第11話 『クローク様万歳!(嘘)』
無駄に響いた開閉音。
開けた当人を知らぬまま、タツキは思ったことをぼろぼろと口にしていく。
「んだよ扉開ける力強すぎんだろ。俺のセリフ消されたんだけど。開ける時は静かにやれってパパママに言われなかったのか」
扉を開けた主に文句をたれつつ、首は自然とその主に向く。もしルイだったら、という懸念は無かった。仮にもメイドである立場の人間が、礼儀を欠いた行為をするとは思えない。
「――っ」
その予想通り、視線の先にいたのはルイではなかった。ただし、度肝を抜かれるぐらい驚く存在という点では、ルイの場合を越すほどの衝撃だった。自分の正しさを確かめるため、もう一度姿を確認する。
「………」
―――うん、いるな。仮面がいる。いや、正確に言うと、『あった』。真っ白な仮面だけが空に浮いている。いや、全身が黒服で覆われていて背景と混ざりあい、頭部が浮かんでるように見えるだけか。それでもかなり奇妙な姿である。
誰かわからない故のハテナと、素顔に対しての疑問が浮かび上がる。答えをもらおうとフレシアに目を向けるが、彼女はぴんと背を伸ばしているだけでこちらを見てくれない。
新たなキャラ、仮面マン。
素性は仮面をつけた(おそらく)ただの男だ。近所で見かければすぐさま通報されるレベルには変な格好だが。まさか食事の前戯の為ではないだろう。
「うおっ」
黙っていた彼が、何かを探し求めるかのように辺りを見渡した。仮面に窪んだ穴が開いている。その狭い視界でこちらを見ているのだろう。
幽霊。化物。生霊。異形。変態。
そんな単語をひとしきり頭に浮かべ、小さく息を呑んだ。仮面男の二つの目玉がじっとこちらを見ていたからだ。否、タツキだけを見ていた。
仮面に開いた穴の奥に光が灯る。それが瞬きによるものだとわかった頃には、額にびっしりと脂汗がでていた。
男の空間だけあきらかに異質めいている。自分から口火を切ることが躊躇われる迫力といったら分かるだろうか。
観察していて分かったが、背がタツキの半分ちょっとしか無い。体型は子供ほどで、全てがミニサイズだ。肩幅は狭く、体格はいいとはいえない。仮面からちょいちょいでている黒髪にルイの言葉が思い返された。
何が黒髪は珍しいですね、だ。一般共通じゃねぇか。
自分はズレていないことに安心しながら、内心で悪態をついた。
「………ひっ」
一瞬、陰口がバレたのかと思った。
そんなことはありえないと言い聞かせながらも、心臓はバクバクだった。何食わぬ顔をしたルイが、仮面男の背後からいきなり現れたのだ。タツキの百面相に気づいた様子もなく、それどころか世界になんの関心もないといった表情で扉を丁重に閉める。実にテキパキとして静かな動作だった。
その様子を見て、ますます疑問が募る。今のワンシーンだけを切り取れば、仮面男がルイと主従関係にあるようにみえたのだ。ぽっと浮かんだ予想を、ありえないだろうと即座に打ち消す。
真っ黒な衣服……マント(のようにもみえる)から隠れ見えるのは、正気が感じられない青白い肌。遠目だと肌の質感も感じられず、まるで本物の陶器のように見え、人形説を真面目に疑ったほどだ。
そんなタツキの疑念は、割とあっさり解消された。男が口を開いたのが見えたからだ。
これで人形の線は消えた。しかし、言葉を聞いたわけじゃない。遠目からルイに何かしら呟いているのが分かっただけだ。
それにルイが何か返し、仮面男が頷く。
ーーーそして、歩き出した。ゆっくりと、だが確かに。これで人形説は完全に消えた。ぱっと見はアレなのに、一つ一つの動作には不思議と風格があるのだ。恐れが薄れ、感心に変わる。見惚れてしまうほど動作がスムーズで洗練されていた。
「………」
誰も何も発さない空間が、足音がない男の違和感をより一層強調してる。それなのに、イスに座るまでの一連の動作を不愉快に感じなかった。むしろ感嘆さえしてしまうのは、主の異常さの賜物だろう。
長テーブルの一番端。1つだけ抜きん出て背もたれが高いイス。そこが仮面男が腰を下ろした場所だ。
見るからに位が高い人の座る席、上座である。
つまり―――。
「……アレが噂のクロークさんとかないよね」
恐怖五割、懇願五割の疑問を空に投げかけた。
――願わくばありえないと笑い飛ばしてくれることを。そんなタツキの祈りを、
「いかにも。我の名はペル・クローク。この邸宅の主人だ。歓迎するよ、お客人」
特徴的な喋り方の低い声が打ち砕いたのだった。
よく仮面越しで声がくぐもらないなぁ。
――そんな現実逃避とともにしばし停止。
そして、
「数々のご無礼、本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!!」
必殺! DO・GE・ZA!!!
