第八十四話 売場を見る人
【木曜日 6:34/東京・ビジネスホテル】
目覚ましより先に、スマホが震えた。
相沢は目を開ける。
部屋はまだ薄暗い。
カーテンの隙間から、東京の朝の光が細く入っている。
ホテルの空調が低く鳴っていた。
スマホを見る。
七瀬からだった。
『今日、午後に伺います。倒れてませんか』
まだ朝だ。
食品チーフの朝は早い。
売場も早い。
相沢は返信を打つ。
『まだ倒れてません』
少し考えて、消す。
『起きています。会場でお待ちしています』
送信。
すぐに既読がついた。
『朝ごはんもお願いします』
相沢は少しだけ笑った。
起きた直後から食事確認。
現代側のオカンは、得意先にいた。
相沢はベッドから起き上がる。
肩が重い。
足も痛い。
喉も少し枯れている。
展示会初日を越えた体は、異世界の戦闘後に近かった。
ただし、傷はない。
血もない。
焦げた匂いもない。
あるのは、スーツの皺と、足の裏の痛みと、名刺の束だった。
「現代の怪我は見えにくいな」
相沢は呟いた。
小さな冷蔵庫から水を取る。
飲む。
それから、昨夜買っておいたパンを食べる。
食欲は薄い。
でも、食べる。
食べないと動けない。
動けないと、現場が止まる。
その考え方がもう、少しおかしい。
だが、便利だった。
◇
【木曜日 8:26/東京・展示会場 自社ブース】
二日目の会場は、初日より静かに始まった。
だが、静かなのは開場前だけだった。
ブース裏には、昨日の疲れが残っている。
減った資料。
補充された試食品。
名刺の束。
ゴミ袋。
ぬるい水。
少し曲がったPOP。
誰かが置きっぱなしにしたペン。
相沢はそれを見る。
昨日の終わりが、今日の始まりを汚している。
村でも同じだった。
焦げた柵。
湿った袋。
減った水。
怪我人。
勝ったように見えても、残るものは残る。
「朝の確認をします」
相沢が言うと、若手がすぐホワイトボードの前に立った。
「昨日の続きですね」
「ああ」
「試食、資料、水、ゴミ、名刺」
「あと、D店」
「午後ですよね」
「午後」
若手がホワイトボードに書く。
試食。
資料。
水。
ゴミ。
名刺。
D店。
相沢はその文字を見る。
火、水、呼ぶではない。
だが、今日見るべきものが並んだ。
「D店さん、そんなに重要ですか」
「重要だ」
「大口?」
「それもある」
「それ以外も?」
「売場に出した後を見てる人だからな」
若手は少し考える。
「展示会で良く見えても、売場で回らなかったら意味ないってことですか」
「そう」
「怖いですね」
「怖い」
相沢は即答した。
七瀬は得意先だ。
だが、それだけではない。
相沢の提案が、本当に売場で動くかを見る人だ。
商品だけでなく、導線も。
試食も。
廃棄も。
補充も。
現場で無理が出ないか。
そこを見る。
ごまかしが効かない。
◇
【木曜日 10:14/東京・展示会場】
二日目の客足は、午前から重かった。
初日で様子を見た得意先が、今日は具体的な話を持ってくる。
価格。
ロット。
販促条件。
試食販売。
棚割。
導入時期。
物流。
説明が細かくなる。
細かくなるほど、詰まる。
「その価格表、最新版ですか」
「最新版です」
「賞味期限は?」
「常温で六か月です」
「冷蔵品との同時展開は?」
「可能ですが、売場導線は分けた方がいいです」
「導線?」
「試食と冷蔵ケースの補充がぶつかると、夕方に詰まります」
相手のバイヤーが少し目を上げる。
「そこまで見るんですね」
「見ないと、店の人が困ります」
言ってから、相沢は自分で少し驚いた。
店の人が困る。
昔なら、売れるかどうかを先に言った。
今は、売場が詰まるかどうかを先に見ている。
食品メーカー営業としては、悪くない。
だが、何かが変わっている。
バイヤーは資料を見ながら頷いた。
「現場目線ですね」
「得意先に鍛えられてますので」
「どちらの?」
相沢は一瞬だけ黙る。
「D店さんです」
そう答えた。
◇
【木曜日 12:06/東京・展示会場 自社ブース裏】
昼はまた弁当だった。
昨日と似た弁当。
