第3話
とにもかくにも、フレデリックが受け取った報告書は大いに役立った。
なんせ事細かに誰が、どんな発言をしたのか書かれている。
ここ最近、娘を意図的に孤立させようと動いていた派閥や、娘のドレスの仕立てがことごとく断られていた件も、この報告書にあった発言記録から王太子とその愛人が計画したものだと裏が取れた。
中には「嘘だろう」と思うようなものもあったが、密かにフレデリックの仲間とともに調査を進めていくうちにどうやら本当にやろうとしているようであった。
これがアーサーの妄想だったら小説家になれと勧めるほどであったが、裏取りができたのだから本物であろう。
どうやって聞いたのか。どうやって整理したのか。
気になるところではあるが、フレデリックはそれを頭の片隅に押し込んだ。
今は、娘の名誉の回復と国のために動くべきである。
「旦那様」
「なんだね」
「例のふたりがまた市井に。そして、例の宿屋を利用しているようです」
その報告を執事から聞いたフレデリックはわずかに目を見開いた。
やがてため息を吐き、目の前にあった執務机に肘をついて眉間を揉む。
「……我々としては喜ぶべきことであるのだが」
「心中お察しいたします」
「監視はどうしている?」
「帽子の君の警告通り宿には入らず、近辺で出入りを監視しています」
彼らが入った部屋に窓があれば良いのだが、いかんせんそういった意味の宿なので、金を出せば出すほど上の階の、防音性があり窓がほとんどない部屋に入ることができる。
実質トイレ部分の窓しかない部屋だ。しかもその窓は人が入り込むことができないほど小さい。
外からの襲撃や監視の心配がない分、口も軽くなるのだろう。
「彼の報告書を待つしかないか」
そう、呟きながらフレデリックは座り心地の良い椅子の背もたれに寄りかかり、目を伏せた。
―― 数日前。
フレデリックは、娘と話をした。
相変わらず部屋に閉じこもっていたのだが、彼女の部屋のドア越しにフレデリックが話題のひとつとして出した名前に反応して出てきたのである。
それは王太子でも、愛人でもない。
『……アルトゥール様、ですか? あの方はいま、生きていらっしゃるのですか?』
部屋のドアを開け、ほんの少し顔を出して見えた娘はやつれていた。
それでも瞳に光が宿ったのを見逃すフレデリックではない。
「彼の話をしよう」と誘い、頷いた娘が侍女たちを招いて支度を始めた。
こうして、フレデリックは久々に娘と面と向かって対話することができたのである。
娘が言った《アルトゥール》とは、《Arthur》の読み方のひとつだ。
おそらく市井で拾われたときに読み方を変えたのだろう。
《アーサー》という読みの方がこの国では一般的なのだから、市井に紛れやすい方が良い。
「今、彼は王都にある宿屋の受付をしているよ。この前、アリアとボルトが仕事中に偶然会ってね」
「まあ。彼はお元気でしたか?」
「ああ、元気だったよ。私も会ってきたが、良い青年だな」
「そう、そうなんです。アルトゥール様は本当にお優しい方なんです。ご自分の境遇を考えれば、わたくしのような高位貴族や準王族の立場の人間に恨みを抱いても仕方ないのに」
なるほど、アーサーと娘は交流したことがあるらしい。
状況を整理すれば、おそらく王族の誰かが ―― フレデリックは王太子だろうと考えている ―― 召喚の儀を行い、招き人であるアーサーを召喚した。
だが、彼らの眼鏡に適わなかったのか、アーサーが拒否したのか。
フレデリックのような高位貴族の人間の耳に招き人の話が入ってこなかったことから、おそらく隠蔽されたのだろう。
市井に出る前のアーサーは、どこかに軟禁されていたと考えるのが正しい。
おそらくフレデリックの娘はそれを見つけ、心優しい彼女は自身の持てる人脈を駆使して彼を市井に逃がしたのだろう。
もしその推測が正しいのであれば、娘は正しいことをしたとフレデリックは胸を張って言える。
本来であれば罰せられるべきは有事でもないのに招き人を召喚した者で、さらには召喚した事実を隠蔽した者である。
だがその推測が正しければ、隠蔽したのは王家ということになるのだ。
「お父様」
「うん?」
「アルトゥール様は、読み書きできる方でしょうか? 可能であれば、お手紙を差し上げたくて」
「手紙を?」
「はい。……謝罪を。わたくしの段取りが悪く、彼を安全な場所まで送り出すことができませんでしたから」
