第2話
夜の酒場での邂逅から3日後。
その日は休みだったアーサーはいつものつば付き帽子を被ってプラプラと歩いて指定された場所に向かっていた。
右手には大きめの封筒が抱えられており、封がきちんとしてある。
これはメモにあった、指定された場所と時間以外の唯一の指示行動だった。誰もが分かる大きめの封筒を持って、指定場所に来ること。
そうして辿り着いた場所で改めてメモを開き、目の前の場所を見上げる。
「……こんなとこも会合の場所に使われんのな」
目の前にあるのは、貴族ではないが庶民の中でも富裕層に該当する者たちが利用するような高級ブティック。
店のディスプレイにはウェディングドレスが飾られているが、こんな繊細なドレスを着こなせるのはそれなりの教養がある者じゃないと無理だろう。
アーサーには縁遠い場所であった。
だが、指定された場所の店名はここを指している。
時間も差し迫っていることだし、とアーサーは深呼吸をすると、メモを胸ポケットに入れてブティックのドアを開けた。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
奥から姿勢の良い女性が出てきた。店員なのだろう。
身にまとっているワンピースはタイトなものだが、体のラインが出ているにもかかわらず下品な印象はない。
化粧もその女性に似合う色合いでクドいという感じもなく、知識がないアーサーでも「シゴデキな人っぽそう」という印象を受けた。
アーサーは軽く帽子のつばを上げて、会釈をする。
「14時にこちらの書類を持ってくるよう指示された者です」
普通、ブティックで待ち合わせなんかしない。
特にアーサーのような底辺で働くような者たちはこの店に足を踏み入れる機会すらないだろう。
そもそも男ひとりだけ入るのも憚れるというのに。
やや緊張気味に告げたアーサーに店員はにこりと微笑むと一言「お連れ様がお待ちです」と答えた。
店員が流れるように腕を上げ、手のひらを上にして奥のドアを指す。
アーサーは店員と奥のドアに何度か視線を向けてからゆっくりと奥へと歩き出した。
それにあわせて店員も歩き出し、先にドアを開ける。ドアの先は廊下だった。
いくつか部屋があり、そのうちのひとつのドアの前に男が立っている。
男は廊下に入ってきたアーサーを見てわずかに目を見開き「お待ちしておりました」と声をかけた。
つまり、その男が立っているドアの奥が目的の部屋となる。
店員は廊下に繋がるドアの近くで立ち止まり、アーサーに一礼した。
アーサーはまた会釈をして、男が立っていた部屋の前へと移動する。
男がドアをノックし「いらっしゃいました」と声をかけると、部屋の中から「入ってもらってくれ」と返答があった。
ゆっくりとドアが開く。
部屋の中はおそらく応接室と呼ばれる、接待用の部屋であった。
その部屋の中央には対面する形で二対のソファが置いてあり、中央にはローテーブルが設置されている。
その二対のソファのうち、片方に座っていたオールバックの男がゆっくりと立ち上がってにこりと微笑んだ。
男の身なりはとても立派で、口元にはアーサーが酒場で見た手入れされた立派な口ひげがある。
「酒場では失礼した。ようこそ、アーサー殿」
「旦那、酒場のときも思ってたけどイケメンだぁ」
「40の半ばを超えた私には過ぎた賛辞だよ、ありがとう。どうぞ座ってくれ」
「んじゃ失礼して」
アーサーは手で促されたソファへとボスンと座る。ちょうど口ひげの男と向かい合わせになった形だ。 手に持っていた大きめの封筒は自分の隣に置く。
部屋の中で待機していた、口ひげの男の侍従やら護衛やらの面々はアーサーの態度に眉根を寄せている。
それはそうだろう。明らかに貴族階級と分かる主人に対して横柄な言葉遣いな上、アーサーは脱帽していない。
いかに客人とはいえ無礼だと思ったひとりの護衛騎士が文句を言おうとしたが、主人である男にサッと手を上げて制されてしまった。
手を下ろした口ひげの男は、足を組んで腹の前に両手を置いた。
「酒場ではできなかった自己紹介を改めて。私はフレデリック・ブレグリン。ブレグリン侯爵家の当主である」
「知ってるだろうけど、俺はアーサーだ。しがない、とある宿の受付担当さ」
「その節は部下が世話になったよ。さて、本題に入ろう」
部屋の空気がやや重く感じられた。
僅かばかり侍従の姿勢が良くなり、護衛の顔も険しくなる。
アーサーの目の前に座る、フレデリックは相変わらず笑みを浮かべているにも関わらず。
―― なるほど、これが貴族の圧ってやつ?
