釣りはそんなに動かなくてもいいのが良いところだ
さて葦を焼き払ってそこに稲の種をバラマキ後は実りを待つだけとなった。
この時代の農法は雑草取りとか肥料まきだとか考えないからな。
なぜなら農業で一年分の食料を蓄えておかないと翌年の春以降に餓死してしまうということはないからだが、灌漑農業を行うようになって実は食料が足りなくて翌年の収穫までに餓死するものが常に出るというのは意外と長い間続いたのだが、狩猟採取生活だとそこまで切羽詰まることはない。
だからそんなに必死に農業をやらなくてもいいのだ。
時間に余裕ある分は道具づくりとかに時間がまわせるのでその間に土器を焼いたり磨製石器をつくったり、水鹿の角や骨から釣り針や銛を削り出したり、ココナッツファイバーで縄や網などを作ることも出来る。
動物の角の加工はヘタすると何日もかかるものでとても時間がかかるけどそのくらいのことが出来る余裕はあるってことだ。
基本的には採取が容易なフルーツと貝だけでも生きていけるわけだから道具を作って魚を捕るのはちょっとした楽しみのレジャーでもあるわけだしな。
「よし今日はみんなで魚を捕りに行こうか」
「いこー」
「はい、そうしましょう」
熱帯だからいつでも魚を取りにいけるのは便利だよな。
いや21世紀なら冬でも魚釣りくらいは出来るけどこの時代だとそういうわけには行かないはずだ。
日本のような四季がないのは寂しくもあるが常に温かいのは悪いことではない。
そんなかんじでフローレス人やサピエンスの子供も一緒になってまずは河口でワームを捕まえてから磯に向かう。
その中には膝先がない子も含まれてる。
五体満足であっても5人に1人つまり20%程度は1歳まで生きられないのを考えれば、足先がなくてもちゃんと生きてこられたのは奇跡的でもあるとおもうけどな。
「無理はしなくても大丈夫だぞ?
何ならおぶってやろうか?」
彼は笑っていう。
「大丈夫!」
木の棒義足で歩いている子供は走ることは出来ないが歩くのはだいぶ安定してきた。
もちろん当人はとても大変だろうけど大変であることを表に出そうとはしないのは大したものだと思う。
「そっか、辛かったらちゃんと言えよ」
「はい」
磯に到着したら針にワームを付けて皆で釣り糸を垂らす。
俺は義足の子供を隣に座らせて、原始的なたも網をもたせた。
他の子どもたちは後ろでわきゃわきゃ騒いでるな。
大人も子供も男も女も関係なくみんなで楽しいことを楽しむ、そういう生活は悪くないとおもう。
釣り糸をたらして暫く待つとあたりがあった。
「よしきた」
竿を立てて魚を引っ掛ける。
針の大きさ自体がでかいからかかる魚も50cm位あるでかい魚だ。
「すくい上げ頼むぞー」
「はい」
俺の脇の子供が輪っかにした木の中に糸を張ったたも網で魚をすくい上げる。
結構でかいからわけて食べても十分な感じではあるんだが早速後ろで子どもたちが歓声を上げてる。
「よーし、えらいぞ」
「えへへ」
「やったー」
「おいしそー」
釣り上げたらナイフでちゃっちゃと活け〆してエラや内臓をとり傷みにくくした後竹を編んだ魚籠にそれを入れる。
一緒に来た連中も調子よく魚を釣り上げてる。
基本的にはこの時代の魚はスレてないから道具が稚拙でも案外簡単い引っかかるのだ。
そして牡蠣やシャコガイはうまいけどたまには魚を焼いたり煮たりして食べるのも良いものだ。
それに狩猟のような激しい動きは必要ないし、木を登る必要もない。
足が不自由なこの子にとっても座って待つことが出来る釣りは悪くないんじゃないかな。
「お前さんがもう少し大きくなったら釣り針の作り方とかも教えてやるからな」
「あい」
義足だとしゃがむのも難しくはあるんだけど道具を作って人の役に立つだけでなく自分でも食料を取れればこの子ももっと楽になるんじゃないかな。
その後岩牡蠣も採取して皆で即席のかまどをつくって魚や牡蠣なんかを焼いて食べたがうん、いい感じにうまかった。
日が暮れる前に洞窟や高床式住居に戻っておいおい皆寝たが義足の子供ははしごが上がれないので高床式住居に行けないんだよな。
これもなんとかしてやりたいがなかなか難しい。
五体満足で有るというのはありがたいことなのだとつくづく感じたがそうでないからと言って彼が生まれた時に見殺しにするようなことをしなくても良かったのも幸運なことだと思う。




