第七十四話 燃えなかった朝
【日曜日 5:09/広場中央】
最後の交代。
言葉にすると簡単だった。
だが、実際には誰も立ちたがらなかった。
寝るのが怖い者。
横になると、さっきの赤い目を思い出す者。
自分が寝ている間に火が上がると思っている者。
そういう者ほど、立とうとした。
「座ってください」
村長が言った。
声は枯れている。
それでも、通った。
「今、動く必要のない者は座ってください。
動く者は、決めた者だけです」
誰かが不満そうに口を開きかける。
ミナが先に言った。
「勝手に動かない。
自分の場所、見てて」
声は大きくない。
でも、届いた。
相沢はそれを聞いて、少しだけ息を吐いた。
同じ言葉。
さっきは叫びだった。
今は、確認だった。
それだけで違う。
村は、少しだけ覚えている。
◇
【日曜日 5:14/北柵】
北柵は濡れていた。
水。
泥。
焦げ。
踏み荒らされた土。
火種を消した跡。
柵の一本には、黒い跡が残っている。
燃えはしなかった。
だが、燃えかけた。
相沢はその黒い跡を指で触ろうとして、やめた。
熱はもうないはずだ。
それでも触りたくなかった。
「焦げただけだ」
ガンツが言った。
槍を持ったまま立っている。
肩が重そうだった。
「焦げただけで済んだ」
相沢が言う。
「ああ」
「でも、ここは次も狙われる」
「分かってる」
「柵の前に土を置きたい。
水だけじゃ足りない」
「マルタの真似か」
「使えるものは使う」
「腹立つが、合ってる」
ガンツは焦げ跡を見る。
「赤いのは、もう来ないと思うか」
「今はな」
「今は、か」
「見たからな」
「何を」
「こっちがどう動くか」
ガンツは黙った。
森は静かだった。
空は少しずつ薄くなっている。
黒ではない。
灰色に近い。
それでも、森の奥はまだ暗い。
「見せすぎたな」
ガンツが言った。
「でも、隠したら動けなかった」
「面倒だな」
「面倒だ」
「次は」
「次も来る」
相沢は言った。
言いたくなかった。
でも、言った。
「たぶん、もっと嫌な形で来る」
ガンツは鼻を鳴らした。
「なら、こっちも嫌な形にする」
「頼もしいな」
「褒めるな」
「褒めてない」
「ならいい」
◇
【日曜日 5:22/倉庫裏】
倉庫裏の柵は、思ったより悪かった。
低くはない。
マルタの言った通りだった。
ただ、古い。
木の根元が柔らかい。
横板の一本が浮いている。
人間の大人なら通れない。
だが、ゴブリンなら。
小さい体なら。
低く這えば入れる。
「こんなところから入ったのかい」
マルタが顔をしかめた。
「たぶん」
「腹立つね」
「同感です」
「直すよ」
「今すぐ?」
「今すぐじゃなきゃ、いつやるんだい」
「人が倒れます」
「柵も倒れるよ」
「両方倒れたら終わりです」
マルタが相沢を見る。
睨んでいる。
だが、相沢も引かなかった。
「仮でいいです」
「あ?」
「今は、直すんじゃなくて、気づけるようにする」
相沢は足元の枝を拾った。
「ここに枝を置く。
板も置く。
踏んだら音が鳴るようにする」
「そんなので止まるかい」
「止めるんじゃないです」
相沢は倉庫裏を見る。
薄暗い隙間。
火種を置かれた場所。
濡れた土。
「気づくためです」
マルタは黙った。
それから、鼻を鳴らす。
「地味だね」
「地味な方が朝まで残ります」
「今、朝だよ」
「まだ朝になりきってないです」
「嫌な言い方だね」
「よく言われます」
マルタは近くの若い村人を顎で呼んだ。
「枝を集めな。
乾いたのじゃなくて、踏むと鳴るやつだよ」
「はい」
「あと板。
割れてるのでもいい。
綺麗な板は使うんじゃないよ」
若い村人が頷いて走りかける。
「走るな!」
マルタと相沢の声が重なった。
若い村人が止まる。
マルタは相沢を見た。
「真似したんじゃないよ」
「分かってます」
「分かってる顔じゃないね」
「顔まで管理できません」
◇
【日曜日 5:31/井戸前】
井戸の縄は無事だった。
桶も無事。
