表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
105/110

第百五話 赤のあと

【日曜日 5:18/広場中央】


 夜は明けた。


 何度も火を見た。


 何度も水を見た。


 何度も森を見た。


 赤の声は、戻らなかった。


 それでも、誰もよく眠れていない。


 広場の火は小さい。


 水桶は決めた場所にある。


 板には、夜の印がまだ残っている。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 誰。


 どこ。


 何。


 その端に、小さな点。


 ミナだけが意味を知っている点。


 戻る場所。


 朝の光が、その点を薄く照らした。


 ミナは木炭を持った。


 手は重い。


 指先は黒く汚れている。


 喉も痛い。


 泣きすぎたせいか。


 叫びすぎたせいか。


 どちらでもあった。


「朝にする」


 ミナが言う。


 呼ぶ役が頷いた。


「朝にする」


 ミナは夜の板の下に、新しく描いた。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 いつもの五つ。


 それだけで、昨日より重かった。


 人は減っていない。


 でも、いない人がいる。


 水はある。


 でも、いつもより重い。


 食料は少ない。


 仕事は増えた。


 休む人も増えた。


 ミナは食料の印で手を止めた。


 濃くしたくなる。


 囲みたくなる。


 でも、しない。


 食料はマルタ。


 広場全体が食料を見れば、また広場が崩れる。


「食料は、普通の印」


 ミナが小さく言った。


 呼ぶ役が繰り返す。


「普通の印」


 ミナは頷く。


 そして、板の端の点を見た。


 消すか。


 残すか。


 朝の板に、戻る場所を残すか。


 しばらく迷って、消さなかった。


 ただ、朝の五つから少し離した。


 広場の中心には置かない。


 でも、なくさない。


     ◇


【日曜日 5:46/倉庫前】


 マルタは、倉庫の戸を開けた。


 朝の分。


 病人用。


 見張り用。


 森を見る者用。


 それぞれを分ける。


 量は、少ない。


 昨日より、さらに少ない。


 赤は倒れた。


 だが、飯は増えていない。


 その事実は、倉庫の床にそのまま置かれていた。


 マルタは袋を持ち上げた。


 軽い。


 軽すぎる。


「まったく」


 誰に向けた言葉でもなかった。


 袋の口には、昨日つけた印がある。


 無事。


 怪しい。


 駄目。


 病人用。


 見張り用。


 今日の粥。


 アイザワが持ち込んだ袋は、まだ使っていない。


 見本だけ見た。


 便利だ。


 間違いなく便利だ。


 だが、いま使い切れば終わる。


 便利なものほど、使う順番を決める必要がある。


「死んだかもしれないやつの言うことを、まだ聞いてる」


 マルタは低く呟いた。


 腹が立つ。


 だが、手は止まらない。


 乾燥した海草のようなものは、病人用に少しだけ戻す。


 塩飴は、リリアへ渡す数だけ。


 残りは見せない。


 油性ペンは、ミナへ渡す。


 ただし、全部ではない。


 線が太くなる。


 印が見やすくなる。


 でも、村の木炭や焼いた棒でもできる形にしなければいけない。


 マルタは、自分で苦笑した。


 アイザワならそう言う。


 たぶん。


 いや、言った。


 物を増やすな。


 使い方を増やせ。


「分かったよ」


 マルタは袋を閉じた。


「だから、勝手に消えるんじゃないよ」


     ◇


【日曜日 6:12/治療所】


 リリアは、朝まで何度もガンツの傷を見た。


 肩。


 脇腹。


 出血は落ち着いている。


 熱はまだない。


 だが、油断はできない。


 ガンツは眠ったり、起きたりを繰り返していた。


 目を開けるたび、同じことを聞く。


「赤は」


「倒れました」


「森は」


「ダリオさんが見ています」


「アイザワは」


「分かりません」


 何度目でも、リリアは同じように答えた。


 分かりません。


 それ以上は言わない。


 死んだとも。


