表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
108/110

第百八話 点は消えない

【火曜日 6:31/大阪・自室】


 相沢は、いつもより早く目を覚ました。


 腹の痛みは、まだある。


 だが、昨日よりは軽い。


 熱はない。


 頭も少し戻っている。


 それでも、体の奥には、ひどく疲れた芯が残っていた。


 スマホを見る。


 火曜日。


 6:31。


 大阪。


 自室。


 何も変わっていない。


 いや、変わっていないように見えるだけだ。


 相沢は、ゆっくり体を起こした。


 昨日休んだ。


 水を飲んだ。


 薬も飲んだ。


 食べた。


 寝た。


 七瀬にも報告した。


 会社にも連絡した。


 現代側でやるべきことは、最低限やった。


 だから、今日は出社できる。


 そう考えた瞬間、視界の端に表示が浮かんだ。



【対象:

 相沢誠司】


【生命活動:

 安定】


【疼痛:

 軽中】


【職務復帰:

 条件付き可】


【推奨:

 負荷制限】


【再転移条件:

 未確定】


【次回照合:

 不能】



 職務復帰、条件付き可。


 再転移条件、未確定。


 次回照合、不能。


 現代の仕事には戻れる。


 村には戻れない。


 その差が、胸の奥で鈍く沈んだ。


「仕事は行けるのかよ」


 相沢は呟いた。


 表示は答えない。


 相沢は布団から出た。


 顔を洗う。


 水が出る。


 まだ、水を見るたびに井戸を思い出す。


 蛇口の水は、透明で、冷たく、いくらでも出る。


 ハルトの声が耳の奥に戻る。


 水はまだ死んでない。


 相沢は蛇口を閉めた。


 出しっぱなしにしない。


 それはもう、癖になっていた。


     ◇


【火曜日 7:08/広場中央】


 ミナは、朝の板を描いていた。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 夜の印を消す。


 全部は消さない。


 端の点は、そのまま残す。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 朝の五つを描く。


 昨日より、広場は少しだけ落ち着いていた。


 赤の声は来なかった。


 夜も越えた。


 森を見る組も戻った。


 葉はまだ食料にはなっていない。


 だが、可能性はある。


 それだけで、人の顔は少し変わる。


 空腹は消えない。


 不安も消えない。


 アイザワも戻らない。


 それでも、朝は来る。


 呼ぶ役が、点を見た。


「今日も残す?」


「残す」


 ミナはすぐ答えた。


「村長に聞く?」


「聞かない」


「いいの?」


 ミナは少し黙った。


 それから、板の端を指で押さえた。


「消す時は、みんなで決める。でも、残すのは、今は私が決める」


「どうして?」


「私が置いたから」


 呼ぶ役は頷いた。


 分かったような、分からないような顔だった。


 ミナも、完全には分かっていない。


 ただ、消してはいけない。


 それだけは分かる。


 点は、広場の中心ではない。


 火でもない。


 水でもない。


 呼ぶでもない。


 人でも、食料でも、仕事でもない。


 でも、消すと何かが閉じる。


 そんな気がした。


     ◇


【火曜日 8:42/会社】


 会社に着くと、若手がすぐ声をかけてきた。


「相沢さん、大丈夫ですか?」


「大丈夫」


 言ってから、相沢は自分で止まった。


 大丈夫。


 便利すぎる言葉だ。


 七瀬に言えば、駄目な返事だと言われる。


「……昨日よりはましだ」


 若手は少し驚いた顔をした。


「珍しいですね。相沢さんがそういう言い方するの」


「そうか」


「いつも、大丈夫です、で押し切るんで」


「押し切れてなかったらしい」


