ジャックの馬探し〜新市街にて〜
大変長らくお待たせしました!!
ようやく書ける時間ができたので、稚拙な物語ですがこれからもよろしくお願いします!
朝の士官学校の敷地内には、刀を持って素振りをしているジャックがいた。まだ空気がひんやりとした早朝だが、全身にじんわりと汗をかいている。
こうして朝早くから素振りするのは、前世で武士だった頃から続けていた日課だった。余程のことがなければ外に出て剣を振り、激しい雨や吹雪の日でも町道場に通って素振りを行っていた。
そしてこの素振りには特に回数を決めていない。これはその日のジャックが気の済むまで続ける。もちろん剣の道を好んで歩んできたから何十年も続けているのだが、そもそもジャックは、こういった地道な積み重ねに飽きない性分だ。
『うむ、だいぶ良い』
300回を越えた辺りで、振り切った剣をピタリと止めて心の中で呟く。
人狼エイドスに噛まれた右肩はまだ癒えていない。昨日のような数度の打ち合いならば耐えられるが、何百もの素振りとなると悪化するため、今日のジャックは左腕のみで300回、刀を振った。常人ならば中々負担が大きいが、刀を振るのは左手の力が基本なので、ジャックにとっては別に大したことでもない。
ひとまず今朝の調子に満足したジャックは、刀を納めて袖口で額の汗を拭った。
『今日も晴れそうだな』
ジャックは朝白くなってきた東の空を見上げる。大した雲もなくすっきりしていて、昨日のようにカラッとした1日になるだろう。
次にジャックは視線を北に移した。視線の先には岩の高山を丸ごと城にした、あの『戴冠の皇城』が建ち、城の東側が朝日を受けて白く光っている。
これほど巨大な建造物をジャックは見たことがない。前世でも5階層の天守閣すら珍しいのだ。ましてや、標高1000mを越える帝国最大の城ともなれば、ジャックにとっては人智を過ぎたる領域だ。
『改めて思うがとんでもない国だ。やはりラスクを無理にでもファルス王国に帰して良かった』
昨日の自分の判断が正しいと考えながらも、今のジャックの顔色は冴えていない。
先ほど素振りを始める前、ラスクの部屋に見舞いに行ったのだ。
その時はラスクの姿が無いことに少々焦ったが、よくよく考えてみれば、自分と言い合いになった直後にさっさとファルス王国に帰って行った可能性もある。部屋を探しても鎧も旅荷物もなかったので、昨日のうちに帝都を出てファルス王国に向かったのだろうと結論づけた。
『これで良い。これでようやく、俺一人で……』
再び自分の決断を肯定して、刀の柄を強く握り締める。
くるりとジャックは後ろを向いて士官学校の中に戻ろうとすると、正面門の方からハル・イブリッツが歩いてやって来た。
ハルはシンプルな黒い訓練着の上に軽装な鎧を着て、腰には刺突直剣を差していた。格好自体は特筆して優雅ではないのだが、夜空を想わせる濃紺の髪に藍色の瞳をした美少年が身につければ、ひとたび御伽噺に出てくる秀麗な騎士となる。
屈託のない笑顔で手を振り、ハルはジャックに挨拶をする。
「おはよう、ジャック。よく眠れたかい?」
「ああ、しっかり眠れたぞ。そういう君はどうした? その格好、どこかに出かけるのか?」
「まあね、今日はジャックと一緒に練馬場に行こうかなって思ったのさ。体も動かすだろうから、僕もこうして鎧を着て来たわけだよ」
練馬場と聞いたジャックは、ハルにその場所について訊いてみた。
「練馬場か。軍馬を育てて調教する施設なのか?」
「その通り。この士官学校から東に3キロ行った先にあるのさ」
「ふうむ、今日は馬を御する技術を身につける訓練をするということだ」
「それもあるけど、君の愛馬を新たに探すためでもある」
「俺の愛馬……だと?」
そう訊き返すジャックに、ハルはうんと頷いた。