 生きているとも。


 戻ったとも。


 帰ったとも。


 言えない。


 リリアは、相沢の血がついていた布を見た。


 洗った。


 だが、血の色は完全には落ちなかった。


 その布を捨てるべきか、残すべきか。


 迷った。


 治療所に血のついた布を残すのはよくない。


 だが、捨てることもできない。


 リリアは布を畳んだ。


 病人用の棚とは別。


 薬の横でもない。


 治療所の奥。


 目につきすぎない場所。


 そこへ置いた。


 アイザワ殿は、治療所。


 ミナの言葉が残っている。


 なら、ここに置く。


「リリア」


 ガンツがまた目を開けた。


「はい」


「あいつは、死んでねぇ」


 リリアは手を止めた。


「根拠はありますか」


「ない」


「では、治療の判断には使えません」


「俺の判断だ」


「昨夜も聞きました」


「何度でも言う」


 リリアは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「では、聞きます」


 ガンツは黙った。


「ただし、今は寝てください」


「……お前、アイザワに似てきたな」


「それは困ります」


 ガンツは少し笑った。


 すぐに傷が痛んだのか、顔をしかめた。


「痛ぇ」


「当然です」


 リリアは淡々と言った。


 淡々と言える間は、まだ動ける。


     ◇


【日曜日 6:48/北柵】


 ダリオは、森を見ていた。


 赤ゴブリンの死体は、広場から少し離れた場所へ移された。


 燃やすか。


 埋めるか。


 森へ戻すか。


 まだ決まっていない。


 ただ、村の近くに置き続けるわけにはいかない。


 匂いが出る。


 獣が来る。


 小ゴブリンが寄るかもしれない。


 ダリオは、死体ではなく森を見ている。


 朝の森は、少し戻っていた。


 鳥の声がある。


 昨日より多い。


 だが、完全ではない。


 木の間に、まだ薄い沈黙がある。


 赤が死んでも、森がすぐ安全になるわけではない。


 見張りの男が言った。


「今日、森へ入るんですか」


「浅いところだけ」


「食べ物を探す?」


「見る」


「見るだけ?」


「見てから、取る」


 男は頷いた。


 焦っている。


 腹が減っている。


 分かる。


 だが、焦って森へ入れば死ぬ。


 アイザワなら、そう言ったはずだ。


 ダリオは、その考えをすぐに消した。


 今は、自分の目で見る。


 誰かなら、ではない。


 自分が見る。


「西は、少し開いた」


 ダリオが言う。


「西の倒木ですか」


「そこから浅く見る」


「赤が嫌がった場所」


「そう」


 男は森を見た。


「アイザワさん……いや、アイザワがいたら、そう言いそうですね」


 ダリオは少しだけ横を見た。


「アイザワはいない」


 男は黙った。


 ダリオは続けた。


「だから、見る」


     ◇


【日曜日 7:20/広場中央】


 朝の粥が配られた。


 薄い。


 昨日と同じくらい薄い。


 だが、少しだけ乾燥した海草が入っている椀があった。


 全員ではない。


 病人。


 怪我人。


 北を見る者。


 井戸。


 必要な者だけ。


 子供が、それを見た。


「緑の、ある」


 母親がすぐに止めようとした。


 マルタが先に言う。


「ある子と、ない子がいる」


 広場が静かになる。


 マルタは続けた。


「病人、怪我人、見張り。今日はそこに入れる。うまいからじゃない。倒れないためだ」


 子供は椀を見る。


「ぼくは?」


「今日はない」


「そっか」


 子供は、それだけ言って粥を飲んだ。


 マルタは顔をしかめた。


 怒っているように見える。


 だが、怒りではなかった。


 リリアが治療所前から言う。


「病人用です。甘いものも同じです。欲しい人に出すものではありません」


 ミナが板を指す。


「食料はマルタさん。病人はリリアさん。勝手に分けない」


 呼ぶ役が繰り返す。


「勝手に分けない」


 村長が頷いた。


「今日の昼までは、これで持たせます」


 昼。


 また短い。


 だが、昨日よりは少しだけ違う。


 森を見に行く。


 食料を探す。


