魔馬捕獲作戦〜決着〜
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剣の切っ先を眼下のウィングタイガーに突きつけ、ルイーネは水の魔力を構成する。
ルイーネの長剣はただの剣ではない。柄には魔術刻印が施され、鍔の宝玉は魔力を秘めた特別製だ。
よって、ルイーネが魔術の威力を底上げして殺傷性を高めるには、素手で魔術を撃つよりも剣を持って撃った方が高い。
「狙いは眼球……『マリン・ダーツ』ッ!」
突きつけた剣の先から水の矢が発射されて、ウィングタイガーの右目に迫る。
ウィングタイガーは空中で魔術を撃つ獲物に少し驚いたが、苦もなく水の矢を避けて翼をはためかせた。宙に浮いているルイーネを捕らえる気だ。
だが、いざウィングタイガーが飛翔しようとする寸前で、翼の根元から血が噴き出した。
ゴォウッ?
またしてもウィングタイガーは目を見開いて驚いたようだ。
水の矢を撃ったルイーネは、ウィングタイガーが躱すことも予想して、素早く風の刃も放っていたのだ。
風の刃はウィングタイガーの翼の付け根に命中して、魔物特有の汚い色の血が流れ出す。
『ちゃんと傷はついたわね。でも、全然効いてないみたい』
ルイーネはウィングタイガーの流血させたが、ウィングタイガーに痛がったり怯んだりする素振りは一切ない。
血が出たことが大した痛手でないと分かると、ウィングタイガーは自分に手傷を負わせたルイーネに向かって、明確な怒りの感情を示して唸り出す。
『片方の翼は傷つけた。出来ればもう片方にも傷をつけて機動力を落としたいけれど、2度も同じ攻撃が通じるわけないし……やはり、私がウィングタイガーを倒せるとしたら方法はただ1つしかない』
キッと眼下のウィングタイガーに睨み返し、ルイーネは剣を納めて待ち構えた。
ウィングタイガーが飛び、ルイーネの足元から凶悪な爪が迫ってくる。全身で風の魔力を操り、ルイーネは右方向に高速移動して爪を回避したが、ウィングタイガーは翼の力でなおも追いかけてくる。
「飛んで追ってきたわね……解除!」
ルイーネは飛んで逃げながら後ろを向いて、ウィングタイガーが飛翔したのを確認すると、風の魔力をピタリと止めてわざと落下した。
ガァアアアッ!!
わざわざ空中を飛んで、ようやく追いつきそうになった時にルイーネに急降下された。これでさらにウィングタイガーは怒りに吠えた。
怒るウィングタイガーは一度空中で旋回してから、着地したルイーネに滑空突撃をしてきたが、ルイーネは横っ飛びしてまたもや回避した。
宙からの突撃が不発に終わったことで、ウィングタイガーはすり鉢状の池に突っ込んでしまったが、もちろん溺れることなく乱暴に池から出てきた。
さすがに痺れを切らしたのか、ウィングタイガーの雑念のない澄んだ蒼い瞳が、ルイーネに純粋な殺気を抱いている。口からも荒々しい吐息が漏れ、牙と牙がギャリガリと音を鳴らす。
これこそ怒りの頂点といったところだ。
ルイーネ自身、こんなにも強力な魔物を怒らせたことで、自然と背中や手の平にじっとりとした汗が感じられたが、心の内では冷静さを失っていない。
『よし……ひとまずこれでよし、と。こうやって癪に触る標的が私だけになれば、向こうのラスクと魔馬に襲いかかる可能性は極めて低いはず』
一瞬だけルイーネはラスクの方を見た。
ラスクと魔馬はお互いズタボロになりながら、激しく拮抗している力勝負を続けている。見た所どちらの気勢も萎れていないため、まだまだ決着は先だろう。
「すぅ……さぁて、始めるとしましょうか」
息を吸い、それから冷たい声でルイーネは呟く。
声色とは対照的に、静かに抜かれたルイーネの長剣は赤熱する。左手からは鋭利なドリル回転の風球が生み出された。
ずぶ濡れのウィングタイガーが、大きな口を開けて飛びかかる。横に逃げても尻尾の一撃が来ることは承知しているため、ルイーネは体勢を限界まで低くして真っ直ぐ走り出す。
ウィングタイガーの飛び掛かりは大迫力だが、ルイーネは跳躍したウィングタイガーの下に飛び込んで転がった。
なにせ跳躍する脚力からして、並みの魔物と比べてもケタ違いなのだ。なので、かえってルイーネが飛び込み前転するスペースは充分にあった。
両者の位置が切り替わったが、先に体勢を整えたのはルイーネだった。
まっさきにドリル状の風球をウィングタイガーの背中にぶつけ、それなりに深い抉り傷ができた。
「ウォーターズ・ミスト!」
さらに左手のみで魔力を操作し、とても小さな水の粒を辺りに撒き散らす。洞窟内の湿気の多さにも助けられ、瞬く間に地下空間が霧に包まれた。
長剣の刃はいまだに炎の魔力で真っ赤に焼けているが、ルイーネがそれを振るう気配はない。ゆらりと構えてウィングタイガーに待ち構える。
ゴルルゥアアア!!
