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第九十九話 残りの粥

【土曜日 5:06/広場中央】


「だが、飯はもう持たない」


 マルタの声は、広場の火よりも低く落ちた。


 誰もすぐには動かなかった。


 朝の板の前で、ミナが木炭を握ったまま止まっている。


 人。


 水。


 食料。


 そこまで描いたところで、手が止まっていた。


 相沢は木箱から立ち上がりかけた。


 ミナが見た。


 その目だけで、相沢は座り直した。


「……倉庫で聞く」


 相沢は言った。


 マルタが頷く。


「広場で全部言う話じゃない」


 村長も静かに頷いた。


「人数を絞りましょう」


 ミナが板を見る。


「朝の板は?」


 相沢は少し考えた。


「変えない」


「食料、黒くしない?」


「しない」


「でも」


「食料が危ないことは、役に渡す。広場全体に載せると、全員が食料を見る」


 ミナは唇を噛んだ。


 分かっている。


 だが、怖い。


「じゃあ、食料は普通の印」


「普通の印」


「でも、マルタさんに渡す」


「ああ」


 ミナは、止まっていた手を動かした。


 食料の印を、いつも通りの大きさで描く。


 濃くしない。


 囲まない。


 増やさない。


 それだけで、かなりの力が要るように見えた。


 相沢はその手を見ていた。


 ミナは板を描き終える。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 朝の五つ。


 いつも通り。


 だが、相沢には食料の印だけが、重く見えた。


     ◇


【土曜日 5:18/倉庫前】


 倉庫の前に集まったのは、少人数だった。


 相沢。


 村長。


 マルタ。


 ミナ。


 ハルト。


 リリア。


 それから記録係。


 ガンツとダリオは北に残った。


 北を空けない。


 それは誰も言わなくても決まっていた。


 倉庫の戸が開く。


 湿った匂い。


 穀物の匂い。


 古い布の匂い。


 少しだけ、駄目になったものの匂い。


 相沢は息を止めそうになった。


 止めなかった。


 見る。


 分ける。


 混ぜない。


 マルタが袋を指した。


「無事なのは、これだけ」


 小さな山。


 前に見た時より、明らかに低い。


「怪しいのは?」


「こっち」


 別の山。


 布袋の口に印がある。


 まだ見る。


 今すぐ混ぜない。


「駄目なのは」


「外に出した。朝になったら埋める」


 相沢は頷いた。


 駄目なものを倉庫に残さない。


 それだけでも、かなり改善されている。


 だが、量は戻らない。


 マルタは、淡々と言った。


「薄くして、今日一日。明日の朝までは、どうにかなる」


 相沢は顔を上げた。


「明日の朝まで?」


「まともに食わせるなら、今日の夜まで」


 マルタは言い切った。


「明日の朝は、粥というより湯だね」


 ミナが小さく息を吸った。


 ハルトが黙って拳を握る。


 リリアは表情を変えない。


 だが、目だけが少し沈んだ。


 村長が聞く。


「病人用は」


「分けてある」


 マルタは小さな袋を指した。


「これには手をつけない。つけたら終わりだ」


「見張り用は」


「最低限。北と井戸だけ」


 マルタは相沢を見る。


「だから言ったんだ。村は持った。飯は持ってない」


 相沢は倉庫の床を見た。


 袋。


 印。


 分けられた山。


 全部、正しい。


 正しく分けられている。


 だからこそ、足りないことがはっきり見える。


 袋で食料は増えない。


 印で粥は濃くならない。


 塩で腹は膨れない。


 相沢は、昨日自分が大阪で考えた言葉を思い出した。


 その通りだった。


 あまりにも、その通りだった。


     ◇


【土曜日 5:31/倉庫前】


 相沢は鞄を開けた。


 ただし、倉庫の奥で。


 広場からは見えない位置。


 マルタとリリアと村長、ミナだけが見える。


 袋。


 油性ペン。


 ラベルシール。


 計量スプーン。


 塩飴。


 乾燥わかめ。


 小板。


 少ない。


 意図して減らしたもの。


 だが、今の倉庫を見ると、さらに少なく見えた。


 マルタは乾燥わかめを見た。


「食えるのかい」


「食べられます。水で戻せます」


「腹は膨れる?」


「少しだけです」


「少しか」


「はい」


 マルタは少しだけ鼻で息を吐いた。


「少しでも、ないよりはいい」


「ただ、全員に広げる量じゃありません」


「分かってる」


 マルタは塩飴を見る。


「これは」


「病人と、見張り用。水を飲ませる時に使えます」


「甘いんだね」


「はい。だから見せすぎない方がいい」


「見せない」