逃避から戻ったタツキが真っ先に繰り出した最強の手段だった。その間、わずか数秒。土下座新記録ではないだろうか。本当どうでもいいけど。
異世界人相手にどれだけの効力を発揮するかは未知ではあるか、取り敢えず地べたに頭を擦り付ける。
「何を詫びる必要があるんだい? 君が我にどんな不都合を及ぼしたのか教えてくれないか」
「そ、それは……。お宅のフレシア様を危険に晒したり、介抱してもらったり、それにさっき超無礼な発言を……」
「………む。我は、君が彼女を救ったと聞いたのだが」
「そうよ、ペル。タツキが謙遜してるだけだわ」
「フ、フレシア様ぁ……!」
涙をこらえて女神を見ると、胸が撃ち抜かれそうなウインクが飛んできた。上手くフォローしてくれたらしい。本当はタツキがフレシアを邪魔しただけなのに、本人が助けられたといえばそれが真実になる。
「ならばこちらが礼をするのが筋だろう。介抱したのはその礼の一部だと思ってくれればいいさ」
「だとしても、屋敷の主人様にご無礼を……」
「あの程度のことで腹を立てる者など、領主の器にふさわしくない。だから君が気に病む必要は無いさ」
「何この人! めちゃくちゃ優しいんですけど!」
予想外の返答に思わず本音が飛び出す。最悪死刑を覚悟していたが、主人が寛大で助かった。ふざけた格好してるな、と思ったことを追加で謝罪したいぐらいだ。
そっとクロークを見ると、仮面の奥で微笑んでいるようにみえた。やっと肩の荷が下りたといったところか。彼の器の広さに安堵し、自身の幸運を喜ぶ。
「当然です。クローク様はタツキ様風情に情けをかける、それはもう慈悲深〜いお方なんですから」
すぐにクロークの側に飛んでいったリラは、微笑みを絶やさずそう告げた。一瞬非愛なルイと勘違いしたぐらいキツイお言葉。さっきは雰囲気にズレを感じていたが、ようやく顔のそっくりな姉妹の態度まで完全に重なった。
普段のリラのイメージ……といってもそんなに言葉は交わしていないが、勝手に抱いた第一印象からはかなりかけ離れていた。
明るく常に笑顔。+毒舌なのが姉。
冷たく常に真顔。+毒舌なのが妹。
一見真逆の性格に見えて案外似ているのが彼女たちなのだ。
「姉妹揃って毒舌パターンかよ……」
「加えて申しますが、クローク様以外の方にそんな口のききかたをしようものなら、即座に首が飛んでますよ。立場を弁えることですね」
やんわり言っているようにみえて、その言葉に柔らかさは欠片もない。タツキにとって警告されたようなものだ。しかし、目上の者への態度が崩れていたことは認めるしかない。今までのやり取りはまさに綱渡り。この国で打ち首があるのか分からないが、問答無用で殺されていてもおかしくない世界だ。慈悲深いと讃えられる理由が更にわかった気がした。
「つっても、タメ口は素で出ちまうわけでして……」
敬語を使う場面は少ない。だからつい忘れてしまうのだ。それでも言葉次第で命がなくなるというなら、気をつけるしかないだろう。
「端から対等が約束だったはずだ。話に支障がないなら構わないよ」
「寛大! 寛容!! 超カインド! クロちんありがとう!」
さっそく言葉遣いへの配慮が無くなる。タツキの態度は友人と接するものと同等だった。ルイの睨みが鋭くなり、リラの顔に横線が浮かんだ気もするが、さすがに主の意向には逆らえないだろう。
「む……。クロちん、だと?」
「ねぇ、お話し始めちゃうの? 私はどうしたらいい?」
不意をつかれて呆然とするクロークに、どこか硬い表情をしたフレシアが遠慮がちに問う。その態度に微かな引っかかりを覚えたが、仮面男に警戒しているのだろうと適当に疑問を片付けた。……少し考えれば、クロークとフレシアは何度も面識のある仲だと気づくことなのに。自分と同じ尺度で図るから、いつも間違えるのだ。
「あ、あぁ……。君は皆を呼んできてくれないか。《速やかに朝食の場に出るように》と、我からの言付けも添えてくれ」
「うん、分かりました。じゃあ、タツキをよろしくね」
