第2話 ストーカー疑惑と喫茶店の夕暮れ
時と場所は変わり、喫茶店「男子女子」。
夕暮れに包まれようとしている店内には、挽かれたコーヒー豆の匂いが漂っている。
店内では、窓ガラスを拭く大雑把な動きが、かすかな音となって響いていた。
「水沢、手を止めない」
キッチンに立つ観音寺歩鳥は、店内の掃除を手伝いに来ていた大学の同級生――水沢一平に声をかけた。
「手は止めてないだろ?」
「じゃあ、手より口が多く動いてるみたいだよ、気付いてなかった?」
軽食の仕込みをしながら、観音寺は水沢に軽口をたたいた。
口より手を動かせと言われているのを察したのか、水沢は手の動きが少しだけ早くなった。
清掃を続けながら「ところで」と水沢は口を開く。
「カウンターに座ってる、そのぬいぐるみは、どこのどなた様が持ってきたんだ?」
観音寺は大人しく座っているぽこちゃんの両耳を、ぱたんと閉じた。
「イケメンの声しか聞こえないぽこ」
思わず手を出そうとした水沢を、観音寺が制する。
「止めてくれる? 水沢のくせに生意気よ。そうだよねー、ぽこちゃん」
観音寺はぽこちゃんを持ち上げて抱きしめる。
「ほお……喋るのか、なるほどね。そういう設定?」
「嫌な人だねー、ぽこちゃん。あっち行ってようか」
ぽこちゃんを抱えてカウンターから出てきた観音寺は、ぽこちゃんを座らせるとようやく水沢の方へ向き直った。
「で、なんだっけ? ストーカーがどうとかこうとか」
店内清掃の手伝いに来た水沢は、作業そっちのけで観音寺へ話し続けていたのだった。
観音寺は話半分、馬の耳に念仏といった態で軽く聞き流していたのだが。
「さっきから言ってるだろ。俺と同じゼミの三崎、あいつがいま元カノにストーカーしたとか疑われてんだって」
「最低ね……まあ、水沢よりはマシかもしれないけど」
「まあ俺のことはいいとして……だから違うんだって」
「あ、そこは流すんだ」
「その元カノが大西っていうんだけど、大西が三崎を見たって時間、俺はそいつとゼミ室で一緒に勉強してたんだよ」
「人違いってこと?」
「そりゃそうだろ、大西の部屋は大学から十キロ以上離れてるんだぜ」
「十キロかあ……電車乗ってもすぐには着かないよね」
「俺の目の前から瞬間移動でもしないかぎり、無理なんだって……」
「鉄壁のアリバイがあるというわけね……そういうことなら」
観音寺は事務室兼倉庫へ行くと、胸にペンギンのぬいぐるみを抱えて戻ってきた。
灰色と白の毛足の長い、丸っこいぺんぎんのぬいぐるみ。
「ぽこちゃんのお友達で、ぺんちゃんていうの。アリバイものは、ぺんちゃんの方が得意なの」
お辞儀をしたぺんちゃんは、水沢に向けて“しゃべった”。
「ぺんちゃんは物知りで頭がいいぺん。その鉄壁のアリバイはぺんちゃんが崩すぺん。詳しい状況を話すぺん」
「いやだから、崩せちゃダメなんだって」
「なんでだぺん」
「お掃除の手も止まっちゃったみたいだから。一息ついてからお話しようか。」
「よろしく」
「態度が偉そうだぽこ、ムカつくぽこ」
「ぽこちゃんの言うとおりだぺん。ちゃんとお願いをするぺん」
「誰かさんと違って、ぽこちゃんとぺんちゃんは優しいねー」
観音寺は両手でぽこちゃんとぺんちゃんの頭を撫でた。
「……本日も麗しい歩鳥さま、コーヒーをお願いできますか」
二体と一人の圧力に負け、水沢は引きつった笑みで頭を下げた。
「いいよー」
準備を始めた歩鳥を、水沢はカウンターに頬杖をつきながら眺める。
観音寺と水沢は大学に入ってから知り合った。
水沢が彼女を見ていた期間というのは二年と少し。決して長い期間だとはいえない。
昔の観音寺はもっと分かりやすく、溌剌としていた。
今はあの頃よりずっと、まとっている空気が柔らかくなった気がする。
だけど、一年前のあの日から、彼女の笑顔はどこか、取り繕っているようにも見えた。
(……まあ、仕方ねえよな)
「はいお待たせ。なにぼおっと人のこと見てるの? 惚れた?」
水沢の感傷を打ち壊すように、観音寺は淹れたばかりのコーヒーをカウンターに置いた。その瞳は、一瞬だけ沈む夕日の色を反射して、ひどく大人びて見えた。
「違えよ馬鹿」
水沢が照れ隠しに悪態をつくと、観音寺は大袈裟に身をすくめて、ぽこちゃんとぺんちゃんを抱え込むように顔を埋めた。
「二人とも助けて……! 言葉の暴力……DVよ……!」
「人間として終わってるぽこ」
「警察に通報するぺん」
「ああ、もう、分かったから、それ止めろって!」
水沢は降参とばかりに両手を上げ、カップに手を伸ばした。
淹れたての薫りを愉しみながら、温かいコーヒーを口にする。
観音寺も自分のカップを手に。カウンターの内側で小さく息をついた。
「……今日は夕日がいつもよりきれいな気がする」
窓の外を見つめながら、観音寺はぽつりと呟く。
「俺が汗水垂らして拭いたからな」
「うーん、例えそれが理由だったとしても、水沢のおかげだとは思いたくないなあ」
「ぺんちゃんが頑張ったぺん」
「そうなのぺんちゃん、偉いねー!」
観音寺はぺんちゃんを抱きしめ、水沢の方へ向けた。
「一息ついたぺん。さあ水沢――ぺんちゃんに、ぜんぶ話すぺん」




