表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
78/110

第七十八話 残す仕事

【日曜日 16:03/広場中央】


 日が傾き始めていた。


 まだ夕方ではない。


 だが、朝の光ではなかった。


 村の影が、少しずつ伸びている。


 井戸の影。


 倉庫の影。


 北柵の影。


 人の影。


 相沢はその全部を見て、嫌な感覚を覚えた。


 時間が減っている。


 それは食料が減る感覚に似ていた。


 見えている。


 数えられる。


 だが、増やせない。


「回し屋」


 ミナが言った。


「顔が暗い」


「元からだ」


「そういう暗さじゃない」


「便利だな、その見分け」


「最近、見慣れたから」


 相沢は板を見る。


 簡易板。


 村の板。


 そこには、見る人、動く人、呼ぶ人、止める人、数える人、休む人が置かれている。


 井戸。


 倉庫。


 治療所。


 北柵。


 森。


 広場。


 全部が、小さな印になっている。


 印にすると簡単に見える。


 だが、本当は簡単ではない。


 印の裏には、疲れた人がいる。


 腹を空かせた人がいる。


 怪我人がいる。


 避難民がいる。


 赤ゴブリンがいる。


 板の上だけで村は回らない。


 でも、板がなければもっと回らない。


「次は何」


 ミナが聞いた。


「夜の前に、見る順番を決める」


「もう決めたよ」


「場所は決めたな」


「違うの?」


「違う」


 相沢は木炭を持つ。


 板の端に、小さく三つの印を描いた。


 三角。


 波線。


 黒い丸。


「火」


「水」


「怪しいところ」


 ミナが読む。


「夜は、全部を見ようとしたら負ける」


「じゃあ?」


「最初に見るものを決める」


 相沢は板を指した。


「火が出たら、全員が火を見るな。

 水が詰まったら、全員が井戸へ行くな。

 黒い影を見ても、全員が走るな」


 ミナは黙って聞いている。


「見る人は見る。

 動く人は動く。

 呼ぶ人は呼ぶ。

 止める人は止める」


「それ、何回も言ってる」


「何回も言う」


「オカンみたい」


「言うな」


「自分で言ってるじゃん」


「俺じゃない」


 その時、視界の端に表示が浮いた。



【夜間防衛:

 準備不足】


【確認項目:

 火災対応】

【確認項目:

 水運用】

【確認項目:

 伝達経路】

【確認項目:

 休息割当】


【対象:

 相沢誠司】


【疲労蓄積:

 高】


【推奨:

 着座】


【再推奨:

