かわべり
「またねー」
「ありがとう、気をつけてね!」
「サユリさん、また会いましょうね!」
西のエルフの里に戻るという二人に別れを告げて、再びサユリとレクターは短い旅を再開した。
サユリはもう少しエルフたちと話をしたかったのだけど、それはできなかった。
というのも、
『あまり時間をかけないほうがいいと思うの。そして終わったら森に帰るべきだわ」
『え、でも』
『サユリさん、この件はあまり長引かせるべきじゃないと思うの。
とにかく、サユリさんは一刻も早くそれを届けるべきだわ。そして森に帰らなくちゃ』
『そうね、それがいいわね』
『そ、そうですか』
ここまでふたりに断言されては、サユリもうなずくしかなかった。
「ねえ、レクターも何か感じてる?」
「サユリも少しは感じてるだろ?あまり長引かせるべきではないってね、違う?」
「うん、まぁ」
少し困ったようにサユリがうなずくと、レクターも返してきた。
「だったら、それに従うべきだよ。少なくともここではね」
「えっと、それはどうして?」
ふむ、とレクターは少し考えた。
「そうだね。ひとつ、たとえ話をしようか?」
「うん」
「たとえば漁師がいるとするだろ?で、今日は嫌な予感がするから漁に出るのはやめるっていうのさ。
まわりは首をかしげるんだ。なぜだと思う?」
「なんで?」
「だって海は穏やかで、カレンダーの通りなら今日は大漁になるはずだからね。漁師っていうのは月の満ち欠けや潮の流れで魚がたくさん集まる時を予測するから、そういうのはよく当たるんだよ。
だから皆、彼のいうことがわからないのさ。
なんで彼はこんな素晴らしい日に漁に出ないなんて言うんだ?と首をかしげるんだね。そしてもちろん質問するんだ。なんでだよって。
でも彼は答えられない。
だって彼の感じる予感っていうのは、理屈じゃない。本人にも漠然としたものなんだ。
彼の過去の経験と今日の空模様や海の感じから、なにか知らないけど得体のしれない不安を覚える。だけど、それをうまく説明する言葉がないんだ。
とにかく、なにかイヤーな感じだから今日はやめておくってね」
「うん」
「年寄りの漁師たちは、彼の言葉に危険なものを感じてお休みにした。
だけど、若い漁師たちは彼の言葉を無視したりバカにして、そのまま出漁しちゃったんだ。俺たちだけで儲けは山分けだって言ってね」
「……それで結末は?」
「結論からいうと、いつもの漁場にクラーケンが出た。
幸いにも出遅れたひとりが漁場に入る前に異常に気づいて引っ返した。そして見たことを戻って報告したんだ。それでクラーケンだという事実が広まったわけだね」
「そっか」
サユリは少し考え、そして言った。
「最初の漁師さんは、どうしてクラーケンが出るって気づけたのかな?」
「いや、具体的に気づいてたわけじゃないと思うよ。
ただ、クラーケンってかなり大きな魔物で、餌も大型の動物なんだよ。そんなものが海の中で近づいてきていたわけだから、餌になりたくない動物たちは当然逃げるよね。
でもね、逆にいうと、小さすぎる小型の魚なんかにとっては危険じゃなかったりするのさ。むしろクラーケンが大物を排除してくれるし、クラーケンの食べこぼしを食べようと、つきまとう小魚もいるくらいでね」
そこまで言われたところで、サユリも漠然と気づいた。
「もしかして……大物が急に網にかからなくなって、かわりに特定サイズ以下の小魚が大漁になったとか、そういう、長年漁師をやってる人にしかわかりにくいな変化が起きたってこと?」
「たぶんそういう事だね。
いくらプロの漁師だって、全ての事象を知ってるわけじゃないだろう。何でもわかるわけでもないさ。
でも、長年の感覚が違和感を覚えたんじゃないかな?
