第443話:語られない理由
初夏の夕暮れ。
レグナス王立学院の講堂では、若い学生たちへ歴史講義が行われていた。
教壇に立つ老教授は、大陸地図をゆっくり閉じる。
「さて。」
「今日は建国期の話を終える。」
一人の学生が手を挙げた。
「先生。」
「何だ。」
「どうしてレグナスだけは、大陸の大戦へ巻き込まれなかったのですか。」
講堂が静かになる。
誰もが答えを待っていた。
教授は少しだけ考え、窓の外へ目を向けた。
校庭では子どもたちが走り回り、遠くでは荷馬車が街道を進んでいる。
「君たちは。」
教授は穏やかに言った。
「毎朝、安心して家を出られるだろう。」
学生たちは頷く。
「橋が落ちる心配も。」
「市場へ物が届かない心配も。」
「明日突然、戦になる心配も。」
「ほとんど考えたことがない。」
再び静寂が流れる。
教授は教卓へ古い帳簿を置いた。
開かない。
読ませない。
ただ手を添えただけだった。
「歴史とは。」
小さく笑う。
「英雄だけで作られるものではない。」
「誰かが毎日、同じ仕事を続けた結果でもある。」
学生たちは帳簿を見る。
そこに何が書かれているかは分からない。
教授も説明しない。
鐘が鳴る。
講義は終わった。
学生たちは席を立ち、いつものように友人と笑いながら帰っていく。
教授は誰もいなくなった講堂で、帳簿へ一礼した。
その名を口にすることはなかった。
今日もまた、誰にも知られない仕事が、一つ歴史を支えていた。
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