だが、縄に新しい傷があった。
切られてはいない。
ただ、爪か刃物がかすったような細い跡。
相沢はそれを見て、背中が冷えた。
あと少しだった。
ハルトは腕に布を巻かれたまま、井戸の縁を見ている。
「切れてねぇ」
「切れかけた」
「切れてねぇ」
「そうだな」
「なら、まだ使える」
「予備がいる」
ハルトが嫌そうに顔を歪めた。
「縄なんて余ってんのか」
「ないなら作る」
「誰が」
「分からない」
「出たな」
「出た」
相沢は井戸を見た。
水。
火。
傷。
飲む。
洗う。
全部ここから始まる。
ここを止められたら、村は一気に詰まる。
「桶は夜、井戸から離す」
相沢が言う。
「何で」
「すぐ取られないように」
「水を汲む時、面倒になる」
「面倒でいい」
「またそれか」
「簡単に取れるものは、向こうにも簡単に取れる」
ハルトは黙った。
腕を押さえながら、少しだけ顔をしかめる。
「痛むか」
「痛い」
「リリアさんに」
「もう見てもらった」
「もう一回」
「うるさいな」
「傷が悪くなると、水番が減る」
「俺の心配じゃないのか」
「両方」
ハルトは少しだけ笑った。
笑ったあと、痛そうに顔を歪めた。
「笑わせるな」
「勝手に笑った」
「腹立つ」
「よく言われる」
◇
【日曜日 5:40/治療所前】
治療所は静かではなかった。
静かにしようとしているだけだった。
咳。
布を絞る音。
水を置く音。
小さな泣き声。
リリアの低い声。
全部が重なっている。
それでも、崩れてはいない。
リリアはハルトの腕を見直していた。
「深くはありません」
「それは聞いた」
「汚れています」
「それは聞きたくなかった」
「洗います」
「痛いか」
「痛いです」
「そこは嘘でも」
「嘘はよくありません」
ハルトは天井を見た。
「この村、嘘に厳しい」
「必要です」
「それもよく聞く」
相沢は治療所の入口で立ち止まった。
中に入ると、邪魔になる。
そう思える程度には、頭が動いていた。
「リリアさん」
「はい」
「怪我人の数、出せますか」
リリアは一瞬だけ目を閉じた。
考えるためではない。
疲れを押し込むために見えた。
「すぐに正確には無理です」
「大まかで」
「重い怪我が三人。
発熱が二人。
軽い傷が七人。
煙を吸った者が数人」
「数人」
「確認が必要です」
「分かりました」
「アイザワ殿」
「はい」
「確認する人が足りません」
相沢は頷いた。
「作ります」
「作る?」
「怪我を見る人ではなく、呼ぶ人です」
リリアが少しだけ相沢を見る。
「呼ぶ人」
「異変があったら、リリアさんを呼ぶ。
勝手に触らない。
勝手に飲ませない。
勝手に動かさない」
「それならできます」
「エルにできますか」
治療所の奥で、エルが顔を上げた。
弟の手を握っている。
眠そうで、疲れていて、それでも目だけは起きていた。
「できます」
即答だった。
リリアが静かに言う。
「できます。
ただし、子供です」
「分かってます」
「役を渡しすぎないでください」
「はい」
相沢はエルを見る。
「弟のそばにいていい。
でも、変だと思ったら呼ぶ。
自分で何とかしない」
エルは頷く。
「呼びます」
「走らなくていい」
「早歩き」
「そう」
エルは小さく言った。
「早歩き」
覚えた言葉のように。
◇
【日曜日 5:51/広場中央】
朝が来始めていた。
だが、村はまだ夜の顔をしている。
火の明かりが残っている。
水桶が並んでいる。
人が座っている。
寝ているのではない。
座ったまま落ちている。
村長が広場の端から歩いてきた。
杖の音が、土を叩く。
「アイザワ殿」
「はい」
「昨夜の数に変わりはありません」
相沢は顔を上げる。
「五十五人」
「はい。村人四十三人、避難してきた者が十二人」
「増えても減ってもいない」
「はい」
相沢は頷いた。
それは、良い知らせだった。
だが、軽くはなかった。
五十五人。
それは、もう知っている数だった。
問題は、その中で今、動ける者が何人いるか。
