ろてんぶろ
「はぁ……」
間の抜けた、幸せそうな声が漏れていた。
水の大精霊のいた露天風呂。少し前に出て行ったはずのサユリがなぜかもう戻っていて、しまりのない顔で露天風呂に浸かっている。幸せ満開の顔だ。
「やっぱりお風呂はいいねえ。最高だよぅ」
ちなみに今回は服を着ていない。いつもの服と下着はどうなっているかというと、湯船の横にクシャッと乱雑に捨てられている。お行儀が悪い。
どうやら戻るやいなや、すぽーんと脱ぎ捨てたらしい。
「少しはお行儀よくしたほうがいいよ。叱られないからって悪い習慣ばかりつけていたら、いつか困る事になるのは君なんだからね」
うふふと楽しげに笑うルサールカとは対照的に、苦言を呈したのは白猫だった。
「わかってるよぅ。
でも考えてよ。
ここもそうだけど、抜けていった神殿側もすごいきれいなお風呂だったんだよ?なのにゆっくり入るどころか服も脱げなくて、全部お預けだったんだよ?
終わった途端に速攻で入っても仕方ない、でしょう?そう思うよね?」
「……サユリ、悪いけどそれは共感できない」
「えー」
不満そうなサユリに、レクターはためいきをついた。
「なんでそこまで風呂好きなんだよ……もしかして、異世界っていうのはどこもかしこも風呂ばかりなの?」
ちなみにレクターは風呂に入っていない。湯船のそばにある、温泉の熱でアツアツになっている岩の上でまったりとしている。
水が苦手だけど、温かいところは好き。
実に猫らしい。まぁ猫だが。
「お風呂なんて毎日入ってあたりまえだよ?」
「それ初耳だからね?」
「だろうね、わたしも初めて言ったと思う」
「おかしいだろそれ!?」
「うん、わたしもおかしいと思うよ」
レクターの叫びをサユリは否定しなかった。
「そもそもなんでわたし、あっちの森で普通に暮らしてたんだろ。お風呂ないのに……自分で自分がわからないよ」
「そっちかよ!」
「え?」
「いや、なんでもないんだけどね」
ためいきをつくレクター。
そんなレクターとサユリをルサールカは楽しげに見ていたが、ふと口を挟んだ。
「ふむ……猫さんはもう仮説をたててるでしょうけど、お風呂が鍵になって記憶の一部が紐解けたんでしょうね」
「紐解けた、ですか?」
「ええ。サユリさんは生前の記憶が『ない』わけではないでしょう?」
「はい」
サユリの返答に、ルサールカはうなずいた。
「亡くなった者の心や記憶は混沌となり、やがて溶けて世界に戻っていく。そしていつか、再び新たな生命の一部となる。この世界における循環のしくみよね。
異世界人だったサユリさんとて、これは例外じゃないわ。
ただサユリさんは異世界産であるがゆえにゆっくりと溶けていく。だからカタチを保っているし、こうして記憶と結びつくような要素に出会えれば、その記憶を取り戻す事だってあるというわけ。わかったかしら?」
「じゃあ、このお風呂が好きっていう記憶も、いつかは失われるんですか?」
「そう、いつかはね。
まぁ、見たところサユリさんの『お風呂』に関する記憶は相当に根深いようだから、こうして活性化した以上、本当に人の姿すら保てないほどに溶けていくまでは今のままかもしれないけどね」
「そうですか……」
「まぁ、そう悲観するものではないわ。誰もがいく道だし、それに世界に溶けるという事は世界に受け入れられるという事だもの。ね?」
「はい」
そんな話をしているルサールカたちの背後に、小さな影が接近していた。
その影はルサールカの背後に無造作にやってくると、ルサールカの頭にポンと何かを乗せた。
「あら、ありがとう。あなたたち、今日は終わったの?」
「ハイ、オワリマシタ」
小さな影は数匹のゴブリン、乗せられたのは小さなカゴだった。
ルサールカが手にとってみると、そこには草の実や果物、葉にくるまれた素朴な料理などが入っている。おそらくはゴブリンの、彼女へのお供え物なのだろう。
本来は祭壇などに置くのだろうが、ご本尊が入浴しているのだからこっちに持ってきたのに違いない。
お供えものを頭にのせるのは本来どうかと思われるが、ここは露天風呂。温泉のお湯で濡らすよりは頭にのせた方がという事なのかもしれない。ルサールカは荷物なんてないのだし。
「おつかれさま、さぁ、あなたたちもお入りなさい」
「ハイ。オイ」
そんなやりとりの後、森の奥からぞろぞろと小さな影が湧いてきた。
そう。
当然、全てゴブリンだった。
「……なんだこりゃ」
「ああ、ゴブリンさんたちのお仕事あがりの時間なんだねえ。おつかれさまー」
「ウイッス」
「ドモッス」
「オジャマシマッス」
あっけにとられるレクターをよそに、サユリはというと、ふにゃっと笑うと普通に会話をはじめた。
「……」
そんなレクターとサユリの温度差をじっと見て、そしてルサールカはクスッと笑った。
あっというまに、たくさんのゴブリンが風呂におさまってしまった。
とはいえ、窮屈になる事はなかった。
