エイドスの襲撃2
お待たせしました。
これまで「モンスター」と表記していましたが、これからは「魔物」と表記します。特に設定に変化は無いので、安心して物語をお楽しみください。
「ここまで来れば大丈夫でしょう。扉を閉めて…そう、窓のカーテンもです。明かりもろうそくだけにします」
意識の無いラスクを丸テーブルに寝かせてから、ジャックはダリアの指示通りにした。宿の食堂兼ロビーは暗くなり、ダリアが灯したろうそくが灯ると、立っている2人の影が巨人のように壁に伸びた。
ジャックとダリアが逃げ込んだのは、都市の北東部分のある宿だった。
エイドスの仕業によって現在、都市中に魔物が暴れ回っている。意識を失っているラスクと武器職人フルブライトの遺体を抱えたまま、魔物に襲われる事態を避けるために、2人はひとまず宿に身を隠すことにした。
宿は無人だった。散乱した酒瓶やイス、割られたテーブルなどを見るに、ちゃんと人は居たらしいが、魔物の襲撃を受けたことで避難して無人になったのだろう。
テーブルに寝かせたラスクを、ダリアが持参したポーションや気付け薬で介抱している間、ジャックは宿の調理場や勝手口、2階の部屋を手早く調べて安全と確認した。
当然のことだが、ダリアの処置は簡単に済んだ。
確かにラスクは、エイドスの『指』に腹を貫かれて少なくない出血をしたが、すぐにその傷穴は血が止まってしまったのだから、こちらがやれることは特に無いのだ。今も血が流れない傷穴は、黒々とした穴としてラスクの腹に在る。
「ダリア先生、こんな傷などあり得るのですか」
ジャックの質問に、ダリアは難しそうに唸っただけだった。
魔術士として様々な知識を持っているダリアでも、このようなケースは初めてで、仮にこの腹の傷が軽いものだとしても、気付け薬を飲ませて目を覚まさないのは、明らかにもっと難しい原因がある。
「その、さっきも聞きましたが」
イスを引いて座りながら、ダリアは一言おいた。
「エイドスという人狼の『指』が、この子の腹に入っているんですね?」
「はい、さらにそのエイドスという男は、魔物と魔物を掛け合わせて新しい魔物を作ることが出来る、ラプターウルフです」
「ラプターウルフ…危険度Bの凶暴な魔物ですね」
そう言うとダリアはテーブルに座り、ろうそくを掲げてラスクの腹を照らす。服はまくられていて、健康的な少女の白い腹部がよく見えるが、やはりヘソのすぐ下にはポッカリと開いている穴がある。ずっと覗けば吸い込まれてしまうのでは、と思えるほど、黒々と奥が知れない穴だった。
「こんな傷は見たことありません……ましてや、ラプターウルフができる筈がない」
ジャックも、ダリアの言いたいことがなんとなく理解できた。
ラプターウルフという獣人種は抜群の身体能力が一番の特徴であり、裏を返せば、特殊な能力をいっさい持たない魔物なのだ。
だが実際には、エイドスは奇っ怪にも『指』を遠隔操作してラスクを攻撃した。それはジャックが以前に戦った時には無かった、未知の能力だった。
「どうやればこんな傷が…いや、そもそもこれが『傷』かどうかすら怪しいです」
「ダリア先生、エイドスは魔術を使ったのでは?」
「その可能性もありますが、私はこんな魔術は知りません。自分で言うのもアレですが、魔術に関する知識には自信があります。………けど、体の一部分を遠くから操る魔術は知りません」
「もしや魔術でも、ないと?」
「おそらくは」
重い沈黙が流れる。
明確な打開策もとれず、じっと見守っている2人は歯がゆく感じたが、特にジャックは自分の無力さに腹を煮立たせていた。
自分の不甲斐ない所為で、親方を、ロイを、ラスクを巻き込んでしまったさいなみとエイドスへの怒りはまだ、ジャックの頭の内でぐるぐると回っていた。
「と、とにかく今は身を休めましょう。ギルド長から、君たちを保護するようにと言われてますから…あ、一応食糧はありますよ?朝からギルドを出たきり、何も食べてないでしょう?」
ダリアはそう言いながら、背負っていた袋からパンや果物を出してジャックに勧めた。
そんなダリアの表情が少し固いのは、ジャックの昏い殺気を感じたからだったが、今はそのことに触れずにジャックを元気づけようとした。