「そうさ。だって、騎士選考大会に参加するには馬が必要だし、君に合う馬がいれば今日にでも引き取りした方が良いよ」
「おいおい、そんな簡単に馬を俺に与えるのか? ハルよ、こんなよそ者に高価なものを与えるとは驚きだな」
珍しくおどけたようなジャックの言葉に、ハルはくすりと笑った。
「うん、まあ、確かに君はよそ者だ。けれど僕や教官にとって君は必要な見習い騎士の一枠だし、選考大会でも勝ち抜いて正統騎士になってもらわなくちゃ困る。だったら馬も武具も、必要経費として惜しみなく使うに決まってるだろう?」
「……お前やアーリマン教官は、俺を本当はどうしたいのだ?」
「さてね。僕個人としては君と仲良くやっていければ充分だし、今の所はそれで良いと思ってる」
ハルの答えにジャックはため息をついたが、ハル自身のことは存外嫌いではない。言動や行動があまりにも好青年風なところがあるが、その態度に無理した様子は見られないし、手合わせした時も純粋に剣を振るうことを楽しんでいた。
興味の惹かれるものには出来るだけ関わりたい、というスタンスがハルなのだろう。
「分かった、ともかく馬の件はよろしく頼む。俺のためにしてくれるというのなら、素直にこちらも従おう」
「ほんとうに君は堅苦しいな。できればもっと色んな素顔を僕に見せてくれたらいいのに……まあ、じゃあ早速だけど練馬場に行こうか!」
ハルが士官学校の門へと歩き出し、ジャックも小さく笑って後ろについていく。
士官学校の門の前には1頭の馬が待っていた。その馬の顔をハルは撫でてから騎乗した。
ハルの愛馬は珍しいことに淡い水色の体毛をしていた。毛並みは絹のように艶やかで、ジャックですら言葉が出てこなかった不思議な美しさがある。足元や腹などに白い斑などがあるが、それもまた良い色調の変化をつけている。
水色の馬はとても大人しく静謐な態度で、まるで貞淑な貴婦人の如き雰囲気だった。
「紹介するよ、この子が僕の愛馬『ウンディーネ』だ」
名を紹介されたジャックは、改めてウンディーネの顔や体つきを見た。美麗なだけではなく、ちゃんと騎士の馬らしく筋肉も面構えも引き締まっている。
「綺麗な馬だな」
ジャックの正直な感想にハルは気を良くした。
「ふふん、ジャック君もウンディーネのことを気に入ったかな? 僕の自慢の愛馬は聡明かつ勇敢で、他の人からも馬からも高嶺の花なのさ。こう見えて、僕にしか懐かないじゃじゃ馬な一面もあるんだけどね」
「はは、そんなにあけっぴろげに自慢されては、こっちの顔まで赤くなるじゃないか。君は本当に馬が好きなんだな」
「僕に限ったことじゃないさ。騎士の家系は馬を大切にするし、小さい頃から馬を相棒として慣れさせる。ウンディーネは僕が初めて1人で乗りこなした馬だから、余計に愛着が湧くものだよ」
「愛着、か。それほど大切な馬に俺が乗っても大丈夫なのか? 俺は別に徒歩でも構わぬぞ」
ジャックがそう尋ねると、ハルはウンディーネの尻をポンと叩いた。
「徒歩なんて言わず乗りなよ、ほらほら」
上機嫌で差し伸べてきたハルの手をジャックは掴み、ウンディーネの背に乗り込んだ。ジャックが乗る時もウンディーネは大人しく、よく躾けられているのだと分かった。
少年であるハルを主人として立てて逆らわず、それでいて平然としている様は、改めてハルとウンディーネの成熟した信頼関係を思い知る。それとともに、ハル・イブリッツの騎士としてのソツのない所が垣間見えた。
「イブリッツの若様〜! こっちこっち!」
「若様ぁ〜! 今日もお綺麗です!」
「イブリッツ様、今度いつお茶会にお見えになりますの〜? 私どもは寂しゅうございます……」
「キャ〜ッ! 手を振ってくれたわ!!」
