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第三十六話 崩れ始める音

【金曜日 09:26/東柵】


「左だ!」


 ガンツが怒鳴る。


 槍が突き出される。


 ゴブリンの肩を貫く。


 だが。


 残りが止まらない。


 横へ散る。


 柵沿いを走る。


「回り込むぞ!」


「止めろ!」


 若い村人が追う。


 その瞬間。


 別方向。


 森から石が飛んだ。


「ぐあっ!?」


 見張りの額へ直撃する。


 血。


 悲鳴。


 空気が一気に崩れる。


「石投げた!?」


「嘘だろ!?」


 ガンツの顔が険しくなる。


 前までのゴブリンは違った。


 もっと雑だった。


 もっと馬鹿だった。


 でも今は。


 嫌な動きをする。


     ◇


【金曜日 09:33/広場】


「怪我人こっち!」


 リリアが叫ぶ。


 既に薬草台は埋まり始めていた。


 腕の裂傷。


 打撲。


 額の出血。


 軽傷ばかり。


 だが。


 数が多い。


「布足りません!」


「干し布は!?」


「もう使いました!」


 リリアは一瞬だけ止まる。


 考える。


 何を残す。


 何を切る。


 その時。


「リリア!」


 ミナが走ってくる。


「南側、水入ってる!」


「……まだ止まりませんか」


「止まんない!」


 雨だった。


 弱い。


 だが止まらない。


 倉庫裏へ少しずつ染み込んでくる。


 リリアは静かに息を吐く。


「薬草上段へ移します」


「でも怪我人!」


「上段だけ残します」


 ミナは顔をしかめた。


「人足りない!」


「分かっています」


 分かっている。


 全部。


 でも。


 全部は回せない。


     ◇


【金曜日 09:41/倉庫前】


 村長は立ち尽くしていた。


 目の前で。


 問題が増え続ける。


「薪切れます!」


「東側から煙!」


「子供見つかりました!」


「今度は家畜逃げました!」


 一つ終わる。


 二つ増える。


 止まらない。


 その時。


 村長は気づく。


 誰も、


“全体”


を見れていない。


 皆、


目の前を必死で回している。


 それ自体は成長だった。


 だが。


 複数が重なると、


繋がらない。


「……これが」


 村長は小さく呟く。


「アイザワ殿が、

 ずっとやっていたことですか……」


     ◇


【金曜日 09:49/見張り台】


「ガンツ!」


 若い見張りが叫ぶ。


「西にもいます!」


「はぁ!?」


 ガンツが振り向く。


 いた。


 黄色い目。


 少数。


 だが。


 嫌な位置。


 完全に注意を散らしている。


「クソったれ……!」


 防衛人数が足りない。


 全部へ回せない。


 その時。


 若い村人が焦った声で言った。


「ど、どうするんです!?」


「東も西も足りねぇ!」


「このままじゃ抑え切れません!」


 ガンツは答えられなかった。


 東。


 西。


 倉庫。


 火。


 全部頭へ入ってくる。


 だが。


 何を優先する。


 何を捨てる。


 それが決められない。


 胃が重かった。


 これを。


 回し屋はいつも即座に決めていたのか。


     ◇


【金曜日 09:57/広場】


 ミナは走っていた。


 息が荒い。


 汗。


 雨。


 泥。


 頭が回らない。


「ミナ!」


「今度は何!?」


「火が!」


「どこの!?」


「北!」


 叫び返しながら。


 ミナは思ってしまう。


 無理だ。


 回らない。


 皆頑張ってる。


 でも足りない。


 その時。


 ふと。


 広場中央。


 いつも相沢悠真が立っていた場所が見えた。


 そこには誰もいない。


 それだけで。


 胸が妙に冷えた。


「……回し屋」


 思わず漏れる。


 すると。


 隣へ来たリリアが静かに言った。


「皆、待ってしまっているのですね」


 ミナは少し黙る。


 悔しかった。


 自分たちで動けるようになった。


 考えることも増えた。


 でも。


 複雑になるほど、


“あの人なら”


と思ってしまう。


 ミナは歯を食いしばる。


「……分かんないよ」


「え?」


「回し屋なら、

 どうしたか分かんない」


 リリアは静かに広場を見る。


 火。


 怒鳴り声。


 走る人。


 増え続ける問題。


 そして。


 誰も全体を見切れていない。


 リリアは小さく呟いた。


「アイザワ殿は、

 ずっとこれを見ていたのですね……」

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