「七瀬さんにも怒られたんですか?」


 相沢は少し止まる。


「怒られたというか、監視された」


「得意先に?」


「得意先に」


 若手は苦笑した。


「相沢さん、何やってるんですか」


「俺もそう思う」


 机に座る。


 メールを開く。


 通知が多い。


 だが、思ったほど崩れていない。


 若手が仮で整理している。


 D店資料。


 見積もり。


 サンプル発送。


 展示会後の礼メール。


 全部、完璧ではない。


 だが、動いている。


 相沢は画面を見た。


 自分が休んでも、会社は止まらなかった。


 当たり前だ。


 だが、その当たり前が、今は少し重い。


「昨日、ありがとう」


 相沢が言うと、若手は目を丸くした。


「え、何ですか急に」


「資料、仮で整理してくれたんだろ」


「ああ、はい。相沢さんのメモ見ながらですけど」


「助かった」


 若手は少し照れたように笑う。


「じゃあ、続きも見てもらっていいですか」


「ああ。ただ、今日は全部やらない」


「え?」


「今日は、負荷制限」


「病院で言われたんですか?」


「まあ、そんなところだ」


 表示に言われたとは言えない。


 だが、意味は同じだった。


     ◇


【火曜日 9:17/治療所】


 ガンツは、座っていた。


 寝ていろと言われた。


 何度も言われた。


 だが、座るところまでは許された。


 立つことは許されていない。


 リリアは、ガンツの肩の布を替えながら言った。


「立たないでください」


「立ってねぇ」


「立とうとしています」


「まだしてねぇ」


「目がしています」


 ガンツは舌打ちした。


「お前、最近ずいぶん強くなったな」


「怪我人が言うことを聞かないからです」


「アイザワみたいなこと言いやがる」


 リリアの手が一瞬止まる。


 ガンツもそれに気づいた。


 治療所の空気が、少しだけ沈む。


 だが、リリアはすぐに手を動かした。


「似ているなら、なおさら聞いてください」


「……そう来るか」


「はい」


 ガンツは黙った。


 治療所の入口には、布が掛かっている。


 見えすぎないように。


 だが、声は少し届く。


 広場の声。


 火、水、呼ぶ。


 人、水、食料、仕事、休む人。


 アイザワがいなくても、広場は声を出している。


 ガンツは、ぼそりと言った。


「戻ってきたら、殴る」


「昨日も聞きました」


「今日も言う」


「傷が開かない程度にしてください」


「殴るのは俺だ」


「その前に治ってください」


 リリアは淡々と言った。


 ガンツはまた黙った。


 負けたような顔だった。


     ◇


【火曜日 10:32/会社・会議スペース】


 D店資料の修正は、思ったより進んでいた。


 若手が分類していた。


 提案商品。


 売場作業の負担軽減。


 誤認防止。


 担当者不在時の補充判断。


 商品POP。


 作業用目印。


 相沢のメモをそのまま使ったような整理だった。


 荒い。


 言葉も少し固い。


 だが、方向は合っている。


「これでいい」


 相沢が言うと、若手は驚いた。


「直すところ多いと思ってました」


「直すところはある。でも、骨は合ってる」


「骨」


「骨組み」


「ああ」


 相沢は資料を見ながら、赤ゴブリンの骨を思い出しそうになった。


 すぐに止める。


 混ぜるな。


 今はD店資料。


 村ではない。


 だが、完全には切れない。


 売場を回す表示。


 村を回す印。


 担当者不在でも回る仕組み。


 アイザワ不在でも回る広場。


 全部がつながっている。


「相沢さん?」


「悪い。少し止まった」


「やっぱり無理してません?」


「少しだけ」


「少しなら帰った方がいいんじゃないですか」


「今日は午前中で切る」


「本当に?」


「本当に」


 若手は疑うような顔をした。


