ぎもん
だんだんと日が落ちてきて、暗くなりはじめた。
陽が傾いていくに従い、影が長くなっていく。そして光に少しずつ赤みが混じり始めて、ついには世界が山吹色に、そして鈍い赤へと変貌していく。
「今日は、ここまで」
「サユリ、夜は歩かないのかい?」
「うん。レクターは?」
「僕は歩くけど、かまわない。サユリが歩かないのなら、それにあわせよう」
それから寝床を探し、少しだけ歩きまわった。
そして一本だけ、ぽつねんと立っている樹の根本を野営地に定めた。
「木さん、悪いけど今晩だけ泊めてね。よろしく」
サユリは木を見上げて、手をあわせて頭をさげた。
その木には特に何かが住み着いてるわけではないようで、特に返答はなかった。
しかし、フワフワと小さな光がサユリのまわりを舞った。
どうやら、精霊は僅かに住み着いていたようだ。
「うん、ありがとう!」
サユリは微笑むと、ここぞという場所に陣取り、木に背中を預けて座った。
「はぁ……歩いた歩いた」
ぽんぽんと足を叩くサユリに、クスクスとレクターは笑った。
ちなみにレクターは猫なので、笑顔は作れない。でもこういう時、漏れてくる声はサユリにも笑いだとハッキリわかるものだった。
そこはやはり、生身の猫ではないという事なのだろうか?
「どうしたの、何がそんなに面白いの?」
「面白いというより、むしろ興味深いかな?」
「興味深い?何が?」
「サユリのありようというか、態度かな。ものすごく不思議だよ君は」
「?」
レクターの言っている事がわからず、サユリは首をかしげた。
周囲はますます暗くなってきていた。すでに空は夜空に変わってきていて、光源もなく月夜でもないため、まわりは本当に真っ暗になりつつあった。
だけどサユリのまわりだけは、フワフワの光が漂っていて、ぼんやりと明るい。
「あ、レクターの目」
「ん?光りだした?」
「うん……きれい。宝石みたい」
青く冷たい、吸い込まれるような輝きだった。
「そういえば、ちょっと気になったんだけど」
「ん?なんだい?」
「前に、白に青い目の猫っていうのは病気になりがちだったり耳が聞こえなかったりするって聞いた事があるの。レクターは大丈夫なの?」
確かに嘘ではない。白猫に青い目は聴覚障害をもつケースが多いとされている。特にオッドアイの場合、青い側の耳が聞こえないケースもある。
だけど。
「生身の猫ならそうかもしれないけど、僕は違うからね」
「あ、そっか。なんかごめん」
「いや、むしろありがとう。心配してくれたんでしょ?」
「うん、まぁ」
好ましく思っているのは事実だった。
思えば、こんなに長く一緒にいて話す相手は初めてだった。ゴブリンやオークたちとも親しくしていたけど、夜はちゃんと自分の寝床に帰っていたし、そんな長話もしなかった。
自分でも不思議なくらい。
(かわいいもんねえ。美猫さんだし)
しかも性格も悪くない。
(これで猫でなく人間だったら……!)
一瞬、つい邪な事を考えてしまって、いやいやと首をふった。
(おかしいでしょ、何考えてるのわたし)
もう何年森で暮らしているのか自分でもわからない。
そんな自分にできた、はじめての話し相手。
そりゃあ気持ちが引っ張られるのも無理も無いところなのだけど。
(そもそも猫じゃあね……うん)
猫と人では、そんな関係なんて成立するわけもないし。
そんなことを考えていたサユリだったが、ふとレクターが自分をじっと見ている事に気づいた。
「何か変?」
「変というより不思議、かな」
「不思議?」
「ああ」
少しレクターは考えこむように目を細めたが、やがて話しだした。
「あのねサユリ、僕らのようにきちんとカタチのある精霊っていうのは、大抵が死ぬ時、何か強い気持ちを抱いた存在なんだよ」
「そうなの?」
「ああ」
レクターはうなずいた。
「事実、僕がそうだよ。この姿で何年生きているのかもう覚えてないけど、前のことはすごくよく覚えてるんだ。自分が誰で、どういう人生を送っていたのかもね」
「人生?じゃあレクターは人間だったの?」
「そうだよ」
あら、とサユリの目が丸くなった。
「でもじゃあ、どうして猫に?」
「人間の姿はいらないって思ったからだよ」
そういうと、レクターは前脚を前に出して、ぎゅううっと背中を伸ばした。ふるふると長いしっぽが揺れた。
(う、かわいい)
サユリはかわいいもの好きだった。
とはいえ今は、それどころではない。
「僕は……まぁ、ひとことで言うとあんまりいい最後じゃなかったんだよ。人間不信の果てに死んだんだ。
そして、気がついたら南の森の奥にいたんだけど。
でも、サユリもたぶんそうだと思うけど、人間の話し相手なんていないよね?」
「うん、いないね」
「僕もそうだった。だから、この身体が精霊で好きな姿がとれるって気づいた途端、今の姿に変わったんだ」
(変わった……自分で変えた?)