「かたじけない…ひとつ頂きます」
ジャックはダリアに礼を言ってから、パンを取って食べた。
ダリアは次に木の水筒とコップ2つを取り出し、それぞれに水を注いで自分の分をすぐに飲み干した。ダリアはギルド長のソル・グレンジャーから、ジャックを捜せと命じられて、大急ぎでギルドから飛び出してきたっきり、ここで一息つけたというわけだ。
緊張感を切らさないためか、立ったままパンを食べ水を飲んでいたジャックが、ダリアに問いを投げかけた。
「ギルド長といえば…あの人はどうしたのですか?元はクラスAの冒険者だったギルド長ならば、この事態に収拾をつけられるのでは?」
この問いにダリアは難しい顔をすると、肘をついて顔の前で指を組んでから答えた。
「ギルド長は、姿を消しました」
「なんと!?」
「と言っても逃げたわけではないでしょう。『ジャック君を捜して保護しろ』と私に言った後に、数人のクラスC冒険者に諸々の指示を出して、街の西に向かって一人で走っていきました」
「街の西に?」
「はい、西にです」
「何があったのでしょうか」
「…さあ、ギルド長の行動は私やホンバットさんでも計り知れないところがありますから」
ギルド長ソル・グレンジャーは間違いなく、この都市ロメオの最大戦力である。
その彼が部下の冒険者と共に戦うこともせず姿を消したことに、ジャックは驚きを隠せなかった。しかし魔術士ダリアの口ぶりは淡々としていて、そこに不安の様子は無かった。
よほどの信頼があるのだろう、とジャックは察した。
「西、か…エイドスと戦った森の方角だ…」
そう呟くとジャックは、一度窓の方を見た。
依然として雨が止む気配は無く、窓にバタバタと雨粒が当たる音が続いている。
いつもの都市ロメオならば、日が差す和やかな午前中となっているのだが、今は緊急事態である。黒雲がうねり豪雨が降り、さらには魔物がそこら中にはびこっている。
『さて、どうする?ラスクの容態がこのままなのも心配だが、ここに引き篭もってもいられない。昼頃に帰ってくるはずの、マーシュ殿とクレア殿と合流しなければ……いや、ホンバット殿がいるから安心か?』
コップを手の中で遊びながら、ジャックは考え込んでいた。窓を叩きつける雨音が、だんだんと大きくなっていると感じる。
相当な降りだなと思ったジャックは、叩く音がいやに大きいことに気づいた。
「まさかすでに…ちっ、ダリア先生!ラスクと親方を2階まで頼みます!」
「え?!ああっとなるほど…任せなさい!」
座って休んでいたダリアもジャックの言葉を理解し、急いで杖に魔力を込めて、風魔術でラスクと親方の体を浮かせた。
すぐに入口の扉がそっくり吹き飛んで、1匹のオークが大股で入ってきた。ロビー左右にある窓からも、勢いよくはぐれウッドウルフが2匹、凶暴な唸りを上げて躍り出る。
「先生!お急ぎを!」
ジャックは、2人を運ぶダリアを庇う位置に立つ。走って階段へ向かうダリアを隠しつつ、ジャックも階段のもとへ行く。
「ウォオオオン!!」
階段に近いところにいたはぐれウルフが、大口を開けてダリアに突進してきたが、ジャックが脳天から斬り捨てた。死体は特に変化せず、ジャックは少しほっとした。
人間2人分をフワフワと浮かして階段を上るダリアが、階段下に陣取るジャックに振り返る。
「ジャック君!一番奥の部屋に逃げますから、その魔物を倒し次第来てください!」
「心得た!」
ジャックが返事して、ダリアは暗い2階廊下へ姿を消した。
オークとはぐれウルフはジャックを恐れているようだ。本能にまかせて攻撃を仕掛けず、意外にも息を合わせてじりじりと距離を詰めてくる。
「なりは違えど連携するのか。さすが配合種だな」
フッと笑ったジャックは手近にあった椅子を斬ると、ちょうど投げやすい脚の部分をオークに投げた。投げた脚はオークの喉に直撃して、オークはゲボッと咳き込んだ。
「まずはお前だ!」
オークを硬直させたことで、ジャックは真っ先にはぐれウルフに斬りかかった。
はぐれウルフは持ち前の敏捷性で一度躱したが、返す刀で呆気なく首を斬り飛ばされた。