 道を確かめる。


 赤のあとを、村が自分たちで処理する。


 それは、怖い。


 だが、必要だった。


     ◇


【日曜日 8:03/広場中央】


 森を見る者が決められた。


 ダリオ。


 村の男二人。


 避難民の男一人。


 ハルトは行かない。


 井戸を離れない。


 ガンツも行かない。


 治療所で寝かされている。


 相沢もいない。


 ミナは広場に残る。


 マルタは倉庫。


 リリアは治療所。


 村長は広場。


 全員で行きたい者がいた。


 だが、行かない。


 見たい者もいた。


 だが、見ない。


 ダリオは短く言った。


「浅く見る。奥へ行かない。見つけても、すぐ取らない。戻って言う」


 村の男が頷く。


「見えるものだけ」


 ダリオは一瞬、ミナの板を見た。


「そう」


 ミナは小さく頷いた。


「誰、どこ、何」


「誰が見た。どこで見た。何を見た」


 ダリオはそう返した。


 ミナの目が少しだけ揺れた。


 アイザワがいなくても、言葉が返ってくる。


 誰かが覚えている。


 誰かが使っている。


 それが、胸に刺さる。


 でも、悪い痛みだけではなかった。


「行って」


 ミナが言った。


「広場は戻す」


 ダリオは頷いた。


 森へ向かった。


     ◇


【日曜日 8:41/西の倒木】


 西の倒木は、昨日の戦いの跡を残していた。


 踏み荒らされた土。


 小ゴブリンの血。


 赤ゴブリンの血。


 折れた枝。


 矢の羽。


 ダリオはしゃがみ、土を見る。


 新しい足跡。


 小さい。


 小ゴブリンのもの。


 数は少ない。


 散っている。


 まとまっていない。


 赤が死んだことで、命令が切れたのかもしれない。


 だが、油断はしない。


 村の男が低く言う。


「あれ」


 指の先。


 倒木の向こう。


 実のついた低木がある。


 食べられるかどうかは分からない。


 だが、実がある。


 もう一人が言う。


「根も掘れそうです」


 避難民の男が、少し離れたところで地面を見る。


「こっち、前の村で食べた葉に似ている」


 ダリオはすぐに言った。


「取らない」


 男たちが止まる。


「見るだけ。場所を覚える。戻って、マルタとリリアに聞く」


「でも」


「取って毒なら、飯がもっと死ぬ」


 その言葉で、全員が止まった。


 飯が死ぬ。


 水が死ぬ。


 広場が死ぬ。


 村の言葉は、少しずつ増えている。


 ダリオは低木の場所に、小さな印をつけた。


 枝を二本、交差させる。


 持って帰るのは、少しだけ。


 葉を数枚。


 実を三つ。


 根は掘らない。


 場所を荒らさない。


 戻ってから決める。


 ダリオは森の奥を見た。


 まだ、奥へは行かない。


「戻る」


 男が驚く。


「もう?」


「浅く見ると言った」


「でも、まだ」


「戻る」


 ダリオは歩き出した。


 約束を守る。


 それは、今の村に必要なことだった。


     ◇


【日曜日 9:26/広場中央】


 ダリオたちが戻った時、広場はざわついた。


 袋を持っている。


 葉。


 実。


 それだけ。


 大きな収穫ではない。


 でも、森から戻ってきた。


 それが大きかった。


 ミナがすぐに聞く。


「誰が見た」


 ダリオが答える。


「俺と三人」


「どこ」


「西の倒木の向こう。浅いところ」


「何」


「実。葉。根らしきもの。食べられるかは不明」


 ミナは板に描かない。


 すぐ描かない。


 まず役に渡す。


「マルタさん、リリアさん」


 マルタが倉庫から出てくる。


 リリアも治療所前まで出る。


 ガンツが起きようとする声が中から聞こえたが、リリアが振り返らずに言った。


「寝ていてください」


 静かに強い声だった。


 ガンツは黙った。


 マルタが実を見た。


「見たことはないね」


 リリアも見る。


「少量で試す必要があります」


「誰に食わせる」


 マルタが言う。


 広場が静かになる。


 誰かに試す。


 その重さ。


 相沢がいれば、自分で試すと言ったかもしれない。


 ミナはそう思って、すぐに唇を噛んだ。


