62話 聖女と命の水
蛇のようにうねる葉がいくつも地面から飛び出していた。背の低いものもあるが、半分ほどは私の背を超えるほどに高く上へと伸びている。
「マゲイを見るのは初めて?」
「初めてではありませんが、これほどの数が植えられているのは圧倒されます」
つい上へと視線を彷徨わせてしまう私に、ライラがクスクスと笑った。
大きな球茎部から長く分厚い葉が重なり合うように伸びていく。
夏季休暇が終わる前にと、ライラから誘いを受けて訪れたのは教会の持つテキーラの蒸留施設だった。
アガヴェー教の信者は神事の際にテキーラを飲む。全国各地に教会がある以上、テキーラの蒸留所を独自で運営するのは当然のことだろう。しかし、と改めてその原料となるマゲイを眺める。
巨大な球茎部から多肉植物らしい分厚い葉が高く伸びている。周囲には背の高い木などは少なく、もともと乾燥地帯に植生を持つことがわかる。多肉植物は乾燥地帯に植生を持つが、水分を保持することができ、枯れづらい。だからこそ国内のあらゆる場所で栽培が可能なのだろう。
今回ライラが私を教会の持つ蒸留所へと誘ったのは彼女の思い付きからだった。
「アガヴェー教の聖地フレッサで育ったマゲイで作ったテキーラ、なんて言ったら売れそうじゃないかしら?」
まったくもって聖女らしからぬ商魂の逞しさ。けれどフレッサ家がそれに乗らない手はない。
フレッサの森では本来あり得ない植生や動物の生息環境が同居する。単純に広い、人の手が入っていない、程度では説明がつかないものが多く存在している。
実際、森の奥の乾燥した場所に数は少ないがマゲイも自生していた。ただ自生しているマゲイの数は少ないため、それを鑑みたうえで栽培が可能か、そもそも蒸留所の運営は領内で可能なのかを検討するため、現地へと視察に行くこととなったのだ。
広大なマゲイの農園の先には大きな建物がいくつか建っており、その間を農夫や蒸留所の職員、白い服を着た信徒などが忙しく歩き回っていた。
「マゲイがテキーラの原料として使えるようになるまでに5年ほどかかるんでしたっけ」
「最短で5年。でも基本は7年から10年くらいで見積もった方がいいわ」
「収穫の基準は」
「見極めが必要になるけど、見極めに失敗するとああなるわ」
ライラが指をさした方向には、蒸留所の建物を超える高さまで細く長く伸びる木のようなものがあった。
「あれもマゲイなんですね。随分と大きい……」
「マゲイは基本的に花が咲かない。今見ていた地面に生えているのと同じ姿のまま。でもマゲイは一生のうちに一度だけ花が咲くの。花茎が5メートルから10メートルまで伸びる。あれだけ大きくなると球茎から栄養も吸われてテキーラにするとき甘みも減る。だからもうああなったら収穫もしない」
あらかじめ資料を読んでいたため知ってはいたが、実際に見るのとでは感じ方が異なる。長く高く伸びているその姿は異様だ。地面に生え、そこからいくつもの葉を伸ばす元の姿から、すべてを地面に置き去りにして天へと伸びていく姿は、
「……確かに、神聖に感じるかもしれませんね」
「アガヴェー教にまるで興味のないピナも、流石にそう感じるのね」
「まあ、流石に……」
神なんて、ろくでもないものと思ってはいる。何度も何度も、私の死ぬだけの人生を繰り返させる神なんて。
けれどただ神聖に感じる、という感性は別にある。
収穫して蒸留すれば酒になり、球形部で作られる蜜は甘く栄養価も高い。そして天を突くような花を咲かせる。神の植物と呼ばれるのもわかる気がした。
「球茎部から伸びる厚い葉の一枚一枚が世界に例えられるの。一枚目の葉で死んだら、二枚目の葉の世界は行く。そうして繰り返して、いつか天上に至る。天上へ至ることは、花を咲かせること。マゲイの在り方はアガヴェー教そのものなの」
そうライラに言われて思わず複雑な感情が頭をもたげる。
今の私たちは、一枚の葉から出られていないのか。
それとも私は死に続け、20枚の葉を移動して今、花を咲かせようとしているのだろうか。
