第十四話 残せる証拠
【土曜日 10:36/村・倉庫】
まだ、壊れ切ってはいないのかもしれなかった。
相沢はそう思いながら、リリアの薬草箱を見ていた。
乾燥した葉。
束ねた根。
小瓶に入った粉。
どれも丁寧に扱われている。
だが、置き場所が悪かった。
「これ、食料と一緒に置いてるんですか」
「はい」
リリアが頷く。
「薬草用の棚はあるのですが、足りなくて」
相沢は倉庫の奥を見る。
狭い。
暗い。
湿気が残っている。
そして、食料と薬草と道具が混ざっていた。
「分けた方がいいです」
「やはり」
「匂いも湿気も移る」
リリアは小さく息を吐いた。
「分かってはいるのですが、場所がなくて」
「場所がないというより、置き方が悪い」
ミナが横から覗き込む。
「また置き方」
「だいたい置き方で悪くなる」
「営業って置き方ばっかり見てるの?」
「かなり見る」
食品メーカー営業の仕事は、商品を売ることだけではない。
どこに置くか。
どれを前に出すか。
古いものを先に回せているか。
湿気や温度で傷まないか。
そういう地味な確認の積み重ねだった。
相沢は薬草箱を棚から下ろし、食料箱との距離を測る。
「薬草はこっち」
「え、そこ空けるの?」
ミナが言う。
「空ける」
「でもそこ、予備の干し肉置いてる」
「干し肉は奥に移す。古いものだけ手前」
ガンツが腕を組んだ。
「面倒くせぇな」
「面倒な方が腐りにくい」
「その理屈、強いな」
リリアが静かに笑った。
「確かに、薬草も同じです。丁寧に分けるほど長く使えます」
相沢は頷く。
「なら、薬草はリリアさんが管理した方がいい」
「私が?」
「食料と混ぜると、誰が見てるのか分からなくなります」
村長が少し考え込む。
「役割を決める、ということですかな」
「そうです」
相沢は棚を指差した。
「ここからここまで薬草」
「干し肉はこっち」
「根菜は下。ただし床に直置きしない」
「古いものは前」
「新しいものは後ろ」
ミナが眉を寄せる。
「覚えること多い」
「だから書く」
「書く?」
「見れば分かるようにする」
相沢は村長から借りた帳簿の端紙に、簡単な絵を描いた。
棚。
箱。
矢印。
文字が読めなくても、ある程度分かるように。
「これを貼る」
ガンツが覗き込む。
「……倉庫の地図か」
「そんな感じだ」
「お前、本当に変なこと考えるな」
「現場だと普通だ」
「お前の現場、細けぇな」
「細かくしないと事故る」
その言葉に、リリアが少しだけ目を伏せた。
「事故る、ですか」
「はい」
「食べ物も薬も、間違えると人に返ってきますものね」
「そういうことです」
リリアは棚を見る目を変えた。
ただの片付けではない。
人が困らないようにするための整理。
その意味を、彼女はすぐ理解したらしい。
やはり、ちゃんと見ている人だ。
その時だった。
倉庫の外から、男の声が響いた。
「村長!」
慌ただしい足音。
若い村人が駆け込んでくる。
「デルグたちが、また街道に!」
空気が止まった。
ガンツの顔から笑いが消える。
ミナが露骨に嫌そうな顔をした。
「また来たの?」
村長も表情を硬くする。
「早いですな」
相沢は倉庫の入口へ視線を向ける。
デルグ。
食料を買い叩こうとした男。
流通を“支援”と言いながら、村を依存させようとしていた男。
あの目を、相沢は忘れていなかった。
「……倉庫を見せるな」
相沢は低く言った。
村長が振り向く。
「アイザワ殿」
「片付け途中です。今見せたら、余ってると思われる」
「ですが、隠せば怪しまれますぞ」
「全部隠すんじゃない」
相沢は棚を見る。
「見せるものを決める」
ミナが首を傾げた。
「どういうこと?」
「売場と同じだ」
「また売場」
「相手に見せたいものだけ見せる」
ガンツがにやりと笑った。
「嫌らしいな」
「交渉だからな」
デルグは、ただの暴力ではない。
値踏みしてくる相手だ。
なら、こちらも見せ方を整える必要がある。
相沢は素早く指示を出した。
「傷みかけの野菜は奥へ」
「使える分だけ前に出す」
「薬草箱は布をかける」
「帳簿は村長が持つ」
「ミナ、入口に人を集めすぎるな」
「分かった!」
「ガンツは前に出すぎるな。威圧しすぎると、向こうに口実を与える」
「難しい注文すんな」
「できるだろ」
ガンツは鼻を鳴らした。
「まあな」
リリアが薬草箱へ布をかけながら言う。
「私は?」
「薬草を見られそうになったら、治療用で在庫が足りないと言ってください」
「足りないのは本当です」
「なら強い」
リリアは少し笑った。
「分かりました」
◇
【土曜日 10:51/村・広場】
デルグは、前と同じように武装した男たちを連れていた。
数は前より少ない。
四人。
だが、それでも村人を緊張させるには十分だった。
デルグは馬から降り、広場を見回した。
細い目。
値踏みする視線。
相沢はその目を見るだけで胃が重くなる。
「随分と忙しそうだな」
デルグが言った。
村長が前へ出る。
「何用ですかな、デルグ殿」
「そう警戒するな」
デルグは薄く笑う。
「前に言っただろう。余ったものがあるなら、流してやると」
「まだ余りなどありません」
「本当に?」
デルグの視線が倉庫へ向く。
