第十五話 あと少しだけ
【土曜日 11:34/村・倉庫】
デルグたちが去ったあと、村は少しだけ騒がしくなった。
恐怖が消えたわけではない。
むしろ、また来るかもしれないという不安は残っている。
それでも。
さっきまでとは違っていた。
「これ、こっちでいいのか?」
「古い方が前だって!」
「薬草はリリアさんの棚!」
「床に直接置くなよ!」
倉庫の中で、村人たちが動いている。
相沢は入口近くで腕を組み、その流れを見ていた。
まだ粗い。
まだ無駄も多い。
だが、今までとは違う。
誰かに言われたから動いているのではない。
自分たちで考えようとしている。
「アイザワ」
ミナが木箱を抱えて戻ってきた。
「これって、奥?」
「中身は?」
「根菜」
「古いのか?」
「たぶん」
「たぶんは駄目だ。開けて確認」
「細かい!」
「腐るよりマシだ」
「それ言われると何も言えない……」
ミナは渋々、木箱の蓋を開ける。
中を見て、顔をしかめた。
「うわ、下の方ちょっと傷んでる」
「ほらな」
「何で分かるのよ」
「重さと匂い」
「怖い」
「食品営業だからな」
「その説明で納得できるようになってきたのが嫌」
ミナは文句を言いながらも、傷んだ根菜を分けていく。
その手際は、最初よりかなり良くなっていた。
相沢は少しだけ感心する。
飲み込みが早い。
感情で動くところはあるが、動きそのものは速い。
覚えれば強いタイプだ。
その時。
視界の端に薄い文字が浮かぶ。
⸻
【対象:ミナ】
【作業適性:伝達・巡回】
⸻
「……」
相沢は目を細めた。
また余計なものが出た。
便利だ。
だが、少し気持ち悪い。
人を分類している感じがする。
今はまだ深く考えないことにした。
「どうしたの?」
「いや」
「また変な文字?」
「だいたいそんな感じだ」
「慣れた?」
「慣れたくない」
ミナは笑った。
◇
【土曜日 12:18/村・広場】
昼食は、広場で取ることになった。
野菜の煮込み。
薄いパン。
少しだけ干し肉。
味は濃くない。
だが温かい。
相沢は木の器を受け取り、広場の端に腰を下ろした。
「食え」
ガンツが隣に座る。
「食ってる」
「足りねぇだろ」
「まあ、足りないな」
「だろ」
そう言って、ガンツは自分の干し肉を半分投げてよこした。
「いいのか」
「動かねぇ頭より、動く頭の方が役に立つ」
「褒めてるのか?」
「たぶんな」
相沢は干し肉を受け取った。
硬い。
かなり硬い。
噛むほど塩気が出る。
「……保存食って感じだな」
「うまいだろ」
「悪くない」
「素直じゃねぇな」
ガンツは笑った。
少し前まで、ただの大柄な戦士だと思っていた。
だが違う。
この男は、現場を見る。
危険を嗅ぎ取る。
そして、信じると決めた相手には妙に早い。
「なあ、ガンツ」
「何だ」
「デルグとは前から?」
「ああ」
ガンツは煮込みをすすりながら顔をしかめた。
「昔から来る。税だの確認だの言ってな」
「毎回あんな感じか」
「もっと酷い時もある」
「そうか」
「あいつは強いわけじゃねぇ」
ガンツは低く言った。
「でも、弱いところを見つけるのがうまい」
相沢は頷く。
「分かる」
「ああいう奴、そっちにもいるんだろ」
「いる」
「嫌な世界だな」
「こっちもな」
ガンツが一瞬黙る。
それから、ふっと笑った。
「まあな」
その笑い方は、少しだけ親しげだった。
同じものを嫌っている。
それだけで、人は案外近くなるのかもしれない。
◇
【土曜日 13:06/村・畑】
午後は畑だった。
相沢は畑の端に立ち、村長と一緒に作付けの帳簿を見ていた。
「この畑は毎年同じものですか」
「ええ。変えると失敗が怖いので」
「分かります」
本当に分かる。
現場は変化を嫌う。
理由は単純だ。
失敗した時に責任を取らされるから。
だが、変えなければ詰まる。
「全部変えなくていいです」
相沢は帳簿の一部を指差した。
「端だけ試しましょう」
「端だけ?」
「失敗しても被害が少ない」
「なるほど……」