 相沢は苦笑する。


 自分は、そんなに信用がないのか。


 ないのだろう。


 約束を守らない顔をしているのだ。


     ◇


【火曜日 11:08/倉庫前】


 葉の試しは、少し進んだ。


 昨日舌に触れた避難民の男に、大きな異常は出ていない。


 今日は、煮た葉をほんの少しだけ飲み込む。


 リリアが時間を見る。


 マルタが量を見る。


 ミナは広場で待つ。


 ダリオは森を見る。


 ハルトは水を用意する。


 役が分かれている。


 マルタは煮た葉を小さな器に入れた。


「これだけ」


 避難民の男が頷く。


 飲む。


 顔をしかめる。


「苦いです」


「うまいとは聞いてないよ」


「でも、食べられるかもしれません」


 リリアがすぐ言う。


「まだ決めません。しばらく待ちます」


 マルタは頷く。


「食料候補」


 ミナが板の前で聞いていた。


「食料じゃなくて、食料候補」


 呼ぶ役が繰り返す。


「食料候補」


 ミナは板に新しく描くか迷った。


 候補。


 描けば、みんな見る。


 見れば、期待する。


 期待しすぎると、崩れる。


 だから、描かない。


「広場には、まだ増やさない」


 ミナが言う。


「言葉だけで戻す」


 呼ぶ役が頷いた。


「食料候補。まだ食べない」


「そう」


 その時、村長が板の端の点を見た。


 しばらく黙る。


 ミナは気づいた。


「消さない」


「消せとは言っていません」


「でも、見た」


「見ました」


「邪魔?」


 村長は首を振った。


「いいえ」


 ミナは少しだけ息を吐いた。


 村長は静かに言った。


「それは、今の村では、何の役ですか」


 ミナは答えに詰まった。


 戻る場所。


 でも、それは役なのか。


 願いなのか。


 未練なのか。


 分からない。


「分からない」


 正直に言った。


 村長は頷いた。


「では、分からないものとして置きましょう」


「広場に増やさないんじゃ」


「中心には置かない。ですが、端に置かれているものを無理に消す必要もありません」


 ミナは板を見る。


 端の点。


 小さい。


 でも、ある。


「分からないものでも、消さない?」


「すぐに消さない、という判断もあります」


 ミナは、その言葉をゆっくり受け取った。


 すぐに決めない。


 すぐに消さない。


 それも、判断。


     ◇


【火曜日 12:06/会社】


 相沢は、本当に午前で仕事を切った。


 上司にも言った。


 若手にも引き継いだ。


 D店資料は、明日の午前に再確認。


 急ぎのメールだけ返す。


 見積もりは一件だけ。


 それ以外は残す。


 帰る準備をしていると、若手が言った。


「本当に帰るんですね」


「帰ると言った」


「いや、相沢さんって、帰ると言って一時間くらい残るタイプなんで」


「今日は帰る」


「いいと思います」


 若手は少し真面目な顔になった。


「昨日、相沢さんいなくても、何とか回りました」


「ああ」


「でも、やっぱり確認してもらえると助かります」


「そうか」


「だから、ちゃんと回復してください」


 相沢は鞄を持った。


 営業鞄ではない。


 昨日、仮で使った別の鞄。


 元の鞄は、村に残った。


 裂けた。


 血の近くに。


 相沢は、持ち手を握った。


「分かった」


「それ、本当に分かってるやつですか?」


「たぶん」


「駄目そうですね」


 若手は苦笑した。


 相沢も少し笑った。


     ◇


【火曜日 13:24/大阪・自室】


 帰宅した相沢は、布団に横になった。


 午前だけでも疲れた。


 体力が落ちている。


 腹の痛みも、少し戻っている。


 表示が出る。



【職務負荷:

 中】


【疼痛:

 再燃傾向】


【推奨:

 休息】


【推奨:

 水分摂取】


【再転移条件:

 未確定】



 相沢は水を飲んだ。


 薬は時間を見て飲む。


 スマホを開く。


 七瀬からメッセージが来ていた。


『出社しました?』


 相沢は正直に返す。


『午前だけ出て、帰りました』


 すぐ返る。


『午前だけで帰ったのは評価します。出社したのは保留です』


 相沢は少し笑った。


『厳しいですね』


『体調不良者には厳しくします』


『食品チーフなので?』


『今回は関係ないです』


 相沢は画面を見た。


 現代のやり取り。


 軽いようで、軽くない。


 七瀬は何も知らない。


 でも、相沢の崩れかけたところを、何度も押し戻している。


 火、水、呼ぶ。


 ではない。


 熱、水、薬。


 出社、帰宅、休息。


 現代にも、板があるのかもしれない。


 見えないだけで。


     ◇


【火曜日 15:11/広場中央】


 避難民の男に、大きな異常は出ていなかった。


 葉は、少量なら食べられる可能性が出た。


 ただし、まだ全員には使わない。


 少しずつ。


 大人から。


 病人と子供には後。


 煮る。


 水を替える。


 苦味を抜く。


 それでも、うまくはない。


 マルタは、広場で説明した。


「これは飯じゃない。飯にできるか見るものだよ」


 呼ぶ役が繰り返す。


「飯にできるか見るもの」


「勝手に取りに行くな」


「勝手に取りに行かない」


「勝手に食うな」


「勝手に食わない」


 子供が聞く。


「おいしい?」


 避難民の男が、少しだけ顔をしかめた。


「苦い」


 子供は椀を抱えたまま言った。


「じゃあ、いらない」


 広場に小さな笑いが起きた。


 本当に小さい。


 でも、笑いだった。


 マルタが鼻を鳴らす。


「まずいもんでも、食えるなら飯だよ」


 子供は嫌そうな顔をした。


 その顔を見て、何人かがまた少し笑った。


 ミナはその笑いを聞いた。


 赤の声ではない。


 人の声。


 村の声。


 広場が戻ってきている音だった。


     ◇


【火曜日 17:48/大阪・自室】


 相沢は、ノートを開いた。


 今日は少しだけ長く書ける。


 腹の痛みは落ち着いている。


 水も飲んだ。


 薬も飲んだ。


 七瀬にも、帰宅したことを伝えた。


 だから、少しだけ。


 ノートの前回の続き。


 村は、継続。


 俺は、未確定。


 その下に書く。


 次回照合、不能。


 通常の土日祝ルールから外れた可能性。


 異常帰還の影響。


 接続基点喪失?


 相沢はペンを止めた。


 接続基点。


 そんな言葉は、表示に出ていない。


 だが、感覚として近い。


 自分は、村とつながる場所を失った。


 土曜日〇時という曜日の入口では、もう足りない。


 どこへ戻ればいいのか、照合できない。


 相沢は、広場を思い出す。


 板。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 そこに、自分の場所はあったのか。


 回し屋。


 いや、最後にミナは何と言った。


 回し屋は、治療所。


 広場は、呼ぶ。


 自分は治療所へ渡された。


 その後、消えた。


 なら、自分の場所は閉じられたのか。


 それとも、残っているのか。


 相沢には分からない。


 相沢はノートに書いた。


 戻る場所が必要。


 書いた瞬間、腹の奥が少し熱くなった。


 痛みではない。


 いや、痛みかもしれない。


 視界の端に、表示が浮かぶ。



【再転移条件:

 未確定】


【接続基点:

 照合不能】


【対象:

 相沢誠司】


【推奨:

 記録継続制限】



 接続基点。


 今、出た。


 相沢は息を止めた。


「照合不能……」


 接続基点が、ない。


 いや、見つからない。


 相沢はペンを握った。


 どこに戻ればいい。


 広場。


 治療所。


 線の内側。


 戻る場所。


 その言葉が頭に浮かんだ。


 だが、表示はそれ以上変わらなかった。


 相沢はノートに、小さく書いた。


 接続基点、照合不能。


 戻る場所?


