じゅせい(1)
【豆知識】大樹精
世界にいくつか存在する精霊の森。
樹精はそれらの中のいくつかの中枢にあるとされているが、その正体は今もなお謎に包まれている。
聖堂教会の見解では、大樹精はかつて天使であったものが魔に堕したものだとされる。
悪魔の王となった今も強大な力をもっており近づく事は人間の手では不可能に近いが、いつか人間の勇者がこれを倒す時がきたら、その時こそ人間は森や海の魔に怯える事もなくなり、神の子でありこの世界の盟主にふさわしい、本当の意味での人間の時代がやってくるのだという。
精霊信仰時代の伝承によれば、大樹精は地上の、空の、海の、あらゆる生命の中心であるとされる。
この世界の全ての生き物は樹精の眷属のようなものであり、だからこそ、亡くなった生命は樹精に引き寄せられ、そこで世界に溶けていくのだという。
世界の中枢であるがゆえに、特別な存在以外は近寄るどころか認識する事すらできないという。
また、もし世界の大樹精が全て失われた場合、この世界の全ての生き物は知恵を失い、原初に帰るとの記録も古文書にある。ただしこれは聖堂教会によって一笑に付されている。
「これは……」
「?」
いつもの寝床である大樹の元に、サユリは戻ってきた。レクターを従って。
しかし、両者の態度はあまりにも正反対だった。
サユリはというと「ようやく帰ってきたよー」という安堵が思いっきり顔に出ていた。雰囲気もリラックスしたものに変わっていた。
しかしレクターは反対に、緊張したものに変わっていた。
「サユリ」
「なあに?」
「サユリは本当に、毎晩ここで寝泊まりしていたの?」
「そうだけど?なぁに?」
「そ、そう……」
「?」
不思議そうに首をかしげるサユリの横で、レクターはつぶやいた。
「(冗談だろ。言葉のあやじゃなくて、本当にこんなとこで寝泊まりしてたのか)」
レクターは若干引いていた。
しかし、それは無理もなかった。
枝垂れ桜という桜をご存知だろうか?
桜と一言にいってもいろいろな種類が存在する。たとえば日本の開花予想で有名なソメイヨシノだけど、実はソメイヨシノが百年を越えて生きる事は珍しい。生きた例があるので生きなくもないようだが、七十年を越えると生命力が落ちるとも言われている。百年生きたというと大往生なのかもしれない。
ところが枝垂れ桜や彼岸桜などと呼ばれる種類になると、樹齢千年、二千年なんて個体もあるのも桜である。
そして巨大化した枝垂れ桜はその名の通り、巨大な柳のように垂れ下がり、人によっては不気味な、あるいは恐ろしい存在にも見える。
事実、むかしの人々はその巨大な桜が一斉に咲く姿をみて、美しさよりもおそろしさを感じたらしい。
そしてその結果がいわゆる鎮花祭の類である。桜の花が一斉に散る時、災いも撒き散らされると信じた昔の人々は、その花を鎮める祭りを考えだしたわけだ。
そう。
ただでさえ薄暗い森の中。時間的にも夕方という事もあり、闇の中に浮かぶ巨大な樹精は、まさに闇の中の枝垂れ桜もかくやという不気味な姿だった。
「えっと、なに?レクター?」
「な……なんでもない」
もしレクターが人間の姿だったら、間違いなく冷や汗を流していただろう。
「えっとね、その、話をしたいんだけど、できるかな?」
「えっと……できるのかな?」
「ん?サユリは樹精と話した事あるんじゃないの?」
「んー……」
レクターの質問にサユリは少し口ごもった。
「それがね、夢のなかなんだよね……たぶん」
「夢の中?」
「うん。
えっとね、思い出の中に連れて行ってっていわれて、案内した事があると思う?」
「なんで疑問形?」
「それがねえ、内容は覚えてないの。ただ案内したって覚えてるだけで」
「なるほど」
サユリの言葉を、レクターはフムフムと吟味した。
「異世界の思い出の中を見たがったってことか。何か意味がありそうだね」