帝都の市街を進むハルとジャックは、四方から黄色い声を浴びていた。
ウンディーネに乗って帝都の新市街を闊歩する2人だったが、ハルの姿を見た女性たちのほとんどが、ハルの乗るウンディーネの周りに集まってきたのだ。
ハルの女性からの人気ぶりは凄まじかった。
同じ世代の少女は顔を赤らめて近づき声をかけ、明らかに年上の婦人たちも巧みにすり寄ってくる。年端のいかない町娘たちも憧れの眼差しを送ったり、中にはとびきりの笑顔で手を振って、ハルに気づいてもらおうとする娘もいる。
そういった女性たちを上手く応対しながら、ハルは着実にウンディーネの歩を進めていくのだが、流石のウンディーネも若干うんざり加減で歩いているように見える。
そして最も辟易しているのは同乗しているジャックだった。
「後ろの方はどなたかしら……? 見ない顔ねぇ……」
「なんで若様と同じ馬に乗ってるのよ……男だろうと若様の後ろに堂々と座るなんて……っ」
「すっごい無愛想だけど、あの子も見習い騎士なのかしら……ひゃっ?! こっち睨んできたぁ!」
このように遠巻きに好奇の目を向けられ、陰口めいた言葉もどんどん聞こえてくるのだ。
ある少女がジャックと視線を合わせて友達の陰に隠れてしまったことで、さすがにハルもこれ以上は見過ごせなくなった。
そこでハルは一旦ウンディーネを止めて、辺りに集まっていた女性や少女たちを見渡してからジャックの肩を組んだ。
「皆さん! こいつは僕の親友のジャックっていいます。とっても強くて頼りになるやつだから、皆さんも仲良くしてやってください。こう見えて意外と奥手で照れ屋なやつなんですよ」
突然の紹介に戸惑ったジャックはハルをジロリと見たが、ハルは楽しそうにウィンクした。
ハルがジャックと仲良くしている様子を見て、女性たちもジャックに対する緊張や警戒が解けてきた。ハルのユーモアある紹介も効いたおかげで、今度はジャックにも注目が集まってしまう。
「ねぇねぇ、ジャック君はどこの出身なの? 髪も目も真っ黒なんて珍しいわね」
「ジャック君も選考大会に出るのかしら? ああ、やっぱりそうなの! だったら正統騎士になれるように頑張ってね」
「あら、どうして顔を逸らすの? やだ照れてるの〜? ちょっとかわいいじゃない」
「そのへんでよしておきなさ〜い! すっごい純粋そうだし、あまりからかうのも可哀想よぉ」
「服も顔もそうだし剣の形も変わってるし、地方から来たのかもしれないわね」
「うふふふ、田舎より綺麗な人が多くてドキドキしたかしら? なーんてね!」
遠慮ない質問やからかい半分の声に苦労しながらも、ジャックはぎこちない笑顔と言葉で応える。
出来るならジャックは今すぐ「やかましい」と一喝したかったが、ハルが声高に親友と言ってしまったからには、無下な応対や冷淡な口調はハルに迷惑がかかる。
しばらくの間、ハルとジャックは女性たちに合わせて街路をゆっくり進んでいたが、左側から何やら不穏な喧騒が聞こえて来た。
何かと思ってハルとジャックが左を向くと、狭い路地から背を丸めて走る男が飛び出した。男は帽子被って顔を隠したまま、ハルたちのいる通りに出ると、群がっていた女性たちを乱暴に押しのけていく。
「捕まえてくれぇ! 泥棒だ!」
狭い路地の向こうの通りから、さらに数人の商人がそう叫びながら走ってきた。
ハルは向こうの通りで朝市場が展開されていることを知っているため、路地から飛び出してきたこの男が泥棒だと直ちに理解した。
しかしこの場でウンディーネを走らせて追うことはできない。この通りにも人が多いのだ。そのためハルは急いで下馬しようとしたが、僅かに早くジャックが馬から降りて言った。
「待ってろ、俺がいく」
降りたジャックは体を屈めて女性たちを掻い潜り、鬱蒼とした森で獲物を狙う猟犬のごとく、器用に人混みを躱して男の背中に迫る。
