94話 それぞれの目に見える風景
――時間は少し巻き戻る。
カフェハウスで、スタイン公爵令息ホバートがシャックリー伯爵とピエン男爵を撃退した直後。
「ボブさんが雷魔法の使い手だったとは」
「我々が出る幕はありませんでしたな」
庶民に扮している魔法士たちは、和やかに談笑しながらカフェハウスの店内に戻った。
「庶民が雷魔法を使うのは反則でしょう」
「庶民ではありませんからなぁ」
「ボブさんが相手とは、シャックリー伯爵もピエン男爵も運が無い」
「ボブさんの身分を知っていたら逆らわなかったでしょうに」
「カフェハウスの昼食の時間は、逢魔が時ですな」
「午後も逢魔が時でしょう。怖い婦人会が出ますぞ」
「婦人会は恐ろしいですな」
「午前は騎士が出ます」
「そんな奴いましたか?」
「午前の早い時間に来て、カウンターの席に座り、ルネさんと親し気に話している黒髪の若い男がいるでしょう」
「いますな」
「あれは第二騎士団のダレス卿です。安物の外套の下に騎士の制服が見えておりました」
「騎士にこの店の料理の味が解るとは思えぬ」
カフェハウスの料理の旨味は、高魔力の者にしか解らないことを魔法士たちは知っていた。
またこの国では魔力が権威であるため、魔力があれば、騎士ではなく魔法士になる。
ゆえに騎士は、体力はあるが魔力は低いというのが通説だった。
「料理が目当てでないとすると……ルネさんが目当ての悪い虫ですかな」
「料理ではなくカフェにはまっているそうですが、どうだか」
「悪い虫ですな。注意せねば」
「けしからん」
カフェハウスに常時、無作為に現れる魔法士たちは、カフェハウスについての情報交換をしつつ話に花を咲かせた。
「ルネさんとニーナさんには魔法塔に来ていただきたいのに」
「リロイ卿がルネさんを勧誘して、断られたとか」
「それは、まあ……」
「魔法塔は、若い女性が魅力を感じるような職場ではないでしょう……」
「制服も地味ですからね」
「華やかな制服の少女魔法士団を作るというのはどうでしょう」
「それは素晴らしいアイディアだ!」
「夢がありますな!」
「実現不可能な夢ですが……」
「少女魔法士団の結成は、相対性空間理論の実現よりは現実に近いのでは?」
「漸近線は近付いても交わることはありませぬ……」
◆
ざわめく魔法士たちを他所に、庶民に扮している貴族夫人たちもまた声を落として語り合っていた。
「シャックリー伯爵とピエン男爵は、この店のルールを何故知らなかったのでしょう」
「ルールを知らぬ者は、この店の存在も知らないはずですものね」
「それが最近は、そうでもないようです」
訳知り顔でそう言った夫人に、他の夫人たちは注目した。
「あら?」
「どういうこと?」
「噂を聞きかじっただけで、単なる流行の店だと思っている輩もいるのです。スタイン公爵令息が通っている店としても知られているようですわ」
「ボブ様はよくいらっしゃいますものね」
「それならどうしてシャックリー伯爵たちはボブ様に気付かなかったのでしょう」
「ボブ様が庶民に扮していたからではないでしょうか。ボブ様はご嫡子ですが、王宮の行事には参加なさっておられず、お顔をあまり知られていませんもの」
「どこからどう見てもボブ様は炎眼ですのに」
「弱小貴族はスタイン公爵と面と向かってお話する機会がなく、炎眼を間近で見たことがなかったのでしょう」
「弱小貴族なら有り得ますわね」
「なるほど……。では、あの娘たちは……」
一人の夫人が意味深な微笑を浮かべながら、視線でちらりと、若い娘たちの集団を差して言った。
夫人たちは知らないが、その若い娘たちの集団は神殿の巫女と元巫女、シェイラ、メレディス、ナタリアの三人とその小間使いたちだ。
「スタイン公爵令息が目当てで来ているというわけね。庶民に変装しているけれど、貴族の娘よね」
「そのようですね」
そう相槌を打った夫人は、自信満々にほくそ笑んだ。
「あれは貴族の娘ですわ。私は下町ファッションを研究するために、下町を散策して多くの庶民たちを見ましたの。庶民と貴族では、やはり立ち居振る舞いが違いますのよ。あれは間違いなく貴族の娘たちですわ」
「ボブ様は人気が高いご令息ですものね」
「スタイン公爵家の跡取りですもの。年齢が釣り合う娘がいる家は、こぞって釣り書きを送っていることでしょう」
「ボブ様は婚約解消なさったとはいえ、一時は下位の子爵家の娘とご婚約なさっていたお方。下位貴族の娘でも、ボブ様のお心を射止めさえすれば結婚できる可能性があると知れて、万が一のチャンスを期待する身の程知らずたちも群がっているとお聞きしております」
「ボブ様のお心を射止めるために、まずはお近付きになろうという魂胆なのかしら」
「きっとそうですわ。スタイン公爵に招待されなければボブ様にお目に掛かることはできませんが、此処でなら会えますもの」
「あの娘たち、ボブ様を見ているわ」
「完全に狙っているわね」
「父親の紹介もなく男性に近付こうなんて、はしたないこと。どこの家の娘たちかしら」
「……キルマー子爵家の娘に似ているような……。マドック侯爵令息にエスコートされているところを見たことがありますの……」
「マドック侯爵令息がエスコートしていたなら黄金世代の巫女ですわ。婚約解消されたようですけれど」
◆
夫人たちに密かに注目されていることにも気付かず、シェイラ、メレディス、ナタリアの三人は、ホバートのほうをちらちら見つめながら不満を吐露していた。
「ホバート様は何故、あんな……何の取り柄もない娘に情けをかけておられるのでしょう」
ホバートとルネがカウンター越しに歓談している様子を見て、メレディスは憎々し気に言った。
シェイラとナタリアもそれに同意した。
「ちんちくりんですわね」
「下町の娘だというから、見目が良いだけの娘かと思いましたが。まったく見栄えがしない娘ですわね」
三人は、ホバートと歓談している娘がルネだと気付いていなかった。
「でも、あの娘、どこかで見たことがあるような……」
「それはそうでしょう。どこにでも居そうな娘ですもの」
「その辺にごろごろ居そうな娘ですわね」
「ホバート様の隣の赤毛の男性……」
ナタリアが違和感を語った。
「魔法塔のモルガス卿じゃないかしら?」
「防護の魔道具を開発した、魔法塔随一の秀才と名高いモルガス・ヴェイル様ですか?」
「ええ、とても似ている……」
「もしあの赤毛の男性がモルガス卿だとしたら、あの小娘はホバート様とモルガス卿の二人を手玉に取っているということですか?!」
「まさか……。有り得ないわ」
「そうよね……」




