遊びと教育は紙一重、粘土遊びや木登りも楽しみながら行おう
遊びと教育は紙一重、粘土遊びや木登りも楽しみながら行おう
さて子どもたちも大きくなってきた。
みんなで集まって打製石器や磨製石器をの作り方を教えながら子どもたちもつくったり、動物の角で釣り針を作ったり、ココナッツファイバーやアバカから糸をつくって網や縄、布などをつくったり、土器を焼いたりするのを真似する子どもたちも出てきた。
「石を割る時は破片が目に入ると危ないから注意しながらやるんだぞ」
「はーい」
子どもたちはまだ小さな手で皆一生懸命作業をしてる。
ただこれは労働ではなく娯楽でもあるのだ。
石を割ったり磨いたり、糸を撚ったり、粘土をいじって器を作ったりするのはそれが実際に形になってくるととても楽しいらしい。
粘土をこねてワイワイとコップみたいな土器をつくってる子どもたちが嬉しそうにそれを掲げた。
「できたー」
「できたー」
「お、ちゃんと出来たな、偉いぞー」
俺は子どもたちの頭をなでながら褒めてやると子どもたちがバンザイして喜んでる。
「えらーい」
「えらーい」
もちろん子どもたちの作るものだから形がいびつだったり小さかったりするけどちゃんと作業をやりきったのだから褒めてあげる。
そうすれば自身を持つ。
「あーん、できないーもうやー」
なかには自分の思うように上手く出来なくて粘土を投げて壊してしまう子供もいる。
感情的になることもあるのはわかるがそれを物にぶつけるのは良くないからな。
褒めるということは大事で自信や自己肯定感を育むことができる。
逆に子供を叱ったり行動を否定してばかりだと自身を持てず、自分は無価値な存在だと自己肯定感を失ってしまい他人の顔色ばかり伺う人間になってしまう。
もちろんやって良いこととだめなことをちゃんと教えてだめなことをしたら叱る必要もあるがある程度の自信や自己肯定感というのは重要だ。
「こらこら、せっかく上手くできていたのに投げ捨てて壊したらだめだぞ。
特にほかの人の作ったものは絶対にな」
「うー」
涙目になってる子供をよしよしと頭をなでて慰めることも必要だ。
「じゃあ一緒にやってみようか?」
「うん」
「ここはこうしてな」
「こう?」
「そうそう」
そうやって手伝ってやったらちゃんと出来上がった。
「できたー」
「おう、頑張ったら出来たし良かったな」
「まいさまあいがとー」
「ん、じゃあ洞窟の奥でみんなのつくったやつを乾かすか」
「かわかすー」
「かわかすー」
弥生式のかぶせ焼きで多少は丈夫になったとは言え土器はもろくて割れやすい。
だから定期的につくって焼く必要があるんだけど、子どもたちにとって土器づくりは粘土遊びの一種でもあるわけだ。
その他には比較的背の低い2メートルくらいのバナナの木に縄梯子代わりの輪っかを作った縄をたらして自分でバナナを取ったりするのも楽しいらしい。
「ゆっくりゆっくりな」
「あーい、ゆっくりゆっくりー」
予め足などを踏み蓮しても大丈夫なように命綱として脇の下に縄を回してそれをバナナの木のてっぺんにフローレス人に結んでもらっておいてから縄上りは行ってるけどやっぱり落ちないか心配でハラハラする。
「わーいたかーい」
一方の子どもたちは高い景色が見れてとても楽しいらしい。
子供がバナナを取ったらひょいとフローレス人に手渡して降りてくる。
「たかかったー」
「つぎわたしー」
と一人ひとりバナナの木にかけた縄の輪っかをよし登ってバナナを取る練習をする。
バナナを持ったまま降りてくるのはけっこう大変なのであくまでも登り降りの練習だ。
そして全員上り下りが終わったら取ってきたバナナをみんなで食べる。
「自分でとったバナナだといっそう美味しいだろ?」
「おいしー」
「おいしー」
皆でもぐもぐバナナを食べてるとやがてみな眠くなってくるらしい。
「後はお昼寝だな」
「ねるのー」
「ねるー」
洞窟まで戻ったらみんなで昼寝だ。
こんな感じで体全体を動かしたり手先を使ったりしてそれを楽しみながら生活の一部として組み込んでいくのも重要だよなきっと。




