第388話「使節の手帳」
ドラグナール帝国の外交官であるルシアンは、レグナスの地方宿場町にある一室で、本国向けの暗号報告書を執筆していた。
彼の目の前には、この一週間で観察したレグナス国内の、何の変哲もない日常の風景がメモされていた。
「道路の舗装状況、極めて良好。商人の表情、極めて平穏。軍隊の移動、確認されず」
ルシアンはペンを止め、眉間を揉みほぐした。
報告書に書ける内容はこれだけだった。普通であれば、大国の外交官が調査すれば、宮廷の汚職や、地方領主の不満、軍の予算不足といった「国の弱み」がいくらでも見つかるはずだった。しかし、レグナスにはそれがない。
すべてが、あまりにも「普通」の基準の中に収まりすぎているのだ。
宿場町の物価は一リルも狂わず安定し、役人たちは賄賂を要求することもなく淡々と書類を処理する。この非の打ち所のない平穏さこそが、ルシアンにとっては最大の異常だった。
国家というものは、本来もっと雑多で、歪みがあり、愚行を繰り返す生き物のはずだ。
それが、まるで誰か一人の完璧な意志によって、毎日綺麗に掃除されているかのように、淀みなく回っている。ルシアンには、自分の歩いている街道も、泊まっているこの部屋も、すべてが巨大な鳥籠の中に配置された模型のように思えてならなかった。
「この国を調べていると、自分が狂いそうになる」
ルシアンは手帳を閉じた。
牙を見せないレグナスという存在が、四大国という怪物を、ただの日常の数字だけで静かに縛り付けていた。