 マルタは即答した。


 リリアが塩飴を一つ手に取る。


「昨日使った飴と同じ扱いですね」


「はい。薬の前。甘いものではない」


 リリアは頷いた。


 ミナが小板を見る。


「これ、声のやつ?」


「ああ」


 人。


 場所。


 目。


 誰。


 どこ。


 何。


 ミナは小板を手に取った。


「きれいすぎる」


「そう思うか」


「うん。村の板の方がいい」


「俺もそう思った」


「じゃあ、これは見本」


「そう。ミナが村の形に直してくれ」


 ミナは少しだけ頷いた。


「分かった」


 相沢は袋を見た。


「袋は、全部使いません。まず見本だけ」


 マルタが睨む。


「今、飯がない時に、袋の話かい」


「飯がない時だからです」


 相沢は言った。


「残っているものを間違えて使えない。病人用、見張り用、今日の粥、明日の朝。混ざったら終わります」


 マルタは黙った。


 それから、短く言った。


「そこは分かる」


 相沢は頷いた。


「ただし、袋で食料は増えません」


「知ってるよ」


 マルタの声は少し荒かった。


 だが、怒りは相沢へだけ向いているわけではない。


 足りないもの全部へ向いている。


「だから、決めるしかない」


 マルタは言った。


「食う量をさらに減らすか。取りに出るか。赤いのをどうにかするか」


 倉庫の中が静かになった。


 相沢は、その三つを頭の中で並べた。


 さらに減らす。


 取りに出る。


 赤をどうにかする。


 逃げる、は現実的ではない。


 老人と子供と病人を連れて、森を抜けられない。


 それに、赤がいる。


 取りに出るにも、赤がいる。


 さらに減らしても、赤がいる限り時間切れになる。


 結局、同じ場所へ戻る。


 赤ゴブリン。


     ◇


【土曜日 5:49/倉庫前】


 村長が、静かに言った。


「待てば、こちらが先に弱ります」


 誰も否定しなかった。


 ハルトが低く言う。


「水は守れる。今のところは」


 マルタが続ける。


「飯は守っても増えない」


 リリアが言う。


「病人も、食べなければ戻りません」


 ミナが小板を握ったまま、板の方を見る。


「広場に言ったら、みんな食料を見る」


「だから、言い方を決める」


 相沢が言った。


 ミナがこちらを見る。


「どう言う?」


 相沢は少し黙った。


 ここでごまかせば、後で崩れる。


 だが、全部をそのまま広げれば、今崩れる。


「飯が少ない。だから、今日の動きは減らす」


「それだけ?」


「まず、それだけ」


 マルタが目を細める。


「赤いのの話は?」


「役には伝える。全員には、すぐ言わない」


 ハルトが言う。


「隠すのか」


「隠すんじゃない。順番を決める」


 相沢はハルトを見る。


「食料が少ないと知れば、全員が食料のことを見る。そうなると、北も井戸も南も見る場所がずれる」


 ハルトは黙った。


 相沢は続けた。


「でも、役には必要です。北には、待てないことを伝える。井戸には、水の混乱を起こさないように伝える。倉庫と治療所はもう分かってる。広場は、動きを減らす」


 村長が頷いた。


「全員に伝える言葉と、役に伝える言葉を分けましょう」


 マルタは腕を組んだ。


「飯がないってのは、黙ってても顔に出るよ」


「だから、先に薄く言う」


「薄く?」


「今日から粥をさらに薄くする。力仕事と見張りを優先する。病人用は別。理由は、食料が少ないから。そこまでは言う」


「赤いのを倒さなきゃ終わる、は」


「役にだけ」


 マルタはしばらく相沢を見た。


 それから、鼻を鳴らした。


「まあ、広場で言う話じゃないね」


 ミナが小さく言う。


「見る板には、食料を増やさない」


「ああ」


「でも、食料の役はマルタさん」


「そう」


「広場は、人、水、食料、仕事、休む人」


「そう」


「食料の中身は、マルタさんに渡す」


「それでいい」


 ミナは小板を胸に抱えた。


「分かった」


     ◇


【土曜日 6:13/広場中央】


 朝の配膳は、いつもより静かだった。


 静かすぎるくらいだった。


 粥は薄い。


 昨日より薄い。


 椀の中で、湯の方が多く見える。


 子供が一人、椀を覗き込んだ。


「少ない」


 母親がすぐに止めようとした。


 だが、マルタが先に言った。


「少ないよ」


 広場が少し止まる。


 マルタは隠さなかった。


「飯が少ない。だから今日は薄い」


 誰かが息を呑む。


 ざわめきが広がりかける。


 ミナが板の前に立った。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 朝の五つ。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 食料の印を指す。