 着座】



 相沢は表示を見た。


「……二回出すな」


「オカン?」


「ああ」


「何て?」


「夜の準備をしろ。あと座れ」


「まとも」


「腹立つくらいな」


 ミナは板の横に置いてあった布切れを持つ。


 相沢の印の横に置いた。


「じゃあ、座る人」


「今じゃない」


「出た」


「まだ決めることがある」


「座って決めれば」


 相沢は反論しようとして、止まった。


 それは、できる。


 立っている必要はない。


 相沢は板の前に座った。


 座ると、足の重さが一気に来た。


 ミナが少しだけ満足そうに頷く。


「よし」


「管理されてるな」


「されて」


「途中で切るな」


     ◇


【日曜日 16:18/広場中央】


 子供たちを集めた。


 全員ではない。


 動ける子だけ。


 避難民の子も、村の子も混ざっている。


 エルも弟のそばを離れず、少し離れた場所から見ていた。


 相沢は板を低い位置に置く。


 子供の目線に合わせる。


 これも営業で覚えたことだった。


 売場の下段は、子供が最初に見る。


 大人の目線で置いたものは、子供には届かない。


「この印は?」


 相沢が波線を指す。


 村の子供が言った。


「井戸」


「水でもいい」


 次に三角。


「火」


「そう」


 次に布。


 エルが言った。


「怪我」


「うん」


 黒い布。


 避難民の子が、小さく言った。


「触らない」


「そう」


 相沢は頷いた。


「夜に火が見えても、勝手に走らない」


 子供たちが黙る。


「水が欲しくても、勝手に井戸へ行かない」


 数人が顔を下げる。


「誰かが倒れても、勝手に動かさない」


 エルが弟の手を握った。


「じゃあ、何をする?」


 相沢は聞いた。


 答えはすぐには出なかった。


 ミナが隣で見ている。


 相沢は待った。


 待つ。


 これが難しい。


 答えを先に言えば早い。


 でも、それでは残らない。


 やがて、エルが言った。


「呼ぶ」


「そう」


 相沢は頷いた。


「呼ぶ」


 村の子供が言った。


「誰を?」


「見る人」


 別の子が言う。


「近くの大人」


 避難民の子が、小さく言う。


「ミナ」


 ミナが少し目を丸くした。


「私?」


 子供は頷いた。


「広場を見る人だから」


 ミナは黙った。


 相沢は少しだけ口元を緩めた。


「そう。広場ならミナ。

 治療所ならリリアさん。

 井戸ならハルト。

 倉庫ならマルタさん。

 北ならガンツ」


「ガンツは怖い」


 村の子が言った。


「怖くても呼ぶ」


 ミナが即答した。


「怖いけど、呼ぶ」


「怖いけど?」


「怖いけど」


 子供たちの何人かが、小さく笑った。


 緊張が少しほどける。


 相沢は板に小さな手の印を描いた。


「これは、呼ぶ」


「手?」


「手」


「下手」


「知ってる」


 子供が笑った。


 それでいい。


 少し笑えるくらいでいい。


 夜に思い出せればいい。


     ◇


【日曜日 16:41/倉庫前】


 マルタは粥用の袋を分けていた。


 焦げた袋の半分。


 乾かす袋の半分。


 無事な袋。


 怪しい袋。


 それぞれの前に、印が置かれている。


「子供にまで印を教えるのかい」


 マルタが言った。


「子供が一番、勝手に動くので」


「大人も動くよ」


「大人も教えます」


「大人の方が聞かないよ」


「それは分かります」


 マルタは鼻を鳴らした。


「食い物はね。

 人を正直にする」


「腹が減るからですか」


「腹が減ると、いい人ぶる余裕がなくなる」


 相沢は倉庫の奥を見る。


 食料は減っている。


 今日の粥で、また減る。


 焦げた袋を失わずに済んだとしても、増えるわけではない。


 相沢は考える。


 日本に帰ったら、何を持ってくるか。


 米。


 缶詰。


 レトルト。


 頭に浮かぶ。


 だが、五十五人。


 一食で消える。


 重さもある。


 運べる量も分からない。


 相沢は首を振った。


 違う。


 持ってくるべきは、食料そのものだけではない。


 袋。


 塩。


 乾物。


 ラベル。


 計量。


 食料を守るもの。


「何を考えてる顔だい」


 マルタが言った。


「日本に戻ったら、持ってくるものです」


「にほん」


「俺のいた場所です」


「食い物かい」


「少しは」


「少し?」


「五十五人には足りません」


「だろうね」


「だから、食料を守るものを持ってきます」


 マルタの目が細くなる。


「袋かい」


「袋も」


「食い物じゃなくて袋」


「食い物を減らさないための袋です」


 マルタはしばらく黙った。


 それから、低く笑った。


「変な男だね」


「よく言われます」


「でも、悪くない」


 それは、マルタにしてはかなりの評価だった。


「塩はありますか」


 相沢が聞く。


「少しはね」


「大事ですか」


「当たり前だよ」


「持ってこられるかもしれません」


 マルタの顔が変わった。


 怒りではない。


 欲でもない。


 警戒だった。


「簡単に言うんじゃないよ」


「はい」


「塩は飯じゃない。

 でも、飯の顔を変える」


「分かります」


「分かった顔をするな」


「すみません」


「謝るな。

 持って来るなら、使い方を決めてから持ってきな」


 相沢は頷いた。


「はい」


「配るな。

 混ぜるな。

 隠すな。

 決めろ」


「はい」


「それから持ってきな」


 相沢は少しだけ息を吐いた。


「仕事みたいですね」


「食い物は仕事より怖いよ」


「そうですね」


 マルタは袋を叩く。


「そうだよ」


     ◇


【日曜日 17:06/井戸前】


 井戸前では、ハルトが水の木片を見ていた。


 箱の中に、枝が数本。


 飲む水。


 治療所へ運ぶ水。


 布を濡らす水。


 それぞれ分けるには、まだ粗い。


 だが、誰かが椀を持って勝手に井戸へ向かう回数は減っていた。


「増えたな」


 相沢が言う。


「減った」


「枝が?」


「怒鳴る回数」


 ハルトは井戸から目を離さない。


「枝は増えた。

 怒鳴るのは減った」


「なら成功だな」


「成功ってほどじゃない」


「じゃあ、継続」


「それは合ってる」


 ハルトは腕を押さえた。


 布は赤くなっていない。


 少なくとも、今は。


「夜、水を狙われたらどうする」


 ハルトが聞いた。


