エイドスの襲撃3
都市ロメオの西側の街壁上には、ローブを羽織った白髪長身のギルド長ーーーソル・グレンジャーが立っている。彼の左手には手帳と思えるほと小型な本、右肩には相棒のスノウムササビ、「ポロン」が乗っていた。
グレンジャーが激しい雨の中見据える先は、都市ロメオの西にある森と山々で、彼のその目は獲物を視界に捉えようとするイタチのように隙が無い。
「なぁ、ポロン」
グレンジャーは視線を逸らさぬまま、肩に乗る小さな相棒に話しかける。ムササビのポロンはグレンジャーの顔に体を向け、「どうしたの?」というように首を傾げた。
「援護は任せるよ。今回はお前にも働いてもらう必要がある。…なにせこの雨だ。いくら私の炎でもこの土砂降りの天候では弱まるからな」
ポロンはグレンジャーの言葉にコクリと頷く。スノウムササビのポロンなりに、主人の危機感を理解したのだろう。濡れて垂れた白い体毛を逆立たせて、グレンジャーと同じく森の方に意識を集中する。
「さて…来たな」
左手に持っていた本を強く握りグレンジャーはつぶやく。
森から一匹の狼が出てきた。のそりのそりとした足どりで、グレンジャーの立つ都市の街壁へ進んでくる。狼はそれなりに大きいが、雰囲気に覇気は無く、長い舌は出しっ放しで垂れ下がり、群青色の体毛も雨に濡れて垂れている…と見た様子では弱々しく感じられる。
だが、グレンジャーの表情に安堵や油断の欠片は無い。彼は愛用の小さな魔道書を開き、先手必勝とばかりに魔力を練り上げる。
『オオォ…ゴォオオウゥ……!』
グレンジャーが魔道書を開くのも見た狼が、だんだんと速度を上げて都市の街壁に向かってくる。舌をダラリと出しなが走る様は滑稽だが、そこには得体の知れない不気味な雰囲気がある。
グレンジャーが開いたページにある魔術式は、心通わせた生物に自分の魔力を纏わせる内容で、グレンジャーが文言を唱え終えるとポロンがページの上に飛び降りた。魔力がポロンの体に流れ、身体中が白から紅に染まり、体つきもふた回り大きくなる。すぐさまポロンは雄々しい鷹のごとく狼を見定めると、超スピードで狼のもとへ滑空して炎の弾丸を撃ちまくる。
『ガッ…ガァァアアッ!』
狼は真っ向から炎の弾を受けて一度怯んだが、ほとんど傷は無く、なお怒りを猛らせて、ポロンを食い殺そうと大口を開けて突っ込んだ。
反撃を予測していたポロンは上昇しつつ右へ逸れ、狼の牙が届かない高度からさらに炎を浴びせた。
炎の弾は無数に落下して容赦なく狼の体毛を焼いていったが、肝心の体まで火は通ってはいないようだ。ポロンも、生きた肉の焼ける臭いがせず、体毛だけ焦げた臭いしかしないことに気づく。
そうしてポロンは自分の炎が効いていない事実を確認すると、一旦ご主人のグレンジャーの方へ戻った。
「ご苦労さま。…今の様子見から考えると、生半可な傷くらいなら簡単に元通りらしいな。さすが元聖獣ウッドウルフ。しかも、こいつははぐれウルフに成り下がる前に理性を奪われ、身体機能もデタラメにしぶとくなっている。…どういうカラクリかは知らないがやっかいだ」
群青色の狼ーーウッドウルフは街壁上にいるグレンジャーを睨み、歯を剥き出して唸っている。
グレンジャーは本を閉じて内ポケットにしまうと、ひょいと街壁から飛び降りた。街壁は10メートルを越える高さだが、グレンジャーの着地は鳥のように軽やかだった。
そしてグレンジャーはそのまま狼のいる野原を悠々と進んでいく。彼のの歩みに迷いは無く、狼との距離は縮まる。
およそ10メートルといったところで、先に狼が飛び掛ったが、グレンジャーは人差し指を狼に向けて、あらかじめ内燃させていた魔力を放出した。放出された魔力は光線となり、狼の額を貫いて背中から抜けて空へと消えていく。
『ギァアアァァァッ!!?』
