第十六話 回し屋
【日曜日 06:12/村・共同井戸】
冷たい水で、相沢は顔を洗った。
朝の空気は少し冷える。
井戸の縁に触れた指先も冷たかった。
だが。
眠気はかなり飛ぶ。
「……マジで残ってる」
昨夜。
焚き火のあと、空き家を借りて寝た。
そして目が覚めたら。
まだ異世界だった。
夢ではない。
現実だ。
相沢は井戸の水面を見る。
そこには、少し疲れた会社員の顔。
土埃。
寝不足。
それなのに。
妙に顔色は悪くなかった。
「早いですね」
後ろから声。
振り向く。
リリアだった。
朝日を受けた黒髪が少し揺れている。
薬草籠を持っていた。
「そっちも早いですね」
「薬草は朝の方が状態がいいので」
相沢は頷く。
「野菜も似たようなもんです」
「ふふ」
リリアが少し笑う。
「本当に、何でも食べ物へ繋げますね」
「職業病ですね」
「便利な言葉ですね、それ」
「最近、自分でもそう思う」
リリアは井戸の縁へ近づく。
「昨夜は眠れましたか?」
「まあ、それなりに」
「環境が変わると、人は疲れます」
「そっちは慣れてるんですか」
「村育ちですから」
そう言って、水を汲む。
動作が静かだった。
無駄がない。
慣れている。
その時、相沢は気づく。
井戸周り。
昨日より少し片付いている。
桶が端へ寄せられている。
泥が減っている。
「……誰か掃除したのか」
「皆で少し」
リリアが答える。
「昨日、通りやすくなったと言っていたので」
相沢は少しだけ目を見開いた。
自分が寝ている間に。
村人たちが動いた。
誰かに命令されたわけじゃない。
自分たちで。
その事実が、妙に嬉しかった。
◇
【日曜日 07:03/倉庫前】
「おい!」
朝からガンツの声が響いていた。
「古い方前だって言っただろ!」
「こっち新しいやつ!」
「混ぜんな!」
倉庫前では、村人たちが朝から動いていた。
相沢は思わず笑う。
「……定着早いな」
ガンツが振り向く。
「おう、回し屋」
「誰がだ」
「お前だよ」
即答だった。
相沢は嫌そうな顔をする。
「嫌な名前だな」
「でも合ってるぞ」
ガンツは倉庫を指差した。
「倉庫回して」
「人回して」
「畑まで回し始めた」
「言い方」
「止まってたもん動かしてるだろ」
村人の一人が頷く。
「確かに……」
「昨日より動きやすいですし」
「回し屋殿、これどこへ運べば?」
「やめろその呼び方」
ミナが吹き出した。
「あははっ! 回し屋!」
「お前まで乗るな」
「だって分かりやすいもん!」
もう駄目そうだった。
相沢はため息を吐く。
ガンツがニヤニヤしている。
「諦めろ」
「最悪だ」
「褒めてんだぞ」
「お前の褒め方雑なんだよ」
だが。
悪い気分ではなかった。
◇
【日曜日 08:26/畑】
デルグとの話のあと。
村人たちの空気は明らかに変わっていた。
今までは、
「今年を越せるか」
だった。
だが今は違う。
「残せるかもしれない」
になっている。
それだけで、人は動く。
「回し屋!」
畑の向こうからミナが手を振る。
「試験畑ここで良い!?」
「定着させるな!」
「もう遅い!」
元気だった。
本当に朝から元気だ。
相沢は畑を見る。
「水路から近すぎる」
「えー」
「根腐れする」
「また知らない言葉!」
「水多すぎて駄目になる」
「あ、それなら分かる!」
ミナはすぐ位置を変える。
素直だ。
そして動きが速い。
「その辺りなら日当たりも悪くない」
「じゃあここ!」
鍬を突き立てる。
勢いが強い。
相沢は少し笑った。
この村へ来てから。
笑う回数が増えている気がする。
その時。
視界の端に文字。
⸻
【集落状態:微改善】
・食料損失率:低下傾向
・作業効率:上昇傾向
・住民士気:微増
⸻
「……」
相沢は空を見る。
また出た。
だが。
昨日より嫌悪感は薄い。
少なくとも。
この数字は。
村人たちが実際に動いた結果だ。
嘘ではない。
その時。
ミナが不思議そうに顔を覗き込む。
「また変なの出た?」
「まあな」
「最近、顔で分かる」
「そんな出てるか?」
「出てる」
ミナは笑った。
「でも前より怖い顔減った」
相沢は少し止まる。
「……そうか?」
「うん」
その返事は、妙に真っ直ぐだった。




