63話 魔女と司祭
「どうぞ入って」
「ご歓談中失礼いたします。聖女様にお客様がいらっしゃっていて……」
扉から姿を現したのは私たちと同じくらいの年の少女だった。アガヴェー教の信者らしく、全身白のワンピースを着ている。
「それ、私が対応しなくちゃいけない人?」
「そ、それは……申し訳ございません、聖女様をお呼びするようにと仰せつかっておりまして……」
「いえ、ごめんなさい、あなたに言うことではなかったわね。せっかく友人が来ているのに、そんな時間すら邪魔するなんて、気の利かない大人たちだわ。ごめんなさいね、ピナ。用が済んだら戻ってくるからちょっとここで待っていて」
怯えた表情を見せた少女をフォローするように、ライラは芝居じみた言葉を残して部屋から出て行った。少女はぺこりと私に一礼して、ライラの背を追いかけていった。
手持ち無沙汰となり、特に目的もなく部屋の中を散策する。壁際に置かれた戸棚には多くの酒瓶や教典が所狭しとおかれていた。棚や机、椅子は古い木製ものであり、アガヴェー教らしい清貧さを感じさせた。
ライラの身分は聖女であると同時に男爵家の一人娘、貴族令嬢である。だが彼女の生活はあくまでもアガヴェー教に基づくものなのだろう。こういった生活に不満がないくらいには。男爵家の養子になったのは、生活ではなく少しでも自身が動きやすくするため、王家と懇意になるための布石だろう。
彼女は本当に多忙だ。それこそ本当に体が一つなのかと疑いたくなるほどに。私の過ごしてきた20周の過去と、ライラの過ごしてきた20周の過去は、きっと濃度が違う。彼女はきっとたくさんの情報を集めてきたのだろう。いつか自由になれるこの時を信じて。
戦地での奇跡の行使、予言者の抜擢、早期の王族との接触、パトロンたる貴族の確保、流行り病の事前対応に布教。
神殺しをするにふさわしい土台を積み上げていく。
初めてフレッサ家に彼女が来たときから思っていた。信者たちは聖女たる彼女を妄信している。聖女の意志が神の意志と言わんばかりに。
先ほどの熱に浮かされたように、聖女の横顔を見つめた少女の表情が目に焼き付いていた。
この蒸留所には多くの信者たちがいる。だがその誰もが聖女のことを仰ぎ、畏敬の眼差しを向けていた。マゲイの世話をする農夫のような信者たちは太陽でも見るように目を細めた。発酵小屋にいた少女たちは月面の乙女を仰ぐように頬を染めた。聖堂に詰めていた女性は天の光を祈るように膝をついた。
神殺しなど、馬鹿げている。
人の身には過ぎたる所業だ。
だがもはや、私の目には彼女はその大半をすでに成し遂げている気がした。
だが、彼女は神殺しというものをどう確認するつもりなのだろう。
部屋の高窓からは隣の聖堂の壁が少しだけ見える。
聖堂には巨大なステンドグラスがある。それはどこの教会も同じだ。高い尖塔についた窓から、美しい光が信者に降り注ぐ。膝をつく民衆を、ステンドグラスに描かれたアガヴェーは微笑みながら見下ろす。
私は信心深くない。だから神の存在の有無もわからなければ、死して進む葉の世界があるかもわからない。ただこの世がろくでもなく、ループをさせる存在が神を名乗るのなら、それはきっと唾棄すべきものだろう、と。
ライラはいつか、あのステンドグラスに描かれるのだろうか。
それとも形骸化した信仰の道化として、あの女神を描くのだろうか。
部屋の扉がノックされた。ライラが戻ってきたのかと振り向いて、違うと気が付いた。ライラであれば私の返事など待たずに入ることだろう。
だが私しかいないこの部屋に、いったい誰が訪ねてくるというのだろうか。
「フレッサ様」
落ち着いた男性の声だった。聞き覚えはない。
彼はここにいた聖女でも、この部屋の物品でもなく、ほかでもない私に用があるという。
一瞬迷う。
この扉を開けて良いものか。扉に鍵はかかっていない。入ろうと思えば入れるが、声の主は私の返事を待っている。私がここにいることを把握しているということは、おそらく教会の関係者なのだろう。ならば入室を許可しない方が無礼だ。
だがその一方で、私が一人でいるこの部屋に男性を入れるのはいろんな意味で危険だ。今ここに、イエーロもアルフレッドもいない。いつも一緒にいてくれるライラもラウレルもグラナダもいない。
じわじわの血の気が引く。
状況は違う。まったく異なる。
ここは塔ではない。
ここにグラナダはいない。
私は誰にも毒を盛っていない。
なのにどうして、私はこんなにも扉の向こうの存在に怯えているのだろうか。