「ちっちゃい子供みたいな扱いされると泣くよ? フレシアこそお使い迷わないようにな。ここ無駄に広いし」
「子供じゃないから平気です。よし、行ってくる」
妙に気合の入ったフレシアを、両手を振って送り出す。そのまま彼女が姿を消すまで大袈裟に手を振り続けた。フレシアがどこか遠くに行ってしまう気がしたからだ。
十分に見送りを済まして満足気なタツキを、クロークが一瞥。
「それでタツキ君。君の中にある疑問―――主である我に聞きたいことを、存分に言い給たまえよ。朝食までの余興程度にはなる」
疑問ではなく断定。
まるでタツキの心境を把握しているような口ぶりだった。そこに神経を逆立てるような刺はなく、何もかも包み込んでくれるような包容力に満ちている。
そんな彼は、信頼できる人物に値するのだろうか。
簡単に他人を信じれるほどタツキは恵まれた環境にはいない。人には猜疑心を忘れずに接し、相手の言うことを鵜呑みにする馬鹿はしない。……なぜだかフレシアだけは例外だったのだが。
上質な長椅子に腰掛け、優雅に手を組むクローク。更に後ろには美少女メイドが二人。……悔しいことに、これが何とも絵になっているのだ。顔を隠しているのに何故。値定めする前に羨ましさが湧いてくる。
畜生、ポジション変わりやがれ!!!
少々の妬みを呑み込んで、結局主人の寛容な態度に甘えることにした。初めから選択肢などなかったのだが。
「はは、聞きたいことがありすぎてパンクしそうだぜ。さっさと消化よろしくな、クロち……さん」
「呼称にこれといった括りはないから好きにしてくれ。……できれば先程以外を所望するけれど。――嗚呼、話が逸れてしまったね。質問はお手柔らかに頼むよ」
「分かったぜ、ペルりん」
「ペルりん……」
クロークの呆然としたような言葉を聞き、記憶を整理する為に目を閉じた。タツキの中の疑問を整理し、解決していくためだ。
――――ゆっくりと思考の海に呑まれていく感覚。訪れを告げるのは背中に感じるひんやりとした水だ。体が浮かんでいるのがわかる。
ゆらゆら、ゆらゆら。そのリズムが段々落ちてくるのは、海の漂いの終末の予兆。十数えないうちに体が波に呑まれ、水面から遠ざかっていく。目は使えなくとも体の隅々でそれを感じている。……ああ、なんて心地良いのだろう。底無しの思考の海にどんどん沈んでいく。
深海という名の元、やがて音が消え―――――決まって、タツキは一心に海底を探し求めるのだ。あるはずのない底を。見つけることのできない底を。
焦燥感が全身に行き渡った時、一本の糸がいつもタツキの前に現れる。諦めかけたタツキに終わりを与えない鍵でもある。苦しみを捨て去ることを許さないそれは、救いを与える《蜘蛛の糸》とはかけ離れた意味を持つ。
無視して水面に上がろうとすると、途端に息ができなくなる。酸素を欲してもがき苦しむタツキは、そこで必ず糸を掴んでしまうのだ。今まで頑なに拒んでいた悪魔の糸を、さも簡単に。そして運命の神様とやらを恨むのだ。
戒めの記憶に繋がる糸を辿った。忘れたはずの記憶は箱から出ないように縛り付ける。そして早く立ち去らんとばかりに、高速で情報をあるべき場所におさめていく。
懐かしい。俺は前にも同じことを―――。
記憶の荒波に揉まれるのは知識を蓄える快感に近い。呼吸をする事も忘れ、更に数々の疑問に優先順位を付けていった。
それを打ち切ったのは多方向からの視線だ。早くしろと目が告げている。
「まるで自分に昏睡する愚物のようで気分を害します。……はぁ、愚物は愚物らしく黙っていればいいのに。アタシに……クローク様に、これ以上無意義な時間を割かせないで頂戴」
「考え事するときの癖なんだからスルーしてくんない!? あとそれ普通に悪口だからな!」
一気に辛口になったリラに対するヤケクソの反論。思考の糸がぷつんと切れた。
タツキが集中する時には周囲の情報を全てシャットアウトする。そうすることで思考が研ぎ澄まされていき、無駄な情報量を削減して一つのことを考え抜くことが出来るのだ。
……平たく言えば、ただの不器用野郎である。




