炎の中で
ジャックとエイドスの戦いがあってから、時は少し戻る。
森の中を駆け回るマーシュは、2体のモンスターに追われている。
どちらもエイドスが生み出した『配合モンスター』で、さらにそのどちらもが、今の自分の冒険者クラスよりも上なのである。
木々をすり抜けながら進む、巨大なイモムシ型のモンスターは、チャイコンイモムシとゲッシングズーグを掛け合わせたものだ。もう一方の全身甲冑を着込んだ腐敗臭漂うモンスターは、ナイトゾンビと『何か』を掛け合わせたものだとわかっている。
マーシュはこの2体のモンスターに追われながら、倒す算段が無いか考えていたが、今ひとつ思い浮かばなかった。
自分の弓でこれらを仕留められる可能性は皆無に近く、さらに、走り続けていることで自分の体力も切れ始めている。思わず歯がみすると、口の中に血の味が広がっていく。
マーシュが今走っているのはこの麓の森の南側で、ずっと北の小屋周辺は炎で明るいのが見える。
おそらく、クレアの方に向かった『巨大な羽音のモンスター』の仕業で、さらに小屋の向こうにはジャックとエイドスがいるのだろう。
はじめに炎があがったときは、クレアを心配してそちらへ行こうとしたマーシュだった。だが、よくよく考えてみると、もしクレアが危機的状況に陥っていたとしても、自分が現れれば逆効果になってしまうと考え、踏みとどまった。
わざわざ自分がさらに2体のモンスターを引き連れて現れてはいけない、と堪えて小屋を遠回りして離れたマーシュだった。
走りながら矢筒に残っている矢の本数を確認すると、7本まで減っていた。何とか突破口がないものかと逃げつつ矢を射たりしたが、いずれのモンスターにも致命傷を負わせることは出来なかったのだ。
甲冑を着込んでいるナイトゾンビの方は、まず矢が通らず、チャイコンイモムシの方にいたっても、矢が刺さりはするが分厚い脂肪質に阻まれ、ほとんどダメージを負っていない。
唯一嫌がるのがチャイコンイモムシに張り付く無数の顔…といっても配合のせいか、ネズミのようなゲッシングズーグの顔になってはいるのだが、とにかく顔に矢が突き刺さると、わずかだが怯んだ。
『どうすりゃいい?どうしたらこいつらを倒せる?』
何遍かのこのセリフを頭の中で反芻したマーシュはその時、聞き慣れた怒鳴り声が小屋の方角から聞こえた。
「マーシューーッ!!さっさとこっち来なさいよおッ!なんぼでも連れてきなさい!!」
目を丸くして小屋の方を見ると、燃える木々の中に建つ小屋の上にクレアが立っていた。マーシュが気づくようにしていることなのだろうが、すぐにクレアの背後に、燃えながら羽ばたいているモンスターが現れる。
それを見て焦ったマーシュだったが、クレアは後ろから襲いかかるモンスターを見向きもせず、左へ逃げて小屋の上から飛び降りた。
すぐに小屋は燃えるモンスターの突進を受けて崩壊する。
マーシュは転ばないように気をつけながら、密かに笑った。小屋の上で立つクレアの様子には恐怖などがなかったからだ。
「ちぇっ……どうやら、まずいまずいと思っていたのは俺だけらしい。しかたねえ、いっちょ合流してやるか」
余裕ができたからなのか、それともクレアが生きているのがわかって安心したのか、自分の体を軽く感じて走ることにも迷いはなくなった。
ずっと向こうでは燃え続けるモンスターが、木々をなぎ倒しながら移動しているのが分かる。そしてそれによって、森の炎はだんだんと広がって明るくなっていく。
燃えているモンスターの巨体は目立つため、その動きは明らかだ。すなわち、今クレアがどの方向を走っているのかも、容易に把握できた。
「おーい! こっちだクレアッ!」
やがて視界に人間のシルエットを捉え、マーシュはそれに向かって叫ぶ。
シルエットはすぐこちらに気づいて走り寄ってきた。顔まで見えるとクレアも安心した表情をしていて、彼女の体の至る所に焦げ目がちらついた。
