ひとでないもの
「でも君は違う。精霊体としての素の特性が、そのまま出ているって事になる。
これはね。
どうでもいいと思えるかもしれないけど、とても重要な事なんだよ?」
そういうと、レクターはまっすぐにサユリの顔を見た。
「今だってそうさ」
「今?」
「ここはなんの囲いもない、無防備な場所だ。多少の精霊が住み着いている木の根元という以外はね。
そんな場所で夜になっているというのに、君は安全対策を一切とらない。火を焚こうともしないよね?」
「それは」
思いもよらない指摘だった。
サユリは少し悩み、そして「あ、そうか」と何か納得したかのように返答した。
「それはだって、この子たちの光があれば明るいし。それに」
サユリは森育ちで、いつもの寝床だって大木のウロだ。うかつに火など焚ける環境ではないし、焚く事もない。
そう告げたのだけど。
「うん、確かに全て君の言うとおりだ。
でもねサユリ、それでも人間は闇を恐れ、敵を恐れるものなんだよ。そして身を守るためのものを欲する。野営地で手間をかけて天幕をこしらえたり、火を焚いたりね。
なのに君は……あまりにも精霊そのものだ。
そしてそれは、人間としての記憶が君に影響を与えていないって事でもあるのさ」
「……」
「この事は、同時に大きな矛盾でもあるんだ。
繰り返すけど、生き物のカタチを持っている精霊っていうのは、魂が順調に溶けていかない存在。つまり、生前の影響を色濃く残している事に他ならない。これはね、記憶や人格だってそうなんだよ?」
「記憶……わたし、記憶あるよ?」
「うん、そうみたいだね。断片的には確かにあるみたいだ。
だけど君は、その影響をほとんど受けていない。
かろうじて自分を人間と認識しているのに、人間としての行動も全くとっていない。
火を焚かず、闇を恐れず、そしてたぶん、食事もあまりとってないわけだ。
うん。
なかなかに矛盾しているよね」
「……」
改めてそう言われると、自分がものすごく異常な存在のようにサユリには思えた。
「よくわからない。じゃあ、結局わたしって何なの?」
「精霊なのは間違いない。その意味では問題ないから安心していいよ。
今問題になっているのを簡単にいえば、君がどういう精霊なのかという事になるね。
どういう経緯で生まれてきたのか。どういう未来をたどる事になるのか」
「それって、何か意味がある事なの?」
「あるよ」
「たとえば?」
「たとえば寿命かな。明日にも森に溶けていってしまうような存在なのか、それとも僕みたいに同じ姿で長い年月を生きるのか、とかね」
「そんなに違うものなの?」
「もちろん」
「そっか」
未来の事なんて、サユリにはわからない。
でも、明日に死ぬほど短命なのか、それとも何百年と森で暮らすのかと言われると、確かにそれは意味がある気がした。
「じゃあさ、わたしみたいなタイプの心当たりって他にないの?」
「というと?」
「レクターは長生きなんでしょ?過去にわたしみたいなのがいたとか、話をきいたとか、そんな事はないの?
そういうひとが他にいるなら、そこから推測できるんじゃないの?」
「なるほど、確かにその通りだね」
少しレクターは考え込んだ。
「あるかないかといえば……ひとつあるね。だけど確証が全然ないし、ちょっと荒唐無稽かな。聞いた話だけだし」
「どういう話?」
「ひとことでいえば、異界の魂だよ」
「……なにそれ?」
「文字通り。生前は別の世界の存在だった魂だよ。なんらかの理由でこの世界にこぼれ落ちてきた、いわば来訪者かな?」
「……」
「記録によると、異界からきたばかりの魂は簡単には溶けないんだって。ゆっくりと時間をかけて溶けていくらしい。
だけど、強い心残りがあるわけじゃないから、見た目は生前に近い姿なんだけど、記憶は断片的だったり、ほとんど欠落しているんだって。
つまり。
もし生前のサユリが異世界人だっていうなら、ピタリとそれに該当するかもね」
そこまで言うと、レクターはためいきをついた。
「とはいえ、いくらなんでも、さすがにそれはないよね。異世界人なんて僕も見たことないし、そもそも本当の事なのかどうかもわからないしね」
「……」
「……サユリ?」
「……」
異世界人という言葉に、サユリは考えこんでしまっていた。
「どうしたの?」
「わたしの記憶の中に、よくわからないものがあるんだけど。レクターなら何かわかるかな?」
「なんだい?」
「お月さま」
「月?」
「うん」
サユリはうなずいた。
「わたしの記憶の中ではね、お月さまは一つしかないの。そして表面は縞模様でもツルツルでもなくて、ウサギがお餅をついてるみたいな、意味ありげな黒い模様があるの。満月の夜の明るさは、ちょっと本を読むには暗いかなーってくらいで」
「……なに?」
