第349話「帝国の机」
アルカディア帝国の東部国境を管轄する第三書記室は、常に紙の擦れる音とインクの匂いに満ちている。次席書記官のマルクは、手元に積み上がった周辺諸国の関税変動記録をめくっていた。彼の仕事は、隣国であるレグナス王国とその周辺の小国群における流通量の変化を監視し、帝国の不利益になる兆候をいち早く見つけ出すことだった。
「レグナス領内を通過する穀物馬車の数が、この三ヶ月で一律に四%低下している」
マルクが呟くと、隣の席で羽根ペンを動かしていた同僚が手を止めた。
「不作の兆候か?」
「いや、市場に出回る穀物の総量は変わっていない。むしろ末端の価格は数リル下がっている。つまり、流通の経路が変わったということだ。街道を通らず、別の未知のルートが使われている可能性がある」
「地方の密輸か。よくある話だな」
同僚は興味なさそうに作業に戻った。だが、マルクの胸の奥には冷たい違和感が残った。密輸であれば、必ずどこかの市場で価格の乱高下や物資の滞留が起きる。しかし、レグナスの市場は驚くほど穏やかに、まるで最初からその量で取引されるのが当然であったかのように回っている。誰かが意図して流れを細くし、同時に別の場所でその穴を埋めているような、不気味な精密さを感じさせた。
「……報告書の提出は明日にしよう」
マルクは帳面を閉じ、額の汗を拭った。帝国の巨大な情報網をもってしても、レグナスの内情を掴もうとすると、いつもこのように霧を掴むような結果になる。書類の数字は完璧に整合しているのに、その背後にあるはずの意志の持ち主が、どうしても見えてこない。マルクは窓の外の曇り空を眺め、言葉にできない焦燥感を覚えていた。