寝かせなければならない者が何人いるか。
治療を必要とする者が何人いるか。
見張りに回せる者が何人いるか。
水を運べる者が何人いるか。
そして、食べる口が五十五あるという事実だった。
「動ける人は」
「確認中です」
「重い怪我人と発熱者は、リリアさんが見ています」
「はい」
「見張りに戻せる人と、戻しちゃいけない人を分けたい」
「承知しました」
「あと、寝かせる人も」
村長は少しだけ目を細めた。
「寝かせる者も、数に入れるのですね」
「入れないと、倒れます」
「そうですな」
村長は広場を見る。
座ったまま眠りかけている村人。
子供を抱えた避難民。
槍を抱いた若い見張り。
濡れた布を持った女。
「昨夜までは、人を数えていました」
村長が言った。
「今朝からは、役に分ける必要がありますな」
「はい」
相沢は頷いた。
「五十五人を、五十五人のまま見ると多すぎます」
「では」
「動ける人。
休ませる人。
治療がいる人。
子供を見る人。
見張る人。
水を運ぶ人。
食料を見る人」
相沢は息を吐く。
「まず、それで分けます」
◇
【日曜日 5:59/倉庫前】
マルタは倉庫の前で、焦げた袋を睨んでいた。
数える前から不機嫌だったのか、数えた結果として不機嫌になったのかは分からない。
たぶん両方だった。
「数は昨日と変わらないよ」
マルタが言った。
「増えてないからね」
「でしょうね」
「分かってる顔だね」
「嫌でも分かります」
相沢は倉庫の中を見る。
無事な袋。
湿った袋。
焦げた袋。
そして、臭いの怪しい袋。
食料が余っていないことは、もう分かっている。
問題は、その少ない食料の中身が削れていることだった。
「どれから使いますか」
「湿ったやつからだね」
「焦げたものは」
「外を剥がす。
中が生きてりゃ粥に回す」
「臭うものは」
「分ける」
マルタの声が低くなった。
「混ぜると、全部死ぬ」
相沢は頷いた。
「食べ物も、人も似てますね」
「嫌なこと言うね」
「すみません」
「謝るくらいなら言うんじゃないよ」
マルタは焦げた袋を足で寄せた。
「捨てるかどうかは、私が決める」
「お願いします」
「礼を言うな。腹が減る」
相沢は黙って頷いた。
食料は増えていない。
ただ、残すものと失うものを分けているだけだった。
それでも、分けなければもっと失う。
マルタは倉庫の奥を指した。
「あれは奥へ。
無事なやつだ。
今使うんじゃない」
「はい」
「あれは外。
乾かす」
「はい」
「あれは触るな。
臭いを見てからだ」
「印をつけたいですね」
「印?」
「間違えて混ぜないように」
マルタは眉を寄せる。
「字なんか読んでる暇はないよ」
「字じゃなくていいです」
相沢は指で土に丸を描いた。
「丸は今日使う。
線は残す。
黒く塗ったら怪しい。
布を結んだら病人用」
マルタは土の印を見下ろした。
「倉庫に落書きする気かい」
「間違えるよりましです」
「嫌な正論だね」
マルタは少し考え、若い女を呼んだ。
「聞いたね。
丸の袋は手前。
線の袋は奥。
黒いのは私に聞くまで触るんじゃないよ」
女が頷く。
「分かりました」
「返事が早すぎる。
間違えたら飯が減るよ」
「は、はい」
マルタは相沢を見た。
「これでいいのかい」
「まずは」
「まずは、ね」
「全部は無理です」
「そればっかりだね」
「事実なので」
「腹立つ」
◇
【日曜日 6:12/広場中央】
避難民たちは、広場の西側に集められていた。
集められた、というより、そこに座るしかなかった。
疲れきっている。
眠い。
怯えている。
そして、見られている。
村人たちの視線。
同情。
警戒。
不安。
面倒。
全部が混ざっている。
ハルトは腕を押さえて座っていた。
リリアに処置されたばかりなのに、もう立とうとしている。
「座ってろ」
相沢が言う。
「命令か」
「提案」
「命令に聞こえた」
「なら命令でいい」
ハルトは顔をしかめる。
「俺たちは、ここにいていいのか」
その声は低かった。