 駄目だ。


 その考えが危ない。


 アイザワがいれば。


 そう考えると、全部が止まる。


 村長が言った。


「急ぎません。まず、知っている者がいないか確認しましょう」


 避難民の男が手を上げた。


「葉は、似たものを見たことがあります。でも同じとは言えません」


 マルタが頷く。


「なら、今日は触るだけ。食うのはまだ」


「食料が」


 誰かが言いかける。


 マルタが睨む。


「毒なら終わりだよ」


 言葉はそこで止まった。


 ミナは板の食料の印を見た。


 食料は見つかったかもしれない。


 でも、まだ食料ではない。


 見えるものだけ。


 食べられると決めない。


「広場には、どう言う?」


 呼ぶ役が聞く。


 ミナは考えた。


「森に、食べられるかもしれないもの。まだ食べない。マルタさんとリリアさんが見る」


 呼ぶ役が頷き、広場へ返した。


 ざわめきは起きた。


 だが、走る者はいなかった。


     ◇


【日曜日 10:38/治療所】


 ガンツは、ダリオの報告を聞いた。


 寝たまま。


 不満そうに。


「森、行けたのか」


「浅く」


 ダリオが答える。


「赤は」


「いない」


「小さいのは」


「散ってる」


「飯は」


「まだ分からない」


「分からねぇばっかりだな」


「見えるものだけ」


 ガンツは黙った。


 それを言われると、何も返せない。


 しばらくして、低く言った。


「アイザワみてぇなこと言うな」


 ダリオは答えない。


 リリアが布を替えながら言う。


「似ていても困ります」


「困るのか」


「一人で十分です」


 ガンツは笑いかけ、傷が痛んで顔をしかめた。


「戻ってきたら、殴る」


 ダリオが短く言う。


「戻る場所はある」


 ガンツが見る。


「何?」


「ミナが板に点を置いた」


 ガンツはしばらく黙った。


 それから、天井を見る。


「そうか」


「戻るかは分からない」


「分かってる」


「死んだかも分からない」


「それも分かってる」


 ガンツは目を閉じた。


「だから、殴るまで決めねぇ」


 リリアは何も言わなかった。


 それは治療の判断ではない。


 だが、今は否定しなかった。


     ◇


【日曜日 12:04/広場中央】


 昼の粥は、朝と同じく薄かった。


 だが、広場の空気は昨日とは違う。


 赤がいない。


 森を浅く見た。


 食べられるかもしれないものが見つかった。


 確定ではない。


 でも、完全な閉塞ではない。


 村長は、昼の前に短く言った。


「赤は倒れました。ですが、食料はまだ不足しています。森の確認は続けます。勝手に入ってはいけません」


 呼ぶ役が繰り返す。


「勝手に入らない」


 ミナが板を指す。


「森を見る人は決める。見たものは、誰、どこ、何で戻す。食べられるかは、マルタさんとリリアさんが決める」


 マルタがすぐ言う。


「私だけじゃ決めないよ。知ってる者がいれば聞く。少しずつ見る。腹が減ってても、変なもん食えば死ぬ」


 ハルトが井戸から声を出す。


「水はある。食べるものを試す時も、水は決めて使う」


 リリアが続ける。


「体調が悪くなった者は、すぐに言ってください。隠す方が危険です」


 広場は聞いている。


 完全に安心した顔はない。


 だが、昨日のような割れ方はない。


 ミナはそれを見た。


 広場は、持っている。


 アイザワがいなくても。


 その事実が、また胸に刺さる。


 嬉しいのか、悲しいのか、分からない。


 たぶん、両方だった。


     ◇


【日曜日 14:26/倉庫前】


 マルタは、アイザワの残したものを改めて並べた。


 広場には見せない。


 倉庫の中。


 村長、ミナ、リリア、ハルト、ダリオだけ。


 ガンツは来られない。


 袋。


 ラベル。


 油性ペン。


 計量スプーン。


 塩飴。


 乾燥した海草。


 小板の割れた片方。


 人。


 場所。


 目。


 誰。


 どこ。


 何。


 ミナはそれを見て、手を伸ばした。


 小板を拾う。


 割れている。


 赤の爪か。


 落ちた時か。


 分からない。


 それでも、印は読める。


