を有しているものの、それを攻撃に転換できるだけの力を持たないんだ。魔獣になりそこねた犬だと考えてくれればいい」
「………」
ぐうの音も出ない。
徹底的なウォーグウルフへの批判を聞かされては立つ瀬がなかった。なんせ、タツキはその犬畜生にフルボッコにされたのだから。クロークは分かって言っているのだろうか。
確かにフレシアはあっさり狼を一掃してみせた。それは彼女が強いためだと思っていたが、違うのか。相手が弱いだけなのか。いや、フレシア自身が強いのは本当だろうけど。
タツキを喰らおうとした奴等の姿を思い返す。
獲物を射抜く瞳。長く伸びた牙。地を踏み鳴らす鉤爪。自らの最後を嘆く咆哮。
その全てを直で浴びたタツキだ。敵ランク、危険度ともにA判定は軽い。フレシアがいなければ死んでいたはずだ。そう考えると自分の運の良さを賞賛したくなる。
――それなのに、この世界では雑魚モンスター扱いである。魔獣の中での雑魚なのか、三角ピラミッドの中の下位なのかはわからないけど。
全くもって笑えない。あれを超える魔獣がうじゃうじゃいるということか。………冗談じゃない!! 屋敷から出た瞬間死ぬっつーの!
命がいくつあっても足りない、死ぬ前提のデスゲームだ。自分が何か特別な能力を宿しているなら話は別なのだが、とてもそんな好条件は望めそうにない。リラの判定も普通だったんだし……。
「なぁクロさん。魔獣は獣の姿をしてるんだろ」
「もちろんだ」
「なら、どうやってただの獣と見分けるんだ? 外見が異様に黒いとか?」
特に深い意味はなく、率直に不思議に思って聞いただけの質問。が、クロークの反応は意外なものだった。突然押し黙ったと思えば、穴の開いた窪みから眼光を鋭く光らせた。そして顎に手を当て、何かを真剣に考える素振りをした。こちらの空気までピリピリしたものに変わる。
「やっぱり知らなかったんですね。予想はついてましたけど〜。アタシの予想じゃ、この件はタツキ様にとってあまり気分のいい話じゃないですよ?」
「どうしてわかるんだよ。何も言ってねぇのに」
「さぁ、理由までは分かりませんよ〜。タツキ様の反応が明らかに違ったことは確かですけど」
「………? 魔獣に思い入れなんてねぇけど?」
「そうでしょうか〜」
「自覚がないのなら、止めたのは君の本能だ。面倒事は御免だが………それを知った上で聞かないといけないぐらい、大切なことなのかい?」
「――は」
試すような口ぶりに加え、どこか威圧的なクロークの態度に、言っている意味が分からず困惑する。疑問符を頭に浮かべて固まった。
本人以外が感じ取った、タツキの変化。クロークの言うとおり自覚は無く、何故みんなが止めるのか分からない。
早く教えてほしいと思う反面、聞きたくない気持ちもある。
タツキの触れて欲しくない部分。
闇に包まれた部分。そこに触れるからこそ、クロークは発言を躊躇っているのだと思ったからだ。しかし、その意図を汲んでも、タツキは自分の影に気づけない。これ以上魔獣について聞くことは自分を傷つけるのだと、薄ぼんやり分かっただけだ。
ーーー魔獣についての疑問を取り下げるか。
ーーー魔獣についての疑問を追求するか。
前者はタツキの人生そのものだ。見たくないものからは目を逸らし、聞きたくないことは耳を塞いで済ます。それが自分を守る唯一のすべだったのだ。これも所詮、愚行の正当化なのかもしれない。本音は傷つくのが怖いだけだ。
やめろ! 聞くな! 逃げてしまえ!
疑問を追求すれば傷付くのは自分だ!
いつもみたいに逃げてしまえばいい!
そんな脳内での危険信号を察知し、言葉を発そうと口を開く。疑問を取り消すためーーーつまり、逃げるためだ。
どうせ余興程度に聞いた質問だ。頭が拒否する答えをわざわざ望むべきじゃない。今までもそうしてきたじゃないか。
「―――それでも、知りたいんだ。教えてくれ」
そう思っていたのに、ついて出たのは自分でも驚くセリフだった。