霧に覆われたことで視界は悪くなったが、ウィングタイガーは発火している剣の熱とルイーネ自身の臭いを感じ取って、迷わず襲いかかってくる。
ここまで来るとルイーネに避ける術はない。
左右に逃げても丸太のような尻尾の一撃が来る。上に逃げても飛んで対応されるだろうし、さっきは体の下に飛び込んで逃げたばかりだ。
ウィングタイガーの知能は高くないが、狩りをする際の瞬発力や判断力は飛び抜けているのだ。獲物を仕留めることにかけては、本能が僅かな瞬間で最善を尽くすことを刷り込んでいるため、同じ行動を続けること自体が危険行為だ。
そこでルイーネは赤熱させた剣への魔力を止め、もう一度左手で魔術を使って、土魔術の罠を発動させた。
迫るウィングタイガーの足元の床が、途端に泥でぬかるんで滑りやすくなる。
もちろんウィングタイガー相手に、泥水などでは傷すら負わず足止めになるだけだ。
だがしかし、ルイーネにとってはそんな時間稼ぎで充分だった。
『霧と炎剣の温度差、そして螺旋の風の威力確認。これで仕込みは全て済んだ……あとはたった2つの魔術だけ! 残る私の全魔力を込めて滅ぼしてやるッ!』
右手の長剣が螺旋回転の『風』に包まれる。
左手の平から弾けて光る『雷』が生まれる。
ウィングタイガーが泥を跳ね飛ばしている時、ようやくルイーネが何かを狙っていることに気づいたが、すでに遅かった。
ルイーネが素早く踏み込み、風を纏った剣を斜め上方向に突き上げる。
たちどころに暴風が起こり、この地下空間にうっ滞する霧の流れも乱れて不安定な状態になる。
余熱の残る螺旋の風を上昇させて撃ち放つことで、薄く広がっていた霧が、入道雲のように不穏に立ち昇っていく。
「私とお兄様しか知らない禁じ手……やってはいけない厄災の魔術……覚悟はいいかしらッ! 轟け爆雷! スーパー・セェエルッ!!」
そして限界まで圧縮した雷球が、雲の中心に発射された。
雷の一粒一粒が渦巻く上昇気流と乱気流によって、かんしゃく玉の如く飛散して放電する。まさに嵐が起こり、幾百もの落雷と鋭利な竜巻が同時多発的に発生した。
嵐の中心にいるのは、ちゃちな滑り泥で足止めされていたウィングタイガーだ。
グギャオォオォォォォッ!!
