夜間攻防2
ジャックの目の前に立ちはだかるのは、身長2メートルを悠に超えた黒いオオカミ人間である。爛々と輝く紅い瞳は凝縮した憎しみを孕みつつも、実に慎重な間合い詰めによって、揺らぎながら近づいてくる。
エイドス・セイルズは、手の平と爪を前にいるジャックに向けて構えを取っている。
背中が隙だらけだ、とマーシュはエイドスに向かって弓を引き絞ったが、山の方から駆けてこちらにやってくるおぞましい気配を察知した。
近づいてくるのは複数の存在だ。疾駆して来る気配と、粘着性を持って這いずるもの、さらには鈍く重々しい羽音まで聞こえてくる。
迫られる恐怖からか、鏃を反射的にそびえる暗い山へ向けたマーシュは、やがてそれらの姿をその目に捉えた。
『何なんだあれは………まずいッ!あれらがエイドスが研究してたモンスター共か?冗談じゃない、はぐれウッドウルフとはワケが違うじゃねえか!!』
まずマーシュの冒険者としての知識に符合したのは、木々の間を縫うように這い寄る、巨大な芋虫のシルエットであった。それには何十もの齧歯類の顔が張り付き、体中に広がる黒い血管が断続的にドウンドウンと脈を拍っていた。
鳴き声は刃物と刃物をすりあわせたようなもので、それをCランクモンスター「チャイコンイモムシ」と、Dクラスモンスター「ゲッシングズーグ」を掛け合わせたものだと分かった。
イモムシのすぐ後ろには、鎧がふれあう金属音を鳴らしてマーシュに向かってくるシルエットが見えるが、巨大な羽音の持ち主だけは、マーシュの頭上を3回ほど旋回した後に小屋へ真っ直ぐ飛んでいった。
「おいッ! クレア! そっちにモンスターが行ったぞお!!」
まずいと思ったマーシュは、声をはり上げてクレアに知らせようとした。それに相棒が気づくか確認する間もなく、マーシュは囲まれてしまった。
前に居るのは配合されたイモムシ。後ろには、古びた全身甲冑を着込んだ騎士のような何かが、武器を構えて距離を詰めてくる。
騎士の方は兜のカサを下げているので顔は見えないが、鎧の隙間から漂う腐臭、死の匂いがマーシュの鼻腔を粟立たせた。
「エイドス…! これがお前の実験ってやつか? イモムシはともかく、こっちのほうは『ナイトゾンビ』と何かを掛け合わせたのか?」
「ふん、それはお前が確認するんだな。命と引き替えにな」
エイドスはマーシュの方を見向きもせずにそう言うと、指を鳴らしてモンスターへ合図を送った。
キキュウウウン!
先に動いたのはイモムシの方だった。体を縮めた一瞬後にその巨体を飛び上がらせてくる。
「かっ! 圧し潰すつもりかよッ」
マーシュは横に飛んで避け、すぐに立ち上がろうとした彼の背中に影がかかった。
シュゴォッ!
マーシュが回避したところを狙ったナイトゾンビが、汚れた斧槍を背中に振り下ろしたが、マーシュはさらに転がって避け、逆に振り下ろされた斧槍を踏みつけた。
土を穿って深々と刺さってしまった斧槍を、ナイトゾンビは引き抜こうとするが、マーシュは間髪入れず胸に蹴りを入れる。ゴツンとした音がなり、ナイトゾンビは体勢を崩す。だが鎧が凹むことなどはない。
「くッ……死ぬなよ、ジャック!」
マーシュはそう叫ぶと、走り出しながらナイトゾンビとイモムシに向かって矢を射た。ナイトゾンビには兜に当たって弾かれただけだが、チャイコンイモムシの方には何十個の顔のうちの一つに矢が命中し、気色の悪い悲鳴を上げた。
マーシュが走って逃げつつ2体の配合モンスターに矢を射たのは、こちらにおびき寄せてジャックの負担を減らすためだった。
「おらこっちだァーッ! こうなりゃとことん追い駆けっこしてやるよ!」
マーシュに矢を射られ、怒声を浴びせられた2体の配合モンスターは、マーシュの思惑通りに追って来た。
小屋の外に立つクレアの頭上には、象と変わらない巨体を持つ鳥型のモンスターが羽ばたいていた。そのモンスターはクレアもマーシュも知っているもので、Cランクモンスター「エレファントバード」だった。
マーシュの声を聞いたクレアは、フルクにここから離れないようにと念を押してから外に出た。
外に出て上を見た時には、驚愕のあまり数秒固まったクレアだったが、すぐに短剣2本を抜いて戦闘体勢に入った。
「何なのよこいつ?! こんな高ランクモンスターがいるなんて…あの森の中のアレらはマーシュたち? 一体どうなって…」
クレアが戸惑っていると突如、空を飛ぶエレファントバードの体が熱を帯びて橙色に燃え出した。もちろんクレアが何をしたということではないため、さらに戸惑いが彼女の内心を覆った。
燃え出したエレファントバードに苦しむ様子は無く、むしろ嬉々としているように思える。