白飯。
肉。
魚。
小鉢。
漬物。
冷めている。
十分すぎる。
相沢は箸を割る。
食べる。
黙って食べる。
昨日よりは、止まらなかった。
慣れたわけではない。
止まっている暇がないだけだ。
「相沢さん」
若手が隣でパンを食べながら言った。
「何」
「昨日より顔ましです」
「それは褒めてるのか」
「褒めてます」
「なら受け取る」
「でも、目は怖いです」
「それは褒めてないな」
「半分くらいは」
若手は水を飲む。
「午後、D店さん来たら、自分も横にいていいですか」
「なぜ」
「売場目線っていうの、聞きたいです」
相沢は少しだけ若手を見る。
昨日までは、ただ作業を振られる側だった。
今は、見ようとしている。
その変化は小さい。
だが、悪くない。
「邪魔しないなら」
「しません」
「メモは取れ」
「はい」
若手はすぐノートを出した。
早い。
少しだけ、村の記録係のことを思い出した。
誰が、何を、どこに残すか。
記録は、次の自走になる。
◇
【木曜日 13:47/東京・展示会場 入口付近】
七瀬は、予定より少し早く来た。
展示会場の入口に、D店の名札を下げて立っている。
白い作業着ではない。
今日は黒いジャケット。
だが、食品チーフの顔だった。
売場を見る人の目。
相沢は入口まで迎えに行った。
「本日はありがとうございます」
営業の声が出る。
七瀬は少しだけ会釈した。
「こちらこそ。食品スーパーD店の七瀬です」
完全に仕事の顔だった。
その目が、次の瞬間、相沢の顔を見た。
「……立ってますね」
「第一声、それですか」
「確認です」
「立ってます」
「食べました?」
「食べました」
「水は?」
「飲みました」
「信用は?」
「六割でしたっけ」
「昨日の話です。今日は七割にしておきます」
「上がった」
「立ってるので」
相沢は少しだけ笑った。
だが、すぐに営業の顔に戻す。
「ブースへご案内します」
「お願いします」
七瀬は歩きながら、通路を見る。
他社ブース。
試食品。
人の溜まり。
パンフレットの置き方。
ゴミ箱。
導線。
相沢は横でそれを見ていた。
やはり見ている。
商品ではなく、売場に置いた後のことを。
◇
【木曜日 13:56/東京・展示会場 自社ブース】
自社ブースに着くと、若手がすぐ姿勢を正した。
「食品スーパーD店の七瀬様です」
相沢が紹介する。
「本日はよろしくお願いいたします」
若手が頭を下げる。
「よろしくお願いします」
七瀬は穏やかに返し、すぐブース全体を見た。
試食台。
POP。
資料棚。
冷蔵サンプル。
補充動線。
ゴミ箱。
水の置き場。
説明員の立ち位置。
見る順番が、相沢とは少し違う。
だが、見ている範囲は近い。
「試食台、通路から少し引いてるんですね」
「はい」
「目立ちは少し落ちますけど、詰まりにくい」
「その判断です」
「D店の平台でも、この置き方の方がいいかもしれません」
若手がメモを取る。
相沢は七瀬を見る。
「目立ちにくくないですか」
「POPで引けるなら、通路を潰すよりましです」
「同じこと言いました」
「でしょうね」
七瀬は少しだけ笑った。
その笑いが、昨日から張っていたものを少し緩める。
相沢は資料を出す。
「D店用の展開案です」
「見ます」
七瀬は資料を受け取った。
その手は早い。
読むのも早い。
相沢の会社の上司より、よほど売場の具体が見えている。
「三連休の試食販売」
七瀬が言う。
「日曜か祝日で提案しています」
「土曜は人が足りません」
「聞いています」
「日曜なら、午後が強いです。午前は客数はありますが、青果と惣菜が混みます」
「試食台は冷蔵平台横ではなく、通路奥?」
「そうですね。ただ、奥すぎると見えません」
七瀬は資料にペンで印をつける。
「ここ」
「惣菜側に寄せる?」
「少しだけ。匂いの流れに乗せます」
「匂い」
「食品は匂いです。目だけで止まりません」
相沢は黙った。
匂い。
村の粥。
塩。
焦げた袋。
薄い粥に、だしの匂いが少し入ったら。
何人が顔を上げるだろう。
「相沢さん?」
「すみません」
