第八十八話 置き場所
【土曜日 10:58/広場中央】
広場に、人が集まり始めた。
村人。
避難民。
動ける者だけ。
怪我人と熱のある者は、治療所に残した。
子供も、全員は呼ばない。
泣き声や不安が混ざると、話し合いにならなくなる。
それでも、空気は重かった。
村人側は、食料を見ている。
避難民側は、村人の顔を見ている。
誰も、はっきり敵意を出してはいない。
だが、距離がある。
受け入れた側。
受け入れられた側。
同じ広場に立っているのに、足元の土が少し違うようだった。
相沢は木箱に座っていた。
リリアに座らされた。
ミナに見張られている。
マルタにも見られている。
逃げ場はない。
村長が前に立つ。
「避難してきた方々を、我々はすでに受け入れております」
静かな声だった。
「その決定を変えるための話ではありません」
広場が少しだけ揺れた。
避難民側の何人かが息を吐く。
村人側の何人かは、表情を硬くした。
村長は続ける。
「ですが、日が経てば、足りないところも見えてきます。寝る場所。食料。水。仕事。困った時に誰へ言うか」
ミナが板の前に座っている。
寝床。
袋。
水。
手。
声。
五つの印。
相沢は、それを見て頷いた。
多すぎない。
少なすぎない。
今はこれでいい。
「受け入れたからこそ、決め直すことがあります」
村長が言った。
その言葉で、広場の空気が少し変わった。
誰かを責める言葉ではない。
だが、甘い言葉でもない。
相沢は内心で、いい言い方だと思った。
◇
【土曜日 11:04/広場中央】
最初は寝床だった。
避難民は、ここ数日、治療所近くと倉庫横に分かれて休んでいた。
だが、仮のままだった。
そのまま続けるには無理が出ている。
「倉庫の横は駄目だよ」
マルタが即座に言った。
「夜に人が動く。食料の近くに知らない足音があるだけで揉める」
避難民側の若い男が顔を上げる。
「盗むと思ってるのか」
空気が張った。
マルタは動じない。
「思われる場所に寝るなと言ってるんだよ」
「同じだろ」
「違う」
マルタの声が少し低くなった。
「盗むかどうかじゃない。疑いが出る場所に置くなって話だ」
若い男が口を閉じきれずにいる。
ハルトが一歩前に出た。
「やめろ」
「でも」
「やめろ。倉庫横は駄目だ」
「ハルトさん」
「俺たちが困る」
若い男が黙った。
村人側も黙った。
ハルトは続ける。
「疑われる場所で寝るのは、こっちもしんどい。夜中に誰かが水に行くだけで見られる。そんな場所は要らない」
相沢は、ハルトを見た。
いい。
村人側に合わせただけではない。
避難民側が傷つかない場所を選んでいる。
村長が頷く。
「では、倉庫横は外します」
ミナが倉庫の印に斜線を入れた。
「治療所の近くは」
リリアが言った。
「熱のある方と、足の傷が深い方は近くが良いです。ただし、全員が近くにいると、夜に人の出入りが増えます」
「病人だけ」
相沢が言う。
「はい。付き添いは一人まで」
リリアは迷わず言った。
「それ以上は、治療の邪魔になります」
相沢は頷く。
村長が板を見る。
「残りは」
ガンツが腕を組んで言った。
「南の空き小屋だな」
村人の一人が顔をしかめた。
「あそこは、冬用の薪を置く場所だ」
「今は人が先だ」
「薪も要る」
「分かってる」
ガンツの声は荒くない。
だが、前に立つ声だった。
「だから、全部出すんじゃねぇ。半分だけ移せ。小屋の奥を薪。手前を人。入口は開ける。火は置くな」
相沢は少し驚いた。
ガンツが運用を言っている。
前を止めるだけではない。
場所を見ている。
村長が相沢を見る。
相沢は頷いた。
「南の空き小屋を仮の寝床。病人は治療所近く。倉庫横は使わない」
ミナが印を置く。
寝床の横に、南。
治療所。
倉庫に斜線。
話が一つ、形になった。
◇
【土曜日 11:19/広場中央】
次は水だった。
井戸の印の前に、ハルトが立つ。
腕は吊っている。
だが、声は通る。
「水は残ってる。でも、好きに汲ませたら足りなくなる」
避難民側の女が言った。
「子供に水を飲ませたい」
「飲ませるなとは言ってない」
ハルトはそちらを見た。
「飲む水と、洗う水を分ける」
相沢は黙って聞いた。
ハルトが自分で言うなら、それがいい。
「治療所の水はリリアが決める。火の水は村側が決める。飲み水は井戸前で分ける。洗うのは、今は我慢する」
避難民側がざわつく。
「子供の顔くらい」
「我慢だ」
