第23話 一時停止の先にある光
この物語が、降り止まない雨の中にいるあなたの一本の傘になれますように
結婚して一ヶ月後。
亜希子の二十五歳の誕生日が来た。
チョットレーゼにケーキを買いに来たハユンと亜希子。美味しそうなケーキたちに心奪われる。
亜希子はチョコレートケーキを見つけて決める。
「これにしましょ」
「亜希子さん、もしかして僕のためにチョコレートを選びましたか?亜希子さんの誕生日なんだから亜希子さんの好きなケーキにしましょう」
ハユンはチーズケーキを見つけて指をさす。
「これは?チーズケーキですよ」
亜希子は、ハユンにハユンの好きなチョコレートケーキを食べさせたかった。
亜希子は少し見渡すと、アソートの中にチョコレートケーキも入っているケーキを見つけた。チーズケーキもある。
「これがいい!ハユンさん、これにしましょう」
「カラフルだね」
「そうそう、カラフルだから」
亜希子は店員にこれください、と注文した。
ハユンと亜希子は、ささやかな誕生日パーティをアパートでする。
ハユンはテーブルの上のケーキに火を点すと電気を消した。
「歌は歌った方がいいのかな」
ハユンは問いかける。
「近所迷惑になるからいいわ」
亜希子は遠慮した。
「亜希子さん、吹いて」
亜希子はロウソクを吹き消した。
ハユンは電気をつける。
「誕生日おめでとう」
そう言ってハユンはプレゼントを渡す。
「いつの間に?」
亜希子がリボンを解くと、中にはイヤーマフが入っていた。
「耳に、つけるの?」
「そう。いつも亜希子さんの耳が赤くなってたのが気になっていた。もう冬も終わりだけど……」
「凄く嬉しい」
亜希子は貰ったイヤーマフを耳に装着した。
子犬や子猫のように良く似合うとハユンは思った。
「亜希子さんかわいいです」
「えっ?」
「かわいい」
「……ハユンさん、私に『かわいい』って言ったの、はじめて」
「うん。ずっと思ってるだけだった」
「そんな……」
亜希子は照れてうつむいた。
「……こういう〝はじめて〟が、これから毎日私たちに訪れるんだね」
亜希子はそう言って、アソートのケーキの中からチョコレートケーキをハユンの皿へ置いた。
「今日は、結婚してはじめての誕生日」
「うん」
ハユンは頷いて、ケーキを口へ運ぶ。
カッチーニのアヴェ・マリアが鳴った。
亜希子の携帯電話だった。「お母さん」と表示されている。母の裕子だった。
電話に出るとイヤーマフが当たって取ってから話し出す。
「はい、あ、ありがとう。えっ、そうなの?」
亜希子は驚いてハユンを見る。
「はい。でも、そういうことは直接言った方が……そう?はい、わかりました。じゃあね」
と言って電話を切る。
「ハユンさん、お母さんが『花束ありがとう』って」
「うん」
「ありがとう。お母さんにまで」
「亜希子さんを産んでくれたから感謝したくて」
「そんな……」
亜希子は、なんて良い人と結婚したんだろうと感謝した。
「お義母さん、花が好きなんだと思って」
「この間、あんな態度だったのに……」
「家にいくつか花瓶があった……花が嫌いな人は花瓶をいくつも買わない」
「確かに……父親が亡くなるまではたまに花を飾ってたわ、お母さん」
亜希子は、ハユンさんは洞察力があるんだな、と思った。ハユンの新たな一面に触れた気がした。
「お母さんね、お父さんを亡くしてからすっかり世の中を怨むようになっちゃったの。昔は明るくてまっすぐな人だったんだけど……」
ハユンは裕子の人生を慮った。
「生活のために中退か」
研究室で、早川教授はハユンに言った。
「このまま大学院にいても、教授に好かれていないことは分かってます。研究者になるのも無理でしょう。それなら妻のためにももっと働きたい」
早川教授は頷いた。
「わざわざ挨拶に来たのは感心するが、物理は潰しが効かないからな。就職できるか見ものだな」
「今までお世話になりました」
ハユンは頭を下げ、毅然と研究室を出て行った。