「猫を選んだ理由は?」
「死ぬ直前に白い猫を見たからさ……明日に死ぬ命でもいい、猫のように自由でいたかった。そう思ったんだ」
「そう……」
確かに、あまりよい最後じゃなさそうだった。
「話を戻すよ。
言ったように、カタチをもつ精霊は死ぬ時に強い思いを残したものが多い。その気持ちが、心残りが世界に溶けるのを妨げるんだよ。
もちろん長い時間の果てにはちゃんと溶けていくんだけどね」
「そうなんだ。じゃあ、わたしもそういうタイプの精霊って事なの?」
「そのはずなんだが……どうもおかしな部分があるんだよね」
「おかしな部分?」
「サユリの話を聞いてると、ちょっと看過できない矛盾があるんだよ」
「?」
なんだろうとサユリは首をかしげた。
ちなみに、サユリはあぐらをかいていた。前は必ず座る時は横膝だったのだけど、ゴブリンにもらった下着がある。これで見られる事はないぜと気を大きくしていた。
それは確かに、ある意味間違いではない。
ただしサユリは、ひとつだけ間違いを侵しているが。
多くの下着や衣服がそうであるように、ドロワーズも時代と共に大きく変わった服のひとつだ。特に微妙なポジションで使うものだから、その時代によって下着になったり上に履いてもよかったり、男女兼用だったりといろんな歴史を経験している。
で、ちなみにサユリが履いているそれは地球の基準でいうとかなり初期のもので、実を言うと本当は下着ではない。おまけに股間が開口している時代のものなので、あぐらをかいてしまうと実は、特に猫のような小動物の視線では、とても描写するにはあんまりな感じに綺麗に丸見えだった。
(……)
それに途中で気づいたレクターは指摘しようとしたが、それをやると理不尽な墓穴になる事もよく知っていた。だから見なかった事にして華麗にスルーした。
レクター、紳士である。白猫だが。
閑話休題。
「サユリ。君は死ぬ前の記憶がないだろ?いや、あるにはあるけど、ちゃんと意味がわかるような記憶は断片的しかなくて、他は意味のない一瞬の風景みたいなのがあるだけ。特に、自分が何者であるか判別できるような記憶は全く存在しない。違うかい?」
「……どうしてわかるの?」
「サユリ、君は今日いちにち、僕と一緒に、ずーっと歩いていたよね。しかも裸足で」
「うん、とっても疲れたよ?」
「ずっと素足だよ?しかも全行程の半分は砂利や尖った石のある自然の地形ばかりだよ?
そんなところをずーっと裸足で歩き続けたんだよ?
サユリ。足、出してごらんよ」
「あ、うん」
言われた通りに右足を出すと、
「くすぐったいかもだけど、逃げちゃダメだよ?」
「あ、うん……きゃっ!」
そう言うが早いか、レクターはサユリの足の裏を肉球で、テシッと叩いた。
「ちょ、くすぐった……」
「逃げるな」
「……う~」
「ちょっと耐えてて」
「う……わ、わかった」
地獄の時間が始まった。
その間、サユリはレクターに足の裏をいじられまくった。肉球で叩くのは可愛い方で、しまいには舌で指の間や敏感なところを舐めまくられ、意識がとびかけるところまでいった。
ちなみに、途中でレクターがスンスンとサユリの体臭を嗅いでいたが「ヒー」とか「やめてー」とか涙目で悶くるっているサユリは全然気づかない。
「よし、もういいよー」
「ふぅ……はぅ……」
ハァハァと息荒く、あられもない格好で力尽きているサユリがあった。
この瞬間だけ写真に切り取ると、大きなお友達が前かがみになりそうなくらいにはやばい光景だった。
その状況を作り出したレクターは、どこか満足気だ。
「まさに理想的、綺麗な足の裏だね。鬱血した跡もない。皮膚が硬化している感じもない。うん、素晴らしい」
「……言うこと、それだけ?」
「まぁ、悪かったよ。でもこれで大事な事がわかったんだから、できれば勘弁してほしいな」
「誰がっ!……って、大事な事?」
「そうさ」
座り直したサユリのあぐらの上に、ちょこんとレクターは座り込んだ。
「君の足は綺麗すぎるんだ。
靴や靴下をはいていたら、確かに足は守られる。だけど風通しが悪くて蒸れやすいから、炎症を起こしやすくもなる。通気性のよい靴を工夫したとしても、なんらかの跡はどうしても残る。
でも、君の足には何もない。理想的すぎるほどに理想的だ」
「それは……ほら、わたしは精霊なんでしょう?だからだよね?」
「うん、まったくそのとおり。でもそれは同時に間違いなんだ」
「どういうこと?」
「精霊体とは実態のない、あやふやなものなんだよ。だから生前の記憶があれば、当然その影響を受けるんだよ。
たとえば心臓が弱い人なら、精霊になっても心臓が弱いとかね。悪い意味でも記憶通りの自分が再現されるってわけさ」
「……そうなんだ」
「でも君は違う。精霊体としての素の特性が、そのまま出ているって事になる。
どうでもいいと思えるかもしれないけど、これはとても大事な事なんだよ?」
そういうと、レクターはまっすぐにサユリの顔を見た。