狼の光線射抜かれた部分は大きな風穴が開き、狼はその場にのたうち回って泣き叫ぶ。光線が開けた穴の外周部は、延焼どころかケロイド状に溶解していた。
「まだだろう。これくらいではくたばらん」
再度グレンジャーは魔力を貯め、3歩後ろに下がってから指を薙ぎ払った。今度は転がっている狼とグレンジャーの間に、1枚の炎の壁が出現した。さらにグレンジャーは3度指を振り、計4枚の炎の壁が狼の四方を完全に包囲した。
閉じ込められた狼が真上の空を見上げると、大型のムササビの影がぐるぐると旋回していた。
「やれ。ポロン」
グレンジャーが指示する。ただちにポロンは、身動きのとれない狼の総身を丸焦げにするべく、先ほどより遥かに高温の炎弾を降らせた。ポロンの落とす炎は、この嵐の平原を焼き尽くすと言わんばかりに、狼を捕らえた炎の牢獄へ着弾する。
----やがてポロンに纏わせた炎の魔力が切れ、元の姿に戻ってグレンジャーの肩に乗った。
大雨にもかかわらず、グレンジャーの炎の壁はいまだ健在だ。並の使い手ならとっくに炎は鎮火されているが、ギルド長グレンジャーが創った炎は嵐をものともせず燃え盛っている。
壁の内側には狼の焼死体があるはずだ。ポロンの攻撃の時点で叫びは聞こえなくなり、今も壁の内は炎に包まれている高熱地獄である。
肩に乗るポロンが、黙っているグレンジャーに向かって促すようにクルクルと鳴き、後方にある都市ロメオへ顔を向けた。
「ん、あぁ…ロメオに残してきたみんなが気になる?エイドス・セイルズが来てるかも?…まあ、来ているだろうけど、このウッドウルフをほうっておくのも危険だからな。死んだのを確認したら戻るさ」
グレンジャーはポロンにそう言うと、腕を組んだまま炎の壁を注視した。依然として動く気配は感じられず、息使いや呻き声すら聞こえない。
力尽きたか、とグレンジャーは背を向けて歩き出す。
「ポロン…臭いはどうだ?」
数歩歩いて立ち止まり、静かにグレンジャーが呟いた。ポロンがキューキューと鳴いて情報を伝え、グレンジャーはそれを聞いて小さく頷く。
「焼けた臭いが次第に隠れて…となれば」
グレンジャーの足元はいつの間にか、土の盛り上がりかたが不自然になっている。奇妙な盛り上がりは背後の炎壁の方から始まっている。見透かしたようで、グレンジャーはそれを見てクックッと喉から笑った。
彼はゆっくりとその場にしゃがみ、右手を天に振り上げる。振り上げた手は、手首から真っ赤に赤熱していて、もはや相棒のポロンですらその熱に堪らずローブの中に避難した。
「じゃあ、なにか…あと1歩私が踏み出せばこの足に喰いつくと言うのかい?聖なる獣は案外、陰険なんだ…なッ!!」
手刀を振り下ろし、ぬかるんだ地面にゾブリと突き刺す。地面を掘って炎壁から逃れていた狼を仕留めるべく、グレンジャーは凝縮した魔力を地中へ爆裂させた。
地下の土という土の一粒一粒が、膨大な熱量を受けて爆ぜ溶ける。土中で隙を伺っていたウッドウルフの体も例外ではなく、再生回復がまったく追いつかず骨まで溶かされ絶命する。
半ばシチュー状にされた辺りの地中は、活火山のごとくゴボゴボと熱気を噴き出して、地表は隆起と沈降を遂げた。
少ししてから、グレンジャーの襟首からポロンが首だけを外に出して辺りを窺う。それから爪でグレンジャーの首をカリカリと掻いて「もう倒したの?」という風に訊いてきた。
「まあな。中々しぶとかったが、1匹の実力はこんなものだろう。…うん?いやまだ戻らないよ。どうやら新手を相手しなければならないらしい」
グレンジャーが炎の壁の方向を向いて立ち上がり、指を鳴らすと炎の壁が消えて前方の視界が拓ける。