初めて聞くウィングタイガーの悲鳴は、雷と暴風の音にかき消されてしまう。
降り注ぐ激しい落雷に身を焦がし、渦を巻く竜巻に全身余すところなく切り刻まれる。肉と皮が焦げる悪臭と鮮血の飛沫が舞い、地下空間は生物にとって地獄の一帯と化した。
『スーパー・セル』
これは雷雲の中でも特に発達した雷雲を指す名で、巨大な竜巻を起こし、雹も降らせる災害級の気象現象である。
放電活動も強烈で絶え間無く、大きく渦巻く気流が雲の内部にあるため、嵐は長く続くというのも特徴だ。
空気の温度差、螺旋の気流、充分な湿気、そして盛んな電流。どれが欠けてもスーパー・セルを起こすことが不可能であり、5属性の魔術を扱えるルイーネだからこそ生み出せる切り札なのだ。
この恐るべき厄災の術が生まれたきっかけは、兄アルタールの蔵書に気象学の本があり、ルイーネがそれを読んだことだ。
その本には高名な魔術師や学者による調査をもとに、スーパー・セルという規格外の雷雲の存在が記されていた。
ルイーネがその本を読んだのは随分と小さい頃だったが、偶然それに興味を惹かれたルイーネは、幼いながらに魔力を使って再現しようとしていた。
結局は兄のアルタールにその実験は見つかった。
その日以降、ルイーネが兄のいない時にスーパー・セルの実験をすることは禁じられた。兄アルタールも学術的好奇心は旺盛な方だったが、まず先にルイーネの危険な実験を咎め、実験の際は必ず兄がいる時のみと約束たのだった。
「何度も、何度もお兄様と一緒に本を広げ、机の上で思い描いた魔術だった……ふ、ふふふっ、上手くいってくれた……理論通りに『災害』が生まれたわ…!」
這いずりながら嵐の端へと避けるルイーネが、後ろを向いて嵐の中心を見ながらそう言った。
凄まじい放電と竜巻が狂ったように暴れ回り、中に巻き込まれたウィングタイガーは、このまま魔術災害の餌食になるかに思われた。
グ、ゴルルッ……ゲガァアアアアアアッッ!!
突然、ウィングタイガーが咆哮して大気が揺れた。
咆哮自体は今まで何度も体験していたルイーネだったが、その時ばかりは様子は違っていた。洞窟の石柱や壁がぐらぐらと揺れ、すり鉢状の池の水も波が立つ。
それまで荒れに荒れて渦巻いていた竜巻の流れが崩れ、放電の方向も四方八方にばらけていく。
「なっ……?!」
自分の起こした災害が弱まっていることに、ルイーネは信じられないものを見た反応をした。勝ち誇った顔が一瞬で青ざめて、ウィングタイガーの生命力を改めて思い知ることとなる。
さらに、ウィングタイガーは尻尾を振り回した。
太く強靭な尾が唸りを上げてしなり、竜巻の気流と落雷を破壊して乱していく。尾の振り回す速度を加速させるウィングタイガーの目つきは、遠くにに避難していたルイーネをじっと睨みつけて逃さない。
やがて、雷雲と嵐が晴れた中からウィングタイガーの姿が現れた。
体の至る所が竜巻によって切り刻まれてどくどくと血が噴き出し、白い体毛が落雷によって黒コゲになっていた。
肩で息をしてなんとか立っている状態であり、さすがのウィングタイガーも災害を引き起こす魔術には、相当痛めつけられたことが分かる。
ゴハァ〜ッ……ゴハハァ〜……!
このように痛々しい姿を晒すウィングタイガーだったが、その生命力や執念は伊達ではない。蒼い目は鋭い殺気を放ち、息遣いからも燃え立つ戦意が伝わってくる。
『私はここまで……かしら……』
油断なく歩み寄ってくるウィングタイガーを見て、ルイーネは心の中で覚悟を決めた。
『思えば焦り過ぎたのかもね……選考大会に出て、騎士になるために力を蓄えていたけれど……ラスクに負けじとなって、気がついたらこんな危険地帯にまで足を運んでいたのだから』
自分の実力や作戦にも自信はあった。準備も適切にしてきて、自分ならば獣魔の巣に赴いても大丈夫だと証明したかった。
しかし今は魔力も尽き、もうそこまで死が迫っている。
この時、ルイーネが思い浮かべたのは家族の顔だったが、真っ先に浮かんできたのは父の顔だった。
『お父様、私が死んだら悲しむのでしょうか……』
死を受け入れたルイーネがそっと目を閉じる。
最後に瞳に映ったのは、悠々と近づいてくるウィングタイガーのシルエットだった。
キュオオオオオォーーンッ!!
いきなり耳に届いた声にルイーネが目を瞬かせる。
慌てて目を開けると、牙を剥いていたウィングタイガーが声に気づいて後ろを振り向く。その瞬間に鋭い水の鞭がウィングタイガーを薙ぎ払った。
ギャアァアウッ!?