「エレファントバードが燃えるなんて聞いたことない……いや、もしやあれが『そう』なの? 『あれ』がエイドスの配合モンスターだって言うの?!」
胴体から燃え出した炎は、頭部以外の全身を巡り翼の末端まで行き渡る。エレファントバードが火の粉を振り撒きながら、眼下のクレア目がけて突っ込んできた。
「まずいッ!」
瞬時に横へ飛んで転がる。特に防御手段を持たないクレアが避けたのは正しい判断で、クレアが立っていた周辺の草地はえぐれて、丸々と黒焦げになっていた。
だがしかし、一見して完全に避けたように見えて、クレアの肩はわずかに火傷を負っていた。
『---翼が掠った、わ』
急いで立ち上がって、エレファントバードを目で追うと、そいつは体を燃焼させたまま地面に降りたっていた。地上に降りたエレファントバードの周りの草は焦げ、取り巻く熱風と火の粉は容赦なくクレアに吹きつける。
エレファントバードというモンスターは、その凶暴性と体力そして破壊力などから、Cランクに分類される存在なのだが、『体全体を発火させる』などという能力はなかった。
単にクレアが勉強不足だったりする可能性もあるが、マメな彼女がそういった情報を知らないことはないだろう。
自分が情報を知らなかった可能性よりも、目の前に存在するこれこそが、話しに聞いていた配合モンスターである可能性の方が高い。
「エレファントバードと――――まさか発火する魔精『エレメンタルバーン』を掛け合わせるとはね」
そう呟いたクレアは、エレファントバードを円の中心に見立てるように立ち回り始めた。体の大きいエレファントバードは、パワーこそ立木をなぎ倒すほど有り余るが、俊敏性はそこまであるわけではない。
クレアは冒険者としてはシーフ、つまりは身のこなし軽き隠密という役職であり、スピードで引っかき回す戦法に出た。
『不用意に近づいて、一度でも打撃をもらえば私は死ぬ。だからといって逃げもしないし、無謀に突っ込む気もさらさらない』
クレアは足のホルダーから小さなナイフを抜き、挨拶代わりにそれを投擲した。
ナイフは翼の根本部分に真っ直ぐ飛んでいったが、皮膚に軽く刺さっただけで、すぐにエレファントバードの足下にポトリと落ちて燃えていく。
たいした傷ではないはずだったが、エレファントバードは怒りを覚えたようで、鋭い眼光を送ってから、またもや翼をはためかせて飛び上がった。
飛び上がったエレファントバードはクレアに向かって、再度猛禽類の峻厳な眼光を向けてから突撃してきた。
『は? また同じ事を…』
いくらモンスターとはいえ高ランクとなるとある程度の知性が備わっている個体が多い。エレファントバードも例外ではなく、自らよりも強いモンスターを避けることも確認されている。
もしや掠ったから『もう一度で狙える』と思うのか、とクレアは考える。
ギォオオオ!
「人間のこと舐めすぎよ!」
先ほどよりも速度を感じた突撃だったが、苦もなくクレアは避けた。
エレファントバードは怒りをあらわにしたまま地面に着地すると、勢い余って10メートル以上滑り込んで木々をなぎ倒していく。
その威力を見たクレアは戦慄しつつも、小屋へ走って入った。
小屋の中にはフルクが居るが、もちろんただの木こりの彼に手伝ってもらおうとも考えていないし、都市ロメオまで走ってもらって、応援を呼んできてもらうのも明らかに愚策だ。
まず時間がかかるし、夜の平原を走って行く道中、モンスターに襲われたりすればフルクに生き残るすべはない。余計な仕事が増えてしまう。
クレアは自分の革リュックをひっつかんで出る際に、隅でおびえて縮こまっているフルクに叫んだ。
「フルクッ! いい? ここから出ないでよ? 死にたくなかったらその死体穴にでも入ってなさい!!」
フルクは彼女の声にビクリとしたが、言われた通りに穴へ梯子をかけて、わたわたと降り始めた。
クレアが小屋に出ると、燃えている木々の間からエレファントバードがヌッと出てきていた。このまま好き放題暴れられては、そう遠くないうちに森が火事になるだろう。
「まったく……ひどい仕事だとつくづく感じ入るわね」
口では悪態をつきつつも、クレアは笑みを浮かばせながら革リュックをまさぐった。
森の深部では、オオカミの咆吼と鋭い剣戟が鳴り響き、時折木がメシメシと倒れていく。相対しているのはジャックとエイドスで、完全に獣人の本領を発揮したエイドスは、その身体能力を生かしてジャックを押していた。
ジャックは必要最小限の動きでそれらの攻撃をかわし、いなし、避ける方向を変えながら徐々に後退していった。
「どうしたジャックッ! ウーゴを倒した時はそんな消極的ではなかっただろう!」
挑発しながらエイドスは前蹴りを入れてきた。運悪く、ジャックのかかとに樹木の根が引っかかった。