「あとはお前だ」
「グゥゥウ!ホギャアアアッ!」
仲間がやられたオークは限界に達したのか、考えもせず突っ込んできた。持っていた巨大な角材を、ジャックの真上から振り下ろしてきたが、ジャックが逆に胴を斬って仕留めた。
「生き返らないということは、『指』が無いということだな。建物の中の気配は察せる程度か」
血を払って刀を収め、ジャックは静かにそう分析する。
宿に入った所を見つかったわけでもなく、大きな物音もたてていない。それでも、人の気配もしくは臭いを察知して侵入してきたとなれば、いよいよここも危険になってくる。
ジャックは階段下にテーブルや椅子を集めて積み重ね、即席のバリケードを作ってから2階に上がった。
2階奥の部屋に入ろうとすると、杖を持ったダリアが出てきた。
「もう終わったんですか?」
「はい」
「はは…手助けは不要でしたか」
苦笑いした彼女はジャックを部屋に入れてから扉を閉めた。
部屋には2つのベッドがあり、それぞれに親方とラスクが寝かされている。窓はカーテンがかけられ、明かりは鏡台の上にあるランタンだけだ。部屋の隅には大きめの皮袋があり、どうやらこの部屋を借りた者の荷物だろう。
ダリアは椅子に座り、ジャックはラスクの寝ているベッドに腰掛けた。
「もうここも安全ではありませんね。さて、どうしましょう…」
「あのダリア先生、ギルドの冒険者は出払っているのですか?」
「もちろんです。緊急事態ですから、住民の皆さんを守るために警備隊も冒険者も総動員で戦っています」
「つまり魔物は、都市のあらゆる所に現れたと」
ジャックの言葉を聞いてダリアは、手を口元に持っていって考え、それから思い出したような顔をして訂正した。
「いや、そうでもないですよ?魔物は人を襲いますから、人が多い大通りに自然と集まる筈です。なので必然的に、多くの冒険者が大通りに面する冒険者ギルドを拠点にして戦います」
「多くの冒険者が…?」
「物資は豊富で建物も強固ですから、ギルド前で魔物を迎え討つほうが有利でしょう。住民の人々も、大通りなどに多い頑丈な建物に避難した方が、安全性が増します。戦略的にも、魔物から考え無しに集まってくれるなら、連携をとって迎え討つ方法が最良です。
ギルド長に指示されたクラスCの冒険者たちなら、それくらい理解しています……それがどうかしましたか?」
指を組んで黙って聞いていたジャックは「いえ、何も…」と言っただけで、しばらく石像のごとく思考していたが、突然ガバリと立ち上がってダリアを驚かせた。
「しまった…」
「何がです?」
「冒険者ギルドへ行かねば」
「え、ちょっ、どういうことですか?説明してください」
「先ほど北の街門で会ったエイドスは、俺とラスクを放って置いて街の中心へ向かいました。狡猾なヤツのことだ……ギルド前に集まる冒険者を一網打尽にしようと目論んでもおかしくない」
「ちょっと待ってください、いくらなんでもそこまで無思慮な人狼でもないでしょう!エイドスが危険度Bの強敵とはいえ、ギルドに集まる冒険者たちをまとめて相手することは不可能、少しでも知性があればそんな無謀なこと…」
「いや、俺には分かるのです。ヤツは手下の魔物を使ってこの都市を陥すタマじゃない。むしろそれらを捨て駒にしてでも、自ら目的を達成させる男です」
ジャックは確信をもった口調でそう主張した。しばらくダリアは額を指でコツコツ叩いて考えていたが、ジャックの目を見てこう言った。
「では、私たちはどうしろと?」
「エイドスを追います。冒険者たちの加勢に行くために」
「本気で言ってますか?君はもう魔力が切れかかっていて、疲労もかなり溜まっています。正直、まっすぐ立つのもつらいのでは?」
「それは大したことではありません。行かねば後悔するなら行くだけです」
ベッドから立ち、ジャックは廊下への扉に手をかけたが、開け始めたところで自分の体が金縛りにあったように動かなくなった。
「魔力が切れた人間なら、こんなに簡単に無力化できるんですよ?万全でない君が行っても足手まといになるだけです」
首だけ後ろを向いたら、ダリアが杖の先を向けているのが見えた。どうやら、魔力を使ってジャックの体を支配しているようだ。
