第三十一話 便利な人間の限界
【木曜日 08:12/食品メーカー大阪支店】
朝から空気が重かった。
電話。
キーボード。
ため息。
支店全体が少し沈んでいる。
その理由はすぐ分かった。
「……マジか」
支店入口横。
今月の売上一覧。
赤字店舗が増えていた。
値上げ。
客数減。
特売競争。
全部重なっている。
その時。
「相沢さん」
坂口が近づいてくる。
少し言いづらそうな顔。
「何だ」
「D店、また人辞めるらしいです」
相沢は少し黙る。
「誰が」
「青果のチーフ」
「……三人目か」
「です」
坂口が苦い顔をする。
「最近あの店かなりキツいみたいで」
相沢は思い出す。
狭いバックヤード。
慢性的な人不足。
クレーム。
終わらない改装。
かなり限界に近かった。
その時。
視界の端。
⸻
【人員負荷:危険域】
⸻
(もうやめろって……)
最近、本当に見え過ぎる。
坂口が小さく言う。
「店長も結構ヤバそうでした」
「……そうか」
相沢は売上表を見る。
数字だけなら簡単だ。
でも。
現場は数字だけじゃない。
人が削れていく。
それが一番危ない。
◇
【木曜日 10:26/D店・バックヤード】
空気が悪かった。
疲労。
焦り。
苛立ち。
全部混ざっている。
「おはようございます」
相沢が入る。
だが返事が弱い。
皆、余裕が無かった。
バックヤードには段ボールが積まれ。
作業台も埋まり。
人だけが足りていない。
その時。
⸻
【作業集中率:過負荷】
【疲労蓄積:高】
⸻
相沢は小さく息を吐く。
かなり危ない。
七瀬が言っていた。
「壊れる人って、皆そう言う」
最近、その意味が少し分かる。
「相沢さん」
D店店長が来る。
三十代後半。
目の下に隈。
明らかに寝不足だった。
「すみません、ちょっと今バタついてて……」
「見れば分かります」
店長が苦笑する。
「情けない話ですよ」
「人足りないんでしょ」
「まあ……」
店長は周囲を見る。
「皆かなり無理してます」
その顔。
少しだけ村長に似ていた。
抱え込み過ぎる顔。
◇
【木曜日 11:04/作業場】
「違う、それ先!」
「いや冷蔵まだ!」
バックヤードで声がぶつかる。
作業が詰まり始めていた。
優先順位が崩れている。
疲労で判断力も落ちている。
相沢は少し周囲を見る。
その瞬間。
⸻
【崩壊予兆:中】
⸻
胃が重くなった。
最近。
こういう表示を見ると、本当に嫌な気分になる。
止められる気がしてしまうから。
「一回止めましょう」
相沢が声を上げる。
周囲が止まる。
「冷蔵誰です」
「……俺です」
「常温誰です」
「こっち」
「じゃあ互いの台車触らないこと」
短く整理する。
「あと通路空けましょう」
「置き場ないんですよ!」
若い店員が少し苛立って言う。
相沢は少し黙る。
その気持ちは分かる。
余裕が無い時、人は強くなる。
「……分かる」
相沢は静かに言った。
「でも止まるともっとキツくなる」
少し空気が静かになる。
店員たちは再び動き始めた。
流れが戻る。
完全じゃない。
でも。
少しマシになる。
◇
【木曜日 13:18/店裏非常階段】
昼休憩。
相沢は非常階段で缶コーヒーを飲んでいた。
静かだった。
そこへ。
「こんな所にいたんですね」
七瀬だった。
「そっちも応援ですか」
「D店ヘルプです」
七瀬も疲れていた。
でも。
相変わらず周囲を見ている目だった。
「……かなりキツいですね」
「まあ」
「皆、余裕無い」
七瀬は階段へ座る。
「最近こういう店増えました」
「人減ってますからね」
「でも仕事量減らないですし」
少し沈黙。
それから七瀬が言う。
「相沢さん」
「何ですか」
「全部、自分で止めようとしてません?」
相沢は少し止まる。
「……そんなつもりないです」
「ある人の顔です」
七瀬は真っ直ぐ言う。
「最近ずっと、“崩れる前”見てる顔してます」
かなり鋭かった。
相沢は缶コーヒーを見る。
少しぬるい。
「……止められるなら、止めたくなります」
思わず本音が出た。
七瀬は少しだけ目を細める。
「優しいんですね」
「違います」
「じゃあ何です」
相沢は少し考える。
異世界。
村。
ゴブリン。
現代。
人不足。
全部頭に浮かぶ。
「……壊れるの見るの、嫌なんですよ」
七瀬は少し黙った。
それから静かに言う。
「それ、優しい人しか言いません」
風が吹く。
非常階段の空気は少し冷たかった。
その時。
視界の端。
⸻
【精神負荷:上昇】
【要休息】
⸻
相沢は天井を見上げる。
本当に余計なお世話だ。
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