泥棒の男が後ろを一度振り向くと、すぐそこまでジャックが追いついていた。驚いた男が拳を振り上げる前に、ジャックの貫手が男の脇腹に刺さった。
「げぼほっ?!」
貫手を受けた男が反吐を吐き、そのまま前のめりに転げて一回転した。走りながら倒れた男は白目を剥いて、断続的に吐瀉物を噴いている。
男のポケットからは木彫り細工や銀細工が散らばり、脱げた帽子からも刺繍の入った高級そうな布が出てきた。
「やれやれ、随分と欲深なことだ」
ギュウギュウに詰められていたであろう品物を見て、ジャックは首を振りながらそう呟いた。
このまま散らかしておくわけにもいかないので、せっせとジャックは盗品を手で集めていると、ウンディーネの轡を引いたハルが来た。
「助かったよジャック! 君のおかげでこの泥棒を逃さずに済んだね」
「なに、このぐらいどうということはない。丁度俺が追いやすかったからな」
事もなげにジャックがそう言うと、ハルが嬉しそうに肘でつついてきた。
「またまたお得意の謙遜かい? あれほど素早く見事な身のこなしを披露したくせに」
「ふん、そういうハルだって俺と殆ど変わらない早さで動き出していたぞ。あれだけ女子に囲まれながらも大したものだ」
ジャックがお返しとばかりに好評するが、ハルは大きく息を吐きながら一緒に盗品を集め始めた。
「君に言われても気休めにしかならないよ。僕が追っても間違いなく君より3秒は遅れていたさ」
やがて2人のもとに商人たちが駆け寄ってきた。
泡を吹いて倒れる男を目にして、ハルとジャックのお手柄だと分かった商人たちは、興奮した様子でお礼を言ってきた。
「おお! 君たち、このコソ泥を懲らしめてくれて本当にありがとう!」
「まったく、勇敢な君たちのおかげで大損こかずに済んだよ!」
「いえいえ、これしきのことで褒められても」
あまり場が盛り上がり過ぎる前に、ハルは集めた盗品を商人たちに返して終わらせようとしたが、商人たちはハルがイブリッツ騎士伯爵の子息だと気づいた。商人は目を輝かせてハルに自己紹介して、ここぞとばかりに商人としての自分を売り込もうとしてくる。
しかしジャックが間に割り込んで、半ば強引に商人らとハルを引き離した。まだ食い下がろうとする商人もいたが、女性たちが呼んだ衛兵たちが現場に来たことによって、仕方なく自分たちの商品を持って市場に帰っていく。
ウンディーネに乗ったハルとジャックを見て、今度は衛兵隊の面々が礼を述べてきたが、ハルが先を急ぐと言うと速やかに泥棒男を担いで連行して行った。
「はぁ、ようやく一息つけたね」
河に面する芝生の土手に寝転び、ハルがそう言葉を漏らした。
由緒ある貴族の息子であるハルが、街中の公園で子供のようにくつろぐ様子は新鮮に感じられる。容姿端麗なくせに飾り気がないハルの姿に、ジャックも自然とリラックスして隣に座った。
「市街に出ればいつもああなのか?」
高く昇りつつある日差しを眺めていたジャックが、隣で寝転ぶハルに質問する。ハルは苦笑いしながら頷いた。
「そうだね、日によるけど割とあんな感じだよ。たくさんの女性から好意を寄せられるのは悪くないことだけど、街中に用事がある時は少々不便だよね」
「まったくだ。俺まで迷惑を被ったぞ」
「おや、君も迷惑だったかい? 本心では小躍りしてたんじゃないかな」
ニヤッと笑ってハルが体を起こし、ジャックの顔を覗き込む。
だがジャックは疲れた顔を横に逸らして吐き捨てた。
「君までからかうのはよせ。あのような煩い女子たちに興味はない」
「ふふ、はっきり言うんだね」
ハルはまた体を横にして、ジャックもうんと体を伸ばした。ちなみにウンディーネは土手の下で脚を折りたたんで座り、ハルやジャックと同じように休息している。
