大会前夜
連続投稿の4話目です!
帝国騎士選考大会を明日に控え、夜の帝都はさらに活気に満ちていた。どこもかしこも宴会が連日続き、人々はお祭り騒ぎに夢中になっている。
まさにこれから行われる大会は、帝国でも屈指の人気行事である。騎士や貴族などはもちろん、平民や冒険者に至るまで注目しているため、この活況は例年通りだった。
だが、出場者たちにとっては何も嬉しいことばかりではない。
帝国三将の1人、シャルロット・テスカトリ・モルト将軍の発案により、今年の選考大会は広大な帝国領の約4分の1を舞台とした、壮大なサバイバルレース形式となった。
出場しない者にとっては期待や楽しみが増したが、出場者からすれば、未知の選考大会という大きな悩みが増えた形だ。
決戦が明日となった今も、出場者たちはそれぞれの最終準備を進めている。街中の活気に反して、出場者の緊迫した気勢は帝都中に蔓延していた。
ここ帝都の第1士官学校でも、それは同じだった。
訓練場には燭台が僅かに灯っていて、刀を振る影が広い訓練場の壁に伸びていた。そこではただ1人、ジャックが素振りをしている。足が土床を擦る音と刀が空を切る音、そしてジャックの弾んだ吐息だけしか聞こえない。
ちなみにジャックは両の手で刀を握っている。すでに人狼エイドスから咬まれた傷は完全に塞がり、2週間前に竜騎士アーリマンの『竜ノ顎』によって受けた全身の傷も癒えた。ここまでに様々なことがあったが、ようやく万全な状態となって選考大会前夜となった。
「……三百九十八、三百九十九、四百ッ!」
一本一本に魂を込めた素振りが終わった。そして刀を掲げて刃の状態を改めて確認し、刃こぼれや変形が無いか念入りに見定める。2週間前はアーリマンと激しく打ち合ったが、刀に傷は一切なかった。
満足したジャックは刀を納め、高い訓練場の天井を見上げた。無機質な石造りの天井には、燭台の灯りが揺らめいている。燭台の炎に目を移すと、その踊るようにふらめきに、様々な感情や記憶がジャックの脳裏に回顧された。
はじめはマーシュとクレアの顔と声が浮かんだ。この世界に入って、右も左も分からぬままで刀を振るったあの頃が、今では懐かしく感じられる。
次にグレンジャーやホンバット、魔術を教えてくれたダリアなどが想起されたが、その残像を掻き消すように人狼エイドスの記憶が甦る。
その爪、その牙、その残虐な姿がありありとフラッシュバックし、炎と薪がたてるパチパチという音が、まるでエイドスの歯軋りに聞こえてきた。
首を振ってジャックは記憶の残像たちを消す。自分がいつのまにか感傷的な気分になっていることに、これでは駄目だと思考を振り切った。
しかし、薪が一段と大きな音を立てて燃えた途端に、あの気の強い茶髪の少女の顔がまざまざと浮かんだ。そして今まで気にも留めなかった事柄が、やっとのことで頭の中で繋がり始め、ある可能性を導いたのだが…
『まさか、な……あいつは既にいない。ましてやこの国にいるはずがない』
新たな予感を察知したジャックだったが、再び頭を振ってその考えを否定し、燭台の炎を吹き消して訓練場を後にした。
その時同じくして、選考大会の出場者の1人、アドルフ・ゲーグナーは静かな旧市街地を歩いていた。アドルフはゆったりとした貴族服を着て、分厚く古い書物を小脇に抱えている。
庶民的な新市街と違って、貴族階級の住む旧市街には酒場も宿屋も少ない。ゆえに、選考大会のお祭り騒ぎや宴会の賑わいも無縁だった。
図書館に向かう夜道を歩いているアドルフだったが、近道を通ろうとして狭い裏路地に入った。裏路地は暗いが綺麗に舗装され、パンくずや酒瓶などのゴミもほとんど落ちていない。
そうして路地の中ほどまで来た時、アドルフは突然しゃがみこんだ。その直後にアドルフの頭の上を拳大の石が通過した。
「誰だ!」
間一髪で前から飛んで来た石を避け、アドルフは目の前に伸びる路地の奥の暗闇に向けて叫ぶ。
アドルフの声に対して返事はない。いや、もうそこに居るのにあえて返事を返さないと言った方が正しいだろう。
たまりかねてアドルフは雷球を生み出し、それを前方にかざしてその場を明るくした。雷光に照らされた先に立っていたのは、小柄で眼鏡をかけた少年だった。
「なんだ、お前か……何の用だ?」
その少年に面識があるアドルフは、腕を組んで横柄な態度で要件を問いかけたが、少年は血色の悪い痩せた顔を歪ませて笑顔をつくった。
不気味な少年だったが、アドルフはため息をついて雷球をちらつかせる。さらに雷球は大きくなり、強い放電音と発光を繰り返していく。
「用がないなら通らせてもらうぞ。ほら、焼け焦げたくなかったらさっさと道をどけろ。お前みたいな根性なしの顔を見ると苛つくんだよ」