「朝より匂いが減ったな」
相沢は眉をわずかに動かした。
嗅覚も鋭い。
面倒な相手だ。
「腐った分を捨てただけです」
相沢が答える。
デルグの視線が相沢へ移る。
「旅人。まだいたのか」
「ええ」
「暇なんだな」
「休みなんです」
「意味が分からん」
「俺もです」
ミナが後ろで小さく吹き出した。
デルグは笑わなかった。
「倉庫を見せろ」
直球だった。
村人たちが固まる。
相沢はすぐ答えた。
「片付け中です」
「構わん」
「こちらが構うんですよ」
デルグの目が細くなる。
「隠すほど増えたか」
「逆です」
「何?」
「見せられるほど残ってない」
相沢は淡々と言った。
「傷んだ分を分けた。使える分は今日明日で回す。保存に回せる量は少ない」
「……ほう」
「だから、今安く売る理由がない」
デルグの口元がわずかに歪む。
「売る理由がない?」
「腐る前に処理できるなら、慌てて手放す必要はない」
村人たちが静かに相沢を見る。
デルグも黙る。
相沢は続けた。
「今までは、腐るから安く出すしかなかった」
「……」
「でも損失を減らせるなら、交渉は別になる」
デルグの表情から笑みが消えた。
その瞬間。
相沢は確信した。
刺さった。
この男が利用していた構造は、
“保存できない弱み”
だ。
そこを少しでも減らせば、主導権が変わる。
「旅人」
デルグは低く言った。
「お前、自分が何をしているか分かっているのか」
「多少は」
「小さい村が、街道も護衛も持たずに強気に出ればどうなるか」
「買い叩かれ続けるよりはいい」
空気が張る。
ガンツが少しだけ前へ出た。
だが、相沢は手で制した。
ここは斧の場面ではない。
交渉だ。
「デルグさん」
「何だ」
「今日売れるものはない」
「……」
「必要になったら、こちらから条件を出す」
村長が息を呑む。
ミナも目を丸くする。
デルグの後ろの男たちがざわついた。
明確な拒否。
今までこの村があまりできなかったこと。
デルグはしばらく黙っていた。
やがて、低く笑う。
「面白い」
だが目は笑っていない。
「本当に厄介だな、お前は」
「よく言われる」
「本当に?」
「最近言われるようになった」
ミナがまた吹き出した。
デルグは不快そうに相沢を見たあと、村長へ視線を移す。
「後悔するぞ」
村長は、少しだけ沈黙した。
だが。
「それでも」
静かに言った。
「今は、村で残す道を試します」
相沢は村長を見た。
その言葉は大きい。
この村が初めて、外部の圧力に対して自分の意思を示した瞬間だった。
デルグは舌打ちした。
「勝手にしろ」
踵を返す。
だが去り際、相沢の前で足を止めた。
「旅人」
「何ですか」
「村が変わると、人が寄ってくる」
「ええ」
「善人ばかりじゃない」
「知ってます」
デルグは少しだけ目を細める。
「……ならいい」
そう言って、馬へ戻った。
武装した男たちも続く。
やがて一団は街道の向こうへ去っていった。
◇
広場に、長い沈黙が残った。
誰もすぐには喋らなかった。
やがて、ガンツが大きく息を吐く。
「……追い返したな」
「一応な」
「お前、あいつ相手に全然引かねぇのな」
「仕事で似たようなのを見てきた」
「お前の仕事、やっぱり怖ぇな」
ミナが両手を握って跳ねるように言う。
「でも、すごかった!」
「何が」
「デルグ、黙った!」
そこか。
だが村人たちも同じだった。
少しずつ、空気が緩む。
「四割取られずに済むのか……?」
「本当に、残せるのか?」
「倉庫、ちゃんとしないとな」
声が変わっている。
諦めではない。
不安はある。
でも。
試そうとしている。
その時、村長が相沢へ深く頭を下げた。
「アイザワ殿」
「やめてください」
「いいえ」
村長は顔を上げる。
「今のは、村にとって大きな一歩です」
相沢は少し困る。
ただ、買い叩きを止めただけだ。
それも完全ではない。
デルグはまた来る。
別の者も来るかもしれない。
それでも。
村人たちの顔には、さっきまでとは違うものがあった。
自分たちで残す。
自分たちで考える。
その芽のようなもの。
リリアが静かに隣へ来る。
「アイザワ殿」
「何でしょう」
「残せるかもしれない、と思えるだけで、人は少し強くなります」
相沢は広場を見る。
ミナが村人たちと笑っている。
ガンツが槍の置き場を直している。
村長が帳簿を抱えて、何かを考えている。
リリアの薬草箱は、倉庫の中で別に置かれた。
どれも小さい。
地味だ。
だが。
確かに変わっていた。
その時。
視界の端に文字が浮かんだ。
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【集落改善行動を確認】
【外部依存率:微減】
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相沢は小さく息を吐いた。
「……地味だな」
ミナが遠くから叫ぶ。
「アイザワ! 何か言った?」
「いや」
相沢は倉庫を見る。
「次は、ちゃんと保存できる形にする」
休みの日にやる仕事ではない。
本当にそう思う。
だが。
村人たちの顔を見ていると。
少しだけ。
本当に少しだけ。
悪くないと思ってしまった。