5分ほど土手でくつろいでいると、ハルがジャックの刀に目をやった。ジャックの左隣で仰向けに寝ていたハルが横を向けば、必然的にジャックの愛刀『兎月』が目の前にある。
少しの間、兎月をジロジロと観察していたハルだったが、ジャックがハルの視線に気づいた。
「この剣が気になるか?」
ジャックがそう訊くとハルは興味津々に頷いた。
「うん、とっても気になるよ。片刃の剣なら色々見たことあるけど、ジャックの剣はそれらの剣とは一風変わっている。特に手合わせした時、その剣の刃は寒気がするぐらい鋭かったよ」
「愛用の刀を誉めてもらえて嬉しいよ。やはりこの国でも、こういった剣は少ないのか」
「そうだね、少なくとも僕は見たことがないな……もう一度抜いて見せてもらえないかい?」
「いいぞ」
ジャックが立ち上がって兎月をそっと抜いた。ハルも体を起こして抜かれた兎月をじっくりと観察する。
改めて日本刀『兎月』を見たハルは、第一に無駄な要素が一切無いということを知った。
刀身の長さは絶妙。刃、反り、切っ先、鍔、柄……どれをとっても余計な装飾や加工は施されず、ただ斬るのみを追い求めた剣だと分かる。作った人間の愚直で純粋な刀剣への想いが、ひしひしとハルに伝わってくる。
取り分け、刃の部分は洗練を極めている。丹念に鍛え上げられた鋼鉄の刃に刃こぼれは無く、真っ直ぐな刃紋が陽の光を一筋に跳ね返す様は、芸術品にも劣らない美しさだ。
初めてこうして間近で兎月を眺めたことで、さらにハルはジャックの『能力』に興味を抱いた。
「ジャックはこの剣に魔力を流せたよね」
「ああ……いや、厳密には違う。俺は自分の体に魔力を流せるだけだ。この剣に魔力を流せるのは、柄の部分にあるこの紅い石の働きに過ぎない」
ジャックはそう説明しながら、自分が握っていた柄の部分をハルに見せた。柄の中間に埋め込まれた紅玉が露わになる。
「なるほどね。この紅玉が刃に魔力を伝わせて斬れ味を冴えさせ、君自身も、自分の体に魔力に流すことで身体能力を跳ね上げる……君は1人の剣士としてほぼ完成形といったところか」
「ハル、それは買い被り過ぎというものだ。俺が知ってる中でも俺より強い剣客は大勢いるし、俺がどんなに稽古を重ねても荒行を修めても、ついには一度も勝てなかった者もいる」
ジャックはハルの言葉を否定したが、その根拠は前世で寂 主水だった時の経験によるものだ。
主水が藩でも1、2を争う使い手だったとはいえ、あの時代の日本にも強者は多い。御前試合を総なめにした天賦の剣客もいれば、全国を渡り歩いて武者修行をする流浪の剣士もいた。主水が若い頃に師事していたボロ寺の老僧も、同じ人間とは思えぬほどの達人だった。年老いた彼がいよいよ五臓を患って死ぬまで、弟子だった主水は一本も取れなかった。
そこでジャックはしまったと心で漏らした。
ついつい前世の経験で感じたことをハルに言ってしまったのだ。直接的なことは何一つ言ってないが、勘のいいハルならば不自然に思っても無理はない。
恐る恐るジャックはハルの顔を一瞥すると、案の定ハルは不思議そうな顔でジャックを見ていた。
「……ああ、その、すまなかったな。どうも誉められるのが苦手で否定してしまったが、俺のことを高く買ってくれているのは有り難いことだ」
ハルに謝りながらジャックは兎月を鞘に収めるが、ハルも首を振った。
「いや、いいんだよ、こっちこそ不躾なことを言ってしまったからね。お互い様さ」
そう言ってハルは立ち上がるついでに、昨日のジャックが見せた『風の刃』についても触れてきた。
「もう一つ気になったんだけど、ジャック君は風の魔術が使えるのかい?」
「いや、俺が使えるのは水と風の魔法だけだ。魔術のように複雑なものは出来ないな」