「食料は、マルタさん」


 声は震えていない。


「勝手に増やさない。勝手に取りに行かない。勝手に分けない」


 ざわめきが少し止まる。


 マルタが続ける。


「病人用は別。見張りと井戸は倒れると困るから少し別。文句は私に言いな」


 村人の一人が言う。


「どれくらい持つんだ」


 マルタは即答しなかった。


 村長が前に出る。


「今日を持たせます」


 短い言葉だった。


 広場が静かになる。


 今日。


 それは、明日がないと言っているに近い。


 だが、村長は続けた。


「そのために、動きを減らします。無駄に火を大きくしない。水をこぼさない。食料を動かさない。役を離れない」


 ハルトが井戸側から言う。


「水はある。だが、取りに来る人数を増やすな。決めた者が運ぶ」


 リリアが治療所前から言う。


「治療所は病人用を別にします。甘いものを求めても出しません」


 マルタが締める。


「飯は少ない。でも、騒ぐともっと減る」


 広場は完全には納得していない。


 当然だ。


 腹は納得しない。


 だが、動きは止まった。


 椀が配られる。


 薄い粥。


 温かいだけの粥。


 それでも、皆が受け取る。


 相沢も椀を受け取った。


 薄い。


 あまりにも薄い。


 だが、飲んだ。


 残さない。


 今は、それしかできない。


     ◇


【土曜日 6:42/北柵】


 北へは、相沢ではなく伝令が行った。


 相沢は行かなかった。


 行きたい気持ちはあった。


 だが、行かない。


 ガンツとダリオには、短く伝えた。


 食料が限界。


 今日を持たせる。


 待てばこちらが弱る。


 北はそのまま。


 赤の動きがあれば、見る。


 決めるのは、役をそろえてから。


 伝令が戻ってきた。


「ガンツが、分かった、と」


「それだけ?」


 ミナが聞く。


「あと、アイザワを走らせるな、と」


 相沢は目を閉じた。


「もういい」


 伝令は少し迷ってから続けた。


「ダリオが、森は昨日より静か、と」


 相沢は顔を上げる。


「静か?」


「はい。普通じゃない静けさ、と」


 ミナが小さく言う。


「見てる?」


「たぶん」


 相沢は森の方を見た。


 赤ゴブリンは、こちらの腹が減るのを待っていたのかもしれない。


 声で動かす。


 人影で動かす。


 水で動かす。


 そして最後は、腹で動かす。


 腹が減れば、人は判断を間違える。


 怒る。


 焦る。


 取りに行きたくなる。


 奪いたくなる。


 広場を見る目が変わる。


 赤は、それを待っている。


「待てない」


 相沢は小さく言った。


 ミナが見る。


「何を?」


「赤を」


 ミナは黙った。


 その顔が、少しだけ青くなる。


「今日?」


「今日、決めないといけない」


「倒すの?」


「倒すか、外へ出られる形を作るか。どちらにしても、赤を動かす必要がある」


 ミナは板を見る。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


「広場、持つかな」


「持たせる」


「誰が?」


 相沢は答えかけて、止まった。


 俺が。


 そう言いそうになった。


 違う。


「ミナが」


 ミナは目を見開いた。


「私?」


「ミナと、呼ぶ役と、村長」


「回し屋は?」


「全部見ない」


「本当?」


「本当」


 ミナは疑っている顔をした。


「嘘の顔?」


「たぶん、嘘に見える顔」


「じゃあ、見てる」


「頼む」


 ミナは小さく頷いた。


     ◇


【土曜日 7:18/倉庫前】


 役だけの短い場が作られた。


 全員ではない。


 村長。


 相沢。


 ミナ。


 マルタ。


 ハルト。


 リリア。


 北からはガンツの代わりに伝令。


 ダリオは来ない。


 森を見るためだ。


 相沢は地面に簡単な図を描いた。


 村。


 北柵。


 井戸。


 倉庫。


 治療所。


 南の小屋。


 森。


 赤がどこにいるかは分からない。


 だから、赤の印は描かない。


「食料は、待てません」


 相沢が言った。


 誰も驚かなかった。


 もう分かっている。


「今日、赤をどうにかする必要があります」


 ハルトが言う。


「こっちから出るのか」


「出るなら、少人数です」


 マルタがすぐ言う。


「広場を空けるな」


「空けません」


 相沢は頷く。


「ただ、赤はこっちを動かしたい。だから、こちらが動くなら、動かされるんじゃなくて、決めて動く必要があります」


 村長が聞く。


「誘い出す、ということですか」


「はい」


 ミナが息を呑む。


「赤を?」


「森の奥で戦うと負けます。村の外へ全員で出ても負けます。だから、見える場所まで引き出す」


 伝令が顔を強張らせる。


「どうやって」


「赤が見たいものを見せる」


 マルタが眉を寄せる。


「何を」


 相沢は少し黙った。


 言いたくない。


 だが、言わないと進まない。


「俺です」


 その場の空気が変わった。


 ミナが即座に言った。


「駄目」


 ハルトも低く言う。


「それは、赤の思う通りじゃないのか」


「そうです」


 相沢は認めた。


「だから、本当に出るわけじゃない。赤に、俺が動きそうだと思わせる」


 マルタが腕を組む。


「餌かい」


「餌に見せる」


「同じに聞こえるね」


「違います」


 相沢は地面の図を指した。


「俺が広場から北へ動く。けれど、決めた場所まで。そこから先へは出ない。ガンツが前。ダリオが見る。ミナは広場を戻す。ハルトは井戸を動かさない。マルタさんは倉庫を開けない。リリアさんは治療所を動かさない」


