ろんぐらいふ・ぼっち
北の森といっても特に何が変わるというわけではない。単に地理的に分かれているだけの事だ。
こちらの森はサユリの住んでいる森と違い、水の大精霊が守っている。
「やっぱり水気が強いね」
少しひんやりとしているが、しかし寒くはない。なぜか森の中は外よりも温暖だった。
その理由だが、サユリはすぐに気づく事になる。
「あ、硫黄の臭い」
「イオウ?」
「温泉とか火山の近くで感じる臭いだよ。変に空気がポカポカしてるし、温泉でもあるのかな?」
「……奥にお湯の湧いてるところがあるはずだよ。ニオイの元はたぶんそこだと思う」
「?」
レクターの反応にひっかかるものを感じたサユリは、ふと顔をレクターに向けた。
「……」
レクターは、きょろきょろと周囲を見て、そして何かを考えているようだった。
「どうしたのレクター?」
「いや……ちょっとね」
「ふうん……ねえレクター」
「なに?」
「もしかして、ここに来た事があるの?」
「え、なんで?」
「なんとなく」
サユリの指摘に少し考えていたレクターだったが、やがて白状した。
「たぶんだけどね。確証がないんだけどさ」
「どういうこと?」
「凄い昔でね、僕が精霊として目覚めて間もない頃の話なんだよ。しかもあの時は混乱してたし……正直、どこの森かもわからなかったんだよ」
ちょっと情けなさそうにレクターはぼやいた。
「でも、このニオイと雰囲気は覚えがあるんだ」
「あー、それでかぁ」
ふむ、とサユリも納得げな顔をした。
「どこの森かもわからない状態だったの?誰かに確認とかは?」
「土地勘も何もなかったしね。ここはどこなんて質問しようにも、そもそも相手もいなかったし」
ふうっとレクターはためいきをついた。
「記憶の場所がこの森に間違いないなら、僕はここで精霊として目覚めた事になるね。
自分が何者かも、ここがどこかも、何もわからなくて。とにかく話のできる相手を求めて森をさまよい出たんだ。
やがて、何とか落ち着いて行動できるようになった時には、最初の森がどこにあるかなんて全然わからなくなってたんだよね」
「そうなんだ」
しかし、サユリは少し気になるところがあった。
「でもレクター、オークやゴブリンさんはいたんでしょう?どうして質問しなかったの?」
誰か森の住人にきけぱよかったのにとサユリは思った。
だけど、そんなサユリの言葉にレクターは首をふった。
「それは無理だよ」
「え、どうして?」
「言っただろう?僕は生前の記憶をハッキリと持っているんだ。つまり、心はサユリよりもこの世界の人間に近いんだよ?」
「……あ、そっか。オークやゴブリンさんたちが味方じゃないかもって思っちゃったのか」
「そういうこと。だから無理だったんだよ」
「……」
「納得できないって顔だね?」
「うん。だってゴブリンさんたちもオークもみんな優しいよ?」
「はぁ」
レクターは盛大なためいきをついた。
「彼ら魔物は精霊には基本的に手を出さない。だからサユリからみたらゴブリンやオーガ、オークたちは好意的に見えるのかもしれないね。
だけどね。
たとえば鬼人族、つまりゴブリンやオーガだけど、彼らは若い人間の女の子を捕まえると自分たちの子供を産ませようとする。つまり無理やり閉じ込めて種付けするんだぜ?
オークは森の番人だからそんな事しないけど、こっちは人間を見ると問答無用で襲い掛かってくる。人間が森にとって害悪と認識してるからだと思うけどね。
こちらの種族が違えば、そういう一面も見せる種族だって事は忘れちゃいけないと思うよ?」
「レクター、それ少し間違ってるよ」
レクターの指摘にサユリはふるふると首をふった。
「まず訂正だけど、ゴブリンやオーガと人間じゃ子供なんて生まれないよ。無理」
「え?でも事実、彼らは人間の女の子を捕らえて弄ぶわけだけど?」
「それって単に戦利品なんじゃないの?」
「戦利品!?」
こともなげに言うサユリに、レクターのほうが驚いた。
「ちょ、サユリ、意味わかって言ってるの?」
「わたし、何かヘンなこと言ってる?
