第13話 王女様の生還オムレツ
この物語が、降り止まない雨の中にいるあなたの一本の傘になれますように
「そうか……ガンか」
船橋北警察署で、ハユンの同僚の遠藤武史が呟いた。
「崔、休職したらどうだ」
「休職……なぜ」
「いや、その」
「妻が亡くなるのを待つためですか」
「ああ……率直に言うとそうだ」
「休職したら、妻が死ぬのを待っているようで……仕事をしていた方が気が紛れる。何もしないのも落ち着かなくて」
「……」
遠藤は頷いてハユンの肩を叩いた。
シウとさらは「ぶたさん」というラーメン屋に来ている。
さらは、食券の大盛りボタンを押すと、シウが心配して言った。
「全部、食べられますか?」
「食べられるから頼んでんだよー私はその辺の妖精みたいな女とは違うからね」
さらはシウの肩を叩いて言う。
「普通盛りなんて一口だよ」
「そうですか。食べられなかったら、僕が食べますから安心してください」
「ほんとに優しいねシウ君」
さらとシウは席に着いた。
シウは二人分の割り箸を置きながらふいに聞く。
「さらさんのさらっていい名前ですね」
「そう?」
「はい。さらはプリンセス、ヘブライ語で王女の意味です」
「そうなの?」
「旧約聖書に出て来ます」
「へー、王女。私にピッタリじゃん。はは」
「はい、ピッタリです」
「シウ君の王女になろうか?」
「お願いします」
シウは頭を下げた。
「面白いねシウ君」
出来上がったラーメンが運ばれて来る。山盛りな方がシウの前に置かれ、普通盛りの方がさらの前へ置かれた。
店員が居なくなると、シウとさらは笑い合ってそっと交換する。
シウはいつものように、さらを家まで送って行く。何度見ても一戸建ての大きな家だ。
外観を眺めながらシウが言う。
「前から思っていたけど、いつも電気がついてないですね」
「一人で住んでるからね」
「そうなんですか」
シウは一人暮らしには似つかない家に不思議な感じを受けた。
「上がってく?」
さらは軽い口調で言った。
「いいえ、それは」
シウは遠慮した。
「いいじゃん、シウくん。私たち恋人同士なんだし」
さらはそう言うと、シウの腕を抱いた。
シウは戸惑いながらさらを見つめて、頬に触れようとする。しかし途中でやめた。
「どうしたの?」
さらは不満そうに言った。
「冷たいから……指が」
シウは凍える指でさらに触れるのを躊躇したのだった。
さらはシウの手を温める。はじめて触れた瞬間だった。さらはシウを見つめて言う。
「私、好きな人出来るのはじめてじゃないし」
「うん」
シウは優しく微笑む。
「男の人と付き合うのもはじめてじゃないし」
「うん」
「もちろんキスだってしたことあるし」
「うん」
「全然大丈夫だよ」
「……僕もはじめてじゃないです……でも」
「でも?」
さらはいつになく真剣に聞いた。
「さらさんが一番好きです」
「今までの人と比べて?」
さらは厳しい表情をした。
「違います」
「今、今までの女と比べたでしょ」
そう言うとさらは手を振りほどく。
「ごめんなさい」
「謝らないで」
「……深い意味はなかったです。日本語難しいです。こんなに好きになった人いない、という意味です」
「私、過去の女に嫉妬してるのかも……」
そう言うとさらは倒れ込んだ。
シウが抱き抱える。さらは汗をかいている。シウがさらのおでこに手をやると、熱があるようだ。
「鍵を」
シウはさらから鍵を受け取ると、さらを家の中へ運んだ。
リビングのソファへさらを寝かせるシウ。
「体温を知りたいです」
「あそこにある」
さらはリビングの棚を指さす。
「パジャマは」
「私の部屋」
二階を指さすさら。
さらが体温計を脇の下から出すと、38.4℃だった。
「パジャマに着替えましょう」
シウは持ってきたパジャマをさらに渡してキッチンの陰に隠れた。シンクには洗っていない皿が山盛りである。
「別に見られてもいいんだけど……」
さらはそう呟きながら着替える。
「着替えたよ」
冷蔵庫が目に入ったシウは、氷を探す。ビニール袋に氷を入れると、タオルで包んでさらのおでこに乗せた。
「薬はないかな」
シウはキョロキョロと周りを見渡した。
「私、自分のことどうでもいいからさ、そんなの買ったことない」
「買ってきます」
「やだ、一人にしないで」
さらはシウの腕を引っ張って引き止めた。
「わかりました。寝ましょう。風邪には眠るのが一番です」
シウが掛け布団をさらに掛けると、さらは眠りに落ちていく。
朝、さらが起きると、部屋が整然としている。シンクの食器も洗われていた。
シウは床で寝ている。光が差し込んで起きるシウ。
「おはようございます、さらさん」
「おはよう。なんか、色々ありがとう」
「いえ。今の体温を知りたいです」
「うん」
さらは体温計を脇の下に入れる。
「多分、もう熱ないと思うよ」
体温計を取り出すと、36.2℃だった。
「ね、大丈夫みたい」
「良かったです」
シウは安堵して言う。
「朝ごはん、作って良いですか?」
「良いけど、大したものないんじゃないかなあ」
シウは冷蔵庫を開ける。卵しかない。
「パンはありますか」
「食パンはあそこにあるよ」
さらは棚を指さす。
シウはトーストを焼き、オムレツを二人分作った。
さらはケチャップで、シウのオムレツにハートを描く。自分のオムレツには「生還」と書いた。やけに「還」の文字が大きくなって皿にはみ出した。
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