「育つ時期が違うものを少し混ぜる。収穫をずらすためです」
村長は真剣に頷いた。
「試験畑、ですな」
「そんな感じです」
ミナが横から口を挟む。
「それなら怖くないかも」
「そうだ」
「全部変えるんじゃなくて、ちょっとだけ変える」
「そういうこと」
「アイザワ、慎重なのか大胆なのか分かんないね」
「仕事はだいたいその中間だ」
ガンツが畑の向こうで笑っている。
「面倒くせぇ中間だな!」
相沢は否定できなかった。
その時、リリアが薬草籠を持って畑へ来た。
「こちらの端なら、薬草も少し試せるかもしれません」
「薬草も時期があるんですか」
「あります。日当たりと湿気でかなり変わります」
「なら、食料と一緒に管理した方がいいです」
リリアが少し驚いた顔をした。
「一緒に?」
「収穫時期と保存場所を合わせて見る」
「……なるほど」
リリアは静かに微笑んだ。
「食べ物と薬。別のものだと思っていましたが、村を残すという意味では近いのですね」
「どっちも切らすと困る」
「ええ」
その返事は穏やかだった。
だが、妙に心地よかった。
リリアは、相沢の言葉をただ聞くだけではない。
自分の領域に置き換えて理解する。
だから会話が進む。
ミナがじっと二人を見ていた。
「……またリリアとだけ話が通じてる」
「そうか?」
「そう!」
「……ミナとも通じてるだろ」
「今の間は何!?」
ガンツが大声で笑った。
村長まで少し笑っている。
相沢は困ったように頭を掻いた。
こんな空気は久しぶりだった。
会社では、会議中に笑うことはある。
だが、それは大抵、場を壊さないための笑いだ。
ここでの笑いは違う。
もう少し、素直だった。
◇
【土曜日 17:58/村・広場】
夕食前。
広場に簡単な火が焚かれた。
昼間の作業が一段落したこともあって、村人たちは少しだけ落ち着いている。
まだ警戒はある。
デルグのことも、ゴブリンのことも終わっていない。
だが。
今日は、村が少し前へ進んだ日だった。
ガンツが酒瓶を持ってきた。
「飲め」
「まだ仕事中だろ」
「もう休め」
「休みの日なんだけどな」
「ならちょうどいい」
そう言われると、何も言えなかった。
相沢は木の杯を受け取る。
強い酒だった。
一口で喉が熱くなる。
「うわ」
「弱ぇな」
「普段飲んでない」
「損してるぞ」
「そうかもな」
ミナが隣に座る。
少し疲れた顔。
でも機嫌は良さそうだった。
「今日は、何かすごかったね」
「何が」
「村が、ちょっと変わった」
「少しだけな」
「少しでもいいじゃん」
ミナは焚き火を見る。
「昨日まで、こんなの考えたことなかった」
「倉庫か?」
「倉庫も。畑も。井戸も」
そして、小さく続けた。
「明日のことも」
相沢は何も言わなかった。
その言葉は、少し重かった。
この村は、明日を考える余裕がなかったのだ。
今日を回すだけで精一杯だった。
その構造を少し変えただけで、人は明日を見られるようになる。
リリアが反対側に座る。
「アイザワ殿」
「何だ」
「今日は、ありがとうございました」
「俺だけじゃないです」
「ええ」
リリアは頷く。
「だから、良かったのだと思います」
相沢は少しだけ目を伏せた。
自分だけではない。
ミナが走った。
ガンツが動いた。
リリアが見た。
村長が決めた。
村人たちが手を動かした。
だから変わった。
それが、少し嬉しかった。
その時。
視界の端に、見慣れない表示が浮かんだ。
⸻
【帰還まで:30:00:00】
⸻
「……は?」
相沢は固まった。
帰還。
その文字。
つまり。
この世界にいられる時間が、存在している。
三十時間。
丸一日と少し。
(……何だこれ)
(時間切れで戻されるのか?)
ミナが不思議そうに聞く。
「どうしたの?」
「……いや」
相沢は空を見る。
つまり。
まだ帰らない。
少なくとも、今すぐではない。
休みが終わるまで。
その瞬間。
相沢は少しだけ笑ってしまった。
「マジかよ……」
休めない。
本当に。
でも。
胸のどこかで。
少しだけ嬉しいと思ってしまった。