前方の山麓の森から、さらに4匹のウッドウルフが飛び出してきた。どれもはぐれウルフとは違い、体毛は鮮やかな群青色をしているが、血走った眼に涎を垂らすその様は、もはや聖獣というより浅ましい獣としか形容できない。
新手のウッドウルフらを見たグレンジャーは、不敵な笑みを浮かべて魔道書のページをめくっていく。グレンジャーの闘争心に反応し、自然と魔道書にグレンジャーの魔力が流れ、熱を帯び、魔道書のページに当たる雨粒は全て蒸発していく。
「そこまで私の足止めに徹するか、エイドス・セイルズ。いいだろう!こいつらを始末したのち、私みずから焼き尽くしにいってやる」
ご主人の声に反応したポロンも、もう一度炎の魔力を得て戦闘態勢に入る。濃密な火の魔力を身に纏った一人と一匹は、暴獣と成り果てた狼たちを迎え討つ。
こうして都市ロメオ西の平原では、ギルド長直々による迎撃戦闘が行われていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
都市ロメオの大通りに面する冒険者ギルド前でも、激しい戦闘が繰り広げられている。
市街地、大通り、貧民街問わずにいきなり現れた魔物たちだったが、冒険者を全滅させなければこの都市を好き放題に出来ないと気づき、生き残った魔物は徐々に仲間を引き連れて、ギルド前に陣取る冒険者たちに戦闘を仕掛けた。
冒険者らもいずれギルドが狙われることに勘づき、一人また一人と集結して迎撃にあたった。剣や槍で戦う者は、入り口前にかたまって鱗付きオークと乱戦している。身軽な者や飛び道具を持つ者は、ギルドの屋根の上から、窓や裏口から入ろうとする魔物を急襲して、今はなんとか侵入を阻んでいる。
「オークごときが何だ!大層な鱗をひけらかしやがってッ!」
戦鎚を振り回す中年の冒険者が怒号とともに一匹のオークに突進する。つけもの石を持っていたオークは、その石で冒険者を殴りつけようとしたが、戦鎚で手首からはじき飛ばされる。無防備になったオークは戦鎚を避けることができず、アゴからカチ上げられて気を失った。
「ザムさん!むやみに突っ込むな!」
ザムと呼ばれた戦鎚を持つ男は、たしなめた若い冒険者に唾を撒き散らして反論する。
「むやみなもんか!このまま押し切らねえ方が馬鹿ってもんだぜ。魔物の数は減ってきているじゃねぇか!仲間がやられて怖気づいたか?」
「ぐっ…!」
そう怒鳴られた若い冒険者は、悔しさで顔を歪ませながらも、通りに散らばる魔物の死体と冒険者の死体を見比べる。
確かに魔物の死体は多く、こちらが優勢なのは間違いない。ギルドを拠点として戦う戦法をとってから、冒険者たちの足並みは揃い、物資の補給も可能になって形勢は逆転したのだ。
だが冒険者側も犠牲は出ている。通りの向こうには、若い冒険者の相棒の亡骸が仰向けになって転がっている。今すぐにでもそっちに向かいたいが、まだ倒れていないオークが8体もいる。オークはずる賢いところがあり、睨み合いが続くのもしばしばだ。
持ち場から抜けようにも、オークは気が抜けない相手で、しかも路地から、はぐれウルフが襲いかかってくる可能性もある。現に勝手に動きすぎた一人の冒険者が、突然飛び出したはぐれウルフになす術なく路地へ引きずられていった。
「ホギャアオオォォッ!」
業を煮やした1体のオークが、ザムに向かって錆びた剣を振り回す。歯を見せて笑ったザムは、戦鎚を低く振ってオークの膝を砕いた。膝をやられたオークは倒れ、その無防備な頭をザムの戦鎚で潰された。ザムの冒険者としての実力はCクラス、この大通りの戦いでは主力の一人として、何体もオークを叩き潰した豪傑だ。
見たか!とザムが若い男の方を向いて叫ぶと、後ろから飛んできた矢が、振り返ったザムの首に刺さった。
何が起こったのかわからないまま、ザムは溢れる自分の血を感じて倒れた。
「なっ…嘘だろ?!」