周りの避難民が少しだけこちらを見る。
村人も見る。
相沢はすぐには答えなかった。
簡単に「いい」と言えば、嘘になる。
簡単に「駄目」と言えば、人でなしになる。
どちらも正しくない。
「まだ、決めきれてない」
相沢は言った。
ハルトの目が細くなる。
「追い出すのか」
「今は追い出さない」
「今は?」
「正式にどうするかは、朝に話す」
「もう朝だろ」
「朝になりかけてるだけだ」
「面倒な言い方するな」
「よく言われる」
ハルトは周囲を見る。
「村の連中は、俺たちを見る」
「見る」
「嫌そうに」
「見る」
「俺たちも見る。
食い物がどれくらいあるのか。
誰が嫌がってるのか。
誰が殴りそうか」
「見るしかないからな」
ハルトは黙った。
怒鳴らなかった。
それだけで、少し意外だった。
「いるなら、役がいる」
相沢は言った。
「今すぐ働けってことか」
「違う」
「同じだろ」
「違う」
相沢は広場を見た。
座っている避難民。
疲れた村人。
子供。
怪我人。
食料を分けるマルタ。
治療所のリリア。
柵のガンツ。
「何もしない人を作ると、揉める」
相沢は言った。
「何もできない人に無理をさせても、揉める」
「じゃあどうする」
「できることを分ける」
「またそれか」
「またそれだ」
ハルトは腕を見る。
布が少し赤くなっている。
「俺は井戸を見る」
「腕」
「足は動く」
「リリアさんに怒られる」
「もう怒られた」
「もう一回怒られろ」
ハルトは初めて、少しだけ口元を動かした。
◇
【日曜日 6:24/北柵】
ガンツはまだ北にいた。
座っていない。
目も閉じていない。
相沢は横に立つ。
「寝ろ」
「お前が言うな」
「俺も後で寝る」
「嘘だな」
「雑だったか」
「かなり」
ガンツは森を見る。
赤い影はない。
普通のゴブリンも見えない。
それでも、槍は下ろしていない。
「追えたな」
ガンツが言った。
「追えなかった」
「追えた」
「追ったら、どこかが空いた」
「分かってる」
「なら言うな」
「言いたくなる」
相沢は焦げた柵を見る。
「赤いのは、逃げたんじゃない」
「ああ」
「試した」
「だろうな」
「北。
倉庫。
井戸。
人の動き」
「全部見られたか」
「こっちも見た」
ガンツは相沢を見る。
「強がりか」
「半分」
「残りは」
「本当だ」
ガンツは少しだけ笑った。
「ならいい」
その時、治療所の方から咳が聞こえた。
重い咳。
ダリオだ。
◇
【日曜日 6:31/治療所前】
ダリオは起きていた。
リリアに寝かされている。
それでも目は開いていた。
「赤いのは」
ダリオが言った。
声がかすれている。
「逃げたんじゃない」
相沢はしゃがむ。
「試しただけか」
ダリオは小さく頷いた。
「火を置く。
水を使わせる。
人を走らせる。
次は、走らなかった場所を見る」
「走らなかった場所?」
「残った場所だ」
相沢は黙った。
走った場所ではない。
走らなかった場所。
つまり、守られた場所。
そこが何で守られていたかを、赤ゴブリンは見る。
「人を見るのか」
「柵より、人だ」
ダリオは息を吸う。
苦しそうだった。
リリアがすぐ止める。
「そこまでです」
「まだ」
「駄目です」
「赤いのは」
「駄目です」
三回。
ダリオは諦めたように目を閉じた。
リリアは相沢を見る。
「話させすぎです」
「すみません」
「アイザワ殿も座ってください」
「今は」
「今は、ではありません」
リリアの声は静かだった。
だが、逃げ道はなかった。
「見る人が倒れると、見られている人も危なくなります」
相沢は言葉に詰まった。
それは、自分が何度も言ってきたことに近かった。
返されると、痛い。
「五分」
相沢が言う。
リリアは首を振る。
「十五分です」
「長い」
「短いです」
「交渉の余地は」
「ありません」
ミナが横から言った。
「十五分」
「いつの間に」
「聞いてた」
「広場は?」
「村長が見てる。
マルタが倉庫。
ガンツが北。
ハルトは井戸で怒られてる。
エルは弟のそば」