そんなことを考えながら、アーサーは何ともないとでもいった風に足を組んで、ソファの背もたれに凭れかかった。
「追加料金を払おう。君と私の目的が同じならば、手伝ってほしい」
「俺じゃなくて、俺の雇い主に伝えた方がいいんじゃねーの?」
「もうすでに伝えているよ。対価は君次第とも」
「なんだ、ベンの旦那、いつにも増して太っ腹だなぁ。まあいいけどよ」
ケラケラと笑うアーサーにフレデリックはほんの少し瞳を細めて見つめた。
帽子のつばに隠れているアーサーの瞳の色は分からない。髪は帽子からはみ出ている色からしてかなり暗い茶髪だ。
このアーサーという男について。
フレデリックは下調べをしなかったわけではない。
酒場での接触後、フレデリックはこの3日間で徹底的にアーサーを調べさせた。
だが手に入る情報はひどく限定的であった。
アーサーという男が現れたのは3年前。ボロボロの姿で現れ、裏路地で倒れたところから始まる。
あの場末の酒場の主人がアーサーを哀れに思ってか拾い上げ、衣食住の世話をさせたらしい。
はじめは酒場のウェイターとして。アーサーの評判はとても良かった。
ただアーサーから「申し訳ないが、人が多いところがやっぱりキツい」ということで、酒場の主人の友人であるベンが営む、例の連れ込み宿の受付になったのだという。
そして、アーサーというその名はあだ名であり、本名は分からないということも。
アーサーは寄りかかっていた背もたれから離れ、体を起こして両膝に肘をつき、前かがみになりながらフレデリックを見つめた。
「この前の報酬の3倍でいいよ」
「……そのぐらいでいいのか。何なら一生暮らせる報酬も与えることもできる」
「かぁ~ッ、これだからお貴族さんは! 生活レベル下げて慣れてきたとこなんだよ! そこに一生分の金銀財宝が入り込んでみろ、今までの努力がパァだ!」
―― 生活レベルを下げる?
フレデリックは僅かに目を見張った。
ということはつまり、アーサーは今よりは羽振りの良い生活をしていたということになる。
3年前はボロボロで、栄養失調も起こし、ひどい怪我を負っていたというアーサーが。
どこかの貴族の落胤か。
いずれにせよ、アーサーは今現在、真面目に働いて、そこから得た金銭のみで生活している。
日々生きていくのに精一杯で、給料日のみちょっとした贅沢をすることが楽しみだというレベルで。
フレデリックは僅かな間でそれだけ考えて「それは悪かった」とアーサーに告げた。
「前回の3倍の金銭を支払おう。契約書をここに。失礼だが、君は読み書きは?」
「できるよ」
平民の中では一生、読み書きできないまま暮らしていく者もいる。
その場合を考慮して確認してみたが、アーサーはできる方らしい。
侍従があらかじめ用意していた契約書に今回の金額を記入する。
一通り目を通したフレデリックは、目の前のローテーブルに契約書を置くと侍従から渡されたペンでその場でサインを書き込んだ。
契約書の上下をひっくり返し、ペンとともにアーサーへと差し出す。
アーサーは契約書とペンを持つと、内容に目を通し始めた。右手で持ったペンをくるくると器用に回しながら、視線は契約書の文章を追っている。
やがてアーサーはローテーブルに契約書を置くと、その場でサインを書いた。
侍従がそっと手のひらサイズの小さな包みをアーサーに渡す。怪訝そうな表情を浮かべたアーサーだったが、受け取ってその包みを開いて納得した様子を見せた。
入っていたのは、針。
「そっか。俺平民だもんな。こういうのにゃ血判が必要なのか」
「すまないね」
「いいよ別に。理解できるから」
言いながら、アーサーは戸惑いもなく右手親指の腹に針を突き刺した。
その僅かな痛みに、ぴくりと目元が動いたがそれはすぐに収まり、ゆっくりと針を抜く。
ぷっくりと、親指の腹から血が溢れ出た。
それを見てからアーサーは、自分がサインした名前の脇にグッと親指を押し付ける。
ゆっくりと親指を持ち上げると綺麗に親指の指紋が契約書に反映されていた。
侍従から血止め用のテープを渡されたので、アーサーはくるくると親指に巻く。
針は侍従によって回収された。おそらく、衛生面を考えて熱消毒、あるいは破棄されるのだろう。
「サインして血判した上でなんだけどさ」
「なんだね」
「俺たちの目的、すり合わせてないまま契約したけどいいの?」
「君が酒場で言っただろう。《目的は同じ》だと」
ひとつ、ため息を吐いて。
フレデリックは、再びソファの背もたれに寄りかかったアーサーを見つめて言った。
「我が娘を傷つけた、憎き王太子とその愛人に地獄を見せるために」
その低く、憎しみの篭った声色にアーサーはニヤリと口角を上げ。
「やっぱ目的は一緒だな」
そう言って、隣に置きっぱなしになっていた大きめの封筒をローテーブルに置いて、フレデリックへと滑らせて渡した。
フレデリックは封筒を持ち上げる。
それは予想外に重く、厚みがあった。
―― 封筒を持たせることはあらかじめ指示していた。
なぜなら、アーサーのような階層の人間がこのブティックには足を踏み入れることすらできないから。
配達人に偽装させるために封筒を持って来いとメモに書いていた。
