第387話「国境の渡し守」
レグナス王国とアルカディア帝国の国境を流れる大河。その中流で渡し舟を営む老ジャンは、夜の帳が下りる中、舟を桟橋に繋ぎ止めていた。
「ジャンさん、今夜はもう店仕舞いかい?」
声をかけてきたのは、近くの国境警備隊の若い兵士だった。
「ああ、水神様の機嫌が悪くてな。ここ数日、上流の水門の開き方が妙に不規則で、川の流れが急に変わるんだ。危なくて舟は出せんよ」
ジャンは煙草に火をつけ、白煙を吐き出した。
警備兵は「役所の連中の管理がズサンなんだろ」と笑って去っていった。だが、ジャンはこの川で四十年間生きてきた男だ。上流の水門が動くタイミングが、決して偶然ではないことを知っていた。
川の流れが激しく変わる日は、決まって帝国の「偵察船」が水面下に現れる時期と完全に一致していた。
大々的に兵を出して敵の船を拿捕すれば、それは外交問題、ひいては戦争の引き金になる。だからレグナスは、ただ上流の小さな農業用水門をほんの少し開閉し、川に不規則な急流を作り出すことで、帝国の船を「勝手に座礁」させるか、撤退させていたのだ。
帝国側は、それを単なる自然の脅威、あるいは水利管理の不手際だと思い込んでいる。
「戦をせずに、川を味方につけてやがる」
ジャンは暗い水面を見つめた。
夜の闇の中、川は何事もなかったかのように静かに流れている。しかしその流れの一滴にいたるまで、宮廷の奥深くにいる「誰か」の精密な指揮によって、完璧にコントロールされていた。