「死んではいなかったのね」
「まあな……っと、すぐそこまで来てる!」
マーシュの言葉にクレアが頷き、2人はほぼ同時に走り出した。追うモンスターは合計で3体になり、どれもが自分たちに勝ち目がないものばかりだと2人は判断したのだ。
2人が逃げて3体がそれを追うこの状況で、さらに森の延焼が広がっていく。
「何あれ? チャイコンの顔が何で、全部ゲッシングズーグに……それとあれはナイトゾンビ?」
「さあなっ、一つ言えるのは、『ただの』ナイトゾンビを、エイドスが使わすのは、ありえないってことだ!」
「ってジャックはどうしたの? 一緒に逃げてたんじゃないの?!」
「エイドスは生きていた! ジャックが今戦ってる!!」
エイドスが生きていたという事実にクレアは驚く。マーシュは後ろを見て、モンスターの様子を警戒しつつ言葉を続けた。クレアと比べて息切れを感じさせるマーシュだが、戦意は有り余っているようだ。
「まずはとにかく、あいつらをどうやって倒すかだッ!」
「そういったって…あ! そうだ、確かこのリュックの中に…」
起伏のある森を走りつつもクレアは軽快に走っていた。そしてリュックを前に持ってきて探りながらも、まったく走る速度は落ちていなかった。
5秒ほどでクレアがリュックの中から取りだしたのは、球状になっている黒いものだった。それは手の平で持てるサイズで、クレアはマーシュにそれを一度渡してリュックを背に掛け直した。
渡されたものを手触りで確認したマーシュは、これがどのようなものなのかすぐに理解した。
「おいおい、クレアこれって」
「そうよ、この間の山賊達に使わずに済んでラッキーだったわね! これで吹き飛ばせばいいのよッ!」
クレアが取り出したのは、山賊の討伐依頼に行ったときに結局使わなかった爆弾だった。そもそもこの爆弾はマーシュが作った爆弾であるが『変にどっかに無くされても困るから』という理由で、クレアが保管していたのだ。
冒険者であるマーシュとクレアは、それぞれのリュックの中に色々な道具を入れているのだが、この窮地を解決できるアイテムといったら、これしかないとクレアは考えた。
「この中には魔法術式の紙とか入ってるけどっ、あの高ランクモンスターを倒せるとしたら、これしかないのよ!」
「いやいやいや! それでも1匹倒せば運が良いほうだぞ?! 俺が作った本人だから威力はたかが知れて…」
「口に入れればいいじゃない」
相棒の放った言葉にマーシュは口をあんぐりと開けてその言葉をオウム返しに聞き返す。
「『口に入れればいいじゃない』だって?」
「投げ入れるなり、矢にくくりつけて射るなりすれば、いいのよ!」
渋るような反応を見せる相棒にクレアは小さく舌打ちをする。今は切迫した、何時追い付かれるか分からない状況なのだ。わざわざ説明をするのは省きたかったという気持ちが表れ、つい怒鳴り気味な説明になる。
「だーから! ただ投げて爆風だけで殺せるわけ無いんでしょ?! それに口の中に爆弾を入れるのは、イモムシの方じゃなくてエレファントバードの方よ! エレメンタルバーンを掛け合わせているのなら、火気に晒したら大爆発を引き起こす……つまりッ、『ただの』魔精のエレメンタルバーンなら物理的実体がないから、爆破の影響はないけどっ、エレファントバードの体があるならこの場合衝撃は通るわ! さらに……」
「わかった、もうわかった! ―――よし、心配すんな」
作戦を了承したマーシュは、爆弾を矢にくくりつけて弓につがえる。彼はクレアの怒鳴り声を聞いて逆に安堵したようで、逃げている今の彼の表情が獲物を狩る側に変わった。
追ってくるイモムシとナイトゾンビは相変わらずで、問題の『エレファントバード』は、その2体よりもさらに後ろにいた。火の粉を振りまきながら飛行して追いかけてくる。
「それで、どうする? さすがに『重し』付きで射れば届かせる自信は無いぞ!」