ジャックは魔力を身体中に流して逃れようとしたが、ほとんど無意味だった。
「強引に振り解こうとしても無理…そもそも、私が本気で魔力を使えば、君が万全な時でもこの通りです」
「く…しかし何もせず指を咥えているのは」
不満気なジャックだったが、ダリアの言い分も重々わかっている。確かに自分の力ではエイドスに及ばないかもしれない。魔力が枯渇している今なら、なおさらギルドに行っても無駄死にする危険がある。しかしそれでも、自分が行かずにいるのはやるせなかった。
しかしやるせないのはダリアも同じ。魔物たちだけでも手一杯なこの状況で、ラプターウルフのエイドスが乱入すれば、仲間たちもそれ相応の犠牲が出るに違いないのだ。
双方動かず黙っていたが、ダリアが先に呪縛を解いてくれた。自由になるとジャックはガクリと膝をつき、立つ時は壁に手をついてようやく立った。
「しょうがないですね。ならば一つだけ…君がギルドへ向かっても足手まといにならない方法があります。ここまで忠告してまだ戦うつもりなら、私が今から出す『試験』をこなしてから行きなさい」
「試験…?」
ダリアは杖を置いて右手のひらを真上に向け、魔力を集中させて風の球を生み出した。見た目は何の変哲もない風球で、かつてジャックに教えた初歩中の初歩である『球』の魔法だ。
「ジャック君、君は水球の魔法を使う時どちらの手で発射してますか?」
風球を崩さず保ったままダリアが訊いてきた。
ジャックは両手を見比べて、自分が水球を撃つ時のことをイメージした。思えば、初めて水球を使った時からずっと左手から水球を出している。右手で撃った覚えはただ一度もなかった。
「左手です」
「そうでしょう。最初に行った魔法陣も、右手で描いて左手で水球を生み出したのですから、それが当然です。話は少し変わりますが、君は元々右利きですね?」
「はい」
「しかし今はどうですか?私の見立てが正しければ、君はその剣術を鍛錬する過程で左手の力や器用さも鍛えられて、今は完全な両利きになっているはずです。変わった剣術ですね」
「目敏い…ご察しの通りです。俺は剣を振るう際、右手に余計な力が入れることは避けています。あくまでも左手を軸とするのが常道で、そういった稽古を続けていく内に、自然と両方の手が自在に扱えるようになりました」
「ふむふむ、よく分かりました。ではジャック君、今からこの風球を君に渡すので、それを崩さず維持してください。ただし使う手は右手です」
「右手で?」
ダリアが指を小さく動かすと、風球はゆっくりとジャックの方に向かってきた。ジャックは言われた通りに右手を掲げて風球を受け止め、そのまま手の平を上にして風球を維持した。
「む…くく…っ」
「何とか保てている、という状態にですね。元が右利きでも、もはや左手が鍛えられている君には、左手から放出する水の魔力が最も制御しやすい。難易度は高いはず」
「い、維持する…だけでしょうか?」
「いいえ。君自身に眠る『もう一つの魔力回路』を、君が自力で開拓できるまでです。ちなみに今維持している風球が崩れても、代わりは用意しませんし、その時点で君はギルドに行ってはいけません」
難題過ぎる。そう思ったジャックだったが、もしこれ以上口を開いて喋れば、せっかくの風球が崩れ落ちる気がして黙っていた。
風球は、ジャックが使う水球に合わせた大きさになっていて、少しでも意識を他に逸らせたりすれば、簡単に歪み出してしまう。さらにはやり直しも利かず、ダリアの言う『もう一つの魔力』をどうやって覚ませばいいのか、ジャックにはまだ見当もつかない。
「私は一足先にギルドに行きます。…ギルド長には戦力である君を保護しろと言われましたが、君の安全と君の望みを天秤にかけるのは、先生である私の役目です。ここでラスク君と待機するのも、試験を放ってギルドに向かうのも…あとは君次第に任せます」
ダリアはそう告げると杖を取って部屋から出て行った。
残されたジャックは風球を静かに維持する。ただし心の片隅では、ラスクの安全のためにはギルドへ行くべきかどうか、と思い悩んでいた。