「ねえレクター、このお月さまって知らない?精霊たちは『前のこと』としか言わないし、ゴブリンやオークたちは知らないっていうんだけど……レクター?」
「……」
レクターは目を丸くして固まっていた。
そしてしばらくして、ゆっくりと、フウッと息をはきだした。
「レクター、だいじょうぶ?」
「……月だ」
「え?」
「サユリ、それは月だ。たぶん」
「ルナ?」
「サユリ、君は死ぬ前、月といえばそれを見上げていたのかい?」
「うん。ぼうえんきょうって道具で観察した事もあるみたい」
「そうか……どうやら確定っぽいね」
あははは、とレクターは笑った。
猫の表情はほとんど変わらない。
だけど微かに震えた声が、サユリには何かに怯えるようにも見えた。
「その月はねサユリ」
「うん」
「月……伝説にある、空と刻の裂け目の向こうに輝いているという、銀色の異界の月なんだよ」
「そうなの?」
「ああ」
ふうっとレクターはためいきをついた。
「そっか、サユリは異世界人だったのか。だからそのままの姿なんだね。うん、やっと納得した」
「びっくりした?」
「うん、したした。マジで驚いた。はじめてみたよ。気を悪くするかもだけど、君はとてもレアな存在なんだよ?」
「……」
「どうした?」
「……なんか珍しい昆虫みたいでヤダ」
「あはははっ!」
元異世界人の、カタチもつ精霊。
自分がそんな珍妙なシロモノだったと知ったサユリはさすがに頭をかいたが、だから何が変わるというわけでもなかった。
むしろ正体がわかった事による安心感の方が大きかった。
ただまぁ、異世界の記憶に興味をもっとレクターに色々と質問されるのには閉口したが。
「それにしても、どうしてこんな記憶が混沌してるんだろ。ハッキリしてればこんな悩まないのに」
「そりゃあ、サユリが普通に亡くなった普通の人だからさ」
「そうなの?」
「ああ、そうさ」
眠くなって来たサユリは光を消し、闇の中で横になっていた。
虫の声。そして満天の星空。
吸い込まれそうな世界と、そして、傍らで光る一対の青い目。
「ねえレクター」
「ん?」
「わたしもやっぱり長生きするんだよね?どれくらい生きるのかな?」
レクターの言う通りなら、何百年と生きる事になるのかもしれない。
確かに森の暮らしは悪くない。精霊や魔物たちもいる。
だけど。
そんなに長く生きるのなら、継続して話の通じる相手……そう、パートナー的な相手がいた方がいいかもとサユリは考えていた。
そして。
「サユリの考えている事はわかるよ。話し相手が、パートナーが欲しいっていうんだろ?」
「うん。別に今すぐじゃないし、急ぐわけでもないけどね」
「うん、わかる。実を言うと僕が来た本来の用件はそれだったんだからね」
「え、そうなの?」
夜空を見たまま、サユリは目だけをレクターに向けた。かなり眠そうだった。
何とか根性で返事をしているようだが。
「ああ、そうさ……カタチある精霊は多くないんだ。絶対にモノにするつもりさ」
「そっか……がんばってね」
「……おい」
「あふ……ごめん、なんか眠くなってきた。自分で何言ってるかよく……」
もう、意識がもうろうとしているようだった。
そんなサユリを見たレクターだったが、ふと思い立ったようにサユリの耳元でささやいた。
「……ねえサユリ」
「ん、なあに?」
「猫になってみたくないかい?」
「……ねこに?」
「そうさ。楽しいよ?」
それは、刻み込むような、不思議なささやき。
朦朧としているサユリの無防備な精神に、悪い猫の静かな言葉が魔力を帯びて刻み込まれる。
「そう……いいね、でも」
「でも?」
「ペン……ダント」
「ああそうだね、まずは届けないとね。
じゃあ、それが終わったら猫になろうね?」
「……うん」
ピキ、と静かな音がした。
猫は無事制約がかかった事に満足したのか、のんびりと闇の中に座りなおした。
そんな彼のまわりに、非難するように光が飛び交う。
「落ち着けって、別にサユリをどうこうしようってわけじゃない。
猫化は元々教えるつもりだったし、最初の一回は制約かけるのも僕の趣味じゃない、変身学習のセオリーだ。そうだろ?
まぁ、寝込みの無防備を狙ってかけたのは確かに僕の趣味だけどさ」
そういうとレクターは、ふるふると首をふり、後足で耳をかいた。
「それに……気づいてるだろ?
僕がこのタイミングでサユリと出会ったのは偶然じゃないと思う。おそらく僕らは、出会うべくして出会ったんだ。それもサユリのためにね。
だから、やるべき事をやっておく。合理的だろ?」
そういうと、レクターはまるで人間のように、にやって笑った。
それはサユリの前で見せる、あくまで猫らしいそれとは異なり。
まるで物語に出てくるチェシャ・キャットの邪笑のようだった。