クレアもマーシュと同じように後ろを見て、3体の位置関係を確認する。確かに飛ばれては、いくらなんでも爆弾をくくった矢では届かないだろう。
飛んでいる高さこそ、先ほどクレアが対峙したように『小屋の屋根よりも高い』程度でしかないのだが、それでも至難であり、まだイモムシなどに射た方が少なくとも2体はダメージを受けるので効率的だろう。もちろん、一番の破壊力を有して危険なのは、燃えるエレファントバードに他ならないのだが……
クレアが考えあぐねている時にマーシュが、おい、と声をかけてきた。目の光と声の強さは死んではいないものの、彼の顔色は疲労からかさっきよりも悪くなっていた。
マーシュの声色は冷静を通り越して、疲れによる無機質さが目立ち始めている。
「あいつは、どうやったらこの地面に、引きずりおろせる?」
「どうやってと言われても……いや、誘えばあいつは滑走して突っ込んでくるからそれは済む! 爆弾無しの矢なら届くでしょ? マーシュ!」
「んなこと言わなくても分かるだろ…!『たやすく』届くの間違いだろ?」
その時点で2人は言葉は不要とした。
にやりと笑ってほぼ同時にブレーキをかけて互いに距離を取ると、2体のモンスターもそれぞれに分かれて襲ってきた。
獲物が立ち止まったことで喜びを表したいのか、イモムシの無数の顔はキィキィと嗤い、ナイトゾンビも思い切り斧槍を肩に担いで、振りかぶったまま近づいてきた。
「いいか、しくじるなよ? こいつらをやり過ごしたら…」
「ええ、すぐに『また』避けるんでしょ?」
ぐいと2人も身構えて2体の異形を待つ。
イモムシがいやらしい嗤い声を上げて、クレアへ真っ直ぐ向かってきた。押しつぶして食いつこうと体を跳ね上げたが、クレアは影に覆われるのを待たず、前方にスライディングして滑り抜ける。
マーシュは早い段階で、ナイトゾンビの振りかぶりに違和感を感じて、落ち着いて薙払いをかわしてすり抜けた。ナイトゾンビ自体は斧の刃を振り下ろすと見せかけて、薙ぎ払おうとしたつもりなのだろうが、ジャックの剣筋と比べてまったく驚異に感じない技術だ。
結果的にこの瞬間、2体のモンスターと2人の冒険者の位置が入れ替わる。
2体のモンスターは自分たちの攻撃が避けられたことにいまいち理解がなかったようだが、すかさずマーシュがエレファントバードに向けて矢を射る。
まずはものは試しと顔に向けて矢を放ったが、矢は無数の枝をかいくぐって、見事にエレファントバードの鼻面に命中した。
想像以上に激昂したエレファントバードは、一気に体をくねらせ翼をいからせて急降下し、体全体で突撃してきた。
ぐんぐんと膨大な熱量と質量が2人に向かって突っ込んでくる。
恐怖はあった。さらにそれはわずか数秒の猶予しかなかったが、それでも熱風と火の粉に負けず、2人は冷静に目を見開いてタイミングをはかった。
意は決した。マーシュは右に、クレアは左に飛んだ。
ズボアァァッッガキバキキィッ
エレファントバードの巨体は、直線上の木々をすべてなぎ倒しながら滑走し、ちょうどその直線上にいた2体のモンスターを巻き込む。
轟音と叫び声がこだまして、辺りの空気までもが全て焦げたように思えた。
だがマーシュは、狙いを定めてピタリと動かない。
イモムシとナイトゾンビはかなりの痛手を負ったようだが、エレファントバードは一番体力が有り余っていて、元気よく立ち上がって振り向く。
怒り心頭になったエレファントバードは、さらに炎を大きくして咆吼した。
「それを待ってたぜぇーッ!」
だがマーシュはそれを一笑にふした。
放たれた矢には黒々とした爆弾がくくりつけていた。速度こそかなり見劣りするが、待ちかまえていたマーシュに無駄な遅れはなく、矢は爆弾ごと大きなくちばしの間に吸い込まれる。
反射的にくちばしを閉じたエレファントバードに驚きが満ちたが、それはただちに見納めとなった。
ゴッ…ボゴオオォォォンッッ!
