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第三十五話 切れない

【金曜日 08:56/広場】


 空気が張っていた。


 火。


 怒鳴り声。


 走る足音。


 子供の泣き声。


 全部が混ざっている。


「子供見つかったの!?」


「まだだ!」


「東の火消えそう!」


「倉庫裏、水入ってます!」


 一気に来る。


 誰も止まれない。


 でも。


 全員、余裕が消え始めていた。


     ◇


【金曜日 08:58/見張り台】


 ガンツは森を見る。


 黄色い目。


 増えている。


 しかも。


 まだ来ない。


「クソが……」


 嫌だった。


 近づいてこない敵。


 待つ敵。


 考える敵。


 こんなの知らない。


「ガンツ!」


 下から声。


「東側、柵補強どうします!?」


「……後だ!」


「でも!」


「今は火だ!」


 叫び返した瞬間。


 ガンツは顔をしかめた。


 違う。


 本当にそれでいいのか。


 火。


 柵。


 子供。


 倉庫。


 全部大事だ。


 全部守りたい。


 でも。


 無理だ。


     ◇


【金曜日 09:03/倉庫裏】


「ミナ!」


 若い女が叫ぶ。


「薬草箱濡れてる!」


「布使って!」


「足りない!」


「じゃあ干し肉側から取って!」


「えっ!?」


 迷いが出る。


 干し肉も大事だ。


 保存食だ。


 冬を越すための。


 だが。


 薬草も必要。


 怪我人が出たらもっと必要になる。


 ミナは歯を食いしばる。


「……っ」


 決めきれない。


 その時。


 リリアが静かに言った。


「薬草優先で」


 皆がリリアを見る。


「干し肉は多少濡れても、まだ戻せます」


「でも!」


「薬草は駄目です」


 静かな声。


 でも。


 決断だった。


 ミナが少し息を呑む。


 リリアは続けた。


「全部は守れません」


 その言葉。


 重かった。


     ◇


【金曜日 09:11/広場】


 村長は水桶を運んでいた。


 もう年齢的にきつい。


 だが。


 止まれない。


「村長!」


「今度は何ですかな!」


「北側、家畜が暴れて!」


「……っ!」


 増える。


 問題が。


 終わらない。


 その時。


 村長は気づく。


 皆、


“目の前”


しか見えなくなっている。


 いや。


 自分もだ。


 その瞬間。


 遠くで叫び声。


「来たぞ!!」


 空気が凍る。


     ◇


【金曜日 09:14/東柵】


 ゴブリンだった。


 三匹。


 いや、後ろにもいる。


 槍。


 棍棒。


 そして。


 以前より止まらない。


「迎えろ!」


 ガンツが怒鳴る。


 槍が突き出される。


 一匹が倒れる。


 だが。


 残りが引かない。


 しかも。


 横へ散る。


「っ!?」


 若い村人の横を抜ける。


 一直線じゃない。


 避けている。


 見ている。


「マジかよ……!」


 ガンツの背筋が冷える。


 その時。


 森の奥。


 大きな影が動いた。


 片目。


 傷。


 大柄。


 そいつは出てこない。


 ただ。


 見ている。


 村を。


 人を。


 反応を。


     ◇


【金曜日 09:18/広場】


「怪我人!」


「こっち運べ!」


「火切れる!」


「水は!?」


 もう限界だった。


 皆、動いている。


 誰も怠けていない。


 でも。


 回らない。


 問題が多過ぎる。


 ミナが叫ぶ。


「誰か決めてよ!」


 沈黙。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 全員が止まった。


 誰も逃げていない。


 誰も諦めていない。


 でも。


 決められない。


 何を守る。


 何を切る。


 誰を優先する。


 その時。


 森の奥で。


 低い唸り声が響いた。


 黄色い目が増える。


 じわじわと。


 囲むように。


 ガンツが歯を食いしばる。


「……クソ」


 回し屋なら。


 多分。


 もう決めている。


 だが。


 今はいない。


 そして。


 それが、こんなにも重かった。

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