中身については指示していない。
侍従からペーパーナイフを渡されたフレデリックが封を開くと、そこには厚さ5cmにも及ぶ書類が入っていた。
取り出して、目を通すうちにフレデリックは冷や汗を流し始めた。
「……これは」
「連れ込み宿なんて特殊な宿に来る客はね、どの口もゆるーくなって声もデカくなるもんさ」
フレデリックの目の前にある書類は、会話記録の報告書であった。
日時、利用した部屋番号、誰が発言したかの議事録のようなもの。
そして、決定的なのはその日時の報告書に添付された写影紙である。
―― この世界では、自然界の魔素が集まってできた魔石や人為的に込められた魔力を燃料として稼働する魔道具と呼ばれるものがある。
そのうちのひとつに、写影機と呼ばれるものがあった。
ボタンを押しただけで、そのレンズに映り込んだ風景を写影紙と呼ばれる紙に反映させるという代物で、平民でも手に入る簡易的な物から貴族が好む高機能な物まで存在する。
添付された写影紙の映像は実に鮮やかであった。
王太子が愛人とピッタリと寄り添い、口づけをしているところ。
別の報告書を見れば、それはもう口には言えない行為をしているところ。
別の報告書を見れば、何やら薬を王太子が飲んでいるところ。
いずれも、同じ画角で、同じ部屋の映像であった。日時スタンプまでつけられている。
それが1年前から。ちょうどフレデリックの娘が王太子に心を酷く傷つけられた時期と重なる。
「まっ、普通は犯罪だわな」
「……たしかに。普通はそうだ。しかし、会話まで聞き取れたのか」
「ちょいと工夫したけどな」
「しかし、写影機での撮影はどうやったんだ。あれは音が出るだろう?」
「レンズが隠れないように色々と被せて、シャッター音を小さくした上で部屋の中で音楽流したんだよ。もともと、声がうるせーって苦情もあったし。音楽流せば多少紛れるだろ?」
部屋にはあらかじめ写影機を仕込んでおけば良い。
もともと、あの王太子と愛人カップルは同じ部屋を利用していた。
いつも利用する部屋は、設備が整っているため結構良い値段がするから予約制にしていたのが幸いした。
予約名や台帳に記録される名前は当然、王太子ではない。
だが毎回同じ名前なのでとてもわかりやすかった。それほど、あのふたりはアーサーがいる宿を利用していたのである。
再び、フレデリックは報告書へと視線を落とした。
「……あの者たちには良心というものがないのか」
腹の底から、煮えたぎるような怒りが沸き起こる。それはフレデリックの声にも表れた。
「フレデリックの旦那のお嬢さんを更に陥れるつもりらしいなぁ」
「ただでさえ娘はあれだけ傷ついているというのに、あれだけのことをしておいてさらに娘を追い詰めるなど、腸が煮えくり返る」
「元から腐った根性の男だからなぁ。いや、腐ってんのは王族全体か。フレデリックの旦那みたいなお貴族さんもいるし、さすがに国全体ってわけじゃねーだろうけど」
両腕を組んでうんうんと頷くアーサーに、フレデリックは視線を向けた。
……もともと、疑問のひとつであった。
アーサーの目的がフレデリックと同じ「王太子と愛人に復讐する」ことであれば、なぜ平民のアーサーが王太子と因縁があるのか。
私怨だとは思うが、王族と平民では関わりはほぼないに等しい。
市井で愛人とデートしている、連れ込み宿を使っている、などは置いておいても。
あけっぴろげに王太子が「我こそはこの国の王太子である」と喧伝して歩いて回っているわけではないのだから、少しいいところの子息としてしか見られなかっただろう。
対外的には好青年である王太子の腐った本性を知る者は、ごく一部の者しかいないはずであった。
死んだ者を除いては。
そこまで考えて、フレデリックはハッとした。
表情にも出たのだろう。アーサーは首を傾げている。
アーサーはずっと帽子をとらなかった。
連れ込み宿の受付をしているときも、酒場でも、この場においても。
この世界の人間の髪や目の色は、とても様々な色を持つ。
だが唯一、存在しない色があった。
異世界からの招き人が持つ、黒。
自然界の鳥にも存在するその黒色だけは、人間に表れない。
3年前、招き人が召喚されたという噂がある。
ただ、それはあくまで噂だった。
本来、招き人召喚は有事の際 ―― 大量のモンスターが襲ってくるスタンピード現象から国を守るといったような、緊急事態の際のみ許可されるものだ。
もし有事でもないのに召喚が行われたのだとしたら罪に問われるべきこと。
だがフレデリックが同派閥の貴族たちと調査を進めても召喚の事実を突き止められず、有耶無耶になっていたはずだ。
そして奇妙なことに、3年前、娘が協力者を得て何かをしている。
その何かは王族に関係することのため、フレデリックですら娘から守秘義務のため話が聞けないということがあった。娘はただ「心配しないで」と笑っていたのを、フレデリックは覚えている。
「……君は、3年前にこちらへ召喚されたお方であろうか」
報告書を持ったまま、静かにフレデリックがそう問えば。
アーサーはほんの少しの間、口を真一文字に結んだあと、苦笑いを浮かべた。
「俺はただ、恩に報いたいだけだよ」