「今、売場じゃないもの見てましたね」
鋭い。
相沢は資料を見る。
「匂いは大事だなと思って」
「大事です」
七瀬はあえて、それ以上聞かなかった。
その代わり、売場図へ線を引く。
「ただし、匂いで寄せても、詰まらせたら終わりです」
「はい」
「試食を取った人が、どこで立ち止まるかを作った方がいいです」
「逃げ道を残す」
「そうです」
若手が小さく呟いた。
「売場も戦場ですね」
七瀬がそちらを見る。
「戦場ではないです。でも、混むと荒れます」
「すみません」
「いえ。たぶん近い感覚です」
七瀬はもう一度、ブースを見る。
「このブース、補充の道が残ってるので回しやすいですね」
その言葉で、相沢は少しだけ息を吐いた。
売場を見る人に、回しやすいと言われた。
それは、かなり効いた。
◇
【木曜日 14:32/東京・展示会場 自社ブース】
七瀬への商品説明が始まった。
味。
価格。
ロット。
納期。
販促条件。
試食販売。
競合品。
棚位置。
すべて現代の話だ。
それなのに、相沢の頭は時々、村へ引っ張られる。
「この乾物系の商品、戻し時間は?」
七瀬が聞く。
「常温水で約五分です」
「店頭試食なら、事前戻しですね」
「はい。売場で戻すと水回りが詰まります」
「水回り」
七瀬が少し反応する。
「相沢さん、水回りに敏感ですね」
「最近、少し」
「店舗でも水場は詰まりますよ。試食販売で一番地味に困るの、そこです」
「ですよね」
「水、捨てる場所。手を洗う場所。布巾を置く場所。全部決めておかないと、販売員が迷います」
七瀬は資料に書き込む。
水。
捨て場。
布巾。
補充。
それを見て、相沢は思う。
やはり、同じだ。
井戸。
桶。
濡れ布。
火。
水を使う場所が決まっていないと、人は迷う。
迷うと、詰まる。
「相沢さん」
「はい」
「今の話、展示会用にも残した方がいいです」
「展示会用?」
「他の営業さんが試食販売するとき、同じところで詰まります」
七瀬は売場図の端に小さく書いた。
水回り確認。
補充位置。
立ち止まり位置。
「これ、営業資料に入れた方がいいです」
相沢は少し黙った。
残す。
誰かが次に見て使える形にする。
七瀬は、当たり前のようにそれを言う。
「……そうですね」
「何ですか」
「いや」
「顔」
「またですか」
「今のは、少し良い顔でした」
「良い顔とは」
「仕事を減らす仕事を見つけた顔です」
相沢は返事に詰まった。
たぶん、合っている。
◇
【木曜日 15:08/東京・展示会場 休憩スペース】
商談が一段落し、七瀬が少し休憩を取ることになった。
相沢も同行する。
若手はブースに残った。
「本当に休んでいいんですか」
相沢が言う。
「私が言う台詞です」
「得意先を放っておくわけには」
「相沢さんが倒れたら、そっちの方が面倒です」
「面倒」
「はい。面倒です」
言い方が、リリアに似ている。
困ります。
面倒です。
責めるより効く。
休憩スペースの端で、七瀬はペットボトルのお茶を買った。
相沢にも水を渡す。
「飲んでください」
「買ってくれたんですか」
「経費にしません」
「そういう問題では」
「そういう問題です。飲んでください」
相沢は受け取る。
水を飲む。
七瀬はそれを確認してから、自分のお茶を開けた。
「相沢さん」
「何ですか」
「昨日から、時々ここにいない顔をします」
相沢は黙った。
会場の音が遠くなる。
人の声。
足音。
アナウンス。
紙袋の擦れる音。
「寝不足です」
「それだけじゃないです」
「展示会疲れ」
「それもあると思います」
「月曜から詰まってるので」
「それも聞きました」
七瀬はペットボトルを両手で持つ。
「説明できないことなら、今は聞きません」
昨日と同じ言葉だった。
だが、今日は少し違った。
「でも、食べ物を見る目が変わった理由と、たぶん同じですよね」
相沢は答えなかった。
答えないことが、答えに近かった。
七瀬は小さく息を吐く。
「食品を扱う人間としては、悪い変化じゃないと思います」
「そうですか」