弱った体にまともな衝撃が入ったことで、ウィングタイガーは簡単に殴り飛ばされて苦しげに叫んだ。
死んではいないようだが、勢いよく水の鞭に飛ばされて壁に激突し、ジタバタと痛みに悶えている。
ようやく意識のはっきりしたルイーネが、瞼を指で擦って目の前の光景をしっかりと見た。
ルイーネの前に現れたのはあの黒い魔馬だった。
体のそこかしこに擦り傷と打撲を作り、立派な角が半分にへし折れているが、その紅の目はウィングタイガーを油断なく見据えている。
そしてなんと魔馬の背にはラスクが乗っている。
ラスクも魔馬と一緒に傷だらけだったが、背筋をしゃんと伸ばし、顔つきには上々の気炎が立ち上る。
凛とした魔馬を従えているその姿には、嬉しい身震いを覚えるほどだ。
「大丈夫だったかい? ルイーネ」
「ラ、スク……! あなた、ついに魔馬を?」
ルイーネの問いにラスクは優しく頷いた。
ラスクの表情には、かつてないほどの頼もしさと力強さがひしひしと感じられ、帝国の騎士と遜色ない雄々しい雰囲気を纏っていた。
「どうやって魔馬を従えたの? あれほど競り合っていたのに、こんなにも早く……」
予想外の事態にルイーネはまだ混乱しているようだ。
ウィングタイガーと戦っている最中に、ルイーネは一度だけラスクと魔馬の取っ組み合いを確認していた。あの時に見た限りでは、ラスクと魔馬の実力が際どい所で拮坑していて、決着にはまだまだ時間がかかるだろうとルイーネは推測していたのだ。
ラスクはルイーネの疑問に、決着がついた原因を直に見せた。
背中の荷袋に手を入れて、2、3秒して取り出したのは魔馬の白い角だった。もう一度ルイーネは、魔馬の額の折られた角と見比べる。
どうやらラスクは、魔馬の最も重要な部分である一本角を叩き折ったらしい。そしてそれこそが、角を折ったことこそが魔馬を真に屈服させた要因だったのだ。
「す、凄いじゃない! どうやって折ったの?」
「剣を抜けるような余裕がなかったからね……なんとか手で折れたけど、けっこう骨が折れたよ」
「本当の意味で折れてないか心配だわ。手の骨は大丈夫?」
「全然平気だよ。かなり腫れてるけど、不思議と痛みは感じない………ああ、実を言うと痛みなんか感じないほど、君に対して胸がジンときたんだ」
唐突なラスクの言葉に、ルイーネがまた目を開け閉めする。
座ったままの体勢だったルイーネは、そこでやっと立ち上がって、ラスクに今の言葉の意味を訊いてみた。
「どういうことよ?」
「だって、僕が感情を抑えられなくて勝手に魔馬に挑んだのに、君はそれでも僕を見捨てなかった。今だって、あんな怪物が現れたのに逃げずに戦って食い止めてくれた……本当に、すまなかった」
「そ、そんなこと! 見捨てないわよ………と、友達を置いて逃げるものですか………」
だんだん声が小さくなって、言葉の最後あたりは聞こえづらかったが、ルイーネの態度でラスクはなんとなく言いたいことが分かった。
ブルルルッ!