「そうなの?」
「あてずっぽうだけどね。
たとえばさ、そうやってサユリの思い出に触れる事でサユリの魂っていうか、そういうものを樹精が読み取ったのかもしれないでしょ?」
「読み取る……わたしの思い出を?」
「うん。あくまで憶測だけどね。
たとえばだけどさ、そうする事で異世界産のサユリの魂を理解して、世界に溶けやすくしているのかもしれないよ?」
「異世界産て……お野菜じゃないんだから」
「あはは、でも樹精からしたら、そんな感覚なのかもしれないよ?」
「えー、なにそれ?」
しばし「むう、なにそれ?」とふくれたり苦笑したりしていたひとりと一匹だったが、
「じゃあ、どうする?」
「そうだね、寝てみよう」
「寝る?夢の中でお話するの?」
「うん、そういう事」
「んー、そんな都合よくお話してくれるかな?」
大丈夫なのそれと言わんばかりにサユリが首をかしげたのだが、レクターはうなずいた。
「さて、どうだろうね。
だけどさ、サユリだけならいつも通りかもしれないけど、僕という異物がきただろ?その線で話してくれるかなって期待してるんだよね」
「そっか」
精霊にはいろいろなタイプがいる。全てがサユリたちのように会話するのでなく、夢で啓示するタイプもいる。
樹精についてわかっている事は少ないが、そちらでもおかしくないだろうとレクターは判断した。
「さて、じゃあ寝るよー」
「って、いきなりなの?」
ごろんと適当に転がったサユリに、今度こそレクターは目を剥いた。
「どうしたの?寝ないの?」
「……あー」
くどいようだがレクターは猫である。少なくとも普段はそのつもりだし、サユリにも普通に綺麗な白猫に見えている。
しかし、レクターの中のひとは元人間、しかも成人男性である。
さらにいえば。
サユリの見た目は確かにちょっと子供過ぎるのだけど、そもそも精霊の外見なんてものは見せかけにすぎない。それはレクターが元人間なのに猫の姿なのを見てもわかるように。
そしておそらく、サユリの前世は最低でも成人後、下手すると天寿を全うしているかもしれないとレクターは感じている。
つまり。
先のお風呂の記憶のように、サユリの中の『人間の女性』としての部分が目覚めたら。
その途端にサユリの外見は、少女から大人に変わってしまうはずだった。
「(まずい。なんか妙に意識しちゃって、なんかまずい!)」
しかし、そんな悩みなんぞ当のサユリが気づくわけもない。
あたりまえだ。サユリの目線ではレクターは、自称元人間の白猫にすぎないのだから。
「ん?もしかしてレクター、よその寝床だと眠れない子?」
「……おい」
愉快な勘違いをして楽しげに笑い出したサユリに、レクターは思わずイラッときた。
「だ、大丈夫だよ。おねーさんが優しく寝かせてあげるからね。ほらおいで?」
「……はぁ、何、わけわかんない勘違いしてるんだか」
そういうとレクターは、おいでおいでをするサユリにそのまま便乗すると、サユリの懐に潜り込んだ。
「うわぁ、もふもふでヌクヌクだぁ」
幸せそうに自分を抱きしめるサユリに、レクターはためいきをついた。
「言っとくけど、サユリのせいだからね?」
「ん?なに?」
「たぶんだけど、僕らの姿は夢の中と外では異なってるはずなんだよ。
だから、夢の中でお互いを見て、どんな状況だったとしても、それはサユリが選んだ事なんだよ。いいね?」
「……」
「サユリ?」
「……あーうん、よくわかんないけど、わかったよ?」
「もう寝かかってるのか……どんだけ寝つきいいんだよ」
「あはは……ごめんねえ」
そういうと、サユリはそのままスースーと寝てしまった。
「……嫌な予感しかしないんだけどなぁ」
ふうっとレクターはためいきをついた。
「ま、いっか。せめて役得くらいは楽しませてもらいますか」
そういうと、レクターも目を閉じて眠りについたのだった。




