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喫茶店「男子女子」で人形たちは不思議を語らう  作者: 三号
第2章 ぺんちゃんと揺るがないアリバイ

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第1話 窓の外の影

 別れた男からの電話というのは、どうしてこうも苛立たせるのだろう。


 大西沙也加がアルバイトを終えて帰宅したのは時計の針が二十時を回った頃だった。

 六月二十三日、火曜日。今日は大学へ行かず昼からアルバイトをしていたので、疲れが溜まっている。

 ソファに腰を下ろしてくつろいでいた大西の携帯電話が鳴り始めてから、三十秒が経とうとしていた。


 画面には交際して一年、先月に別れた三崎恵一の名前が表示されている。


 連絡先なんて、とっくに消しておくべきだった――大西は思わず眉をひそめた。

 テーブルの上で振動を続ける端末を眺め続けた。


 三崎は大西との根競べから退いたらしい。数秒後、スマートフォンは沈黙した。

 留守電の設定をしていないから、呼び出し音が鳴り続けるだけだ。三崎はあきらめたのだろう。


「……何なのよ、今さら」


 別れたと言っても、それぞれがやるべきことに集中したい、という理由だった。

 一旦距離を置こう、とお互いに合意していたはず。


 切り出したのは三崎からだ。


 時間なんて、どうにでも作れたはずだ。別れる必要なんて、本当はなかった。

 そう思う声が、まだ胸の奥でくすぶっている。


 別れたくないなんて、言えなかった。

 言えば、自分が縋っているみたいで――それだけは嫌だった。

 そのくせ、胸の奥ではずっと後悔している。


 結局、大西は三崎と円満に交際を解消することになった。それが先月のことである。

 

 そしてたった今、三崎から電話がかかってきたのだ。


 一瞬、出て三崎と話をしたい、という未練がましい想いも立ち上がった。

 しかし、電話に出れば自分の気持ちが揺らいでしまう――それが大西は怖かった。


 少し経つと、静けさを保っていたスマートフォンが短く振動する。

 メッセージが届いたときの振動だった。

 大西は震える手でスマートフォンを拾い上げ、画面をスワイプして通知からメッセージを開く。

 三崎からのメッセージだった。



 ――今から行く。少し話そう。


 ――追伸。頼むから、窓の外は見ないでくれ。



 大西は背筋に悪寒が走る。窓の外を見るな、とはどういうことか。

 彼女の部屋は二階建てアパートの二階。窓からはアパートの前、住宅街の路地が見える。


(まさか……もう来てるの……!?)


 嫌な予感が冷たく背中を押しだす。大西は部屋の灯りを落とし、暗がりのなかを這うようにして窓辺へ近づいた。


 彼女の住むアパートは駅から徒歩十分。夜になれば通行人の気配など絶える、ひどく静かな住宅地だ。


 カーテンの端を、指先だけで数センチ、そっとめくる。


 オレンジ色の街灯が、アスファルトの上に歪んだ電柱の影を落としていた。


 息が、止まる。


 影の中に、誰かが立っていた。


 じっと、大西の部屋を見上げている。


 暗がりで顔までは見えない。だが、あの独特の、肩まで届く黒髪のシルエット。細身の背格好。見間違えるはずがなかった。


「三崎……くん?」


 なぜ、どうしてそんなところで、わたしを見張っているの。


 恐怖で喉が引き絞られ、悲鳴すら出ない。カーテンを乱暴に閉め、大西はベッドへと逃げ帰った。毛布を頭からかぶった。


 人影は“三崎恵一”だったはずだ。それとも直前に三崎から連絡があったので、彼だと思い込んだのだろうか。


 そういえば、三崎は「今から行くから少し話そう」と言っていた。三崎はこれから部屋に来るのだろうか。会いたい気持ちと、会いたくない気持ちが胸の中で争う鼓動だけが聞こえてくる。


 時間が、冷や汗で凍えた身体から溶けだしていく。


 一時間ほど経った頃。静まり返った部屋に、インターフォンの電子音が鋭く鳴り響いた。


 大西は一瞬、身体を強張らせた。

 どれくらい、怯えて固まっていたのだろうか。大西はスマートフォンを見る。一時間前の三崎からのメッセージ通知が表示されたままだった。


 大西は毛布をかぶったままベッドから立ち上がり、鉛を仕込まれたかのように重い足を摺らせて、インターフォンに近づく。


 画面には――三崎が立っていた。


 走ってきたのだろうか、肩を激しく上下させている。


 モノクロのモニタに映る彼は、血の気の失せた彫刻のように冷たい顔立ちをしていた。肩まで届く黒髪は、先ほどの暗闇の中で見た人影と寸分たがわぬ陰影を湛えている。


 大西は毛布の中から出した震える右手で、通話ボタンを押した。


「……何の用?」


 ここで話すだけなら、鍵さえ開けなければ入ってこられない。自分にそう言い聞かせ、全身の震えを必死に押さえ込む。


「さっき……わたしの部屋、見張ってたでしょ。ご丁寧にメッセージまでして、何の嫌がらせ?」


 モニタ越しの三崎が、心底意外そうに目を丸くした。


「見張ってた? 俺が? 違うぞ、俺が連絡したのは大学にいた時だ。今さっき駅に着いて、ここまで必死に走ってきたんだ!」


「……うそ」


「嘘じゃない! 頼むから話を聞いてくれ! 沙也加!」


――ならば……あの人影は、あの“三崎恵一”は誰だというのだ……!


「じゃあ、わたしは何を見たというの! さっき外にいたのは誰なのよ! 三崎くんしかいないでしょ! あなたはわたしの部屋を見張っていて、それからいま扉の前にいるのよ! お願いだから……帰って!」


 叫び、言い終わるや否や通話ボタン叩きつけるように切った。

 ブツリ、という拒絶の音と共にモニタの画面も黒く染まる。大西はその場に座り込んで毛布をかぶったまま頭を抱えた。


 扉の向こうの三崎が、何度も激しくノックを繰り返す。


「警察を呼ぶわよ!」


 からからに乾いた喉をふり絞って声を上げると、やがて遠ざかっていく足音が聞こえた。

 

 静寂が戻る直前、去り際の三崎が小さな声で呟いた言葉を、大西の耳は確かに捉えていた。


「無事みたいだ……よかった……」

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