第15話 風邪の日はダイヤモンドカレー
この物語が、降り止まない雨の中にいるあなたの一本の傘になれますように
智博が階段を下りてリビングへやって来る。
「あ、いちごだ」
智博はつまもうとするがキョロキョロして言う。
「練乳ないの?」
「買うの忘れた」
ハユンは申し訳なさそうに言う。
「このままでも美味しいわよ」
亜希子はいちごを口に運んで言う。
「砂糖と牛乳じゃだめか」
ハユンは牛乳を冷蔵庫から取り出して言った。
「しゃーない」
ハユンは智博の為に用意する。
ふいに智博が聞く。
「もしかしてさ、これお母さんへのおみやげだったりする?」
「まあな」
そう言うとハユンは砂糖牛乳をテーブルに置いた。
「失敬、失敬」
智博は遠慮する。
「智博の分もあるわよね?ハユンさん」
「ないわけないだろう」
「そっか」
智博はまたいちごに手を伸ばす。
そこへシウが帰って来た。亜希子が言う。
「シウ君、おかえりなさい。さらさん大丈夫?」
「どうしたの?」
智博が身を乗り出した。
「昨日、さらさんが熱を出して看病してました」
シウが疲れた顔で言った。
「もう大丈夫なのか」
ハユンが聞いた。
「今日は熱が下がったんですけど、一応病院に行きました。もう大丈夫です」
「お風呂でもゆっくり入って」
亜希子は労わって言った。
「ありがとうございます」
「あ、いちごも食べて」
亜希子が勧めると、シウはいちごを一口食べて二階へ上がって行く。
智博が思い出して言う。
「僕が熱出した時はお父さん、いつもアイス買って来てくれたよね。バニラとチョコ一個ずつ」
「そうだったわね」
亜希子は懐かしく思った。
智博は思い出す。
子供の頃、熱にうなされて泣いていたら、ハユンが買って来てくれたアイスを亜希子に食べさせてもらったことを。そんな両親の連携があって、僕は育てられたのだった。
いつからか熱を出すこともなくなったが、そうやって少しずつ今が過去になって行くんだ、母と居られるのも過去になってしまう……急に感傷的な気持ちになった。
「僕が今熱出したらさ、やっぱりまたアイス食べさせてくれる?」
「どうしたのよ、急に。食べさせてあげるわよ」
「お父さんもアイス買って来てくれる?」
「そりゃあな。熱にはアイスだよ」
智博は、なんだか安心したのだった。両親の愛は永遠なのだと思った。
「ねえ、知ってた?お父さんは熱にはカレーライスなのよ」
亜希子はいたずらっぽく言った。智博は目を丸くした。
「熱の時にカレーライス?」
「そうなの」
亜希子はハユンを見ると、知らん顔している。
「食欲ある人のメニューだね。何があったのか聞かせて」
智博は身を乗り出した。
亜希子は次回の韓国語のレッスンの時間を決める為にハユンに電話を掛けた。
トゥルルー、トゥルルー……
発信音が七回鳴ったところでハユンが出た。
「こんばんは。ハユンさん」
「はい……」
「次回の、レッスンの日にちの……」
「ごほん、ごほん」
ハユンが咳をしている。
「ハユンさん、大丈夫ですか?もしかして風邪ですか?」
「わからないです、ごほんごほん」
「熱を測ってください。近くに体温計ありますか?」
「あります。ちょっと待ってください、ごほん」
ハユンは朦朧とする中、手を伸ばして体温計を探し当てると、脇の下に入れた。
不安げに電話口で待っている亜希子。
ピーピー
体温計が鳴った。亜希子はすかさず聞く。
「何度ですか?」
「えーと、38.6です、ごほん」
「それは辛いでしょう」
「大丈夫です。ごほんごほん」
亜希子は、毅然として言う。
「大丈夫じゃないです。家、住所を教えてください」
「亜希子さんにうつってしまうと良くない、ごほんごほん」
「中には入りませんから。薬と食べ物だけ持って行きます」
亜希子は閉店間近のドラッグストアへ行き、風邪薬と氷とおかゆのレトルトを購入してハユンのアパートへ向かった。
「空メゾン 102」と書いてあるメモを見ながらアパートを探す。
「空メゾン」の文字のあるアパートを見つけた。築30年くらいのアパートだった。
ポストの102号室を見ると、マジックで「崔」と書いてある。ここだ、と亜希子は思って部屋の前に行く。電気もついていない。
亜希子はなぜか緊張している自分に気づいた。深呼吸して意を決してチャイムを鳴らした。
ドアが開くと、マスクをしたハユンがよたよたと顔を出した。
「ごほんごほん、ごめんなさい」
ハユンは申し訳なさそうに言った。
「いえ、こんな暗い部屋で寝込んでるなんて良くないです。お邪魔します」
亜希子は自分でも強引だと思いながらも何かに突き動かされるように中へ入り電気をつけた。
室内は雑多ながらもハユンの几帳面さを示すように整頓されていた。
亜希子は、窓という窓をすべて開けて換気をする。ハユンはされるがままで布団に入った。亜希子は体温計を手にして、
「もう一度測ってください」
と言った。ハユンは言われた通りにする。