ミナは相沢を見る。
「回ってるよ」
相沢は黙った。
回っている。
自分が立っていなくても。
少なくとも、今この瞬間は。
◇
【日曜日 6:43/広場中央】
相沢は座った。
火の近くではない。
広場の端。
背中を木箱に預ける。
座ると、体が沈んだ。
立てなくなる気がした。
それが怖かった。
ミナが隣に座る。
「寝れば」
「寝たら起きない」
「起こす」
「蹴るのか」
「必要なら」
「優しいな」
「そうでしょ」
相沢は目を閉じかける。
すぐに開ける。
北。
倉庫。
井戸。
治療所。
避難民。
食料。
全部が頭に戻ってくる。
ミナが言った。
「回し屋」
「何だ」
「自分だけ、役がないよね」
相沢は動きを止めた。
「あるだろ」
「何?」
「全体を見る」
「それ、便利に使ってる」
「便利だからな」
「違う」
ミナは膝を抱える。
「みんなには、見る場所とか、休む番とか、決めるのに」
「……」
「回し屋だけ、ずっと全部見てる」
相沢は返せなかった。
言葉がない。
「自分だけ例外にしてる」
ミナの声は、怒っているようで、少し違った。
疲れていた。
心配しているようにも聞こえた。
相沢は空を見た。
夜が薄れている。
星が消え始めている。
「そうかもな」
「かも、じゃない」
「そうだな」
「うん」
「でも、今は」
「今はって言うと思った」
「便利だな、それ」
「便利だから」
ミナは立ち上がる。
「十五分。
リリアさんに言われたから、十五分」
「ミナ」
「何」
「広場は」
「見る」
「避難民は」
「村長と見る」
「子供は」
「エルが呼ぶ」
「井戸は」
「ハルトが怒られながら見る」
相沢は少しだけ笑った。
「いい役だな」
「でしょ」
ミナは歩き出す。
数歩進んでから、振り返った。
「寝たら蹴らない」
「珍しい」
「起きなかったら蹴る」
「いつも通りだな」
「回し屋向け」
◇
【日曜日 6:58/広場中央】
十五分は短かった。
でも、確かに十五分だった。
相沢は目を閉じていた。
眠ったかは分からない。
ただ、意識が途切れた瞬間はあった。
火の音。
誰かの声。
マルタの怒鳴り声。
ハルトの文句。
子供の咳。
それらが、遠くなった。
そして戻ってきた。
相沢は目を開ける。
空が明るくなっていた。
完全な朝ではない。
だが、夜ではなかった。
朝が来た。
村は燃えていなかった。
それだけだった。
でも、今はそれで十分だった。
視界の端に、表示が浮かぶ。
⸻
【夜間防衛:
継続成功】
【火災:未発生】
【水運用:継続】
【食料保管:一部損耗】
【人的損傷:
軽度から中度】
【集落機能:
継続】
⸻
相沢は表示を見た。
「継続、か」
勝利ではない。
達成でもない。
継続。
今の村には、それが一番合っていた。
ミナが戻ってくる。
「起きた」
「ああ」
「蹴ってない」
「助かった」
「次は?」
相沢は広場を見る。
村長が人を集め始めている。
マルタが倉庫の前に立っている。
リリアが治療所から出てくる。
ガンツが北から戻らない。
ハルトは井戸のそばで腕を押さえている。
エルは弟のそばにいる。
ダリオは目を閉じている。
避難民十二人は、広場の西側に座っている。
村人たちは、その周りに距離を置いている。
朝。
燃えなかった朝。
だが、次にやることは決まっている。
「数える」
相沢は言った。
「人。
食料。
怪我。
水。
使える人。
休ませる人」
「また数」
「朝だからな」
「便利に使ってる」
「便利だからな」
相沢は立ち上がった。
膝が少し笑った。
ミナが見ている。
「倒れたら」
「蹴る?」
「支える」
相沢は一瞬だけ黙った。
「それは調子が狂うな」
「たまにはね」
朝の光が、広場に落ちていく。
焦げ跡も。
血のついた布も。
濡れた土も。
座り込む人々も。
全部が、朝の中に見え始めた。
見えた以上、数えなければならない。
相沢は息を吸った。
そして、村長の方へ歩いた。
燃えなかった村の、次の仕事を始めるために。