ラスクとルイーネが話している途中で、魔馬が鼻を鳴らして2人に注意を促した。
先ほど魔馬の水魔術で吹き飛んだウィングタイガーが、こちらを睨みつけて身構えている。
どうやら、すっかり恐怖を忘れて怒りを抱いている様子で、かなりの深手を負っているにも関わらず、なおもラスクとルイーネと魔馬に唸る。
「くっ、まだ来る気ね……!」
ルイーネが苦々しげに呟いて剣を抜こうとするが、ラスクがそれを止めた。
「ここは僕に任せてよ、ルイーネ」
代わりにラスクが大剣を抜き、魔馬のたてがみを軽く叩いた。それがラスクの開戦の合図で、魔馬もラスクが戦おうとしていることを理解した。
ルイーネは今の自分が到底戦えるとは思っていないが、ラスクと魔馬も見た様子では消耗が激しい。
故にルイーネは、自分もラスクを援護することを伝えたが、ラスクは首を横に振った。
「心配しないでも大丈夫さ、僕は勝つよ」
「でも!」
「こいつがどうしても、僕と倒したいらしいんだ」
そう言ってラスクは魔馬の頭を撫でた。魔馬は首を曲げてラスクの目をじっと見てくる。
その紅の瞳には強い意志があった。頼むから自分と戦ってくれと懇願してくるように。
「……こいつとあの葦毛の馬は兄妹だったようだ。だから大切に思っていたし、この場所も安全な隠れ家としていた」
「あなた、魔馬の心が分かるの?」
「この角を持っていたら、なんとなくこいつの気持ちが伝わるんだ。さっきからこいつは僕に言ってくるよ……妹もいる隠れ家に入り込んだあの暴れん坊は、俺に始末させてくれってね」
自信たっぷりにそう言われると、ルイーネはもう諦めるしかなかった。
肩を落としてから渋々と剣を納めたルイーネは、心配げにラスクに一声だけ掛ける。
「無理しないでよ、ラスク」
ラスクはにっこりと笑って頷いた。
荷袋に角をしまってから、剣を構えて魔馬に発破をかける。
「いくぞ! お前と僕の力を、あのどら猫に見せつけてやれっ!!」
気合いを発したラスクに合わせ、魔馬は速度を上げてウィングタイガーに突っ込んでいく。
ウィングタイガーは尻尾を壁や床に打ち鳴らしてから、牙を剥き出して襲いかかってきた。
「さあ飛べっ!」
剣を振り上げたラスクが叫び、魔馬は高く跳躍した。
その宙に浮いた瞬間のラスクと魔馬は、まさに英雄伝に語られる戦士のごとく見事な姿だった。
突進を止めたウィングタイガーの顔が上を向く。
先手を取って発射されたのは魔馬の水弾で、うねりながらウィングタイガーの喉を寸分違わず貫いた。
そしてラスクの剣が振り下ろされる。
空気を断ち切りながら襲来する剛剣に、はっと見上げていたウィングタイガーの野生の瞳が、最期の最後で恐怖に彩られた。
ゴキャアンッ!!
落下の衝撃も加わったラスクの渾身の一撃は、ウィングタイガーの背中に振り下ろされた。
剣にしては鈍い音だったが、その響きの余韻は長らく耳に残った。ラスクの一刀はウィングタイガーの背を切り裂くことは出来なかったが、背骨はタダでは済まなかった。
着地した後にラスクが馬首を返して、ウィングタイガーの死体を確認する。
最期は叫ぶこともできずに絶命したウィングタイガーの体は、ありえない角度のくの字に曲がってしまっていた。
「ふぅぅ……よくやった、素晴らしい動きだったよ」
剣を納めたラスクが魔馬を撫でて褒めた。
撫でられた魔馬はあまり態度を変えなかったが、嫌がることなくラスクのアプローチを受け入れている。
このようなラスクと魔馬の様子を見るに、両者は互いに信頼しているようだ。
打ち解けて時間が浅いというのに、これほどまで絶妙な呼吸の合わせかたを目にすれば、単純な力という意味では、もはや並の騎士見習いなど歯が立たないだろう。
両者が命を懸けて取っ組み合ったことが、このような信頼を生んだのかもしれないとラスクは考えている。
「とんでもない一撃だったわねっ! あのウィングタイガーをぺしゃんこに潰すなんて!」
向こうで見てきたルイーネも、ふらつきながらもラスクに歩み寄ってきてくれる。
ラスクはルイーネの魔力が枯渇寸前だと分かっているので、急いで魔馬から降りてルイーネに肩を貸した。
「おっとと、無理しないでよ。あんなに凶悪な魔術を使ったんなら、もう魔力は尽きてるんじゃないか?」