おかしい、ここでこんな魚がとれるってどういう事だろう?しかも、たくさん獲れるわりに大型種がほとんどいないのはなぜだって感じにね」
「……」
「話を最初に戻すよ。
予感が大切といったのは、こういう点なんだ。
ハッキリわかっているわけじゃないけど、どうにも得体のしれない悪い予感がするとして。
確かにそれは考えすぎなのかもしれない。
だけど、もし的中したらまずいものであるのなら?」
「……よっぽどの理由がないかぎり、わざわざ危険な道を選ぶ必要はないってこと?」
「ご名答。そういうことさ」
うんうんとレクターはうなずいた。
「実感がないかもしれないけど、僕たちは人間の事情に巻き込まれるべきじゃない。人間の武器で傷つけられる事はないけど、逆に人間ならありえないような悲惨な目にあわされる可能性だってあるんだ。気をつけていかないとね」
「わかった」
そんな話をしているうちに、サユリたちは大きな川のある丘の上にさしかかっていた。
丘のアップダウンもあり、かなり近くにくるまで川の大きさかつかめなかった。しかも河原が広いうえに湿地帯に葦のような植物が大量に繁茂していて、こんな至近距離の丘の上だというのに、水面が見えるのはごく一部にすぎない。
しかし、河原や湿地帯の大きさからも、その広さは容易に想像できた。
「向こう岸が遠いね……橋はないの?」
「このあたりにはないね」
「どうやって渡るの?よく見えないけど、それとも川本体は小さいの?」
「オーガが溺れるくらいは深くて広いよ。それに流れも早いよ」
「じゃあ、どうするの?」
「普通なら大変なところなんだけど、僕らは精霊だからね。おいでよ」
そういうと、レクターはサユリを先導し、河原に降りていった。
「まず大事な事だけど、僕ら精霊は『かつて生き物だったもの』だって事だね。生前の記憶があるから人間のように反応してしまうだけで、本質的には環境の影響を受けない」
「それって、水に落ちても溺れないってこと?」
サユリがイヤそうに眉をしかめた。
「そんなイヤそうな顔しなくても大丈夫だよ。
確かに僕たちは溺れないけど、そもそも水の中に入る必要なんてないわけだし」
「……入る必要がない?」
「うん。ほら、ちょっと見てて」
近くに小さな水たまりがあるのをみて、レクターはトコトコと歩いて行った。
「レクター、そこ水たまり……って、え?」
「こんなものかな、どう?」
「どうって……え?」
サユリは目の前の状況が理解できず、首をかしげた。
「えっと……浅いの?あれ?でも?」
浅くても水たまりは水たまりだ。小さな猫の身体では、肉球くらいは浸かるはずだった。
なのに。
「えっと……まさかと思うけど、水面に立ってる?」
「うん、正解」
テシテシと水面を前脚で叩くが、水面はなんの影響も受けない。
「ど、どういうスキルなの?」
「は?」
「水上歩行スキル?肉球の裏に撥水性?ううん違う、ええとええと……あっそうか、何かの魔法?」
「……何がスキルで何か『そうか』なのか知らないけどさ……何か勘違いしてない?」
「え?」
レクターのためいき混じりの声。
しかし、サユリは「え?」と未だ混乱中だった。
「落ち着きなよサユリ。別にスキルでも何でもないから」
「そ、そうなの?でも、じゃあ、どうやって?」
「どうも何も。
僕らは精霊なわけで、猫や人の姿に見えるのは見せかけにすぎない。ここはわかる?」
「うん」
「で、質問なんだけどさ。この身体、水に沈むと思う?」
「……もしかして、沈まないの?」
「うん、そうだよ?」
「……」
サユリは、しばしフリーズしていた。
「……」
そして何か考えこむようなしぐさをして、そして空を見て「ウーン」としばらく悩んで。
そして最後に、ポンっと手を叩いた。
「おぉ!」
「おぉ、じゃないよもう……」
「え、なに?」
「退屈しないね、サユリは」
「どういうこと?」
「なんでもない。とにかく沈まない事は理解できた?」
「あ、うん」
「おけ。じゃあ、ぼちぼち渡ってみようか?」
「おー」
クラーケンの話は、実際にレクターが見た話だったりします。
そちらはまた機会があれば。