ハルトの声は硬い。
だが、乱暴ではない。
「水は顔をきれいにするためじゃなく、生きるために先に使う」
その言葉で、誰かが口を閉じた。
前の村で水場にいた男の声だった。
相沢は小さく息を吐く。
ハルトは、置かれた。
今、確かにそこにいる。
村長が聞く。
「井戸の役は、ハルトに続けてもらえますか」
ハルトは少し眉を動かした。
「ああ。井戸は見る」
「一人ではなく」
相沢が言った。
ハルトがこちらを見る。
「分かってる。避難民から一人。村から一人。俺は重い桶を持たない」
「よし」
「その代わり、順番は俺が見る」
「それでいい」
ミナが井戸の印の横に三つの小さな点を置いた。
ハルト。
避難民一人。
村人一人。
井戸が、場所ではなく役になった。
◇
【土曜日 11:33/広場中央】
食料の話になると、空気がさらに重くなった。
全員が分かっている。
ここが一番揉める。
マルタが前に出た。
「食料は増えてない」
最初の一言から、逃げ道がなかった。
「まず、そこを間違えるんじゃないよ」
マルタは倉庫の方を顎で示した。
「村だけなら、まだ何とかなった。各家にも少しはある。倉庫にも、冬や不作に備えた袋がある。森に入れば、木の実も根もある。罠もある」
避難民側の何人かが、黙って聞いていた。
村人側も、誰も口を挟まなかった。
普段なら、それで回っていた。
豊かではない。
だが、足りないなりに、古い袋から開け、湿ったものを避け、子供や病人に回し、足りない分は森や畑で補ってきた。
そういう村だった。
「でも、今は違う」
マルタの声が少し低くなった。
「人が増えた。森には入れない。火で湿った袋もある。焦げた袋もある。何より、みんな腹だけじゃなく、頭も減ってる」
「頭?」
ミナが聞いた。
「考える力だよ」
マルタは短く言った。
「腹が減って、寝てなくて、怖いものが森にいる。そういう時に倉庫を開けると、普段ならしない間違いをする」
相沢は黙って聞いていた。
その言葉は、よく分かった。
展示会の最終日と同じだ。
疲れた人間は、小さい字を読まない。
疲れた人間は、置き場所を守れない。
疲れた人間は、目の前の箱を開ける。
ここでは、それが袋になる。
食料になる。
命になる。
「飯は、食う前に減ることがある」
マルタが言った。
「湿って、こぼれて、混ざって、間違えてね」
広場が静かになった。
相沢は、机の上に置いた透明な袋とラベルを思い出す。
食料を増やすためではない。
守るため。
日本で書いたその一文が、ようやく村の言葉になった気がした。
「今朝数えた」
マルタは続ける。
「無事な袋は七つ。湿った袋が二つ。焦げた袋が一つ。開けた袋は半分。病人用に分けた分が一つ」
ミナが袋の印を置く。
七。
二。
一。
半分。
小袋。
村人の何人かが、数字を見て顔をしかめた。
避難民側も同じだった。
「受け入れた以上、食わせる。だが、好きに食わせたら全員で倒れる」
避難民の若い男が言う。
「俺たちは少なくていい」
ハルトが即座に振り向いた。
「勝手に決めるな」
「でも」
「少なくていいなんて言うな。動く奴が倒れる」
若い男は黙る。
ハルトは相沢を見た。
「少なくすればいい話じゃないんだろ」
「そう」
相沢は頷いた。
「少なくするだけだと、動ける人から倒れる。配り方を決める」
マルタが椀を持ち上げた。
「病人。子供。見張り。力仕事。普通。この順に椀の量を変える」
村人側から声が出た。
「避難民の子供も、うちの子と同じか」
広場が止まる。
言った男も、言ってから後悔した顔をした。
だが、出た。
出す場所を作ると言った以上、止めるだけでは駄目だ。
相沢は口を開きかけた。
その前に、ハルトが言った。
「同じでいい」
全員がハルトを見る。
ハルトは村人の男を見返した。
「子供の腹に、村の違いはない」
静かだった。
怒鳴らなかった。
だから効いた。
男は目を逸らした。
「……そうだな」
短い返事だった。
だが、返事だった。
マルタが鼻を鳴らす。
「じゃあ決まりだ。子供は同じ。病人はリリアが決める。見張りは減らしすぎない。力仕事も減らしすぎない。文句があるなら、私に言いな」
「マルタさん一人に集めると詰まります」
相沢が言った。
マルタが睨む。
「じゃあ誰に言うんだい」
「食料の不満はマルタさん。避難民側の事情はハルト。病人はリリア。最終判断は村長」
ミナが声の印を四つに分ける。
食料。
避難民。