「しばらくは平気よ。家に帰ったらたっぷり眠ってしまうだろうけど、気の抜けない場所で簡単に意識を失うほどヤワじゃないわ。……もちろん帰りの道も、ちゃんとワインに乗って帰るから」
「まったく強情なんだから……もし限界なら僕にすぐ言ってくれよ。帰りにも魔物が出るかもしれない以上、こんな疲れ果ててる君が一番心配だ……」
ラスクはそう言ってルイーネを抱き締める。自分と共に戦ってくれた親友の心も体も労うため、慈しみを持って手を回して後頭部をさすった。
急に抱き締めてきたラスクにルイーネは驚いたものの、恥ずかしがって引き剥がすようなことをせず、小さく笑ってラスクの頭も撫でた。
やがて2人の体が離れる。
ラスクはほっと息をついて魔馬の背に乗ったが、ルイーネはそんなラスクの顔と静かに佇む魔馬を見比べて、う〜んと考え込んだ。
「どうしたの?」
考え込むルイーネに気づいたラスクが訊いてきた。
ルイーネは一度躊躇ってから意を決して顔を上げ、馬上のラスクにこう言った。
「さっきのあなたが魔馬に言っていたことが気になったのよ。もしかして、あなたはジャックに勝つために選考大会に出たかったの?」
核心を突かれたラスクは呆気にとられたが、ルイーネの真剣な表情を見て観念した。
「本当に君には敵わないな………そうだよ、僕が騎士を目指す理由はジャックに認めてもらうためだ。この帝国に生まれた君からすれば、僕の動機は勝手に思うかもしれないけど、僕はジャックが1人で騎士になって欲しくないから騎士になりたかったんだ」
「ふむふむ、そういうことだったのね。この魔馬が妹の葦毛を突き飛ばしたみたいに、ジャックもあなたの身を案じてわざと突き離した……だから、あなたはそれを許せなかった」
ラスクは頷いてから天を仰いで息を吐いた。自分の私的な動機を知ったルイーネは、おそらく自分のことを怒るだろうと考えた。
選考大会に出て帝国騎士になるために、真摯に魔術や武術を磨いたルイーネなのだ。激しく叱りつけてくるのは目に浮かんでくる。
恐る恐るラスクがルイーネの顔に目を向けた。
ルイーネは顎に手を当てて静かに黙考していて、ラスクの動機を咎めるような感じではなかった。
「えっと、怒ったりしないの?」
「何が?」
逆にルイーネがラスクに訊き返した。
「いや、僕の騎士を目指す理由が身勝手に思わないのかなって」
「そんなことで怒らないわよ。別にそんなの人それぞれでしょう? そもそも見習い騎士が正統騎士になりたい動機なんて、大抵はもっと打算的て欲深なものよ。お金や名誉のためがほとんどだし、私だって、お父様を見返してやりたいって想いもあるから、こうして訓練に励んでいる……あなたの気持ちも身に沁みて分かるわ」
そう述べたルイーネは口笛を吹いて、向こうに待機させていた愛馬ワイン・ビアードを呼んだ。
ワイン・ビアードは魔馬がいるせいで中々来なかったが、再びルイーネが口笛を吹くと、相当恐がりながらじわじわと近づいてきた。
ワイン・ビアードを呼び寄せたルイーネは、愛馬の背に跨ろうとした。疲弊しているルイーネが馬に乗るには危なっかしく、ラスクはたまらず手を貸そうとしたが、ルイーネはラスクを手で制して、時間をかけて1人で愛馬に跨がった。
「ふぅ、やっと乗れた」
「頼むから無理はしないでくれよ」
ラスクの気遣いにルイーネは笑いを返してから、愛馬の手綱と鞭を握った。
「さあ、準備が良ければ帰りましょうか。そこに隠れているのも出てきなさい、一緒に帰りましょうよ」
優しいルイーネの声が洞窟の空間に響く。少し経ってからあの葦毛の馬が岩陰から現れた。
ヒヒンッ、ブルルフッ……
兄の魔馬に避難するよう言われた手前、葦毛の馬はどうにも遠慮がちにラスクたちへ近づいてくる。
一方で魔馬は妹をじっと見ていたが、やがて自分から歩み寄って丁寧に迎え入れてあげた。妹の葦毛も兄のことを怖がらず、しずしずとすり寄った。
「仲直りしたようだね」
「そうね、じゃあ行きましょうか」
こうして獣魔の巣に潜入した2人の少女は、新たに魔馬と葦毛の馬を引き連れて帝都へ帰るのだった。
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