アドルフの脅しに少年は耳を貸さなかった。薄気味悪い笑みを貼りつけたまま、少年はアドルフの方に歩み寄ってきた。
少年が歩き出したやいなや、アドルフは躊躇なく雷球を帯状に放射した。瞬時に雷の帯が少年の身に襲いかかり、断続的な放電とともに焦げた臭いが漂い始めた。
少年はその場で無言に崩れ落ちた。その姿を確認したアドルフは、うっとおしそうに少年を足蹴にしながら道を通ろうとしたが、いきなり背中に鋭い痛みが走ってよろめいた。
「ぐっ?!」
慌ててアドルフは少年から距離を取る。抱えていた本は地面に落としたが、それよりも背中をさすると血が流れているのを感じた。
雷魔術を受けた少年は立ち上がり、手には1本の木製ナイフを持っていた。暗いために細部までは分からないが、ナイフの先端には血がついて整然な石畳の上に血が滴っていく。
アドルフは少年を真っ先に殴り飛ばそうとしたが、背中に危険な違和感を感じると、急いで背中の傷を電熱で焼き塞いだ。
「ぐぅぅっ……はぁーっ、はぁーっ、確実に雷を受けたはずだぞ? しかもその木のナイフ何かあるな?」
ナイフを構える少年にアドルフは問いかけるが、なおも少年は明確な言葉を返さない。まるで死人や怪物を相手にしているような感覚をアドルフは味わった。
『くそ……とっさに背中の肉ごと焼き潰したが、早く傷を詳しく調べなければ。確定はできないが、あのナイフが俺の体に何らかの異常を生じさせるつもりだったはずだ』
傷の具合は自分では見れないが、アドルフはそれなりに推論を立てた。あのナイフに刺された直後に起こったあの異変には、恐るべき何かが隠されているはずだ。
少年はゆっくりとアドルフに近づく。アドルフは少年と視線を合わせながら慎重に後ずさって、少年の出方を観察した。
そこで不意に少年が立ち止まった。少年は唇をすぼめて、意地悪く噴き出してから声を上げて笑い出した。
「ぷふぅ〜〜、くくふっ……あははははっ!」
あまり遠くまでは聞こえない大きさだったが、少年の笑い声は腹の底から漏れ出した喜悦の現れだった。
背中を手で押さえながら眉をひそめるアドルフに、やっと少年が意味ある会話を始めた。
「……ははは…ああ! いや、すまないね。君が困っている顔を見たのは初めてだったけど、こんなに気分が晴れるならもっと前からやれば良かったよ」
まだ声変わりのしてない高い声だ。いやらしい話し方と内容から、まるでいたずら好きな醜い小悪魔が話しているようだった。
「それはそうと、お久しぶりだね。君は相変わらず元気だった? あの2人も元気だった?」
「あの2人?」
アドルフが逆に訊き返すと、少年は悲しげに顔をしかめて大げさに喚き散らした。
「あの2人だよ!あの2人! 君の大事な手下のケビンとブルスに決まってるじゃないかっ!」
その2人の名を少年から聞いてアドルフは合点がついたが、そのアドルフの顔を見た少年は、何かを思いついて探るように問いかけてきた。
「あぁ〜〜……そうか、そうかそうか! 君の中で優先する人間の順序が変わったんだね。今やあの2人と聞いて1番に思いつくのは、ジャックという異国人と天才ハル・イブリッツの2人というわけだ?」
わざとらしく頷きながら喋る少年だったが、この際アドルフはその態度に構わないことにした。
「おい、ミゲル。そろそろ上っ面だけの会話はやめないか? どうやってあの2人のことを知ったかは訊かないが、これ以上、俺に手間取らせて怒らせてみろ。今度という今度は徹底的に踏みつけて、今までにない屈辱をくれてやる」
ミゲルと呼ばれた少年は笑みを浮かべていたが、アドルフが話している途中にピタリと動きを止めた。表情も体も急停止して、目玉だけをアドルフの方に睨みつけた。
アドルフが言葉を終えると、突然ミゲルは髪を掻きむしりだす。さらに歯軋りもキリキリと鳴らして、怒りの表情をアドルフに晒した。
「今……なんて呼んだ?」
「何?」
どこか焦点がおかしいミゲルの反応に、アドルフは訝しんで首を傾げたが、ミゲルは1オクターブも声の高さを上げて怒鳴りだした。
「下賎なお前が僕を呼び捨てするなぁああッ!! 僕の名を呼んでいいのは、この世であの人だけだ! 君みたいな弱い者イジメだけが取り柄の見習い騎士風情に、あの人のように僕の名を気安く呼んで欲しくなぁあいッ!」
金切り声を上げてまくし立てたミゲルは、荒い息を何度か吐いてから襟元を正して深呼吸した。
この情緒不安定なミゲルの状態を見て、アドルフはミゲルの言うあの人に言い知れぬ脅威を感じた。ミゲルはかつてアドルフと取り巻き2人が虐めていた少年だったが、ここ1ヶ月は士官学校が休校だったために接触することが無かった。
今のミゲルはまるで、ジャックに完膚なきまで叩きのめされた数週間前のアドルフと似ている。
「はぁ……お前を変えたのは俺だろうな。俺がお前を日々痛めつけていたから……でも、それだけではないはずだ」