病人。
村長。
マルタは少し考え、頷いた。
「まあ、それならいい」
◇
【土曜日 11:51/広場中央】
仕事の話に移った。
これは、思ったより荒れた。
村人側は、避難民に何ができるのか疑っている。
避難民側は、役に立てないと思われることに苛立っている。
ハルトが前に出る。
「動けるのは七人。ただし、全員疲れてる。昨日村を焼かれて逃げてきたわけじゃない。けど、日が経ったから疲れが消えたわけでもない」
広場が静かになる。
ハルトは続けた。
「慣れない場所で寝て、慣れない顔を見て、何をしていいか分からないまま座ってる。あれはあれで削れる」
村人側の一人が言った。
「それは村も同じだ」
ハルトは頷いた。
「同じだ。だから、重い仕事を今すぐ押しつけるな。倒れる」
「じゃあ何ができる」
「井戸の見張り。火の見張り。子供を見る。湿った袋を広げる場所の見張り。薪の移動は軽い分だけ」
相沢は板を見る。
仕事が、具体になっている。
いい。
抽象的な「手伝う」は揉める。
具体の役に落とせば、動ける。
「避難民だけで固めない方がいい」
相沢が言った。
村長が頷く。
「村人と組にする、ということですな」
「はい。避難民だけにすると、別の村になります。村人だけだと、受け入れた意味が薄い」
ミナが手の印を二つ並べる。
村人。
避難民。
組。
「でも、合わない人もいる」
ミナが言う。
「合わない組は変える」
「誰が決める?」
「最初は村長とハルト。現場はそれぞれの役が見る」
ハルトがこちらを見る。
「俺もか」
「避難民側の動ける人を一番知ってる」
「……分かった」
ガンツが腕を組んで言った。
「北に避難民は出すな」
避難民側の若い男が反応する。
「俺たちを信用してないのか」
「違う」
ガンツは即答した。
「北は、森を知らねぇ奴が立つと死ぬ」
場が静まる。
「村人でも、知らねぇ奴は立たせねぇ。今の北は、俺とダリオと、森を見られる奴だけだ」
ダリオは広場の端にいた。
弓を持ったまま、森側を見ている。
話し合いの中心には入らない。
だが、聞いている。
若い男は口を閉じた。
ガンツの言い方には、差別ではなく現場の線引きがあった。
相沢は頷く。
「北は例外。命に直結する場所は、慣れた人だけ」
ミナが北の印に斜線ではなく、太い丸をつけた。
特別。
そう見える印だった。
◇
【土曜日 12:08/広場中央】
最後に、「声」の話になった。
ここが一番、形にしにくい。
寝床も、水も、食料も、仕事も、場所や量で見える。
不満は見えない。
見えないものは、放置すると膨らむ。
「困ったことがあれば、まず誰に言うかを決めます」
相沢が言った。
村人たちは少し戸惑っている。
避難民側も同じだった。
文句を言う場所を作る。
それは、ここでは馴染みが薄い。
村では、不満は近い者に漏れる。
漏れた不満は、広がる。
広がってから、揉める。
「食料はマルタさん」
「水はハルト」
「病人はリリア」
「寝床は村長」
「仕事は、それぞれの役の人」
ミナが板に印を置いていく。
マルタが眉をひそめる。
「全部私に来ないのは助かるね」
「全部来たら詰まります」
「私は井戸じゃないよ」
「井戸も詰まると困ります」
ハルトが小さく鼻で笑った。
その反応で、少し空気が緩んだ。
だが、村人の一人が言った。
「不満を言った者は、罰せられるのか」
相沢は首を振った。
「言っただけでは罰しない。ただし、勝手に取る、隠す、殴る、火や水の役を乱す。それは別です」
村長が頷く。
「言う場所を作る代わりに、勝手な行動は止める」
「はい」
ハルトが低く言う。
「避難民にも言っておく。勝手に動くな。何かあれば俺に言え」
マルタが続ける。
「食い物に手を出すな。欲しいなら言いな。出せるとは限らないが、勝手に触るよりはましだ」
リリアも言う。
「薬と水は、私に言ってください。必要な人を先にします」
少しずつ、声の道ができていく。
広場の真ん中に、見えない通路が引かれていくようだった。
◇
【土曜日 12:27/広場中央】
話し合いは、完全な納得では終わらなかった。
それでいい。
完全な納得など、今の村にはない。
だが、決まった。
南の空き小屋を避難民の仮寝床にする。
病人と付き添い一人は治療所近く。
倉庫横には寝かせない。
水は井戸で分ける。
飲み水、治療所、火、粥。
洗う水は後回し。
食料は、病人、子供、見張り、力仕事、普通の順で量を調整する。