『いなしきれない』
そう感じたジャックは咄嗟に後ろに飛んで、腹で蹴撃をまともに受けて吹き飛ぶ。
立木に背中がぶつかり、ジャックは倒れて呻いた。
『ぐ……後ろに飛んでなかったら今頃臓腑をまき散らしておったわ』
がふっと血の味がする息を吐いたジャックは、上方からのエイドスの追撃を躱した。
エイドスの信じられない跳躍により振り下ろされたカカト落としが、土の地面に炸裂した。周囲の木々が余りの衝撃にぐわんぐわんと揺れて、さすがのジャックも慄いた。
「どうだ?これが獣人種ラプターウルフの実力だ。その気になれば街一つを蹂躙することはできる……お前とマーシュが言ったように『詰め』をしくじらなけれな!」
「はっ…ならば、まどろこしいことがよほど好きと見える。そのような武力を持ち合わせているのならば、せせこましい活動などしなければよいものを! そうだろう、ディーセント帝国の商い人よ」
最後の単語にエイドスがわずかに反応し、目には理知的なものが戻った。少なくとも攻撃を仕掛ける表情ではなくなっている。
「……いつから知っていた?」
「気づいたのはマーシュ殿だ。俺はカマをかけただけだ。---なるほど、お主が三眼オーガを密輸しようとしたディーセント帝国の商人ならば、今まで俺は、お前に多大な迷惑をかけてきたことになるな」
「ふん、今更謝っても遅いぜ。すでにお前ら3人とフルクの息の根は、確実に止めることにしたんだ」
「それであのモンスター共か? お主も全身くまなく獣と化しているところを見るに、くくっ……よほど必死と見える」
ザウォンッ
表情こそ変化しなかったが、エイドスの瞳はまたもや凶暴な獣の『それ』に変化する。
蹴られた腹を押さえながら立つジャックに、エイドスは一気に距離を詰めて爪を振り下ろすが、ジャックはそれを大鉈でかち上げるようにして防いだ。
防がれたことによる苛立ちで内心舌打ちしたエイドスだったが、次の瞬間にビキリとした音が鳴ると、大鉈のヒビが広がっていき完全に破損した。
防御に使った剣が壊れた勢いで、ジャックの体勢が一瞬ぐらつく。黒髪の少年の目は驚愕の色を見せた。後ろへ逃げようとするのか、顔だけ後ろを見た。
今だ、とエイドスはさらに逆の爪を振り下ろして追撃する。
なおも後ろに飛んで、間合いから逃れようとしたジャックだが、エイドスの身体能力はそれすら逃がさない。2度目の爪に次ぐ、さらなる追撃は『今度は大鉈で守られていない』腹への、中段蹴りだった。
ボゴォンッッ
まともにそれを喰らったジャックの腹から、バキリという音がして吹き飛ぶ。だが、不思議と彼の体は樹木にたたきつけられずに失速して転がる。
蹴りを放った当人であるエイドスは「仕留めた」と確信した。だが、樹木に当たらず姿がかすむ所まで飛ばされたジャックを見て、何かが引っかかって追い始めた。
「……ふむ、ばれたか」
倒れたジャックはそう呟くと、立ち上がって走り出した。
追いかけるエイドスが、先ほどジャックの倒れていた所をちらっと見ると何本もの木の枝が落ちてあった。
「あの小僧、いつの間に木の枝を?! 本当に最低限の守りの保険ということか……くそったれが!」
走る両者の横を木々が何本も通り過ぎ、ジャックは右に左にと逃げまどっているように見える。何かアテがあっての行動かも知れないが、エイドスは考える暇を捨てていた。
距離は徐々に縮まっていき、不意にジャックの足が止まってその場にしゃがみ込む。
足をくじいたか、それとも実は折れていた肋骨が肺にでも刺さったか。
とにかくエイドスは、ようやく捉えた商売の仇敵へ爪を振り下ろす――――しかし、爪はジャックの背中に届かず空を切った。
突如、エイドスの手首から全身に激痛が駆け巡り、生暖かい何かが勢いよく噴き出しこぼれる。
獣人の鋭い瞳が人間の驚愕の瞳に変わった。
右手首が完全に無くなっているのだ。
数瞬前にはあったはずの、あの黒毛に覆われた雄々しい手の平と爪は見る影もなく、噴き出す血の赤と、てらてらとピンク色に光る肉が露わになっていた。
前を見るとジャックが一振りの曲剣を手にしていた。
「それを、取るために、逃げたのか」
「そうさな。そしてもう一つ……周りを見てみろ」
エイドスの周りには4匹のはぐれウッドウルフの死体が転がっていて、その中心あたりにエイドスとジャックは立つ。
「似合いの場所じゃな」
煌々と輝いていた月がそこで雲に紛れる。山森の裾から影に覆われていき、やがてジャック達の居る麓の森にまで濃密な影が支配する。
森の一点が炎で明るいのはクレアたちだろう。
通常ならば、夜目が利かない人間の方が圧倒的に不利なのにもかかわらず、ジャックの声は冷ややかで、恐怖などは感じられなかった。