若い冒険者は目の前にいたザムが倒れたのを見て、驚きのあまり剣を落として後ずさった。矢の飛んできた方向はザムと男の後ろからだ。
振り返ると、ギルドの屋根の上にいた1人の弓使いが、呆然とした表情のまま震えていた。
まわりの冒険者も倒れたザムと刺さった矢を見て、ザムは味方の誤射で命を落としたと思った。だが、当の弓使いは弓を取り落とし、ひどく狼狽して否定する。
「違う!俺は狙ってない!お、俺は、矢を射ようともしていなかった!俺じゃない!!」
「…ふ、ふざけるなぁ!誤射はともかく自分でやったことくらいは責任とりやがれ!」
弓使いの男の情け無い無責任な言葉に、若い冒険者が怒鳴り散らす。他の冒険者たちにも怒りや戸惑いがあったが、気を抜けばオークらが一気に押し通ってしまう。ひとまず誤射した男を黙殺し、気を取り直してオークと構え合う。
若い冒険者だけは屋根の上にいる弓使いに、降りてこいと叫んで怒りを露わにしていた。しかし弓使いは首を横に振って、違う違うと言って降りてこない。
「もういい!来ないなら俺が引きずり降ろしてやる。こんな時にふざけてる奴が居れば邪魔なだけだ!」
相棒とザムの死が立て続けに起こったせいだろうか。冷静さを欠いていた若い冒険者は、腰砕けになって半狂乱の弓使いの態度に苛立った。
一発殴らないと気が済まない、と若い冒険者はギルドの入り口扉へ進んで扉を開けた。
「…な、うわっ…」
扉を開けて中に1歩踏み出したところで、若い冒険者は声を上げた。だが彼の意識は次の瞬間でブツリと途切れた。
ギルドに入っていく若い男の行動を、一人の女剣士だけが横目で見ていた。女剣士は、後ろに倒れた男の頭だけがコロリと転がったのを見て唖然となった。
誰かがいる。ギルド内に何者かが侵入していると、ただちに女剣士は周りの仲間たちへ叫んで知らせる。
仲間の冒険者たちはオークの相手でそれどころではなかったが、ギルド入り口から一人の男が姿を現わすと、勝手にオークたちが距離をとって攻撃を中断した。
扉から出てきた長身の男は、エイドスだった。
彼は戦場にいるとは思えない優雅な服を着ていた。髪は深みある群青色、べったりと血のついた手に武器のような物はなく、謎の男の登場に冒険者たちは背に寒気を感じた。
エイドスの視線はまず冒険者たちへ、次に冒険者らの奥にかたまっているオークたちに止まった。
「どうした?あまりにも手こずっているようだから、様子を見に来ただけだが」
エイドスの冷涼な声は豪雨の中でもよく聞こえた。
冒険者らは背中を合わせて、オークとエイドスの両方に気を配っていると、オークたちの脅えに気がつき、その男の立場を理解した。
この男こそが、今回の騒動を引き起こした張本人。実際に、その場に居るすべてのオークが、静かに怒る上官を前にした三等兵のように恐縮しているのだ。
「黙って立っているだけなら…俺がこいつらを始末してもいいんだぞ。お前らはもう用済みになるが」
エイドスの明らかな脅しは、ここにいるオークたちの目の色を変えた。まず1匹のオークが吼えた。それに続いて他のオークたちも武器を構えて吼え、遮二無二攻撃を仕掛けてきた。冒険者たちはオークたちの突撃をなんとか防ぐが、オークたちの顔つきに気圧された。
まさにその目は死に物狂い。冒険者たちに鈍器や刃物を振るうオークの表情には、エイドスに対する恐怖が支配していた。やらねば殺られ、なんとしても殺るしかないという叫びが聞こえてくるようだった。
応戦する冒険者も必死だったが、オークたちの気迫とがむしゃらな攻撃に押されていく。
「ぐあうぅ…っ!よ、よくも俺の腕を!」
「落ち着けみんな!退きながら戦えばごふっ…」
「くそっ、こいつらさっきよりも殺る気だ!ヤツに脅されて本性現しやがった!」