というのも、実はサユリとルサールカの入っていた湯船は普通の生き物にはちょっと温度が高すぎるもので、普通のゴブリンには耐えられなかったからだ。少し大きなゴブリンロードと思われる初老っぽいゴブリンが入ってきたものの、他のゴブリンたちはうらやましそうに隣の湯船から見ていた。
「そんなに入りたいなら、おまえらも修行して進化しろ。いいな?」
「ウス」
「ガンバルッス」
「返事だけは立派だな。困ったものだ」
ゴブリンロードは子分たちと違い、流暢にしゃべれるようだった。
「失礼しました大精霊様。
お客様方、わしの名はエンゾ。この森におる子鬼どもの主をやっております」
「ごていねいにありがとうございます。わたしはサユリです。樹精の森から来ました」
「……僕はレクターだ」
「ふむ、これはどうも、はじめまして。
そちらは南の森におられる猫精霊どのですな?お噂はかねがね」
見た目通りに老人を思わせる丁寧な物言いは嫌味もなく、同じゴブリンとは思えないものだった。
「えっと、おじいさんはここのゴブリンさんたちの長なんですか?」
「うむ、さよう。なかなか若者が上がってこんでな、老醜をさらさせてもらっておる」
にこにこと楽しげな笑い。
「それよりサユリどの、何やら人間の神殿の方で騒ぎを起こされましたかな?」
「あ、はい。ちょっとお届け物をしましたが」
「ふむ。やはりですか」
少し老ゴブリン……エンゾは考えこむと、サユリの方を見た。
「かの神殿の方で、人間が神聖魔力と呼ぶ、禍々しき力が広がっておるのです。少し前からなのですが」
「神聖魔力?」
「簡単にいえば、魔素に帰化した精霊でなく精霊そのものをエネルギー源とする力ですな。大きな力を発揮する事ができるのですが反面、使われた精霊は魔素に帰化する事ができず、彼らの熱力学の法則に従って消耗させられ、ついには燃え尽きて消滅してしまうのです。
まぁ、ひとことで言えばこの世界をすりつぶし、破壊する力ですな」
「!?」
「使われた理由はおそらく、サユリどのを捕らえるためでしょう。神聖魔力による檻ならば、原理的には大精霊も捕らえられますからな。
もちろん水の大精霊様のように年季を経た大精霊ならば、これを抑えるのは無理でしょう。
しかし、まだお若いサユリどのであれば、あっけなく捕まった可能性もあるでしょうな」
「!!」
サユリの目が丸くなった。
「おや、何か心当たりがおありで?」
「中にいる人に届け物をしたの。でもお話しているうちに何かイヤな気配になってきて、なんかやだ、帰ろうと思って、すぐにおいとまして来ちゃったんだけど」
「おそらくはソレですな。
まぁ、あるいはその者がサユリどのの正体に気づいて邪念を抱いた可能性もありますが。ご存知のように精霊は悪意に敏感ですから」
「そっか……」
サユリは少し考え、そしてつぶやいた。
「もしかしてわたし、すごく危なかったんですね……ありがとうございます」
「いえ、とんでもない。
精霊はこの世界の一部にして流転するもの。これを我欲のためにすり減らして世界を滅ぼすなど、あってはならぬ事。
この世の生き物の一匹として、するべき事をしたまででございます」
そういうと、エンゾはにっこりと笑った。
ちなみに全くの余談だが、この光景を客観的に見てみよう。
まず、いくつもの露天風呂。その多くにはゴブリンが幸せそうに入浴している。緑っぽくて角がある事を除けば、どこか雪国の猿を想像する光景でもある。
その中にひとつだけ、やたら美しいナイスバディの美女がドーンと入っている風呂がある。ちなみにタオルで隠すなどという細かいことはしておらず、堂々として隠す気配もない。
美女の右隣には、ツインテールの幼女。いや、本人は少女ですと譲らないかもしれないけども、そのすっぽーんと全部脱いだ様子を見るに間違いなく幼女である。生前の年齢は知らないが。
さらに湯船の横には、幼女のツレである白猫が、温かい岩の上でまったりとしている。
そしてその横には、好々爺な雰囲気全開の老ゴブリン……。
まったりとした時間がながれていた。
◆ ◆ ◆ ◆
サユリたちが平和に露天風呂で、ゴブリンたちとまったりしていた、ちょうどその頃。
「まだ見つからないか!?」
「おそらくですが、こちらの森の中に逃げ込んだのではと!」
「この中か……なんて強い結界だ。破壊する方法はないのか?」
「それができるなら、何百年も前にとっくにやってますよ隊長」
「それはそうなんだが……そういえば、確かレティシア様が幼少時に入り込んだ事があるというのは、アレはどういう事なんだ。おまえ知らんか?」
「姫様迷いの森事件スね。ごくまれに結界が消えてる事があるらしいんですよ、ここ。たまたまその時だったらしくて」
「ほう……消える原因はともかく、タイミング等はわかっているのか?」
「いえ、これが全然。姫様もすげえ知りたがってるんですが、皆目らしいっス」
「ふむ。
とにかく集められるだけの情報を集めて、それから報告するのだ。もしかしたら抜け道なり、使いきりの魔道具の残骸などみつかるかもしれんからな!」
「了解!」