ハユンはサイクルショップのアルバイトを続けながら、正社員になるべく片っ端から企業という企業にエントリーシートや履歴書を送付した。
しかし、この年は不景気で面接まで進める機会もなかった。
同時に、今のサイクルショップより良い時給のアルバイトも探したがなかなか見つからなかった。
アルバイトからアパートへ帰ると、今日もポストに送り返された履歴書が束で入っていた。その束を取り出し家に帰る。
亜希子が夕食を作っていた。
「おかえりなさい、ハユンさん」
「ただいま」
声に力のないハユン。亜希子はハユンの持っている束を見て察した。
「ごはんにしましょう」
「もっと稼げる男が良かったよな?」
「……そんなこと言わないで」
台所で手を洗うハユン。
「さ、食べましょ」
ハユンを座らせる亜希子。
「肉じゃが作ってみたの。自分では良くできたと思うんだけど」
亜希子は朗らかに言った。
「どうしてそんなに明るく居られるんだ」
「……」
「こんなに落ちてばかりなのに……どうして亜希子はいつも機嫌が良いんだ」
「うーん……順調な時に機嫌よく居られるのは当たり前でしょう?誰でも出来るじゃない?逆境の時にどう居られるかが大切だと思うの」
ハユンは信じられない気持ちだった。
「私は、知ってるもの。私たちは一緒に生きて行くのが正しいって。きっと道があるはずよ」
「どうして君はキリスト教徒でもないのに聖書を理解しているようなことを言うんだ」
ハユンは心から不思議だった。
「……そうなの?きっと、ハユンさんの妻だからよ。毎日あなたのそばにいるからわかるのよ」
そういうものなのか?と思いながらも腑に落ちないハユン。
「仕事は、ゆっくり探しましょう。今の経済状況でも贅沢しなければ生活出来るから」
ハユンは亜希子の朗らかさに救われた気持ちだった。
「ね、あったかいうちに食べましょ」
ハユンは肉じゃがを口にする。
「どう?」
亜希子はハユンの顔を覗き込んだ。
「美味しいよ」
ハユンは満足そうに言った。
「良かったー」
そう言う亜希子の笑顔を見て、ハユンは亜希子と結婚して良かったと心から思った。
本の森書店で、亜希子は雑誌を陳列させていた。
雑誌の束を持ち上げた時、ふらつきを覚える。
……昼食もしっかり食べたし、貧血でもないのに変だな……
亜希子は帰りにドラッグストアに寄ると、鉄分などのサプリメントを手に取った。
レジへ向かうと、ふと妊娠検査薬が視界に入る。じっと見つめる亜希子。
……もしかして……
胸騒ぎがして、それも手に取った。
ハユンはアパートで履歴書を印刷していた。
そこへ呆然とした亜希子が入って来る。
「ハユンさん……」
「これが終わったら夕食を作るよ、ちょっと待ってて」
「ハユンさん……」
「どうした?」
「赤ちゃん……」
亜希子は二重線になっている妊娠検査薬を見せた。
「赤ちゃん出来たみたい」
ハユンは言葉の意味を理解すると、思わず亜希子を抱きしめた。じわじわと喜びが溢れて来る。
二人は顔を見合わせると、大いに喜び合った。
「守るべきものが増えるんだ……やっぱり、早く正社員にならなきゃな」
ハユンは呟いた。
ハユンはサイクルショップの仕事中、軽トラックで自転車を運んでいた。
秋には自分の子供が生まれる。気持ちは奮い立つが履歴書は返却されるばかり。
……一体どうしたら良いんだろう……安定した職に就きたい……
一瞬ぼんやりとした。
「チョット、チョット」
ハユンは警官に止められた。
「ココ、一時停止しなキャダメですヨ」
ハユンは、警官の口調が中国語なまりだと思った。
「もしかして、あなたは中国人ですか?」
「ナンデ」
「なんでって、外国人は公務員になれないから……不思議に思って」
「生まれは中国だけど今は日本人デスよ。帰化したカラ」
……その手があったか……
とハユンは思った。
「早く、免許証ダシテ」
ハユンは光を感じた。
お読みいただきありがとうございます*͈ᴗ͈ˬᴗ͈ෆ
お気軽にご感想等くださると嬉しいです♡♡
今後ともよろしくお願いいたします( ơ ᴗ ơ )




