第368話「地方役人の仕事」
レグナス西部の辺境、地味な農村が広がる地方都市の役人であるカミルは、深夜の机で新しい「開墾許可申請書」に目を通していた。
「また、隣の領地からの移住者か」
カミルが呟くと、向かいで書類を整理していた同僚が、眠そうに顔を上げた。
「最近増えましたね。あちらの領地は税が重いわけでもないのに、なぜわざわざうちの不便な土地へ来るんでしょう」
「あちらの領地にはないものが、ここにはあるからさ」
カミルは申請書の端に、受理の印を淡々と押した。ここ数年、この辺境領では「放置された用水路の再整備」という名目で、国からの補助金が少額ずつ、しかし途切れることなく投入され続けていた。派手な公共事業ではない。ただ、農民たちが少し頑張れば、新しい畑をいくらでも広げられるだけの水が、常に用意されている状態が作られていたのだ。
隣の領地の農民たちは、飢えているわけではない。ただ、レグナスのこの地に来れば、自分の努力次第でいくらでも豊かな生活が手に入るという事実を、風の便りに聞いたのだ。
「私たちは何もしていない。ただ、彼らが来やすいように書類を整えているだけだ」
カミルは次の書類を手にとった。大層な誘致活動も、他領への引き抜きもしていない。ただ、人間の「少しでも良く生きたい」という欲求が流れるための溝を、あらかじめ掘っておいただけだ。気づけば、この地方の人口は隣領を圧倒し、確固たる生産拠点が出来上がっている。この静かな統治の形に、カミルは底知れぬ凄みを感じていた。




