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影に残る約束  作者: 静かな影


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5/6

崩壊の前触れ

渋谷の惨劇から、いくばくかの時が流れた。

影浩かげひろは相変わらずだった……いや、以前よりも酷くなっていた。

痛みは引かず、ただ蓄積されていく。

日々は彼を、苦痛と不安、そして罪悪感の静かな螺旋へと深く引きずり込んでいった。

脳裏には、一つの問いが執拗に繰り返される。

「あの日、彼女を傷つけなかっただろうか……?」

彼は自分自身を恐れてはいなかった。

そんなものは一度も恐れたことはない。

だが……一つだけ。たった一つ、壊してはならないものがあった。

守ると誓ったもの。何よりも大切にしているもの。

それなのに……彼は彼女に会いには行かなかった。

行きたくないからではない。行けなかったのだ。

理由は二つ。

一つは、恐怖。

再び彼女の姿を見て、理性を失うことへの恐怖。今度は、もう止まれないのではないかという恐怖。

もう一つは、約束。

彼女の世界には二度と足を踏み入れないと、彼は決めていた。

二度と、彼女を煩わせないと。

影浩はただ影の中に存在し、見られることなく、彼女を守る。

それこそが、彼女に相応しい「平穏」だと信じていたから。

彼がすでに失ってしまったものを、彼女には持っていて欲しかった。

……

だが、あの日以来、彼は気づいていた。

心の奥底では、ずっと分かっていたことだ。

彼女の声が、彼を鎮めてくれる。

渋谷で、すべてが崩壊しかけたあの瞬間……彼を繋ぎ止めたのは、彼女の声だった。

進み続けるためには。

再び制御を失わないためには。

彼女の欠片を、常に持ち歩く必要があった。

今、ボロボロの外套の下……仮面の裏側……破壊を運ぶ剣の傍らには。

それとは正反対のものが存在していた。

「イヤホン」だ。

そこから流れるのは、星奈の歌声。

あるいは、何気ない録音された話し声。

あるいは……ただの笑い声。

影浩が目を閉じれば、数秒間だけ、痛みは消えた。

世界が消え、初めて……彼は息をすることができた。

……

しかし、その安らぎは決して長くは続かない。

そこから遠くない場所……

星響機関せいきょうきかんの拠点では、混沌が始まろうとしていた。

部屋は声に包まれていた。議論。反発。

幹部たちが再び集まり、どう対処すべきかを決めようとしていた。

「やりすぎだ!」

「彼は完全に制御を失っていた!」

「一般人にまで被害が出ているんだぞ!」

「このまま続けさせるわけにはいかない!」

緊張が高まる中、一つの声がすべてを遮った。

穏やかで、抑制され、そして冷徹な声。

朝倉あさくら 光雅みつまさ

「彼は、自分が何をしているのか分かっていないのだ」

一瞬で静寂が訪れる。

「辛抱が必要だ。あの日起きたことは、あくまで例外的なケースに過ぎない。彼に……信託の票を投じるべきだ」

数人が憤慨して立ち上がった。

「彼は我々の仲間ですらない!」

「一体、奴の正体は何なんだ?!」

朝倉はすぐには答えなかった。

だが、空気が変わった。

重く、濃く、息苦しいほどに。

「……私の権威に、疑問を呈するというのか?」

次の瞬間、圧力が爆発した。

目には見えないが、圧倒的な「重圧」。

身体が硬直する。膝が折れる。

数人がその場に跪き、鼻血を流す者も出た。

空気が存在するには重すぎた。

朝倉は剣を抜き、机に突き立てた。

「私が決断を下した時……」

声は大きくはなかったが、その重みが全員を圧殺する。

「貴様らはただ……受け入れればいいのだ」

誰も答えなかった。答えられなかった。

だが――

一つの椅子が動いた。

一人の男が立ち上がった。急ぐ風でもなく、力む風でもなく。

その重圧など、まるで存在しないかのように。

龍前りゅうぜん 黒鉄くろがね

「……あんたも老けたな」

静寂の質が変わった。

「力も以前ほどじゃない。俺は……俺を倒す力を持たない奴を敬うつもりはないんでね」

そう言い捨てて、彼は部屋を去った。

圧力が消え、人々が崩れ落ちる。

荒い呼吸が部屋に響くが、何かがおかしかった。

その瞬間――

遥か遠くで、何かが生まれた。

あまりに遠すぎて理解すら及ばないが、誰もが「それ」を感じるほどに強大。

地面が砕けた。

それは震動ではない。街の底から何かが生まれ、世界を真っ二つに引き裂いたかのようだった。

「エコー」。