エレファントバードの体は、グブリと異質な音が鳴ったかと思うと、次の瞬間には大轟音と閃光が広がって、マーシュは何も見えなくなる。エレメンタルバーンとしての魔力による『火炎』が直接、爆弾により暴走させられたのだ。
弓で射たマーシュは視界が全て真白に覆われたときには逃げることは諦めた。
自分の行動が成功した。
それだけ分かればひとまず大丈夫、と達成感に浸った。爆発により自分の体が、あっけないほど吹き飛ばされたことだけわかっていた彼は、それからそのまま意識の闇に落ちそうになった。
「……なにこのまま寝ようとしてんの? さっさとどきなさいよ!」
だが少しすると、声と共に自分の頬がつねられた。
そもそも吹っ飛ばされて前後不覚になっていたマーシュは、自分の上半身が「何か」に乗っているのに気づく。
土よりもぐねぐねとしたそれに、何故かあのチャイコンイモムシの姿を想像して、それを押しのけようと手を伸ばす。何かを握り込むと、さらに強く頬をつねられて涙まで出てきた。
「いっいい痛たった!」
「本当に最低ね! 呆けてないでどきなさいって言ってるでしょ?!」
ようやく意識がはっきりしたマーシュは、自分の状況を確認できた。うつぶせの自分が乗ってるのはチャイコンイモムシの上などではなく、相棒のクレアの腹の上に乗っていたのだ。
2人は上から見れば十字型になっていて、上に乗っているマーシュがいまいち状況を確認できておらず、乗られているクレアは声を荒げてじたばたしている。
「え、じゃあ何だ? お前が支えてくれたのか?」
「ええそうよ、私が吹き飛ぶマーシュをちゃんと受け止めてあげたのよ?……で、そんな恩人に向かってあんたは、いったい何をしでかしたのかしら?」
「いや、何がってびっくりしたから押しのけようと…」
そしてマーシュは自分の手の位置に注意する。自分の左手はクレアの首に置かれ、右手はクレアの膝上にあてがわれていた。最初は、クレアが怒る理由が分からなかったマーシュだったが、意識が曖昧になっていた時のことを考えると、あの時確かに、柔らかいものを左手が握ったのだ。
マーシュはそれを理解すると、ゆっくりと立ち上がって何事もなかったかのように振る舞おうとする。いそいそと、吹き飛んでしまった自分たちの道具を集め始めた。
「あのさ……あんた胸揉んどいて誤魔化すつもりね」
背中からかけられた声は冷えたナイフに似ていた。背筋が泡立ったマーシュは、慌てて話題を切り換える。
「そ、そういや、あの3体のモンスターはどうなった? ちゃんとまとめて吹き飛んでくれたかどうか確認しないと」
「下手な話題の換え方ね……もう怒ってないから、あれを見なさいよ」
クレアから目をそらして持ち物を拾い集めていたマーシュは、クレアの指先を見て、指している方向に目を向けた。
まず目に入ったのは黒と赤。それとモンスターによく見られる茶褐色の血液で、その中心、いや爆心地から円状にぶちまけられているのだ。
辺りの木々も少なからず焦げたりへし折られたりしていて、爆心地はというと申し訳程度の肉片とばらけた甲冑のパーツがあった。
「どれがどいつの残骸だよ」
「あのちょこちょこっとした白い肉片が、チャイコンイモムシじゃない? で、あの甲冑がナイトゾンビのもの」
「エレファントバードは? 木っ端みじんってやつか?」
「そりゃそうでしょ、隣にいただけのイモムシがあんな風になってるんだから」
燃える木々は少しずつ広がりながら、パチパチと音を立てている。その明るさで気がつかなかったことだったが、2人は満月が雲に隠れていることに気づいた。
ジャックは深手を負ったと判断したエイドスが、逃げるジャックを追ってトドメを刺そうとした。
だがしかし、逆に手首を斬り飛ばされてしまった。
