64話 変転
それからすぐ、プルケは部屋を後にした。去り際にプルケは「累なる葉々は天上に至らん」という言葉を残した。教会周りではよく耳にする祈りの言葉だ。
図書館でのプルケは私に対して忠告じみた言葉ばかりかけたが、今日の彼はただただライラの話がしたかっただけのようだった。
ほどなくして、出て行ったとき以上に不機嫌となったライラが荒々しく扉を開けた。
「ただいま! 待たせちゃってごめんなさい。これだけ時間がかかるならせめてこんな小さな部屋じゃなくて聖堂とか蒸留所とか、暇が潰せるようなところで待ってもらうべきだったわ」
「いいえ、そんなに暇とも思いませんでしたよ。お客様の方は大丈夫でしたか? 急なご訪問のようでしたが」
白い眉間に深いしわが刻まれる。
「大丈夫も何も、話にならないわ」
「……それはわたくしが聞いても問題ないお話でしょうか?」
「問題ないわ。みんなにも共有するつもりだったし」
あたりを警戒するように耳を聳てて、それから私に耳打ちした。
「王弟殿下、エンファダード・ティエーラからの遣いよ」
「…………それは、これまでにあったことは?」
「今まで? ないわ。王弟殿下は教会のことを気に入らないと思いつつも、あくまでもラウレルやフレッサ家をはじめとした貴族の一部にしか手を出してなかった。今更教会に来るなんて」
爪を噛むライラに少し驚く。ここまで取り乱す彼女は今までほとんど見たことがない。いつだって彼女は盤面をコントロールする側だった。だがここで敵の駒が予想に反した動きをし出したのだ。彼女はただ不機嫌なだけではない。焦っていて、疑念にとらわれている。
「目的は、要件はなんだったんです? 本人ではないということは何か言伝か文書があったのでしょう」
「……いったん突き返したわ」
「つ、突き返すとかいいんですか!?」
「本来ならありえないわ。でも先に無礼を働いたのはあちら。こちらに何か頼みたいことがあるなら事前に調整するのが筋よ。しかもすでに教会は王家とは十分なパイプがある。なのにそこを通さず勝手に遣いを送ってくるのはそちらと調整をしていない、あるいはしたくないってこと。受け取るだけでも教会側にリスクがあるわ。無礼だというなら謝罪はするけど、早々に今回の件はラウレルや陛下にも共有して……」
ぶつぶつと今後の策を巡らせるライラの様子を見ながら、私なりにも考えてみる。
これまでの20周の過去とは異なる動き。
王弟エンファダードはこれまでと比べるとあまり有利とはいえない。ラウレルが早々に教会という圧倒的権威のある組織と太いパイプを作った。もともとエンファダードが自身の派閥に取り込もうとしていた貴族たちは金銭的に困窮、あるいは不安のある貴族や平和な世にも穀潰しとなっている私兵を抱えている貴族だ。本来ならそういった領地はサンクダリアの流行のハレーションを受け領民および税収の大幅の減少という打撃を受けているはずだった。たとえ王弟派閥についたとしても、一発逆転の目に縋りたくなるほどに追い詰められているような貴族。
だが今回、サンクダリアの流行は最小限に抑えられたうえ特効薬も教会が量産し、一般市民にも分け隔てなく提供された。
これまでの20周の世界と比べてこの21周目は圧倒的に安定しているのだ。つまりは現政権に不満を持つ貴族は少なく、フラストレーションはあるものの大きなものではない。
この平和な世においても、エンファダードが未だ即位を諦めていないのなら、新たな手を打たなければならない。
おそらくこの教会への接触がそのうちの一つなのだろう。
思わず眉を顰める。
「……ああ、ごめんなさい。急に考えに耽ってしまって。……ピナ?」
「ええと、これはまだ関係ないかもしれませんが、フレッサ家の領地に聖地ができてから、王弟殿下からの接触が一切なくなっていたんです。聖地が殿下避けになってくれたのかと思っていたので。今後教会とつながりができると、こちらに接触する理由にもなるから、嫌だなあ、と思って」
「まあそれもあるかもしれないわね。……でもどうでしょう。当初エンファダードはあなたを暗殺者に仕立て上げるつもりだったでしょ。でもあなたと殿下はすっかり懇意な上に、教会の聖女ともしっかり仲良し。ともなると暗殺なんて現実的じゃないわ。むしろあなたをけしかけた時点でこちらに情報が筒抜けになることを恐れそう」
彼女の言う通りだろう。おそらくエンファダードはすでに私に暗殺者としての役割を期待していない。確かに私は彼の期待通り毒や薬に詳しく、王太子にも難なく近づける関係を築いている。だがその脇をすでに聖女ががっちり固めている。たとえフレッサ家の家人を人質に取ったとしても、伯父を聖女に助けられた実績からしても私が聖女に助けを求める可能性は考えるだろう。
こうなってくるともう私を暗殺者とする案はあまりにリスクが大きい。
「むしろフレッサ家にある聖地を悪用して、邪教を広めるように唆す、とか? フレッサ家の信仰は薄いし、できないわけでもないでしょ」
「でもさすがに迂遠すぎますよ。一つの聖地から効率的に邪教を広める手段なんてないでしょうし。聖地には教会の方々も必ずいます。こちらの様子がおかしくなったら教会に筒抜けでしょう」
「だから、なんらかの方法で教会を抱き込もうとしている、とかね?」
薄紫色の瞳が馬鹿にするように細められた。
昨今の教会は聖女であるライラがすっかり抱き込んでいる。だがその一方で教会とはあまりに大きすぎる組織だ。だからこそ、綻びをつつく余地はある。
もしそう考えているとしたら、今回聖女に接触をしようとしたのは真正面から喧嘩を売るのと同義だ。
「まあ、私に喧嘩を売るなら正規の手続きで買ってあげるわ。陛下の頭上を越えて勝手に私に何か文書を出したことについて奏上して、無理やりにでも表舞台に引きずり出してあげるわ」
「心強いです……」
王家だろうと神だろうと、常に好戦的なライラのバイタリティーがあまりにまぶしい。先ほど一瞬見えた焦燥感などすでに霧散している。
彼女を見ていると、なんだか何とかなる気がしてくる。それはもしかしたら聖女の持つ効果や能力なのかもしれない。
「ああ、そうです。先ほどここにお客様がいらっしゃいました」
「……客? こんなところに?」
あまりに衝撃的な内容であったため頭の隅に片づけてしまっていたが、ライラにも共有しておくべきだろうと口を開く。
「ええ、プルケ様という司祭様です」
「プルケ……?」
「心あたりありませんか? 確か王都の第6教区の司祭をされていると」
名前を聞けばライラもわかると思っていた。だが予想に反してその表情は先ほど以上に厳しいものだった。
「……ライラ様?」
「…………それで、そいつはなんて言ってたの?」
「えと、ライラ様と仲良くしてくれて嬉しいとか、ライラ様の幸福が我々の幸福だとか……。ライラ様? 司祭様はライラ様と古くから関係があると仰っていましたが」
緊張感が支配する小部屋の中で大きく舌打ちの音が響いた。
私はその音が目の前の聖女の口から発せられたものとは思えなかった。だが間違いなく彼女のものだ。
先ほどの比にならないほど、彼女は怒っている。
「ピナ」
「は、はい!」
「王都に第6教区なんて教区はないわ」
「……え? でも、」
「その司祭は偽物よ」
ライラは憎々し気にそう言い捨てた。