「はい。でも、人間としては、ちょっと危ないです」
「厳しいですね」
「食品チーフなので」
「それ、便利ですね」
「便利に使ってます」
七瀬は少し笑った。
その笑いは、売場ではなく、休憩室の七瀬だった。
「相沢さんが何を抱えてるのかは分かりませんけど」
「はい」
「食べることまで仕事にしないでください」
相沢は水のペットボトルを見る。
「難しいですね」
「難しいんですか」
「最近、難しいです」
「じゃあ、せめて残さず食べるのはいいとして、食べる時くらい座ってください」
相沢は少し笑った。
「座る」
「はい」
「水飲む」
「はい」
「走らない」
「展示会場ではできれば走らないでください」
「呼ぶ」
「人を呼んでください。一人で全部やらない」
相沢は七瀬を見る。
火。
水。
呼ぶ。
現代語に直されて戻ってきた。
「七瀬さん」
「はい」
「それ、かなり正しいです」
「でしょうね」
七瀬は得意そうではなかった。
ただ、当然のこととして言った。
◇
【木曜日 16:01/東京・展示会場 自社ブース】
七瀬が帰る前に、もう一度ブースを見た。
相沢の会社の商品。
試食台。
資料棚。
補充導線。
人の流れ。
七瀬はメモを閉じる。
「D店としては、日曜午後で試食販売を前向きに検討します」
「ありがとうございます」
「ただし、販売員一人では厳しいです。補充役を一人つけるか、補充量を小分けにしてください」
「小分けにします」
「店の水場を使うなら、事前に惣菜側と調整が必要です」
「確認します」
「POPは通路側、試食台は半歩内側」
「はい」
「匂いは惣菜側へ流す。ただし、客を止める場所を作る」
「はい」
七瀬は相沢を見る。
「あと、相沢さんは当日、無理しない」
「それはD店の条件ですか」
「食品チーフの条件です」
「公私混同では」
「体調を崩した営業に店頭に立たれると困ります」
「業務上ですね」
「業務上です」
七瀬は少しだけ笑った。
相沢も笑った。
その時、若手が小声で言った。
「相沢さん」
「何」
「売場目線、すごいですね」
相沢は七瀬を見る。
七瀬は少しだけ肩をすくめた。
「売場は、売って終わりじゃないので」
その一言が、相沢に刺さった。
売って終わりじゃない。
助けて終わりじゃない。
防衛して終わりじゃない。
朝が来ても、その後がある。
食料を数える。
水を見直す。
怪我人を見る。
避難民を受け入れる。
村を回す。
相沢は深く頷いた。
「本当に、そうですね」
七瀬は少しだけ目を細めた。
何かに気づいた顔だった。
だが、聞かなかった。
◇
【木曜日 17:22/東京・展示会場 入口】
七瀬を入口まで送った。
会場の外は、少し空気が軽い。
だが、人の流れはまだ多い。
七瀬は名札を外しながら言った。
「明日までですか」
「はい。金曜が最終日です」
「その後、三連休ですね」
「はい」
「休めます?」
相沢は答えられなかった。
普通なら、休めると言う。
しかし、土日祝は異世界へ戻る可能性がある。
戻れるかどうかも、完全には分からない。
戻れたら、休みではない。
戻れなければ、それはそれで村が分からない。
「たぶん、休めないです」
相沢は言った。
七瀬は少し黙った。
「仕事ですか」
「仕事ではないです」
「じゃあ、何ですか」
「説明できないです」
「そうですか」
七瀬はそれ以上聞かなかった。
代わりに、鞄から小さな袋を出した。
「これ」
「何ですか」
「飴です。店の試食用に余ったサンプルじゃなくて、普通に買ったやつです」
「なぜ」
「顔が危ないので」
「また顔」
「あと、子供にも配れそうな顔をしてたので」
相沢は手を止めた。
七瀬は、しまったという顔をした。
「すみません。変な言い方でした」
「いえ」
相沢は飴の袋を見る。
個包装。
小さい。
軽い。
分けやすい。
まさに、考えていたものだった。
「助かります」
「営業さんに飴渡す得意先って、どうなんでしょうね」
「かなり珍しいです」
「ですよね」
「でも、助かります」
相沢はもう一度言った。
七瀬は少しだけ頷く。