子供は村人も避難民も同じ。
仕事は村人と避難民を組にする。
北だけは慣れた者に限定する。
不満は、場所ごとの役に言う。
勝手に動かない。
勝手に取らない。
勝手に配らない。
ミナが板を見て、息を吐いた。
「多い」
「多いな」
相沢も認めた。
「でも、全部いる?」
「今はいる」
「あとで減らせる?」
「減らす」
「絶対?」
「努力する」
「信用できない」
「そこは信用してくれ」
ミナは少し笑った。
だが、すぐに板を見直した。
「見る板と、残す板に分けるんだよね」
「ああ」
「じゃあ、これは残す板?」
「そう。広場に置く見る板は、もっと減らす」
「何を残す?」
相沢は、広場用の板を見る。
寝床。
水。
食料。
仕事。
声。
五つでも多い。
だが、今日は五ついる。
「今日はこの五つ。夜になったら、火と水と呼ぶに戻す」
「戻すんだ」
「夜に全部見ると迷う」
「朝は多くて、夜は少なく」
「そう」
ミナは頷いた。
「分かった」
相沢は、そこで少し息を吐いた。
息を吐いた瞬間、疲れが戻ってくる。
リリアがこちらを見た。
「アイザワ殿」
「座ってます」
「横になってはいません」
「厳しい」
「厳しくしています」
反論できなかった。
◇
【土曜日 12:41/広場中央】
人が散り始めた。
南の空き小屋へ向かう者。
井戸へ戻る者。
倉庫へ向かう者。
治療所へ行く者。
それぞれの場所へ、少しずつ流れていく。
完全に滑らかではない。
途中で止まる者もいる。
顔をしかめる者もいる。
だが、広場で固まったままではない。
動き始めている。
ハルトが避難民側の若い男を呼び止めた。
「お前は井戸じゃない。南の小屋だ」
「俺も水を」
「水は足りてる。小屋の薪を半分動かせ。重いのは持つな」
「それくらい」
「重いのは持つな。倒れたら邪魔だ」
マルタと同じ言い方だ。
相沢は少し笑いそうになった。
言い方は荒い。
だが、運用になっている。
若い男は不満そうにしながらも、南へ向かった。
ハルトはそれを見届け、井戸へ戻る。
守られるだけの顔ではない。
水場を任されてきた大人の顔。
そこに、避難民側の声を出す者の顔が少し重なっていた。
◇
【土曜日 12:55/北柵】
北から、短い笛の音がした。
広場が止まりかける。
ミナが板の前で声を出した。
「広場、そのまま!」
前より早い。
人が完全には止まらない。
動くべき人だけが北を見る。
相沢も立ちかけた。
リリアの視線が刺さる。
座り直した。
少し遅れて、ダリオが広場の端に現れた。
弓を持っている。
走ってはいない。
だが、足は速い。
「片目」
ダリオが短く言った。
広場の空気が変わる。
ガンツも北から戻ってくる。
「どこだ」
相沢が聞く。
ダリオは森を指さない。
代わりに、広場の板を見る。
「南の小屋を見る位置にいる」
相沢は息を止めた。
南の空き小屋。
今、避難民の仮寝床に決めた場所。
そこを見ている。
偶然ではない。
「近いのか」
ガンツが聞く。
「近くはない」
「撃てるか」
「撃てる」
「なら撃つか」
「まだ撃たない」
ガンツが目を細める。
「なぜだ」
「あれは、見せてる目だ」
ダリオは森を見たまま言った。
「本体は、もう少し奥にいる」
広場が静まる。
相沢は、ダリオを見る。
弓を持つ男。
だが、弓を撃つ男ではない。
森を見る男。
先に気づく男。
相沢は低く言った。
「見る場所を変えるな」
ミナがすぐ反応する。
「広場はそのまま。南の小屋も作業続けて!」
「井戸も止めるな」
ハルトが言う。
「倉庫も閉めないよ」
マルタが言う。
役が返す。
村が止まらない。
片目は、見ている。
だが、見られている側も、崩れない。
ダリオが弓を少し上げた。
弦はまだ引かない。
「もう少し近づく」
ダリオが言った。
「なぜ分かる」
ガンツが聞く。
「知りたいからだ」
「何を」
「この村が、今決めた形で本当に動くか」
その言葉で、相沢の背筋が冷えた。
片目は、ただ見ているだけではない。
村の新しい配置を読もうとしている。
寝床。
水。
食料。
仕事。
声。
今決めたばかりの置き場所を、森の奥から見ている。
相沢は朝の板を見る。
改善した。
だが、見られた。
小さく進んだ。
だが、敵もそこを見ている。
ダリオは森から目を離さない。
「まだ撃たない」
静かな声だった。
その声が、広場の誰よりも冷えていた。
昼の光の下で、森だけが暗かった。