いずれにせよ、ぞっとした。
だがライラが私の気持ちをわからないはずがない。つい彼女の顔を伺うとライラはにっこりと綺麗な笑顔で笑った。
「じゃあ植わってるマゲイの様子は見られたから、次は収穫された後のものを見に行きましょう」
「収穫……確か球茎部だけを使うんですよね」
「ええ。生えてる葉を全部切り取って、球茎部だけ残すの。1枚1枚が世界と呼ばれる葉を切り取るから破壊神の気分を味わえるわ」
あっけらかんと、けれどおそらく私の思いに似たものをにじませながら笑った。
マゲイの球茎部を切り取り、葉や皮を剥き、蒸す。蒸したものから汁を絞り、それを樽に入れて発酵させる。それを二度蒸留させて熟成して、テキーラが作られる。
広い敷地内をライラは楽し気に歩き回りながら説明してくれた。一つ30キロを超えるピニャと呼ばれる球茎部が蒸される建物、梯子のかかった巨大な樽が並ぶ発酵小屋、熱気を帯びた銅製の蒸留器。
「この蒸留所の見学で十分観光になりますね」
「もちろんよ。見学だって受け付けてるし、テキーラの販売もしてるわ」
「さすがですね」
「ちょっと、守銭奴を見る目で見ないで。あなたが相手だからいろいろ省いているけど、一般の見学者にはしっかり教義や教会の歴史についても話しているからアガヴェー教の教化の役割もあるの。わかるでしょ? 最初にマゲイを見せて世界の成り立ちの話をする。それからテキーラができるまでの様子を見学しつつ、神の飲み物、人に下賜された命の水、みたいなありがたい話をするのよ」
一通り敷地内の施設を回ってから、樽の熟成庫の奥にある聖堂の部屋で一息つく。
当然のように人払いをしたライラはうんざりしたように伸びをした。
広大な敷地に必要なものをすべて揃えることのできる教会の力に改めて嘆息する。畑、貯蔵庫、発酵小屋、蒸留所、熟成庫、聖堂、そしてそのすべてで働く人。
曰く、国内で最も規模の大きい施設の一つだと。どれもがこの規模ではないとライラは言うが、だとしてもこの規模の施設を国内にいくつも持ち、維持させることができるアガヴェー教会の力は絶大だ。
圧倒的な権威、信仰。
つまらなそうに聖女は聖堂の棚を物色していた。
この聖女は、その神を殺すという。
「ライラ様、それは?」
「これ? テキーラ。聖堂には基本おいてあるの。ピナはテキーラ好き?」
「そもそもあまり飲んだことがありませんね。家にはワインやウィスキーはありますが、テキーラは見たことありませんし」
「……ワインは教義上禁止されているから、あんまりそれを外で言っちゃだめよ?」
小さい子に注意するように言いながら、ライラはテキーラの瓶を机に置いた。澄んだ透明な液体が揺れる。
「フレッサ家はワインを飲むの?」
「ええと……」
「誰もいないし、私もただの興味だから正直に答えて大丈夫よ」
「そう、ですね。お父様も伯父様も飲まれます。他のお酒も飲みますが、特に赤いワインがお好きです」
「そっか……」
ライラはなぜか困ったように眉を下げて笑った。
聖女である彼女からすれば、教義に反する飲み物を飲んでいる家を注意するのは当然かもしれない。けれどなぜ悲しそうにするのかはわからなかった。
「ライラ様?」
「いいえ、なんでもないの。今のは本当に、ただの私の興味だから」
取り繕うように笑顔を作り直して瓶の蓋を開けた。強い酒精が鼻をつく。しかしライラは再び動きを止めた。
「……そういえば、ピナっていくつだっけ」
「いくつって、ライラ様と同い年ですよ」
唐突だったがその意図がわからなかった。私の年齢をライラが知らないはずがない。
「12歳。じゃあこれはダメね」
「あ、ダメなんですか」
「お酒は20歳になってから」
「そういう教義なんですね」
彼女は口の端だけで笑う。どこか遠くを見るように目を細めた。
「いいえ、私が今決めたの」
ライラは再び瓶の蓋をきつく締めた。
一体今のやり取りは何だったのか、とライラに聞こうとしたところで扉が軽くノックされた。