 そこでペンを置いた。


 今は、分からない。


 分からないものを無理に決めるな。


     ◇


【火曜日 18:02/広場中央】


 夕方の板に替える前、ミナは点を見ていた。


 朝からずっとある。


 誰も消していない。


 村長も消せと言わなかった。


 呼ぶ役も避けて描くようになった。


 板を拭く時も、そこだけ残す。


 マルタが通りかかり、板を見た。


「まだ残してるのかい」


 ミナは身構えた。


「邪魔?」


「邪魔なら、もっと端に寄せな」


「消せって言わないの?」


「言わないよ」


「どうして」


 マルタは腕を組んだ。


「消したら、あんたが余計に壊れそうだからね」


 ミナは何も言えなかった。


 マルタは続けた。


「それに」


「それに?」


「アイザワが戻ってきた時、立つ場所がないと、また変なところに出てきて邪魔だろ」


 ミナは目を見開いた。


 マルタは乱暴に言った。


「戻るかは知らないよ。死んだかどうかも知らない。でも、戻るなら端に立たせな。広場の真ん中に落ちてこられたら困る」


 ミナの目に涙が浮かんだ。


 でも、少しだけ笑った。


「うん」


「泣くな。板が濡れる」


「うん」


「点、少し端に寄せな。火と水の邪魔にならないように」


 ミナは頷いた。


 木炭を持つ。


 点を消さない。


 ただ、少し端に寄せる。


 戻る場所。


 広場の中心ではない。


 でも、広場から消さない。


 呼ぶ役が、それを見ていた。


「戻る場所、端」


 ミナが頷く。


「うん。端」


 マルタが鼻を鳴らす。


「これで、あいつが戻ってきても、まず座らせられる」


 ミナは、今度は少し声を出して笑った。


 泣きながら。


     ◇


【火曜日 21:09/大阪・自室】


 相沢は布団に入っていた。


 今日は、昨日より体が少し楽だ。


 だが、心は落ち着かない。


 接続基点。


 照合不能。


 戻る場所。


 表示は、あれ以来出ていない。


 ノートには書いた。


 だが、答えはない。


 相沢はスマホを見る。


 七瀬からの最後のメッセージ。


『今日は早めに寝てください。明日も無理しないでください』


 相沢は返信する。


『今日は早めに寝ます』


 既読。


『信じたいです』


『信じてください』


『実績が少ないです』


 相沢は少し笑った。


 実績。


 約束を守った実績。


 少ない。


 本当に少ない。


『積みます』


 送る。


 少し間が空いた。


『では今日は寝てください。それが一件目です』


 相沢は画面を伏せた。


 一件目。


 約束の実績。


 寝る。


 それだけ。


 相沢は目を閉じた。


 森の音はしない。


 広場の声もしない。


 大阪の夜。


 冷蔵庫の音。


 隣室の生活音。


 車の音。


 その奥で、まだ小さく、火、水、呼ぶが聞こえる気がした。


 相沢は呟いた。


「戻る場所」


 表示は出なかった。


 だが、腹の奥の痛みが、ほんの少しだけ温かくなった気がした。


     ◇


【火曜日 21:18/広場中央】


 夜の板ができた。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 誰。


 どこ。


 何。


 そして端に、小さな点。


 昨日より、少し端。


 でも、消えていない。


 ミナはその点の横に、小さな線を引いた。


 座る場所。


 何となく、そう見える線。


 呼ぶ役が聞く。


「それも?」


「戻ったら、座らせる」


「すぐ?」


「すぐ」


「ガンツさんが言いそう」


「マルタさんも言った」


 呼ぶ役が少し笑った。


 ミナも少し笑った。


 それから、すぐに板へ戻る。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 今夜も見るものはそれ。


 戻る場所は、見るものではない。


 消さないもの。


 閉じないもの。


 ミナは、その点を指で軽く触れた。


 木炭が少し指につく。


「消さない」


 小さく言った。


 呼ぶ役が隣で頷いた。


「消さない」


 その声は、広場の外へは広げなかった。


 だが、板の前には残った。


 火は小さい。


 水はある。


 呼ぶ声は残っている。


 そして、戻る場所も、残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