「ええ? じゃあアドルフと手合わせした時の『風の刃』は? あれは刀を触媒とした魔術じゃないのかな?」
「そこのところだが、俺もよく分からん」
素っ気なく言いながらもジャックは両手をかざしてハルに手の平を見せた。
本当はハルが完全に信用出来る男だと分かってから教えるつもりだったが、予想以上にハルの理解力が高かったので、いっそのこと自分の『技』を全て教えるのも悪くない。
ジャックの右手が微かに風を纏う。そして次に左の手の平から一粒の雫が落ちた。
「詳しい理屈は俺も知らないが、このように右手からは風の魔力しか生み出せないし、左手からは水の魔力しか生み出せないのだ。……ゆえに右手で刀を抜き払えば『風の刃』が起こり、左手で刀を突き出せば、切っ先から『水の弾丸』が撃ち出されるといった具合だ」
説明を終えたジャックが手を下ろす。
ハルはますますジャックに興味を惹かれたようで、溢れる好奇心を隠そうともせず、ジャックの手を握って観察してきた。
「珍しい魔力の使い方だ。剣を介して特定の魔力を放つ人間は少ないし、特に君の変わった所は『風は右手』『水は左手』と限定されている所だね」
「普通は違うのか?」
「ああ。普通なら魔力属性の出どころを限定されることなんてあり得ないんだよ。大抵の人は自分の使える魔術をどっちの手で撃とうとしても、問題なく撃てるんだ」
「ならば俺は不便な使い方しかできない、変わり者中の変わり者だな」
変わり者。ジャックが自分のことをそう評すると、ハルは意味有りげな顔でニヤリと笑った。
「確かに君は変わり者……けど! 君が水と風の飛び道具を片手で撃てると分かった以上、これで僕の方針は固まったよ」
「方針……?」
方針と言われてジャックは首を傾げたが、ハルは軽快な足取りで土手を降りていき、休んでいたウンディーネを起こしてから背中に乗った。
「目的地変更だ! 練馬場には行かずに地方市場の馬屋に行こう!」
「なにっ、練馬場に行かないのか?」
土手を降りながらジャックはハルに問いかけると、ハルはうんと頷いて訳を話した。
「もちろん初めは軍馬が君に必要だと思っていたけど、今の君に重厚巨躯な軍馬は合わないよ。そもそも軍馬というのは騎士の代わりに、敵を打ちのめしたりすることも出来るように調教されている馬で、総じて勇猛果敢で健常な成馬なんだ。そう、戦争のための戦闘馬と言っても過言ではない」
「いやいや、俺も騎士を目指すのだからそういう馬を選ぶのが成り行きではないのか? それが何故俺に合わないのだ?」
「君の本領が馬上で光るものじゃないからさ」
ハルは馬上でジャックの刀を指差した。
「その刀は馬上で振り回すには少々短い。加えて、君は僕やアドルフと手合わせした時も、さっきの泥棒を捕まえる時も、素早い足捌きや身のこなしが光っていた。それが君の強みだし、馬上戦に固執して強みを潰してしまうのも勿体ないだろう?」
「ははあ、確かに理にかなっている……だが馬が無ければ始まらないと言ったのは君だ。軍馬に乗らずに選考大会に出場できるのか?」
「ふふん、何も絶対に軍馬でなければいけないとは言ってないよ。軍馬とは別に、君には違う種類の馬が似合うだろうね」
「軍馬ではない馬、か……」
違う種類と言われてもピンとこないジャックだったが、ハルはウンディーネに乗るよう促してくる。
「どんな馬かは行ってからのお楽しみにしよう! 早く君の相棒を選りすぐるとしようじゃないか!」
「……まったく、君は意外と強引だな。まあいい、今日のところは素直に付き合ってやる」
ふぅと息を吐いたジャックがウンディーネに乗り込み、ハルはウンディーネを公園の出口へ向かわせる。こうしてジャックとハルは、新市街の南端でひらかれている地方市場に行くのだった。