「桶を離す。

 縄に印をつける。

 予備の縄を探す。

 井戸の周りに枝を置く」


「踏んだら鳴るやつか」


「ああ」


「倉庫裏と同じだな」


「同じでいい」


 ハルトは頷いた。


「水を汲む時、邪魔になるな」


「夜だけだ」


「誰が外す」


「水役」


「誰が戻す」


「水役」


「もし忘れたら」


「朝、怒られる」


「誰に」


「マルタさん」


 ハルトは少し笑った。


「それは戻すな」


「効果あるだろ」


「ある」


 相沢は井戸を見る。


 村の中心。


 命の元。


 ここが止まれば、全部止まる。


「ハルト」


「あ?」


「夜、無理に立つな」


「またそれか」


「またそれだ」


「座って見える範囲は座って見る」


「それでいい」


「立つ時は?」


「呼ぶ」


「誰を」


「近くの水役」


 ハルトは舌打ちした。


「面倒だな」


「面倒にする」


「聞いた」


 それでも、ハルトは拒まなかった。


 役があるからだ。


 座っているだけではない。


 井戸を見ている。


 自分の場所がある。


 その違いは大きい。


     ◇


【日曜日 17:33/治療所前】


 リリアは休んだ。


 正確には、座った。


 目は閉じていない。


 だが、手を止めた。


 それだけでも大きい。


 治療所の前では、エルが弟の額を見ていた。


 勝手に水を飲ませない。


 勝手に動かさない。


 息が変なら呼ぶ。


 それを繰り返している。


 相沢は治療所の入口で足を止めた。


「入っても?」


 リリアが顔を上げる。


「入口までなら」


「厳しいですね」


「中は人が多いです」


「正しい」


 相沢は入口に立つ。


「夜の呼ぶ人を増やしたいです」


「治療所ですか」


「はい」


 リリアは少し考える。


「エルには、これ以上増やせません」


「分かってます」


「大人が一人必要です」


「誰がいいですか」


 リリアは広場を見る。


 村の女。


 避難民の女。


 軽い怪我の男。


 全員、何かを抱えている。


「治療をする人ではなく、呼ぶ人ですね」


「はい」


「では、避難民の女の方が一人。

 弟さんではなく、老人を見ていた方です」


「理由は」


「泣いている子供を動かしませんでした。

 勝手に水を飲ませませんでした。

 呼びに来ました」


 相沢は頷いた。


「呼ぶ人に向いてる」


「はい」


 リリアは少しだけ目を伏せる。


「治療所は、できる人を増やす場所ではありません」


「はい」


「勝手にやらない人を増やす場所です」


 相沢はその言葉を板に書きたくなった。


 だが、長い。


 記号にできない。


 だから、覚えるしかない。


「リリアさん」


「はい」


「それ、すごく大事です」


「そうですか」


「はい」


「では、覚えておいてください」


「板に残したいんですが」


「絵にできますか」


「……難しいです」


「では、覚えてください」


 リリアは静かに言った。


 少しだけ、意地悪だった。


     ◇


【日曜日 18:04/広場中央】


 夕方になった。


 今度は、はっきりと夕方だった。


 火の準備が始まる。


 夜の見張りの準備も。


 水の枝。


 倉庫の印。


 治療所の呼ぶ人。


 子供への安全教育。


 北柵の土。


 井戸の枝。


 全部が、まだ粗い。


 粗すぎる。


 それでも、昨日よりはある。


 相沢は板の前に座る。


 木炭で、最後に大きく三つの印を描いた。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 ミナが覗き込む。


「大きい」


「夜は、細かいものは見えない」


「三つだけ?」


「三つだけ」


「食料は?」


「夜は動かさない」


「怪我人は?」


「呼ぶ」


「ゴブリンは?」


「北と森」


「回し屋は?」


 相沢は少し黙った。


「間を見る」


「またそれ」


「便利だからな」


「便利に逃げてない?」


「少し」


「認めた」


 ミナは板の端に小さな布を置いた。


「休む人も」


「夜は」


「夜こそ」


 相沢は反論できなかった。


 その時、表示が浮いた。



【夜間防衛:

 準備中】


【重点項目:

 火】

【重点項目:

 水】

【重点項目:

 伝達】


【記録媒体:

 簡易板】


【管理担当:

 複数化】


【対象:

 相沢誠司】


【食事:

 少量摂取済】


【水分:

 不足傾向】


【疲労蓄積:

 高】


【推奨:

 水分補給】


【推奨:

 休息】


【再推奨:

 休息】



 相沢は表示を見た。


「だから二回出すな」


 ミナが笑う。


「また?」


「ああ」


「何て?」


「水を飲め。休め。もう一回休め」


「オカンだ」


「会話はしてないんだけどな」


「見てる場所がオカン」


「それが腹立つ」


 ミナは水の入った木椀を渡してきた。


「はい」


「用意がいいな」


「板にあったから」


「何が」


「水分不足」


「見えないだろ」


「顔に出てる」


「顔まで管理しろってか」


「そう」


 相沢は木椀を受け取った。


 水はぬるい。


 少し土の匂いがした。


 でも、水だった。


 飲む。


 体の奥が、少しだけ戻る。


「夜までに」


 相沢が言いかける。


 ミナが遮った。


「夜までに、全部は無理」


 相沢は黙る。


「だから、三つでしょ」


 ミナは板を指した。


 火。


 水。


 呼ぶ。


「それだけは残す」


 相沢はミナを見る。


 ミナは疲れていた。


 でも、目は逃げていない。


「ああ」


 相沢は頷いた。


「それだけは、残す」


 広場の向こうで、ガンツが北柵からこちらを見た。


 マルタが倉庫の戸を閉める。


 リリアが治療所の入口に布を掛ける。


 ハルトが井戸の枝を並べる。


 エルが弟の手を握る。


 ダリオが横になったまま、森の音を聞いている。


 村は夜を迎える準備をしていた。


 完全ではない。


 足りない。


 粗い。


 それでも、昨日よりは少しだけ違う。


 相沢は板に手を置いた。


 残る印。


 消えないように置いた印。


 自分がいなくなっても、誰かが見られるようにした印。


 日曜の夕方が、村に落ちていく。


 帰還までの時間は、確実に減っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