冒険者たちの統率は次第に総崩れとなり、形勢は完全に8体のオークらに傾いた。追い込まれた冒険者たちに、事の張本人であるエイドスに攻撃しに行ける者はいない。それどころか、先ほどザムを射った弓使いが突如、矢を番え、オークと戦っている剣士の背中を射た。
背後から仲間に射たれた冒険者は、激痛の走った背に手を当てたところで、目の前のオークに脳天を殴打されて倒れた。
「お、お前何してる!」
屋根の上にいた他の冒険者がそれに気づき、羽交い締めにして止めようとしたが、射った弓使いは異常な腕力で仲間を振りほどき、躊躇せず通りで戦う仲間を射ち続ける。
やむなく屋根上にいた冒険者たちは、味方を攻撃し続ける弓使いの頭を矢で射ち、とどめに短剣で首を斬りつけて殺した。
弓使いのおびただしい血は雨で流れ、屋根から路地へ落ちる。死に様の顔は何故か無表情で、そこに意志は無かった。
「な、何なんだこいつ…いきなり裏切りやがって…」
「それよりも援護だ!もうあの3人以外はやられちまった!」
屋根上にいる冒険者たちが下の通りを見ると、すでに下で戦う者たちは3人になっていた。オークも6体まで減ってはいるが、このままでは数の差で押し切られるだけだろう。
「くそったれが!こいつを喰らいやがれ!」
ボーガンを持っていた冒険者は、弓使いを射って尽きた矢の代わりに、腰に下げた予備の手斧を投げようとした。だが、下から跳んできたエイドスがいきなり目の前に現れたことで、手元が狂い、エイドスの腹に向かって投げつけた。
「おっと」
空中でエイドスは、至近距離から投げられた手斧を掴むと、そのまま足を前に突き出して屋根上に着地した。呆気にとられた冒険者は反射的にボーガンを向けるが、矢が無いことを思い出した時には、エイドスに頭を握り潰された。
「て、てめえ…!うぉぉおお!!」
「みんなッ、撃て、射てェーーーッ!」
屋根上にいた冒険者たちはすべて、矢を番え、剣を取り、全力でエイドスを仕留めようとした。中には魔術を使った者もいたが、どの攻撃もエイドスはいなし、躱し、また受けたとしても傷一つ付かなかった。
冒険者らの攻撃をことごとくはね除けるエイドスは、なぜか本気で戦わず、反撃も大怪我になるという程度に済ませた。
「こんなところ…だな」
こうしてエイドスは、屋根上の残った冒険者を叩きのめすと、通りで戦うオークと冒険者を傍観した。
6体のオークと戦う冒険者は3人。3人とも他の冒険者よりも頭一つ抜けた実力を持っているが、いかんせん数の分が悪すぎた。朝から戦い続けた彼らには疲労も無視できず、距離感を掴めず剣を空振ったり、オークの攻撃への反応が遅れて殴打されることが、少しずつ増えていく。
「さて…こっちはあいつらに任せるか。グレンジャーを仕留めなければ…」
エイドスが西の方角を向いて言ったその時、横から一本の矢が飛んできた。
難なくエイドスはその矢を掴んだが、鏃には白い粉がベッタリと塗られていた。
「この矢は…?」
鏃の部分だけをねじり取ったエイドスは、白い粉を指ですくって匂いを嗅ぐ。とりあえず毒の類ではないことを確認すると、矢の飛んできた方向を見る。
大通りを隔てて、ギルドの向かいにある酒屋の屋根にマーシュがいた。マーシュはすでに次の矢を引き絞り、雷雨の中でもしっかりと目を見開いてエイドスの動きを見ている。
「へぇ…こんなに早く来たということは、ジュリエッタはしくじったか。マーシュ!君がここに到着したならば当然、アンソニー・ホンバットもいるのだろう」
エイドスは高揚した大きな声でマーシュに問いかける。自分が送った虫使いの刺客が返り討ちにされたことは、特に気に留めていないようで、むしろ挑発的に鏃をマーシュに投げ返した。
鏃はマーシュの足元に突き刺さる。その間も、マーシュはエイドスに矢を向けたまま、油断なくエイドスを狙い定めている。
