第三話 アイザワ殿
【土曜日 00:42/異世界・辺境の村】
村の広場には、まだ緊張が残っていた。
焚き火。
泣き止まない子供。
傷の手当を受ける男たち。
血と土と煙の匂いが混じっている。
相沢は広場の端に座り込み、濡れたワイシャツを絞っていた。
靴がない。
靴下はもう泥色だった。
人生で一番意味の分からない土曜日だと思う。
「おい、アイザワ」
ガンツが近づいてきた。
斧を肩に担いでいる。
近くで見ると、本当に大きい。
筋肉の圧がすごい。
「怪我は?」
「ない」
「川から流れてきた奴の顔じゃねえな」
「仕事で鍛えられてる」
「仕事って何なんだよ……」
ガンツは呆れた顔をした。
相沢も説明できる気がしない。
導線整理でゴブリンを捌いた、とは。
「アイザワ殿」
今度は別の声。
振り向くと、白髪混じりの老人が立っていた。
落ち着いた目をしている。
村長だと、何となく分かった。
「先ほどは助けられました」
「いや、俺は――」
「避難が崩れていれば、死人が出ていたでしょう」
村長は深々と頭を下げた。
「村を代表して礼を言います」
相沢は少し困った。
会社では感謝されることが少ない。
売上が落ちれば怒られる。
改善しても「当然」で終わる。
だから真正面から礼を言われると、妙に落ち着かなかった。
「……大したことはしてないです」
「それでもです」
村長は真剣だった。
ミナが横から口を挟む。
「でも本当変だったよ、この人」
「変?」
「いきなり『流れが詰まる』とか言い出して、荷車倒し始めるし」
「詰まってただろ」
「詰まってたけど!」
「じゃあ合ってる」
「何でそんな冷静なのよ!」
ミナが半分怒った顔をする。
相沢は少し考えた。
「……売場と似てた」
「は?」
「人が一ヶ所に集まると、流れが止まる」
「いや、分かんないわよ普通!」
ガンツが笑った。
「ハッ、変な奴だな」
だが、その顔には警戒より面白がる色が混じっていた。
村長が相沢を見る。
「アイザワ殿は、旅の方ですかな」
「いえ……」
違う。
旅人ではない。
異世界転移者だ。
もっと違う。
だが説明できる気がしなかった。
「気づいたら川にいたんです」
結局そう答える。
ミナが腕を組む。
「怪しい」
「分かってる」
「でもゴブリン相手に逃げなかった」
「逃げるタイミングがなかった」
「普通はもっとパニックになるの!」
それはそうかもしれない。
だが相沢は、問題が起きると逆に頭が冷えるタイプだった。
クレーム。
会議崩壊。
納期遅延。
売上急落。
修羅場になるほど、優先順位だけを考える。
その癖が、たまたま生き残っただけだ。
「……とりあえず、乾かした方が良いな」
ガンツが言った。
「その格好、見てるだけで寒い」
言われて気づく。
体が震えていた。
アドレナリンが切れ始めている。
「家、空いてるから使わせるわ」
ミナが言う。
「いいのか」
「川から変なの拾ったの私だし」
「言い方」
「変なのは変なのでしょ」
否定できなかった。
◇
【土曜日 01:18/ミナの家】
木造の小さな家だった。
焚き火の匂い。
干した薬草。
木の床。
見たことのない生活なのに、不思議と嫌ではない。
「これ着て」
ミナが服を投げてくる。
麻っぽい布。
ズボン。
簡素な上着。
「ありがとう」
「その濡れた服いつまでも着てると風邪引くわよ」
相沢はワイシャツを脱いだ。
スマホを確認。
0:19。
圏外。
だが電池は減っていない。
(……夢じゃないよな)
冷たい川の感覚が、まだ残っている。
「……」
「食べるでしょ?」
ミナは鍋を火にかけ始めた。
しばらくして、温かい匂いが広がる。
野菜スープらしい。
腹が鳴った。
ミナが吹き出す。
「すごい音」
「今日は昼からまともに食ってない」
「何してたのよ」
「仕事」
「夜まで?」
「終わらなかった」
「……大変なのね」
ミナが少しだけ真面目な顔になる。
相沢は椅子に腰掛けた。
疲労が一気に来る。
眠い。
だが頭は妙に冴えていた。
村の入口。
柵。
広場。
避難動線。
あのままだと、また同じことが起きる。
(門が狭いな)
(荷物置き場も悪い)
(見張りも足りない)
勝手に問題点が浮かぶ。
その瞬間。
視界の端で、文字が揺れた。
【固有スキル:《構造最適化》を取得しました】
「……は?」
相沢は思わず声を漏らした。
「今度は何!?」
「いや……」
文字は続く。
【構造・導線・配置の最適化補助を開始します】
【対象:集落】
次の瞬間。
相沢の頭の中に、村の構造が流れ込んできた。
入口。
広場。
家。
井戸。
倉庫。
人の流れ。
弱点。
詰まる場所。
崩れる場所。
全部が線で繋がる。
「っ……!」
頭痛。
だが同時に理解する。
(……この村、入口だけじゃない)
もっと根本的に、色々おかしい。
食料配置。
見張り位置。
倉庫。
避難導線。
全部。
効率が悪い。
いや。
“生き延び続ける構造”になっていない。
「アイザワ?」
ミナが不安そうに覗き込む。
相沢はゆっくり息を吐いた。
「……この村」
「え?」
「多分、まだ危ない」
ミナの表情が固まった。
外では、夜風が静かに鳴っていた。