構えるジャックの手には薄刃の曲剣があり、その刃は満月が隠れて炎の光だけを跳ね返して、まがまがしく光って見える。
右手首を失ったエイドスは、出血を片方のオオカミの手で強引に締め付けて止めている。今や明らかにジャックが有勢に立っている。
ちなみに腕の痛みのせいで、エイドスの右腕はすでに人間の腕に戻ってしまっていた。だが、それ以外の部位までは人間には戻らなかったようで、結果的に非常にアンバランスな姿になる。
「似合いの場所、だと?」
誘い込まれて反撃されたことを悔しがっていたエイドスは、そう素直に聞き返す。自分とジャックが今いるのは、はぐれウッドウルフの死体が散乱する場所の中心で、それをジャックは「似合いの場所」と表現した。
意味を理解したエイドスは、不機嫌さを露わにして唾を吐いた。
「ここがお似合いだって? いくらオオカミとはいえ、俺の足下にも及ばないようなDランクモンスターと一緒にするとはな……これ以上の侮辱はねえよ…!!」
「侮辱、か。ならば加えて、今この場所でお前はドルザやウーゴと同類にしてやろう。俺がどんな小僧だろうと、ここでお前が死ねば『子どもにやられた』ことに変わりない……ッ!」
ジャックの曲剣が一閃する。先ほどの攻防と一転して、ジャックから攻めて出た。起伏のある森の中でも足の運びは相変わらず機敏で、二太刀、三太刀と攻め掛かれるたびにエイドスは追い込まれていく。
エイドスがさらに避けようとしたときに、木が背にぶつかって動きが止まる。エイドスはこれ以上後ろに逃げられなくなった。
「しゃあっ!」
ジャックは烈しい気合いと共に、距離を一気に詰める。
エイドスは呻きつつも、袈裟に振るわれた太刀を体をしゃがませて間一髪回避する。さらに、休む間もなく振るわれた追撃を避けるために、エイドスは転がった。
あと少しあの場所でしゃがんでいたら自分は真っ二つになっていた、とエイドスはそのジャックの殺気で理解していた。
急いで立ち上がって爪を構え直すエイドスを見て、さすがのジャックも追撃せず、その場で構えなおした。
両者は距離3メートルといったところで、向かい合って構えていたのだが、突如、ジャックの斜め後ろにある木が音を立てて崩れ落ちる。木はスパリと斜めに斬れていて、上の部分がずり落ちたのだ。
ジャックはちらりと見ただけだった。
一方、何をしたんだとエイドスは一瞬考えたが、すぐに思い出す。
先ほどエイドスが避けた袈裟斬りは、あれほどの切れ味を秘めていたのだ。あのような粗末な曲剣で、あの太い樹木を断ち切ったのだ。
「お前、その剣はどこで手に入れた?」
エイドスは油断無く構えながらも、ジャックの持つ曲剣について質問した。
「何を急に…これは山賊共が持っていた剣だが?」
「嘘だな。ただの曲剣にそこまでの切れ味があるとは断じて言えない。もし商人が目利きをすれば10人中10人がそう答えるぜ」
「はっ、さてな。……まあ分からぬこともない。剣を道具としか見取らん貴様には解せない話だろうな。俺にとって剣は『己の腕の延長』だ。使い手の技術と心の持ちようで、業物がなまくらになることもある……その逆も然り」
エイドスはほんの少年であるジャックが今述べたことが、まるで熟練の冒険者や騎士が言うようなことと似ていると感じた。
確かに、ただの少年では無いのはわかってはいたことだ。だが今の言葉で何故か説得力を感じたこと、エイドスはそんな自分に驚いていた。
「ジャック、お前は何者なんだ? そもそもお前は人間なのか?!」
「いきなり何を言うかと思えば……ただの人間だぞ。そうだな、副都サクルースで労働奴隷をしていた、とだけ言っておこうか」
「わからねえ、本当にわからねえ。なぜあのデブのホディッツはこんな奴隷を飼い慣らしていたんだ?」
「知らぬな。さて、無駄口は終わりだ」