「言い逃れか? 原因は君だろう」
「ああ、原因はな。だが、人が変わるには重大なきっかけが必要だ。自分の根底から覆すとんでもない引き金があって、その瞬間に世界が変わる。俺だってそうだった……お前は違うか?」
「……ははっ」
アドルフの指摘は的を射ていたようだ。引き金と聞いたミゲルは乾いた笑い声を上げたが、アドルフの真剣な顔を見て、先ほど掻きむしった髪を整えつつ話し始めた。
「少しくらいなら教えてあげるか。と言っても、別に小難しい話も複雑な思惑もないんだ。僕が変わるきっかけとなったのは、あの人が僕を鍛えて強くしてくれたからだ。おかしなことじゃないだろ? それが唯一のきっかけだ」
「あの人? どこかの高名な騎士が指導役にでもなったか?」
「投げやりでありきたりな推測をしないで欲しいな。あの人は、そんな平凡で小さな人間じゃない」
あの人のことについて語るミゲルの声には、珍しく軽率なものが無かった。神や精霊を崇拝する信仰者のように、厳粛で異論を許さない口ぶりだ。
「ならば、名の通った冒険者か? それとも本の虫だったお前に合うような凄腕の魔術師か?」
「違う、違うね! 全然違う! 的外れにもほどがあるし、何より、あの人がそんな人間なら君たちは震えあがらないじゃないか」
ミゲルの示唆するあの人に、アドルフはまだ見当もつかない。背中の傷の痛みが増してきたため、アドルフはミゲルに答えを急かした。
「もったいぶるなよ! 俺の怪我が悪化するまでの時間稼ぎのつもりか知らないが、話が堂々巡りになるなら俺は帰るぞ」
だがミゲルはすぐさま食いつくように訊き返してきた。
「まだ分からないのかい?! 君やハル・イブリッツ、ルイーネ・マリアクラスタなど、僕たち世代の見習い騎士を震えあがらせた人間なんて、あの人しかいないだろう!」
「俺たちの、世代?」
ミゲルの言葉を復唱したアドルフの顔に、突如として緊張が走った。その姿が脳裏に浮かび上がり、明確な答えに当たる。アドルフの顔にはみるみるうちに恐怖が広がった。
「まさか、あいつが……!!」
「今になって、やっとやっと気づいたようだね。残念だけどそういうことさ」
「馬鹿な! あいつは何年もこの帝都にいないはずだ! ましてやお前に接触して協力するなんて、理由も脈絡も義理もないだろうが!」
「あははっ! 焦る気持ちはよく分かるよ。僕だって初めてお会いした時は恐れ慄いたさ。だけど、それだけではない。君たちにとって、さらにとっても悪いお知らせがある」
ミゲルは夜空を見上げて少ししてから、アドルフの方にゆっくり目線を合わせて言い放った。
「あの人は帝国騎士選考大会に出場する」
それを聞いたアドルフの心には、幼心に体験した記憶がぶり返した。ミゲルの宣告が嘘や冗談ではないならば、異能と才能、そして絶対を体現したような鬼才が再び立ちはだかるということなのだ。
アドルフは震える歯を噛み締めて怒鳴った。
「俺を脅すための方便ならやめたほうがいいぞっ!」
「いいや、これは事実だよ。今年の選考大会で正統騎士と認められるのは100人までだけど、あの人こそ並みいる強豪を全てなぎ倒して、第1の正統騎士になれる人だ。僕はもちろん、蓋を開ければ他の見習い騎士だって簡単に服従するに違いない」
「ちっ……その様子からすると、お前も選考大会に出るというわけか?」
アドルフの問いにミゲルは喜色満面の笑みを見せた。その表情が何よりの答えであり、思わずアドルフは舌打ちした。
「つまりお前はもう、第1士官学校の見習い騎士ではない。おそらくだが、別の人間の推薦を受けて大会に出場するために、わざわざ士官学校に辞表を叩きつけたわけだ」
「まあね、その通りだ。別に士官学校なんて僕にとって有意義なことは何一つ無かった。君にイジメられ、教官連中からも軽視され……そんな思いはもうしない。あの人についていって、僕は正統騎士を目指す。そして君には、かつてない敗北感を味わってもらう」
そこまで言うとミゲルはアドルフに背を向けて歩き出した。あの木のナイフは血を払ってから懐にしまい、アドルフに手を振りながら路地の向こうへ去っていった。
「おい、待て!」
「じゃあね。大会でよろしく〜……」
アドルフは呼び止めたが、ミゲルの間延びした高い声がだけが残った。ミゲルの後を追えないことはないが、まずは背中の傷の処置が先だと考えた。
傷の痛みは感じない。ちゃんと血も出ている立派な傷のはずだが、アドルフはミゲルを作り変えた『あの人』のことで頭が一杯になっていた。それほどまでに同世代の見習い騎士において、圧倒的な影響力を誇る存在だった。
「カミーユ・クロード……」
もう口にすることはないはずだった。しかしアドルフはその名を呟かずにはいられなかった。