 ミナの顔が険しい。


「回し屋は、止まれる?」


 相沢はすぐには答えられなかった。


 その沈黙だけで、十分だった。


「止まれないかもしれない」


 ミナが言う。


「だから、止める役がいる」


「誰が?」


「ガンツ」


「北にいる」


「それと、ミナ」


「私?」


「広場から俺を呼び戻す」


 ミナは首を振る。


「声で?」


「声で」


「赤も声を使う」


「だから、決めた言葉だけ」


 ミナは黙った。


 相沢は言った。


「火、水、呼ぶ」


 ミナの表情が変わる。


「それ?」


「俺が前へ行きすぎたら、それを言ってくれ」


「戻る?」


「戻る」


「本当?」


「戻る」


 ミナは、まだ信じていない。


 当然だった。


 リリアが静かに言う。


「アイザワ殿」


「はい」


「それは、約束ですか」


 相沢はリリアを見る。


「はい」


「では、破れば信用を失います」


「分かっています」


「命より先に?」


 リリアの声は静かだった。


 相沢は答えに詰まった。


 リリアは続ける。


「命を使えば助かる場面があると、アイザワ殿は考えるかもしれません。ですが、今まで作ってきたものは、約束を守ることで動いています」


 その言葉は重かった。


 相沢は視線を落とした。


「分かっています」


「本当に?」


 ミナが聞く。


 相沢は少しだけ息を吐いた。


「分かっている、だけでは足りないな」


「うん」


「だから、決める。俺が決めた線を越えたら、ガンツが止める。ミナが戻す。リリアさんが信用しない」


「最後、怖い」


「必要です」


 リリアが淡々と言った。


     ◇


【土曜日 7:49/北柵】


 作戦は、北へ伝えられた。


 今度は相沢も行った。


 ただし、広場からの許可を得て。


 ミナに睨まれながら。


 ガンツは聞き終えると、顔をしかめた。


「気に入らねぇ」


「俺もだ」


「お前を餌に見せる?」


「餌にはならない」


「同じだ」


「違う」


「違わねぇ」


 ガンツは槍の石突きで地面を叩いた。


「赤はお前を動かしたい。そこへ、お前が出る。何が違う」


「出る場所と、止まる場所を決める」


「止まれなかったら?」


「止めてくれ」


 ガンツは目を細めた。


「殴ってでもか」


「ああ」


「言ったな」


「言った」


 ダリオは森を見たまま言った。


「赤は見てる」


 ガンツがそちらを見る。


「今か」


「たぶん」


 相沢は森を見る。


 相沢には、何も分からない。


 木。


 影。


 朝の薄い光。


 それだけ。


 ダリオは続ける。


「昨日より、鳥が戻らない」


「鳥?」


「夜明けなら少し戻る。でも戻らない」


「赤が近い?」


「近いか、近くに来る準備」


 相沢は息を吐いた。


 待てないのはこちらだけではない。


 赤も、見ている。


 村が腹で動くのを。


 相沢が戻ったことで、どう動くのかを。


「なら、今日来るか」


 ガンツが言う。


 ダリオは短く答えた。


「来る」


 断言に近かった。


 ガンツが槍を握り直す。


「ようやくか」


 相沢はその声を聞いた。


 ようやく。


 確かに、ここまで長かった。


 だが、長かった分だけ、村は準備した。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 誰。


 どこ。


 何。


 井戸。


 倉庫。


 治療所。


 北。


 南。


 広場。


 それぞれの役。


 ここで崩れれば、全部が崩れる。


 ここで耐えれば、赤に届く。


 ダリオが弓を持ち直した。


「来るなら、見える」


