第三章 毒杯の準備
権藤の資金源――製薬会社「桐生薬品」との癒着ルートを、成瀬は三年かけて追ってきた。
きっかけは些細なことだった。院内の薬剤採用会議で、明らかに効果の劣る新薬が、桐生薬品の製品だけ優先的に採用されていく。価格も割高だった。誰も表立って疑問を口にしない。口にすれば、次の人事評価で不利益を被ることを、みな経験的に知っていたからだ。
成瀬は、それが権藤個人への「還元」の仕組みであることを、時間をかけて突き止めた。学会への招待という名の接待旅行、講演料という名の裏金、そして箱根の温泉旅館での密談――。
証拠はある。だが、それを表に出すだけでは足りない。
権藤のような男は、証拠が公になった瞬間、瞬時にトカゲの尻尾を切る。自分より弱い誰かに罪を被せ、涼しい顔で生き延びる。成瀬はそれを何度も見てきた。美咲の一件と、まったく同じ構図で。
だから成瀬が選んだのは、証拠を告発することではなかった。
証拠を、断つことだった。
木曜日の午後、成瀬は薬剤部長の宮下に接触した。表向きは、患者の処方について相談するという体裁だった。
「宮下さん、桐生薬品の件なんですが」
宮下の顔が一瞬、強張った。
「……何のことですか」
「最近、本社の監査部が動いているという噂を耳にしましてね。あなたの名前で発注が通っている案件、大丈夫ですか」
これは半分嘘だった。監査部が動いているという情報はない。だが、宮下がこの取引の実務を任されていることは事実だ。そして権藤が、何かあった時には真っ先に宮下を切り捨てるであろうことも。
宮下の目に、恐怖の色が浮かんだ。
「先生、それは……院長のご指示で」
「わかっています。ただ、指示を出した人間と、実行した人間、どちらが先に切られるか。宮下さんならご存知でしょう」
成瀬はそれ以上何も言わず、微笑んで立ち去った。種は蒔いた。あとは、宮下自身の恐怖が、彼を動かすはずだ。
同じ週、成瀬は経理課の若手職員にも別の情報を流した。宮下が「個人的に」動かしている口座があるらしい、と。もちろんそれも、半分は真実で半分は誇張だった。
一週間後、医局内に小さな地殻変動が起き始めた。宮下は経理課を疑い始め、経理課は宮下を疑い始めた。権藤の懐刀と呼ばれていた事務長の田中までもが、「自分だけが知らされていない何かがある」と苛立ちを見せるようになった。
成瀬は何もしていない。ただ、すでにそこにあった疑念の種に、水をやっただけだ。
翌朝、権藤が珍しく苛立った様子で医局に現れた。
「最近、変な噂が多いようだね」権藤は柔和な笑みを崩さずに言った。「誰かが、余計なことを言いふらしているようだ」
その視線が、一瞬だけ成瀬の方に流れた気がした。
成瀬は表情を変えず、カルテに視線を落としたまま答えた。
「さあ、私は存じません」
嘘は得意だった。美咲が死んだあの日から、ずっと嘘をつき続けてきたのだから