悲しげに瞳を伏せた娘に、フレデリックはなんとも言えない気持ちになった。
おそらく、娘の言う通り本来であればひっそりとアーサーを城下の安全な場所に逃がすはずが、どこかで王家側に漏れたのだろう。
彼を城下に放り出すだけになってしまった。
そこは確かに娘の不手際だ。貴族という立場からしても失敗したと言ってもいい。
―― その失敗をフォローする人間が誰も娘の傍にいなかったという事実が、娘がどういう立場に置かれているのか分かって、フレデリックは泣きそうになった。
自分自身がフォローできる立場になかったという事実にも。
フレデリックにとって、彼女は自慢の娘だ。
けれど、王宮は娘にとって息苦しい場所だったのだろう。
良かれと思って当時は評判の良かった王太子と婚約させたのが、彼女をここまで苦しませる結果になるだなんて、誰が思うだろうか。
「……記名はダメだ。短く、簡潔に。紙も使用人たちが使うようなものを使うんだ」
「お父様、それでは」
「彼は今、危険だが重要な仕事をしてくれている。彼のためにも、お前に繋がる何かは残すことはできないんだ」
「アルトゥール様は何を? 宿屋の受付をされているのでは……」
困惑する娘に言おうか言うまいか、フレデリックは迷った。
正直に話せば娘はまたショックを受けるだろうか。それとも。
フレデリックを見つめていた娘はふと、何かに気づいたように目を僅かに見開いて、やがて瞳を伏せた。
腹の前で組んだ両手が、かすかに震えている。
「……声をお聞きになっているのですね。殿下と、あの方の」
「!」
「それであれば仕方のないことでしょう。今、我が家との繋がりを見せてしまえば、アルトゥール様は殿下に見つかり、今度こそ儚くなられてしまう。それは絶対に避けねばならぬことですから」
一呼吸おいて、娘は瞳を開いた。
苦笑いを浮かべ「分かりました」と頷く。
「短く、簡潔に書きます。それと、もし叶うのであれば、すべて終わったらアルトゥール様に会わせていただけませんか」
「……考えておこう」
「ありがとうございます」
ほっと安堵の息を吐いた娘を見て、フレデリックもほっとした。
娘は、未だ王太子の婚約者である。
王宮の機密事項に触れる立場のためおいそれと口に出すことはできない。
それが例え、父親であっても。
今のやり取り程度であれば誰かに聞かれたとしても「アーサーが招き人である」ということは事実として扱われない。
あくまで噂程度のものだ。
娘の話を聞かなくとも、裏付けを進めていけば「アーサーが招き人である」という事実にフレデリックたちはいずれ辿り着けるだろう。
「彼に会いたいのであれば、まずは体調を戻さなくてはならないよ」
「はい」
―― 目を閉じる。
―― 耳を澄ます。
『―― ぁあ。うふふ。嬉しい、もうすぐアタシが殿下のお妃様になれるのね』
『もちろんだとも、ジェシー。父上たちにももう手は回した。あとはあいつが勝手に転げ落ちていくだけさ』
『えぇ~。目の前で見てみたかったなァ、落ちていくところ』
『まあ、それは確かに』
『ねぇ、殿下! パーティーを開きましょう、パーティー! アタシたちと仲の良い人たちを集めて、あの女を呼びつけるの! そこで地獄に落としてやりましょうよ!』
手元でサラサラと書き綴っていたペンがミシリと音を立てた。
『きっと最高だわ、あの澄ました女が絶望の表情を浮かべるのよ!』
『……たしかに、それはいいな』
『あと、あの女を傷物にしてやりましょうよ。きっとイイ声で泣き叫ぶわ。パーティーに呼んだ人たちの前で、二度と顔を上げられないくらいにしてやるの』
『ふむ……あの女を辱めるのはたしかに良さそうだ。とてもよい表情や反応を返してくれるかも』
『なんだったら手伝ってあげるわ』
『本当かい?』
『ええ。女のことは女が一番良く知っているもの』
きゃらきゃらと耳障りな笑い声がアーサーの脳内に響く。
ペンを握った右手とは反対の左手は、強く握り込んでいるせいか血が滲み出ていた。
その後、すぐまた情事に雪崩込んだのを《聞いた》アーサーは目を開けた。
視界に映るのは見慣れた受付の風景。
ふう、と息を吐き出して目線を手元に落とすと、ひらがなで書かれた文章がやや乱れた字で綴られていた。
ちらりと時計を見れば、聞いていたのは10分ほどだったらしい。
「……あと20分もありゃ、今日は大丈夫か」
そう呟いたアーサーは書いた紙を折り畳み、懐にしまった。