 ガンツが口の端を上げる。


「お前がそう言うなら、見る前に止める準備をする」


「俺は見る」


「俺は止める」


 相沢は二人を見た。


 前を見る男。


 先に気づく男。


 後ろを回す自分。


 その三つが、ようやく一つの線になる気がした。


     ◇


【土曜日 8:23/広場中央】


 広場に戻ると、ミナが待っていた。


 板の前。


 木炭を持っていない。


 持つと増やしたくなるからだ。


「決まった?」


「ああ」


「今日?」


「今日」


 ミナは目を閉じた。


 一瞬だけ。


 それから開けた。


「広場は?」


「火、水、呼ぶ。人、水、食料、仕事、休む人。呼ぶの下に、誰、どこ、何」


「増やさない?」


「増やさない」


「赤が来ても?」


「増やさない」


「回し屋が前に出ても?」


 相沢は少しだけ詰まった。


「その時は、戻す」


「火、水、呼ぶ」


「ああ」


「それで戻る?」


「戻る」


「約束?」


「約束」


 ミナは相沢をじっと見た。


 広場を見る役の目だった。


 相沢を心配しているだけではない。


 約束を破れば、広場ごと崩れると分かっている目だった。


「破ったら、怒る」


「分かった」


「泣くかも」


「……分かった」


「でも、広場は戻す」


 相沢は息を止めた。


 ミナは続ける。


「泣いても、広場は戻す」


 相沢は頷いた。


「それでいい」


「よくない」


 ミナは即答した。


「よくないけど、そうする」


 相沢は何も言えなかった。


 その時、広場の端で、子供が薄い粥の椀を見ていた。


「おかわり、ない?」


 誰もすぐには答えられなかった。


 マルタが倉庫側から言う。


「ないよ」


 子供は顔を伏せた。


「そっか」


 それだけだった。


 泣かない。


 騒がない。


 ただ、椀を見る。


 相沢はその横顔を見て、奥歯を噛んだ。


 もう、待てない。


     ◇


【土曜日 9:02/広場中央】


 視界の端に、表示が浮かんだ。



【集落状態:

 食料逼迫】


【夜間運用:

 維持成功】


【敵性個体:

 未視認】


【敵誘導履歴:

 蓄積】


【推奨:

 過剰移動抑制】


【推奨:

 決戦準備】



 決戦準備。


 その言葉を見て、相沢は息を呑んだ。


 表示にしては、珍しく直接的だった。


 だが、次の項目でいつもの調子に戻る。



【対象:

 相沢誠司】


【疲労:

 中】


【水分:

 不足傾向】


【推奨:

 水分摂取】


【推奨:

 本人の食事確認】



「そこも出るのか」


 相沢は呟いた。


 ミナがすぐ反応する。


「水?」


「ああ」


「飲んで」


「今は」


「飲んで」


 ミナは器を差し出した。


 相沢は受け取る。


 飲む。


 水は冷たい。


 少し土の匂いがする。


 だが、守られた水だった。


 相沢は器を返す。


「食事は?」


「食べた」


「少し」


「皆少しだ」


「回し屋も倒れたら困る」


「分かってる」


「分かってない顔」


「便利だな」


「便利」


 ミナは短く言った。


 その声は、少し震えていた。


 怖いのだ。


 当然だ。


 今日、決める。


 赤ゴブリンと。


 食料と。


 自分たちの限界と。


 相沢は広場を見た。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 この板を、今日の最後まで残せるか。


 それが、村の勝ち方だった。

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