99話 不測の事態
(眠り袋って市井にもあるの?)
男がこちらに投げつけた物は眠り袋でした。
袋は神殿のものとは違いますが、ふわりと漂う香木の香りは同じです。
「火炎鞭!」
キャリーさんがそう叫んだ声に、私ははっとして顔を上げました。
――ボオオォォ!
キャリーさんが男たちに向けて構えた両手から、うねる蛇のような火炎が出て、男たちの足元を舐めました。
「あっ!」
「魔法!」
通りを歩いていた通行人たちがキャリーさんの火魔法に気付き悲鳴を上げました。
「喧嘩?!」
「カフェハウスの子じゃないか!」
「騎士団に通報を!」
騒ぎになり始めた様子に、男たちは舌打ちしました。
「チッ……!」
「魔術師がいたとは……」
たじろいでいる男たちにキャリーさんは淡々と言いました。
「去りなさい。さもなくば容赦なく焼きます」
「そ、そんなことをしていいのか? 魔法で人を傷つけたら重罪だぞ!」
(え?! そうなの?!)
私は魔法で人を倒した覚えがあるので、急に後ろめたい気持ちに襲われました。
でも考えてみれば、魔法で人を傷つけたら罪になるのは当然のことです。
「ご心配なく」
キャリーさんは不敵な微笑みを浮かべて男に言いました。
「正当防衛です。先に攻撃して来たのはそちらです」
「こっちはまだ何もしてないぜ」
「何か投げたでしょう」
「そんなの証明できねえだろ」
「証明など必要ありません。尊いお方が正当防衛として処理してくださいます」
(尊いお方ってスタイン公爵?)
キャリーさんとプリスさんはスタイン公爵夫人の命令で私たちの護衛をしているので、もし相手に怪我をさせてしまっても、正当防衛ということでスタイン公爵家が処理してくれるということ……でしょうか?
私は心の中で、男たちが引いてくれることを願いました。
もし男たちが引かなかったら、キャリーさんの魔法で怪我をすることになります。
(私の安眠の術で眠らせてしまえば怪我人を出すことはないわ。もし男たちが引かなかったら、キャリーさんに代わってもらって、私がやろう)
私がそう考えを巡らせていると。
私たちを包囲するようにしているまま、キャリーさんを警戒して表情を固くしている三人の男たちの後ろから、二人の男が悠然と歩いて来ました。
一人は男性の平均くらいの身長で、もう一人は長身の大男です。
二人とも黒いフード付きのマントを羽織っています。
平均身長の男は悪い顔で笑っています。
長身の大男はフードを目深にかぶり、首元の襟巻に顔を埋めているので、顔はほとんどわかりません。
「どうやら私たちの出番のようですね」
黒マントの平均身長の男が、気取ったような声でそう言うと、私たちを囲んでいた三人の男は表情を緩めました。
「先生!」
「頼みます!」
三人の男たちは勝利を確信したかのような笑みを浮かべ後ろに下がりました。
「騒ぎになっては面倒です。さっさと片づけましょう」
平均身長の黒マントの男は笑いながらそう言い、こちらに近付いて来ました。
ふっと空気が変わりました。
「火炎鞭!」
近付いて来る黒マントの男に向けてキャリーさんが火魔法を放ちましたが。
――ひゅるん!
黒マントの男の前に巻き起こった風に、炎の蛇は散らされました。
「その程度の火魔法では私に届きませんよ」
黒マントの男は笑いを含んだ声でそう言い、キャリーさんに向けて右手を構えました。
ひゅうっと空気が変わりました。
(大きい魔法が来る!)
「風弾!」
――ビュウッ!
男がそう叫ぶのと、私が結界魔術を展開したのはほぼ同時でした。
「保存っ!」
――パアァーッ!
私はキャリーさんの前面に、結界魔術で半円型の結界の壁を作りました。
私たち全員を包みこむ半円の結界です。
黒マントの男が出した大きな風魔法は、私が光魔法で作った結界の輝きにぶつかり半円に沿って流れました。
――ガシャーン!
(え?!)
背後でガラスが割れる音がして、私は反射的に振り向きました。
「カフェハウスが!」
割れたのはカフェハウスの窓ガラスでした。
鉛の格子にはめられていたガラスが割れています。
半円の結界に沿って流れた風魔法が、カフェハウスの建物に直撃したのです。
通りにいた人々が悲鳴を上げました。
「ガラスが!」
「魔法で暴れているぞ!」
「逃げろ!」
私の頭には、走馬灯のように雑多な考えが一瞬にして浮かびました。
カフェハウスの窓が壊れてしまって、修理に何日かかるのか、とか。
窓が壊れてしまったから明日は営業できない、とか。
(あの人は……!)
ガラスが割れるほどの風魔法がキャリーさんに当たっていたら、怪我だけでは済まなかったかも、とか。
(悪い人だわ!)
私は顔を上げて、黒マントの男を見据えました。
「どうして当たらなかった……?」
私は結界を解除するのと同時に、前に出ました。
そして戸惑いを浮かべている平均身長の黒マントの男に向けて、私は光魔法を放ちました。
「眠れええぇぇ!」
私が放った光魔法は、平均身長の黒マントの男に直撃しました。
「……っ!」
平均身長の黒マントの男の動きが制止しました。
そして崩れ落ちました。
――ドサッ!
「せ、先生!」
「一体何が!」
三人組の男が驚愕の声を上げました。
それに向けて、私は光魔法を放ちました。
「眠れ、眠れ、眠れえっ!」
――ドサドサッ!
私の光魔法を受けた三人の男は、順番に倒れて行きました。
私は無言で立っている黒マントの大男にも光魔法を放ちました。
「眠れえええっ!」
ですが……。
「……?!」
無言でじっとしていた黒マントの大男は、急に、目にも止まらぬ素早い動きを見せました。
私は一瞬、黒マントの大男を見失いました。
「きゃあ!」
「ニーナさん!」
ニーナの悲鳴とプリスさんの声に私が振り向くと。
あっという間に、黒マントの大男はニーナを抱えていました。
「眠れ!」
私はもう一度、黒マントの大男に向けて光魔法を放ちましたが。
黒マントの大男は倒れず、ニーナを抱えたまま高く飛び上がりました。
(安眠の術が効かない?!)
「ルネ!」
悲愴な表情で私の名を叫んだニーナを抱えたまま、黒マントの大男は建物の屋根まで飛び上がりました。
「ニーナ!」