「食べるなら食べてください。配るなら、ちゃんと考えて配ってください」
相沢は七瀬を見る。
配るなら、ちゃんと考えて配る。
マルタみたいなことを言う。
だが、七瀬らしい言い方だった。
「分かりました」
「その返事は、少し信用できます」
「少しだけですか」
「七割くらいです」
「上がった」
「水を飲んでたので」
七瀬は出口へ向かう。
途中で振り返った。
「相沢さん」
「はい」
「売場でも、どこでも、全部一人で回そうとしないでください」
相沢は返事を探した。
すぐには出なかった。
「……気をつけます」
「それでいいです」
七瀬は会場の外へ出ていった。
人の流れに混ざる。
黒いジャケットの背中が、少しずつ遠くなる。
相沢は飴の袋を握ったまま、しばらく立っていた。
◇
【木曜日 18:36/東京・展示会場 自社ブース】
二日目が終わった。
ブースには、初日より濃い疲れが残っていた。
だが、昨日より混乱は少なかった。
水の位置。
ゴミの位置。
補充の位置。
触らない資料。
人の立つ場所。
それが残っていたからだ。
「相沢さん」
若手が言った。
「D店さんのメモ、共有していいですか」
「いい」
「明日の朝、ホワイトボードに残します」
「ああ」
相沢は頷く。
残す。
また一つ、残った。
七瀬の売場目線。
若手のメモ。
明日の朝に使える形。
気持ちがいい。
だが、安心はできない。
明日は最終日。
展示会後の片付け。
大阪へ戻る。
三連休前の買い物。
そして、土曜。
戻れるかもしれない。
相沢は鞄の中の飴を見る。
七瀬から受け取った袋。
現代の得意先から渡されたものが、異世界の子供の顔へつながっている。
おかしい。
だが、もうおかしいことには慣れてきた。
◇
【木曜日 21:18/東京・ビジネスホテル】
ホテルに戻ると、相沢は机に飴の袋を置いた。
乾燥わかめ。
ラベル。
油性ペン。
飴。
少しずつ、村へ持っていくものが増えている。
まだ足りない。
袋。
塩。
計量スプーン。
乾燥野菜。
だしの素。
食品用ラップ。
ポリ袋。
大阪に戻ってから買うしかない。
金曜の夜。
展示会最終日後。
新幹線で大阪へ戻り、そのまま買い物。
考えただけで疲れる。
だが、土曜が来る。
土曜は待ってくれない。
相沢はノートを開いた。
今日、七瀬が言った言葉を書く。
売って終わりじゃない。
水場。
補充。
立ち止まり位置。
配るなら考えて配る。
一人で回そうとしない。
相沢はペンを止めた。
最後の一文が、妙に重い。
一人で回そうとしない。
村でも。
展示会でも。
売場でも。
それが一番難しい。
スマホが震えた。
七瀬からだった。
『今日はありがとうございました。無事ホテルに戻りましたか』
相沢は返信する。
『戻りました。飴もありがとうございます』
『食べる用ですよ』
相沢は少し考える。
『一部は、別の用途になるかもしれません』
送ってから、しまったと思った。
曖昧すぎる。
七瀬から少し間を置いて返ってきた。
『その別の用途が、相沢さんを少し楽にするならいいです』
相沢は画面を見た。
楽。
楽ではない。
たぶん、余計に重くなる。
でも、何もないよりはいい。
『たぶん、少し助かります』
送信。
七瀬から返ってくる。
『じゃあ、ちゃんと寝てください』
相沢は小さく笑った。
ちゃんと寝る。
現代では簡単に聞こえる。
異世界では、難しい。
今の相沢にとっても、難しい。
『寝ます』
送る。
スマホを伏せる。
相沢は机の上を見る。
展示会の資料。
村への持ち込み品。
七瀬の飴。
全部が同じ机にある。
分けたはずなのに、混ざっている。
相沢はそれらを二つに分け直した。
展示会。
村。
その間に、飴の袋だけが残った。
どちらにも属していた。
相沢はしばらく見ていた。
そして、飴を村側に置いた。
明日は金曜。
展示会最終日。
その夜、大阪へ戻る。
その次は、三連休。
戻れるかもしれない。
そして、もし戻れたなら。
村が朝を迎えたかどうかを、ようやく見られる。
相沢は電気を消した。
暗い部屋の中で、飴の袋だけが、街の光を少し反射していた。