だが……今までとは違う。

いびつで、巨大で、形を成していない。

ビルが小さく見えるほどの巨体。

人々には逃げる時間すら与えられなかった。

アスファルトが裂け、岩が身体を砕き、血が飛び散った。

最初に音が聞こえ、次に静寂が訪れる。

そして、あるべき場所に誰もいなくなった。

悲鳴。逃走。絶望。

だが、誰も何も見ていない。ただ、感じていた。

そこに、存在してはならない「何か」がいることを。

……

カイトが最初に到着した。東京の守護者。

そして、その光景を前に彼は凍りついた。

「これは……エコーじゃない……」

怪物は不規則に動いていた。身体には人間の部位が取り込まれ、歪んだ顔がまだ動こうとしている。

まるで、内側にまだ何かが残っているかのように。

そして――

それは死体を掴み、貪り食った。

肉が引き裂かれる音が虚無に響き、返り血が怪物の歪な身体を伝う。

カイトは目を見開いた。

「エコーはそんなことはしない……魂を喰らうはずだ。なのに……」

沈黙。

「……なら、こいつは何なんだ?」

怪物が止まった。身体が激しく震える。

口が……あるいは口のようなものが、開いた。

一瞬だけ――

音が漏れた。弱々しく、人間らしい声。

「……あ……」

声は掠れ、壊れていた。喉を潰された誰かが助けを求めているかのようだった。

だが、次の瞬間。

身体が激しく痙攣し、その後に続いたのは、咆哮だった。

高く、歪み、鼓膜を突き破るような。

痛みと、そして完全なる「怪物」としての叫び。

……

カイトが踏み込んだ。剣が空を切り裂く――。

だが、怪物は避けた。その巨体に似合わない、異常な速度。

次の瞬間、背後に現れた怪物が黒いエネルギーの球を形成し、放った。

衝撃。

地面が陥没し、クレーターが広がる。

カイトが立ち上がった時……彼の片腕は、もうそこにはなかった。

血が止まることなく流れ落ちる。だが、彼は叫ばなかった。

そんな暇はなかった。

「……そういうことか」

彼は残った手で剣を握り直し、深く息を吸った。

そして、すべてを解き放つ。

魂顕たましいけんげん……」

周囲の空気が重く沈む。地面に流れた血が、重力に逆らって浮き上がった。

彼の剣が光の粒子となって霧散する。

そして、背後に「それ」が生まれた。

数十本の刃。

浮遊し、ゆっくりと回転する。鋼で形成された不完全な精神体。

「……傷倫のしょうりんのきば

刃が放たれた。

全方位からの、逃げ場のない同時攻撃。

怪物は何度も切り裂かれ、肉片が飛び散る。

だが……。

それは再生した。より速く、より凶暴に。戦いの中で進化しているかのようだった。

カイトは退かなかった。嵐のように刃を纏い、再び突っ込む。

凄まじい攻防。だが、何も届かない。

怪物が口を開き、より巨大で濃密な黒いエネルギーが凝縮される。

カイトは立ち止まった。呼吸は荒く、身体は限界を超えていた。

「……まだ、だ……」

発射の直前、誰かが彼を突き飛ばした。

部下の、新条 ハヤテ(しんじょう はやて)だった。

「諦めないでください……隊長……!」

次の瞬間、彼の姿は跡形もなく消え去った。

カイトは目を見開いたが、声すら出なかった。

最後の一撃。残されたすべての刃を一点に集中させ、絶望的な突進を仕掛ける。

衝撃。爆発。

そして、静寂。

……

土煙が舞い落ちる中。

怪物は……まだ立っていた。再び、再生を終えて。

それは腕を上げ、トドメのエネルギーを溜め始める。

カイトは、もう動けなかった。

「……ここまでか」

だが、衝撃が来る直前。

そのエネルギーが、掻き消された。

まるで、最初から存在しなかったかのように、虚空へ消えたのだ。

……

静寂が支配する。

カイトが顔を上げると、そこに彼は現れた。

カゲヒロ。

破れた外套。仮面。背中の剣。

そして……耳にはイヤホン。

絶対的な沈黙を纏って。

「……あんたたちを助ける義理はないんだがな」

声は低く、疲れ切っていた。

だが、その声には深淵のような響きがあった。

心のどこかで、彼は分かっていた。

もし、あの怪物が彼女(星奈)の近くに辿り着くようなことがあれば。

自分を、一生許すことができないと。

ご一読いただきありがとうございます。

時には、愛する人の声だけが私たちを支えてくれることがあります。混沌の中でも、影浩が感じた安らぎを皆さんに届けることができれば幸いです。

今回のエピソード、そしてカイトの決死の戦いはいかがでしたでしょうか

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