だってゴブリンさんたちだって負けたら皆殺しにされるんだよね?命かけて戦ってるんだよね?
だったら、勝った時にはそれなりの報酬もあって当然じゃないの?」
「いやいやいや、ちょっと待ちなよサユリ。人間がおもちゃにされてるんだよ?なのに彼らの肩をもつの?」
レクターの声に焦りが混じった。
人間にはたまに、病的なまでに魔物の肩をもつ者がいる。大抵は世間知らずの女か、脳内お花畑な者たちなのだが。
個性的だが理性的でもあるサユリがそんな感性をもつとは想定外にもほどがあった。
しかしレクターはすぐに、そんな自分の評価が間違いであると気づく事になった。
「ねえレクター、なんでそう一方的に、人間の肩ばかりもつの?」
「え?」
「ゴブリンさんたちが理由もなく、自分で森から出て人間の集落を襲ったなんてきいた事もないよ。そもそもゴブリンさんたちは自分たちの生活が第一だし、わざわざ危険な森の外に遠征しても得られるものはほとんどないだろうし。
だとすると、悪いのはよっぽどの事情がないかぎり、自分の利益のためにわざわざ森に攻め込んできてる存在、つまり人間の方じゃないの?」
「……」
「なのに、なんでゴブリンさんたちが殺されるのは良くて、ゴブリンさんたちに人間がやられたら一方的に悪い事になるの?何かおかしくないかな?」
「……」
サユリの言葉にレクターは考え込んだ。
「サユリは、僕の考えが偏ってると思う?」
「うん、思う。まぁわたしも森の子だから、森の住人寄りに偏ってるとは思うけどね」
「そうか……」
うーんと考え込んだあげく、レクターは少し悪戯っぽくサユリに質問を返した。
「じゃあ聞くけどさ、サユリ。両者どちらにも偏らず公平であるには、どうすればいいのかな?」
「簡単とはいわないけど、案はあるかな?」
「うん、それでいいよ」
「人間がゴブリンを蹂躙するのが正しいというのなら、ゴブリンが人間を蹂躙するのも正しいと認めればいい。そして無用な激突を避けたいなら、お互いの生活範囲を定めて相手の利害を犯さないって事かな?
そういうカタチを保てば、公平っていえるんじゃないの?」
「……」
「レクター?」
「……なるほど、確かに一理あるね」
レクターは大きくうなずいた。
「ゴブリンが善だなんて想像もしてなかったよ。僕はやっぱり、無意識に人間の心に引っ張られてるのかもしれないね」
「ううん、わたしの方もびっくりだよ。
だってレクター、森で暮らしてるんでしょう?しかも長生きしてるんでしょう?」
「ん?そうだけど?」
「だったら、どうしてそんな、まわりが敵だらけみたいな感じなの?森にお友達はいないの?」
「……」
「……なんで目をそらすの?」
「……あー」
「……まじでボッチ?」
「ボッチ言うなよ」
情けなさそうに、レクターはためいきをついた。
そんな会話をするうちにも、森の奥に進んでいく。
細かい違いくらいは当然あるのだろうけど、北の森はサユリの住んでいる森とそう大差はなかった。漂う硫黄の臭いは強烈だったけど、それ以外は驚くほど違いがなかった。
こんなもんだろうか、とサユリは首をかしげた。
硫黄臭がするという事はどこかで温泉がわいたりしているという事。という事は通常の自然界にない鉱物や致命的な熱気、毒にさらされる可能性があるという事。
なのに、森そのものはほとんど変わらないというのが不思議だった。
「んー……あ、レクター。あれかな?」
「そうだね」
薄暗い森の切れ目が向こうに見えた。
そしてそこには、何か水気のもの……泉にしては妙に湯気のあがるものが見えていた。