「今日、何か食べましたか?」
「何も、ごほんごほん」
「おかゆ食べられますか?」
「味がしないからあまり食べたくないです、ごほん」
ピーピー
体温計が鳴った。亜希子はそれを取り出す。
「38.8……薬を買って来たんですけど、何か食べた方が胃に良いかも。何か食べられるものありますか?」
「……カレーが」
「はい?」
亜希子は聞き返した。
「カレーが食べたいです。ごほんごほん」
「……カレー食べられるんですか?」
「好きなので……ごほん」
亜希子は、スーパーへ買い出しに来た。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、豚肉の小間肉を買い物カゴに入れた。
カレールーのコーナーへ来ると途方に暮れた。ルーの種類が沢山ありすぎてどれを選べば良いか分からなかったのだった。
亜希子はハユンに電話して聞こうと携帯電話を手にしたが、寝ているかもしれない、起こすわけにはいかない、と思い直してカレールーの棚と対峙した。
閃いた。
亜希子の実家ではいつもダイヤモンドカレーを使っていたのを思い出し、ダイヤモンドカレーなら美味しいのは身をもって知っている。
ハユンさんの口にも合うはず……
そう思ってダイヤモンドカレーをカゴに入れた。
亜希子はビニール袋を抱えてハユンのアパート「空メゾン」に戻った。
ハユンは、亜希子が買って来た氷で額を冷やしながら横になっていた。
「今作りますね。ルーは、ダイヤモンドカレーで大丈夫でしょうか」
亜希子は恐る恐る聞いた。
「いつも僕はダイヤモンドカレーです」
「良かったです」
亜希子はホッとして台所でカレーライスを作り出す。
ピーラーを探し出し、じゃがいもの皮を剥くが慣れない手つきである。たまに、
「きゃっ」
という悲鳴のような声が聞こえて来る。苦戦しているのは明白だった。ハユンは心配して声を掛ける。
「大丈夫ですか?……僕が作りましょうか、ごほんごほん」
「そんなわけには……大丈夫です」
ハユンに心配されて恥ずかしい亜希子。
三十分後。
どうにかカレーライスが出来上がった。亜希子はカレーライスを皿によそうと、福神漬けを皿に乗せてハユンの前に出した。
「いただきます」
ハユンは布団から起きあがると、食らいつくという表現が的確な勢いでカレーを食べ出した。
その様子を見た亜希子が心配そうに聞く。
「味は大丈夫でしょうか……」
「美味しいです」
ハユンはすぐさま、一皿を平らげた。
「美味しかったです。ご馳走様でした、ごほん」
「やっぱりダイヤモンドカレーは美味しいですよね」
「はい、ダイヤモンドカレーは偉大です」
「そうですね」
亜希子はクスリと笑った。
「亜希子さんが作ってくれたからより美味しい」
「えっ?」
亜希子はいつもクールなはずのハユンの言葉に驚いた。
「そんな……」
ハユンも自分がそんな事を言うのが不思議だった。
「……僕、弱ってるのかな、ごほん」
「ハユンさん、薬飲みましょう」
亜希子は錠剤をハユンに渡して、コップの水を差し出した。
ハユンは風邪薬を飲んだ。
「全部でいくらかかりましたか」
「大丈夫です」
「払わないと」
「病気の人から受け取れません」
亜希子は固辞した。亜希子の態度にハユンは諦める。
「じゃあ、今度奢らせてください」
「そうですか?」
奢って貰えるということは、またハユンと会えるということだ。亜希子は嬉しかった。
「はい、お願いします」
ハユンと亜希子は向かい合ったまま沈黙が流れる。
亜希子は男性の部屋に入るのがはじめてだった。そのことに気づいて、信じられないような怖いような気持ちになった。
亜希子は部屋をキョロキョロ見渡した。
ハユンが沈黙を破る。
「今日は、助かりました」
「こちらこそ、お世話出来て良かったです」
亜希子は、自分が変なことを言ったような気がしたが緊張のためよく分からなかった。
再び、ハユンと亜希子の間に沈黙が流れる。
やはりハユンが沈黙を破る。
「……早く帰らないと、風邪がうつりますよ」
「あっ、私は別に……大丈夫です」
亜希子の心理状態は大丈夫ではなかった。
再度、沈黙が流れる。
ハユンが沈黙を破る。
「電車は大丈夫ですか?」
「あっ、そうでした」
亜希子は時計を見る。
「終電で帰りますっ」
亜希子は立ち上がって会釈した。亜希子は靴を履きながら言う。
「カレー、まだ残っているので、早めに食べてくださいね。何かあったら、遠慮なく連絡してください。お大事に」
そう言うと足早に帰って行った。
話を聞いていた智博が疑問を呈す。
「お母さん、昔はカレーも作れなかったの?」
「そうなの、私、その日初めてカレーライス作ったの」
「へー。よく作れたね」
ハユンがしたり顔で言う。
「愛だな」
智博は思わず吹き出した。
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