「フレッサ様」
再び呼びかけられる。
思わず両手で自分の口を覆った。存在を極限まで消すように。どうか扉の向こうの人間が諦めてくれることを願って。
ラウレルだって言っていたじゃないか。
塔の上から落ちるその瞬間まで、命の保証がされているわけではない。
「っ、」
「フレッサ様。私です。王都の第6教区の司祭のプルケです」
「し、さい……」
「ええ、覚えておいででしょうか。先日図書館で僭越ながらお声がけさせていただきました。偶然ここを訪れたら他の者からフレッサ様がいらっしゃっているとお伺いして、訪ねさせていただきました」
図書館で会った司祭、と言われ、ようやくその声の主が誰だかわかった。
学内の図書館で本を読んでいた私に声をかけた司祭の男性だ。
恐る恐る扉を開けると、ひどく困った顔をしたプルケが私を見下ろした。
「不躾に申し訳ございません。怖がらせるつもりはなかったのです」
「い、いえ、こちらこそ、返事もせず申し訳ありません。司祭様だとは気が付かず……」
中へ、と誘おうとしたが、プルケはそれを片手で断った。
「フレッサ様の警戒もごもっともです。浅慮な振る舞い、どうかお許しください。少しお話しできればと思っただけなので、ここで結構です」
「申し訳ございません。それで、わたくしにお話、とは」
プルケと会ったのは図書館で会った数か月前の1度だけだ。
そして私はそこでプルケから忠告に似た言葉を受けた。敬虔な信徒。それゆえに私はどこか後ろめたさを感じてしまう。
『あんまりそれを外で言っちゃだめよ』
ライラの言葉を思い出した。
私は現状信者たちから敬虔な信徒の一人と思われているらしい。奇跡を受けた身であり、教会の支援も行う貴族であり、領内に聖地を持つ。これだけ条件がそろっていれば、そう思われるのも当然だろう。だが身が伴っていない。探られれば簡単にほころびは出る。
「フレッサ様のこと、というより聖女様のこと、ですかね」
「ライラ様のことですか?」
「ええ、フレッサ様は聖女様とも懇意にされています。それこそ彼女が友人をこういった場所に招くこと自体、これまで聞いたことがありませんでしたので」
プルケの言葉に、内心そうだろうな、と思う。
彼女は無駄なことをしない。というより明確な意図のないことをしない。
ライラには彼女の目的がある。そのためその目的に関係ないことを限界まで排除しているように見えた。
必要な人間は傍に置き、不必要な人間には極力接触しない。仲間、敵、信者、それ以外しか彼女は人間関係の種類を持っていないようだった。
見ていれば薄々わかる。
私やラウレル、グラナダのことは秘密を共有できる仲間だと思っている。だがプロフェタのことは使える信者、王家やフレッサ家、養父であるブラウン男爵のことは使える権力としか思っていないことだろう。
「なので我々一同、そのライラ様の変化をとても喜ばしく思っています。あなたと出会い、学園という新しい世界に触れることで、彼女自身も成長されているのでしょう」
「……なるほど。皆さまライラ様にとても心を砕いておいでなのですね」
「ええ、本当に。彼女の幸福は私たちの幸福です」
プルケは緩く目を細めた。思わずその表情に目を釘付けにされた。
前回会った時も今回も、プルケはどこか私にとって恐ろしい人だった。
敬虔すぎる信徒。私が悪であることを見透かすような言葉が、その目が恐ろしかった。
言ってしまえば、そこに人の心を感じないような。
だが今、プルケは心の底から慈しむような顔をしていた。
「司祭様は、ライラ様とはお付き合いが長いのですか?」
「……なぜそのようなことを?」
虚を突かれたような顔をするプルケにはっとする。
「い、いえその、聖女様として彼女を思っている、というよりも彼女自身のことを大事に思っているように見えたので。わたくしの勘違いであったら申し訳ございません」
言葉だけ聞けば、信心深い信徒でも言いそうなセリフだった。特に彼女は神からの権威の簒奪をもくろみながら布教活動を行っているのだ。彼女自身に心酔する信徒はすでに数多いることだろう。であれば先ほどのようなセリフを口にする者もいるはずだ。
けれど先ほどのプルケは、そういう風には見えなかった。
「……わかってしまいましたか、お恥ずかしい。そうですね。彼女とは本当に古く関係があります。今となってはお傍にいることは叶いませんが、それでも、私にとって彼女はなにものにも代えがたい、大切な子なのです」
そうはにかむ彼の言葉には何一つ曇りなく、純粋な親愛を感じた。