「黙ってないで…何か返してくれよ。今だって俺はちゃんと鏃を返したじゃないか……さあ答えてくれ。ホンバットはどこにいる?」
「やたらと気にしているな、エイドス。そんなにあの人が恐いのか」
「まさか。戦えば絶対に俺が勝つ。今の俺が手こずるとしたら…この都市のギルド長くらいだな」
腕を広げ自信たっぷりにエイドスは言う。その挙動や態度は一見隙だらけに見えるが、マーシュは軽々しく攻撃することを避け、エイドスがこっちに向かってきた場合だけを、ひたすら警戒した。
あくまでも人狼エイドスはラプターウルフ。今は人間の姿だが、正体は危険度クラスBの魔物で、まともに戦ってマーシュに勝ち目はないのだ。
エイドスはマーシュがむやみに攻撃してこないことを察すると、堂々と辺りを見渡してホンバットがどこにいるのかを探し始めた。大通り、路地裏…余裕のあるその様子は、水面を覗いて大物の魚を楽しげに探す釣り人のようだった。
ふと、エイドスは遠くから響く馬蹄の音を聞いた。始めは雨音に紛れる微かな音だったが、次第にその馬駆りの音は大きくなり、エイドスは南北に伸びる大通りの北側に目を凝らした。大通りで戦っているオークと冒険者も気づいたようで、揃って距離を取り、戦いを中断して北を向く。
豪雨の中、一頭の馬が走ってきた。馬は巨大で雄々しく、馬上にはホンバットの姿があった。馬の頭や首の部分に付けられた黒い防護金属が、その迫力を一層強めていた。
馬はまっすぐオークの集団に向かって突撃し、首を振って叩きつけ、足でオークを踏んだり蹴ったりする。オークらも抵抗したが、馬自身も魔物のようで、多数のオークを相手にしても圧倒した。
ハッとして見ると、馬の背にホンバットはいない。冒険者たちは見回すと、ホンバットはすでに馬から降りていて、ギルド前に立っていた。屋根にいるエイドスを見上げてホンバットは口を開いた。
「お前がエイドス・セイルズか?」
「ああそうだ。武骨な金属鎧に腰の長剣…君がアンソニー・ホンバットだな」
ホンバットは頷き、腰の長剣に手をかけて言った。
「降りてこい。…僕が倒してやるよ」
上から見下ろすエイドスは、「その前に面白いことを見せてやる」と言い、両側で倒れている冒険者2人の背中に、指を突き刺した。下にいるホンバットや冒険者たちにはよく見えないが、この時のエイドスは、新しく手に入れた『指』の能力を使用した。
短剣を持って倒れていた者に右中指を、剣と弓を持っていた者に左人差し指を突き刺して離すと、指だけがエイドスの手から分離する。分離した指は不規則な回転運動をしながら、犠牲者となる冒険者の体内へ埋め込まれていく。わずかに生かされていた冒険者たちは、刺されたことで小さく呻いたが、それからすぐにおとなしくなった。
「おいエイドス…今お前は面白いことを見せてやると言ったな」
「そうだが?」
「どうでもいいんだよ。降りてこい」
「ふうん……案外余裕のない義理堅い男なのか。それとも自分が遅れて駆けつけたことを、俺を倒して帳消しにしたいのかな?なぜか必死だな…人々を守るのは警備兵や軍人などであって、君たち冒険者の領分ではないというのに…」
「獣が舐めた口きくな。お前は無辜の人々を害し、家々を蹂躙した只の魔物だ。お前みたいなやつらを狩ることが、俺たち冒険者の領分だ…さっさと降りろ害獣め」
声色は静かだったが、ホンバットは強い怒りを孕んでいた。その場にいたマーシュと冒険者は、彼の気迫と怒気ににわかに足が震えた。
ギルドの上に立っているエイドスは歯を見せて笑い、すばやく両腕を上げる。それを合図に、指を突き刺された2人の冒険者が武器を構えて立ち上がる。2人の眼は虚ろでポッカリと空いた穴のようで、どこまでもホンバットに狙いを定めていた。