ジャックがずいと近づくと、エイドスは反射的に回し蹴りを放った。それをジャックはそれを苦もなく避けて、距離をさらに詰めてくる。
近距離まで近づいてきたことに、思わず左の爪を振り下ろそうとしたエイドスだが、ぎりぎりでそれを止める。フェイントで蹴り上げてから、バックステップする。先ほどジャックは、背中を見せている状態でエイドスの右手首を斬り飛ばした。
真正面からの爪撃などは、格好の餌食になるとエイドスは判断したのだ。
だがエイドスは、それもジャックに読まれていたことに気づいた。左足はバックステップした後、痛みが走って動かなくなった。ちらりと見ると、アキレス腱がパックリと斬られていた。
『ジャックはこちらの一挙一動を必ず見逃さない』
恐ろしいその剣術に戦慄しながらも、エイドスは自らを奮い立たせるために遠吠えを吐く。
自らの獣性を最大限猛らせての咆吼だった。
猛獣とは違って高い音階にも関わらず、その響きはさらに森を震わせる。
ジャックも、エイドスが最後の勝負に出ると悟って息を吐く。すーっと気持ちが沈み込んで、ジャックは何も聞こえなくなる。
あるのは自分と剣とエイドスのみで、あとは真っ暗な場所だけ残った。
「ゴオォォォッ!」
エイドスが右足を踏み込んで間合いを詰め、手を振り上げて爪を振り下ろす。振り下ろした左手首をジャックが斬り飛ばしたが、それは想定内だった。エイドスは攻撃と同時に、左腕に力を入れて血を噴き出させる。
血は盛大にジャックにかかって視界をつぶし、エイドスはそのまま飛びかかった。
エイドスは腕を犠牲にして殺すつもりであった。だが蹴りではなく、ジャックの首を牙で食いちぎろうとした。
ジャックの白い首筋が目の前に近づく。あとはあらん限りの力で噛みちぎるのみ。
勝利を確信したエイドスの視界は、そのまま下の方から謎の赤に浸食されていく。
「ギガァッ?! な、何故、だ?」
エイドスはその歯で噛みつくこともなく、顔から地面に激突した。自分の体はどこもかしこもピクリとも動かない。エイドスが感じているのは、とんでもなく熱くて痛いという感覚だけだった。
顔を横に向けてうつぶせているエイドスの目の前に、ジャックがしゃがみ込んだ。
エイドスはかすむ視界の中でジャックの首筋を見てみると、まるで無傷だった。
「何…が、起こった……?」
エイドスの胴体と首から、おびただしい血が堰を切ったように流れる。それはもはや一つの小川になりそうな出血量だった。
最期の最期まで疑問の言葉を残して、人狼エイドスは息絶えた。
---ジャックは最初から間合いを完全に狂わせておいたのだ。
正面から攻撃したエイドスには分からないことだが、前傾姿勢にすることや、足捌きの工夫で、ジャックに牙が『届く』と勘違いさせたのだ。
エイドスの捉えた首筋も、勝利を確信したことで見えた曖昧な映像でしかなく、実際には、噛みついても届かない距離にジャックは立っていた。
瞬間的に嚙みつこうとしたエイドスの体は、その時点で空中にあり、ジャックがこの好機に出した太刀は、紛れもなく「前世の技」だった。
立ち上がったジャックは曲剣を一振りして血を払う。安堵の息が漏れたのは疲れと、蹴られた腹のぶり返す痛みによるものだった。
「ふう…『明勢流、段葛籠』か。慌てて繰り出したにしてはまずまず…だな」
空中にあったエイドスの体を、ジャックは一瞬にしてジグザグ状に脇腹から両肺に二太刀、首に二太刀、合わせて4回斬った。
段葛籠は一息で、交雑する足捌きと剣捌きを、一切の乱れもなく行う者にしかできない技だ。その名のごとく葛折りの山道(ジグザグの山道)に似通っている剣筋をしているため、この名がついた。
「弔ってやりたいが、まずはお二人を助けに行かねばなるまい。…許せ」
後に残ったのは長身な人間のエイドスの体と、そこから流れ広がる血の絨毯だけだった。