「これ、直す」


 ミナが言った。


 マルタが見る。


「使うのかい」


「そのままは使わない」


「じゃあ」


「村の板に直す」


 ミナは小板を胸に抱えた。


「これは、見本」


 相沢が言った言葉だった。


 マルタは何も言わなかった。


 リリアが塩飴を見る。


「これは、残りを数えます」


「隠すよ」


 マルタが言う。


「はい。薬の前です」


 ハルトが袋を見た。


「水を運ぶ時にも使えるか」


 マルタが眉を寄せる。


「飯じゃなく?」


「濡らしたくないものを分ける。井戸の近くで」


 ミナが顔を上げる。


「それ、使い方」


 ハルトは少し戸惑う。


「そうか」


「うん。物じゃなくて、使い方」


 倉庫の中が少し静かになった。


 アイザワの言葉が、そこにあった。


 本人はいない。


 でも、使い方は残っている。


     ◇


【日曜日 16:55/広場中央】


 日が傾く。


 日曜日の夕方。


 本来なら、アイザワはまだこちらにいるはずだった。


 土日祝。


 そうなら、日曜日の夜まではいる。


 だが、いない。


 ミナは、そのことを言葉にはしなかった。


 村人たちも、分かってはいない。


 アイザワがいつ来て、いつ消えるのか。


 完全には知らない。


 ただ、今回は違う。


 いつもの消え方ではない。


 そう感じている。


 白く光った。


 血の中で消えた。


 それは、戻ったというより、連れて行かれたように見えた。


 リリアは「分からない」と言う。


 ガンツは「死んだと決めない」と言う。


 マルタは「死んだかどうかも分からない」と言う。


 ダリオは「消えた」と言う。


 ミナは、何と言えばいいか分からない。


 だから、板には書かない。


 板には、今見るものだけを書く。


 火。


 水。


 呼ぶ。


 人。


 水。


 食料。


 仕事。


 休む人。


 そして端の、小さな点。


 ミナはその点を見た。


「戻る場所」


 小さく呟いた。


 呼ぶ役が聞いた。


「今日、戻る?」


 ミナは答えられなかった。


 しばらくして、言った。


「分からない」


「じゃあ」


「分からないものは、広場に増やさない」


 呼ぶ役は頷いた。


「でも、点は残す」


 ミナは少しだけ笑った。


 泣きそうな笑いだった。


「うん。点は残す」


     ◇


【日曜日 20:41/広場中央】


 夜になった。


 赤の声は、やはり来なかった。


 森はまだ怖い。


 だが、赤の声はない。


 それだけで、夜の重さが少し違う。


 広場では、交代が行われている。


 火を見る者。


 水を見る者。


 呼ぶ役。


 休む者。


 治療所へ水を運ぶ者。


 倉庫へ戻る者。


 全員が疲れている。


 だが、動いている。


 相沢がいたら、何と言ったか。


 ミナは考えかけて、止めた。


 今は、アイザワがいたら、ではない。


 今いる者で見る。


 今いる者で動く。


 ミナは板に手を置いた。


「火、水、呼ぶ」


 呼ぶ役が続ける。


「火、水、呼ぶ」


 その時、治療所の方から、ガンツの低い声が聞こえた。


 何かを言った。


 聞き取れない。


 リリアの声が返る。


「寝てください」


 広場の何人かが、少しだけ笑った。


 小さな笑い。


 すぐ消えた。


 でも、笑いだった。


 ミナは、その音を聞いた。


 夜が完全には壊れていない音だった。


     ◇


【月曜日 0:00/広場中央】


 日付が変わった。


 ミナは、それを正確には知らない。


 だが、夜の交代の感覚で、深い時間になったことは分かった。


 火が一度、小さく鳴った。


 水桶の影が揺れた。


 森は静かだった。


 何も起きない。


 白い光もない。


 アイザワは戻らない。


 ミナは板の端の点を見た。


 消さない。


 でも、呼ばない。


 呼ぶ役が眠そうな声で言う。


「火、水、呼ぶ」


 ミナも答える。


「火、水、呼ぶ」


 アイザワのいない二度目の夜が始まった。


 それでも、村は止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